トヨタ奥田碩 語録



 日本企業で史上初めて純益が1兆円を突破し、世界の企業の
純利益ランキングでも4位に入ったトヨタにおいて大企業病を振り
払い、同社がエクセレントカンパニーとして君臨する道を開いた
まさしく「トヨタの変革」を象徴する奥田碩氏の奥田イズムを表す
「奥田語録」をお伝えします。
 面識はありませんが、奥田さんは三重県出身で、私にとって
母校津高の大先輩にあたります。

 <奥田碩 語録>
 (「奥田イズムがトヨタを変えた」日本経済新聞社編 
 日経ビジネス文庫より)

○「10歳若かったら、喜んで(社長)をやった」
 (1995年8月 社長交代会見で)

○「これからのトヨタは何も変えないことが最も悪いことだと思って
欲しい」(1995年8月 社内の所信表明で)

・「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでも
なく、唯一生き残るのは変化できる者である」というダーウィンのこと
ばを思い出します。

○「社内を走り回って上にも下にも横にも、相談しないと何も決まら
ないのがトヨタの現状だ」(1996年1月 インタビューで)

・まさしくトヨタにも大企業病があったようです。

○「トヨタが変われば日本が変わるという意識もあるし、渋滞するつ
もりもない。政治の混乱や規制緩和の進み具合がどうであれ、経営
としてやるべきことはやる」(1996年4月 インタビューで)

・経営の責任を外部の環境のせいにしない姿勢が読み取れます。

○「『ここは日本だから』という言葉を使った時点で、もうできないと
いうことと同じ。グローバルスタンダードを目指そうとする改革を放棄
したことになる」(1998年1月 インタビューで)

・「ここは日本だから」というところを「行政は特殊だから」に置き換え
たら、自治体にとってそのまま改革を否定する言い訳として使えそう
です。

○「時代が変われば、今までの強さが弱さになる。社内でも『トヨタが
永遠に大丈夫だなんて考えるな』と言っている。企業カルチャーは絶
えず変わっていくべきだ」(1998年5月 インタビューで)

・生命のDNAは放っておいても伝わりますが、企業のDNAは絶えず
変わることで進化して伝わるものなのかもしれません。

○「構造改革といっても血を流したのは製造業だけだった。ゼネコン
やサービス業、銀行なんかはリストラに手をつけてこなかった。豪勢
な本店を売るわけでもないし、人も減らさない」
 (1998年7月 インタビューで)

・日本で一番競争力がある業種は製造業でその中でも一番は自動車
産業です。その主要6社のうち、半分で外資が導入され、外国人の
トップが誕生する事態になっているのに、一番競争力のない銀行や
ゼネコンが豪華な本社を持ち、高い給与水準を維持していたつけが
今、回っているようです。

○「21世紀は20世紀の延長線上では決して語ることのできない時代
になる。トヨタグループとして欧米メーカーの大連合に伍していく最終
準備期間と認識し、構造改革に取り組む構えだ」
 (1999年1月 年等あいさつで)

○「グローバルスタンダードなどというおかしな言葉に振り回されて
すべてを他国と一緒にしてしまっては国際競争に勝てない」
 (1999年8月 日経連セミナーで)

・経営手法でもなんでも中身を検討せず、欧米のものがよくて、民間
のものが良いという妄信はそろそろやめるときです。日本にもトヨタ
やキャノンなど世界に誇れる経営手法の企業があるし、自治体でも
民間企業よりエクセレントな経営をしているところもあるのです。

○「バブルの最も重大な後遺症は企業経営者の精神的な荒廃である
のかもしれない。自分の会社の利益、株主の利益しか考えず、従業員
の幸せや企業の社会的責任、幅広い関係者との調和、あるいは経済
や国全体の利益を考えないトップは『経営者』と呼ぶに値しない。『経営
屋』にすぎない」(2000年8月 日経連セミナーで)

・ノーブレスオブリージュを感じさせる言葉です。国や地域の将来のこと
を考えるのが『政治家』で、次の選挙のことしか考えないのは『政治屋』
といえるでしょう。

○「最近、日本人の心の中から執着心や忍耐力、こだわりが失われて
いる。日本の製造業が名をなしてきた換骨(奪胎)の世界というのは
(口には出さないで伝わる)暗黙知の世界。IT化が進めば暗黙知が形
式知に置き換わっていくが、暗黙知は依然必要だ」
 (2000年12月 インタビューで)

・「阿吽の呼吸」、「口述秘伝」の世界で行われていた、優れた生産技術
がITの進歩により、かなり普遍的に実現できるようになりましたが、トヨタ
などの高水準の暗黙知は形式知に置き換わらないものなのでしょう。

○「一人ひとりが起業家、経営者の視点に立ち、『打倒トヨタ』の発想で
改革に着手してほしい。最大の敵は内なる慢心。変革のチャンス、ニー
ズを見逃すな」 (2001年1月 年初恒例の辞令交付式で)

・『打倒トヨタ』の発想がすごいです。若者に人気薄なトヨタ車という評判
を覆すため、若手主体で開発したヴィッツという車の社内審査で、懸念
を表明する役員の中にあって「これは私たちにはわからない車だ」と言
ってゴーサインを出したところが奥田さんのすごいところです。

○「私が首相になったら、まず大臣の辞表を預かる。大臣は次官の、
次官は局長の辞表を預かって(改革)をやればいい」
 (2003年3月16日 東京世田谷のタウンミーティングで)

・退路を断たないと改革はできないということです。冒頭の言葉ではあり
ませんが、10歳若かったら奥田さんに本当に首相をやっていただきたい
と思うのは私だけでしょうか。


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