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3.オルセー美術館とバルビゾンの思い出 

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3.オルセー美術館とバルビゾンの思い出


 3日目の10月2日の朝が明けた。雲が多いが時々陽が差す。昨日同様マ

ダムにカフェオーレとショコラを入れてもらい私と妻はジャムとバターを付

けてパンをたっぷりいただいて朝食を済ませたが、娘はもはや日本食の方が

いいと見えてあまり食べなかった。フロントで鍵を預け元気よく通りに出

た。昨日と同じ道を歩き途中でやはり昨日と同じ店でオレンジ、リンゴ、小

型のVITTEL等を買い込んだ。モスコウ通りからレニングラード通りに

入りそれを下ってヨーロッパ広場に至るまでは昨日と同じルートだが、今日

はじっくりメトロEUROPE駅を探すことにした。



 ここは6本の道が集まっていいる広場だ。一見普通のアスファルトのロー

タリーだが実は下にサンラザール駅へつながる5、6本の線路が走ってい

る。鉄の柵越しに見下ろし、電車が走るのを見ながらコンスタンチノーブル

通りへ渡り周辺を探すが見当たらないのでさらにもう一本渡ってマドリッド

通りを少し入って注意深く見てみるとメトロの入り口があった。満足~!3

号線で一旦サンラザールまで行き、そこでコレスポンドして12号線に乗り

換えMARIE DISSY行きに乗り、アサンブレ・ナシオナルで下車す

る。メトロから出た所にピーターパンの大きな写真が貼られた例の円筒型の

広告塔があったのでそれを背景に娘の写真を撮った。公共のものらしき立派

な石造建築群に沿ってしばらく散策するとオルセー美術館の広場が見えてき

た。きれいに磨かれた大理石が敷き詰められた広場のあちこちに彫像が配置

されていた。ある若者に頼んで我々3人の写真を撮ってもらった。まだ会館

前らしく列ができていた。




 チケットを買って入館した。中に入っての第一の印象はガラスをはめ込ん

だドーム型の天井がすごく高くて室内が明るいということである。なるほど

かつて駅だっただけあって吹き抜けの空間が素晴らしい。入ってすぐ背中側

に金色に縁取られた豪華な時計が掛けられている。中央奥にカルポー(18

27~75)作の「パリ天文台の泉水}(4,5人の女性が地球儀のような

ものを両手で担ぎ上げている彫刻)が立っていて、だいたいどこからでも見

る。少しの間全体を見回した後、階段を数段降りてまず入って右側の方から

見ていく。アングルの「泉」に代表される古典主義の絵画、ドラクロアに代

表されるロマン主義の絵画、さらに進むと象徴主義の先駆者であるビュヴィ

ス・ド・シャヴァンヌ、モロー、ドガの作品群のコーナーがあり、先ほどの

カルボーの「パリ天文台の泉水」の前で写真を一枚撮り(フラッシュは厳

禁)、一番奥にあるオペラ座周辺の模型を足元のガラスの下に見る。これに

ついては敢えて言うほどのことはない。何か割れて落ちそうでちょっと落ち

着かない。



 そこから印象派絵画部門を見るためにエスカレーターを3回ほど乗りつい

で最上階へとどんどん上がっていく。帰国後に気付いたのだが、たいへん重

要な部門を見落としたのである。それは1階入って左側にある印象派初期に

属するモネ、マネやバルビゾン派のミレー、コロー、クールべといった、そ

うそうたる画家たちの作品群のコーナーである。以前私は印象派美術館で思

っていたよりはるかに大きかったマネの「草上の昼食}を、またルーブル美

術館で思っていたよりはるかに小さかったミレーの「落穂ひろい}「晩鐘」

(1978年当時、このミレーの絵をルーブル内で見つけ出すのはかなり難

しかったが)を見たことがあるが、とりわけ「草上の昼食」は私のお気に入

りだっただけに再会の機会を逃したのは極めて残念だった。次回は見逃さな

いようにしよう。



 バルビゾンと言えば、妻と2人でバルビゾンを訪れた時のことは決して忘

れられない。3月下旬、到着後3週間かけてパリ市内のあちこち回ったある

日、一度郊外の田舎町へ行ってみようということになり、ガイドブックを開

いて検討した結果、「ミレーの家」のあるバルビゾンへ行ってみようという

ことになった。交通手段はパリ・リヨン駅からフォンテーヌブロー・アヴォ

ン駅までの60キロは国鉄を利用することにし、そこからバルビゾン村まで

どれくらいあるのか知らないが、バスで行くことにした。フォンテーヌブロ

ー・アヴォン駅に着いたのは1時半~2時頃だったと思う。まずフォンテー

ヌブロー駅まで4キロばかり歩いてその付近でバス停を探してみたが、クロ

スカントリーを町ぐるみでやっているらしく、お城の前の広場も道路脇も歓

声をあげる人でいっぱいで、どうやら町の機能自体が何もかも停止している

ように見受けられた。そう言えば、その日は日曜日だった。



 少し歩いた所で出会った警官にバルビゾンまでのバスのことを尋ねたら、

今日は走っていないと言ったので、「じゃ歩いてはどれくらいかかるのか」

と訊くと、目を丸くして「ピエ?」と驚いて足を指差した。そして、こっち

の方向だと教えてくれた。後はよく分からないことを言っていたが、とにか

く歩いて行くなんてとても信じられないといった表情だった。我々はそれで

も歩き出した。それしか手はなかったからだ。タクシーもまったく見られな

かった。美しい花の咲いている庭を有する典型的なフランスの中流家庭の

家々を見ながらしばらく歩くと森に入った。道路が左右に別れていた。よく

分からなかったが右を選んだ。たまに車が通る舗装された道に沿って美しい

森の木々を見ながらどんどん歩いた。



 森と言っても鬱蒼と草木が茂っているのではなく、適度に間隔を置いて比

較的整然とまだ葉をさほどつけていない木々が立ち並んでいるといった感じ

だった。まさにそれは印象派の絵画そのもので、特にコローの描く自然そっ

くりだ、と2人で感嘆した。そこで写真を撮ろうということになり、シャッ

ターを押そうとしたが固くて押せない。もう全部フィルムを使い果たしたの

かとそのカメラの購入者で私より使い慣れている妻が巻き戻そうとしたが、

これも又ぴくともせず、これはおかしいと幾度か試行錯誤しているうち気の

短いメ、カに弱い私が蓋を開けてしまったのである。



 するとまだフィルムは巻き戻されていなくて、あっという間にすべてパー

になった訳である。パリ到着後の3週間近くの間に写された、これぞパリと

いった異国情緒たっぷりで我々お気に入りの裏通りの街角や建物の壁といっ

た記録、思い出が一瞬にして吹っ飛んだことになり、そのあまりのショック

で私はがっくり肩を落とし、しばらく動けず、妻もまたそんなに性急に開け

なくてもよかったのにとかなり強くしつこく私をなじった後、深く溜息をつ

いた。そういった訳でバルビゾンの写真も一枚もなく、いわゆる幻の名場面

として、あのパリの写真集とともに我々2人だけの脳裏に永久保存されるこ

とになったのである。




 しばらくバルビゾンの美しい自然を眺めながら、しかし黙々と歩いた。あ

る一人の女性が車の側にかがんで美しい草花をそっと指で撫でるようにして

いるのを見た。実に美しい心の和む光景だった。パリに住む都会人は休日に

はこのような素晴らしい所に来て、彼女のように一人静に自然とともに過ご

すのだろう。恵まれているなあと思った。色々事情はあれど、日本ももっと

もっと自然を大切にすべきだと思った。その森の美しさが我々の心を徐々に

和ませ、あのショックも和らげた。我々は再び会話を始めた。それにしても

歩けど歩けどバルビゾンを示す標識は現れなかった。時々草上に腰を下ろし

休息し、また再び太陽の下を歩き続けた。良い天気だった。平坦な大地が

延々と続く気がした。




 それからどれくらい歩いただろうか。直線コースを不安とともにどんどん

歩いていると、ついに「バルビゾン左」の標識に出くわした。キロ数は書い

ていなかったと思う。若干の上りやカーブのある、以前より変化のある道を

しばらく進むと右側に車が駐車しているアスファルトされていない広場があ

った。何だろうと立ち寄る。少し行くとかなりの崖になっており眺めがよ

い。何人かの人が眺めていた。黒っぽい丸い石というか大きな岩石があちら

こちらに緑の木々の間から露出し、それが一種独特の得体の知れない原始時

代を彷彿とさせる、奇妙な光景を作り出していた。地質学者の興味を引くに

違いない光景だ。移動式アイスクリーム屋があったので、そこでグラスを食

べ元気を回復させた。いつも思うのだが、スペイン、フランスはもちろんイ

タリアのシャーベット風アイスクリームは特においしい。



 少量の元気とともに再び歩き出してまもなく、丸太小屋のスイス風ピアガ

ーデンが右に現れた。その前の十字路を左に折れ、大きな木々の葉の隙間か

ら漏れる美しい木漏れ陽に照らされた道をしばらく進むと、ついに小さなバ

ルビゾン村が現れたのだった。ミレーの家は探すまでもなく、気が付くとわ

れわれの目の前にあった。ただし、その門は非情にも閉められていたが。時

計を見ると6時をほんの少し回っていた。6時で閉館なのである。これは一

体どういうことなんだ。どう解せばよいのか。二人諦め切れず背の低い門の

上からミレーの家を覗いたりしたがどうにもならない。肩を落として重い足

を一種放心状態でとぼとぼ無言で運んでいると、目の前に一台の観光バスが

停車していた。



 行き先を見ると、何とパリと書かれているではないか。バスの運転手に確

認を取ると間違いないのでこれ幸いと2人して乗り込んだ。それが又嘘のよ

うに私達が乗るやいなや半数くらいしか客が乗っていないそのバスは動きだ

したのである。疲れきった体をゆったり座り心地のよい座席に沈めながら、

しばらく窓の外の景色をぼーっと見るともなく見ていた。いったい何キロ歩

いたのだろうか。今ガイドブックで測ってみたが、直線コースで15キロあ

る。だから実際は17,8キロ歩いたのではなかろうか。



 バスの中の私たちは無口だった。うつらうつら寝たようにも記憶する。

時々見えるパリ郊外の典型的な一戸建ての家々の洒落たデザインに大いなる

興味を持って眺めた。一軒、一軒しっかり個性を持っていてそれぞれデザイ

ンが異なっているのだが、それでいて家並み全体の調和は保たれているので

ある。その辺が黒い屋根と白い壁を美しいレースのカーテンと玄関の横に植

えられたこれまた美しい花の咲く花壇のあるドイツのがっちりした画一的な

家並みとも違うし、和風があるかと思うとスペイン風の館があり、朱色の屋

根の隣に青い屋根の並ぶ日本の家並みとも全く違う。カーテンなど一軒一軒

異なるという点においては、オランダのそれやデンマークのそれも個性を大

切にし自由を謳歌していて、同様の好印象を私に与えた。



 どれくらい乗ったのだろうか。一時間半くらいは乗ったように思う。終点

プラース・ド・イタリーに到着するまでに。4月中旬のことだから外はまだ

十分明るかった。そして、メトロを乗り継いでホテルに戻って靴を脱いだ時

初めて、私の右の靴の先と妻の靴の側面に靴下が見えるほどの穴が開いてい

るのに気づいたのである。そこで僕の少し古くなったショルダーバッグの一

部を切り取ってセメダインで靴の内側から貼りつけ急場をしのぎ、その日か

ら5ヶ月位続く旅行中何度か張替えはしたものの、ずっとその靴でお互い乗

り切ったのである。.......そして9年後の今も、その靴はちゃんと

靴箱に記念としてしまわれている。 

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