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Rainbow Seeker
その4
その4
さて、娘と妻と3人でリュクサンブール宮殿の前に出てきた。ベルサイユ
宮殿なんかと比べると、こじんまりした可愛い宮殿だ。しかし何か落ち着い
た気分にさせるものがある。あの永井荷風もよくここへフランス語で書かれ
た本を片手に散歩し彼のお気に入りの場所で何時間でも横になりながら時を
過ごしたと「フランス物語」の中に書かれている。特に明日パリを去らねば
ならない夕暮れ時、名残惜しそうに暗くなるまでいつまでもいつまでも寝転
がって、どうして自分はここに住めないのか、何故明日あの何の興味もない
ロンドンへ向かって発ち、日本へ帰らねばならないのかと深く嘆くところの
下りは殊に興味深い。
彼ほどパリを深く愛した日本人は2人といないだろう。彼が歩いた第一次
世界大戦勃発前の、まだ古き良き時代つまりベルエポックの香りがかろうじ
て残っていた頃のリュクサンブールも、私たちが今歩いている1991年の
リュクサンブールも全く変わらない。パリはそんな街である。そこに世界の
多くの人々が魅了される。誰の言葉だったかセーヌ河を見ながら言う「時は
過ぎ、私は残る」という言葉があるが、若き日の私とセーヌ河やパリの街角
はいつまでも変わらずそのまま心に残るという意味だと思う。やはり若い時
に、出来れば30歳までにパリとの最初の出会いの場を持つべきだ。
小さな野外コンサートで奏でられるジャズっぽい曲が秋の風にのって心地
よく流れてきた。それに合わせて踊ってみせると娘がひどく喜んだ。塾では
最も厳しく恐い先生も彼女の前では、彼女の言葉を借りれば「ひょうきん
者」と化してしまうのである。何のためにあるのかいつも不思議に思うデカ
い濃い緑色に塗られた体重計に乗ってみたりしながら庭園の出入り口に近づ
く。ついでながら、実は以前インスブルックで同じような体重計に好奇心か
ら本当にコインを入れて上ってみたことがあって、悔しいことにそれが故障
していて入れたコインは戻ってこなかったという苦い経験があることを告白
する。
リュクサンブール庭園をエドモン・ロスタン広場に近い門から出る。この
広場には6本の道路が集まっていて、中央に立派な噴水の水が美しい円を描
いて舞っている。この付近にRERのリュクサンブールという地下鉄の駅が
あって、シテ・ユニヴェルシテール(大学都市)へ行く時やシャトレ・ザー
ルへ一旦出てそこから延々と続く「動く歩道」に乗ってメトロのシャトレに
行く時に非常に便利だが、かなりの通でないと知らないし、使いこなせない
ラインである。
大学都市には夕食を食べるためによく通ったものだ。パリ大学に通う学生
のための各国の寮が集まっている所で、もはや一つの町を形作っている。日
本会館(別名 薩摩館...明治の大金持ちの薩摩何某氏の献金で最初建てられ
た故そう名付けれれた。1982年の頃はまだ木造だったが、その数年後に
新しく立て替えられたと新聞で読んだことがある)もあり、数日遅れの日本
語の新聞をそこで読める。一度訪れたことがあって、中の職員が私たちを確
認してドアの鍵を開けてくれた。阪神タイガースが負けたと書かれていたの
を覚えている。半分はその国の学生及び教授たち、半分はその国以外の人達
で構成されなければならないと聞いた。国際交流が大きなねらいになってい
る訳だ。
世界中の腹を空かした若者が一度にどっと集まるのが食堂である。学生で
なくても少しは多めに支払えば食券が買える。千円位でスープにシチュウな
どのメインディッシュ、パン、チーズ等が食べられ、しかもすごくおいし
い。美術館のような立派な広い空間をアラブ、アフリカ、アジア、メキシコ
等から来た若者達、時には子供連れのひげを生やした中年男が、ある者はト
レイを持って長い列を作り、またある者は長テーブルに身を寄せて座り何か
について熱弁しながら食事をしている。凄い活気だ。私の最も好きな場所の
一つだ。今でもよく思い出してエネルギーをもらう。 ともかくこの辺りに
はあまりにも思い出が多くあり過ぎて書き切れない。なにせこのエドモン・
ロシタン広場から出ているGAY・RUSSAC通りを少し上がった所には
あの常宿の、オテル・プログレがあるのだから。
ここで、色々ある思い出話の一つを紹介しよう。パンテオンの手前を右に
入った処に「京子}という名の日本食品店があった。雑誌で知って初めて訪
れた時はラーメン、あられ、漬物等が並ぶ日本食品の奥にジャパニーズ・レ
ストランがあってよく通った。そこには通訳をして食っている人とか、とも
かく長くパリに在住している連中がよく来ていた。一度だけ店主の京子さん
と話したことがある。レジでお金を払う時、たまたま当時の僕のジャズ喫茶
のマッチをを見て(その頃僕は煙草を吸っていた)はっとしたように手を止
めた。彼女の見るそのマッチにはひらがなで「さいきんおげんきですか?」
と黄色を背景に白のクレヨンで書かれてあった。それは武蔵野美大を惜しく
も落ちた僕の友人とともにコーヒーを飲みながら考え、彼が仕上げてくれた
オリジナルで、マッチ屋さんも「これはいい」と言って至極感心していたマ
ッチ箱である。長く日本を離れた彼女はそのフレーズや色合いや殊にひらが
なに郷愁を感じたのかも知れない。「お気に入りでしたら差し上げます」と
言うと「 これはあなたのお店のマッチ?」「 はい 」「 いいの、じゃ
いただくわ 」と言った。僕は「 ごちそうさま 」と言って店を出た。店
の外から振り返って中を見ると彼女はまだマッチを見ていた。
そんなことがあったのが単独旅行の一回目、4年後妻と共に訪れた時は奥
のレストランは残念なことになくなっていて、店内はすべてインスタント類
を中心に日本食品で埋められていた。日本食ブームも手伝ってか流行ってい
る様子で品数も増えていた。パリに着いてまだ数日しか経っていなかったが
無性に和食が食べたくなり訪れたのに、レストランがなくなったのを知りが
っかりすると同時に今度はインスタントラーメンが食べたくなってきた。確
かにフランスの食べ物はおいしい。例えばパリに着いた当日、「京子」の近
くのデリカテッセンで買ったジャガイモとなにかをオリーブ油等で混ぜたお
惣菜を人通りの少ない街角で食べた時のうまさには舌鼓を打った。あっとい
う間に2人で平らげてしまった。
しかしそれでも食べたくなるのが日本食である。しかも個人差はあろうが
各人が思っているよりもかなり早い段階においてである。しかし湯沸かし
器、つまり電熱ポットがない。ラーメンを食べるにはどうしても電熱ポット
が必要だ。それにホテルに帰る頃つまり10時から11時頃はかなり寒くな
るのでどうしても暖かい飲み物が欲しくなる。その頃はいつもエドモン・ロ
スタン広場に面した、若者たちが集まる明るい感じのファーストフード店で
無茶苦茶熱い紅茶(他の店ではあまり熱くない場合が多くて、何度も失望さ
せられたのでこの店は私達のお気に入りであるとともに不可欠の場だった)
を飲んで暖まり、通りゆく人々を見ながら二人でその日あったことや明日の
ことを語り合って夜のパリを過ごした。ヘミングウェイの「 陽はまた昇る
」の最初の部分に出てくるカフェのシーンを思い起こさせるようなカルチ
ェ・ラタンの夜だった。
しかしそこでせっかく暖まった体も暖房の効かないわが愛するホテルに戻
ると忽ち冷えてしまうのであった。机の上のワインを飲んでも毛布の下にセ
ーターを入れてもたいして効果はなかった。どういう訳か私の方が原因不明
の咳がやたら出だして、それも尋常じゃないやつで長時間連続して出続ける
のである。これには本当に参った。(不思議とこの症状はマドリードに移動
するやいなやピタっと止まった。4月下旬のパリとマドリッドはこんなにも
気温、湿度等が異なるのである)
こんなこともあって何度か予算を検討した結果、思い切って電熱ポットを
買うことにした。ラファイエット(百貨店)で、いくらだったか180フラ
ン(当時1フラン約23円)位で購入した。早速ホテルで塩ラーメンを作っ
て食べた。実においしかった。4月とはいえまだ寒い夜、インスタントの熱
い紅茶がいつでも飲めるのは本当にうれしかった。もっと早くこのポットを
買うべきだったと思った。4月下旬から始まったパリよりずっと暖かい情熱
の国スペイン旅行の間も、このポットは連日大活躍をしたのだが、水を熱す
るという本来のポットとしての任務をはるかに超える激務、つまり麺まで入
れて沸騰させるとか、長時間かけてジャガイモをクツクツ茹でるといったこ
とを強要したものだから、ついに5月5日、地中海のコスタ・デル・ソルに
面した「美しい海」という意味のマルベージャでオウト・オフ・オーダーし
てしまったのである。それは夕食にポテトサラダを作ろうとして妻がジャガ
イモを茹でていた時に起こったのであった。大ショックだった。
諦められず、翌日ネジ回しを買ってきて自分で修理しようと分解してみた
が、事態はさらに悪くなり、挙句の果てには何か訳のわからない白い粉まで
飛び散り、最悪の状態に陥った。メカ音痴というアキレス腱を大事な場面で
またもや露呈してしまったのである。後にニースを訪れ、たまたまラファイ
エットの支店を見つけた時、「あの時もっと冷静に判断して保証書を使って
修理してもらうことを考えればよかった」と悔んだ。そういうわけで、今回
は前もって日本でナショナルのがっちりした海外・国内兼用の電熱ポットを
買って持って来たのである。
そういえば、旅に必要な電気製品にドライヤーがあるが、それについても
私は大失敗したことがある。舞台はわが愛するホテル・プログレであった。
パリに着いた翌朝、ヨーロッパの200ボルトと日米向けの100ボルトの
両方がコインの角をドライバー代わりに左右どちらかにひねることによって
変えることができるブラウンのドライヤーを何気なく格別意識もしないで使
い始めた。スイッチをオンに入れるやいなやり陸寸前の飛行機のようにウィ
ーンという鋭いドライヤーのモーターの回転音が私に襲いかかった。爆発す
るんじゃないかと思った。ドライヤーの方だけでなく建物全体も静けさに包
まれていた。異常な静けさ。その静けさは私が何かとんでもないミスを犯し
てしまったことを意味していた。
洗面所でメイクしていた妻もどうしたのと驚き顔で近寄ってきた。たとえ
午前中の明るい時とはいえ、突然の轟音と消灯に驚かない人はいないだろ
う。ドライヤーのスイッチを入れても切ってもうんともすんとも言わない。
ヒューズがとんだのである。しかもこのホテル全体のヒューズである。少し
落ち着いてどうすべきか考えた。1階のフロントへ行ってムッシュに事態を
話し謝るしかない。5階から小さなエレベーターで降り、フロントへ行くと
ちょうど英語も話してくれるいつものムッシュがいた。ドライヤーを使うジ
ェスチャーをしながらヒューズをとばしてしまったことを伝え謝ると、たい
して怒らずまあ仕方がないなといった反応で、奥の方に姿を消し、ヒューズ
のスイッチをオンにして戻ってきた。以後気をつけるようにという感じで軽
く笑みを浮かべながら両手を広げた。
ほっとして部屋に戻り、今度は慎重にコインを使い絶対に間違いのないよ
うに確認してから再びスイッチを入れた。すると何たることかこんなことが
現実にあってよいのか、先ほどと同じ異変がまたもや起こったのである。ア
ンビリーヴァブル~! インクレディブル~!妻は開いた口が塞がらない。
私は顔面蒼白。決心して黙って今度は階段で降り、ムッシュに最悪の事態を
伝えると彼は呆れ返ったという顔をしてもう何も言わなかった。「アイム
ヴェリー ヴェリー ソリー パルドン」。
後は私も黙って部屋に帰った。憎らしいドライヤーをにらみつけ、暫くドラ
イヤーを使わないぞと心に誓った。あの時何故ああなったのか未だに納得で
きない、その後は何の問題もなかっただけに。このようにメカに弱い私のし
でかした失敗談を挙げれば枚挙にいとまがないのである。これはもう一生治
らないだろう。(つづく)
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