remi's room

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ロックン・ロール[1955-1962]


ロックン・ロール
[1955-1962]15歳-22歳


[出会い]-ロックン・ロールが僕の人生を変えた-

ジョンがロックン・ロールに魂を揺り動かされたのは、中学校の上級の時にエルビス・プレスリーの歌う「ハートブレイク・ホテル」を聴いてからです。
1957年3月、ジョンは学校の仲間とバンドを結成し、学業そっちのけで結婚式のパーティで演奏したり、バンド・コンテストに出場したりしていましたが、その年の7月、 ポール・マッカートニー との運命的な出会いがありました。友達に誘われて、地元の教会の野外バザー会場で演奏するジョンのバンドを観に来ていたのでした。二人は意気投合し、ポールはジョンのバンドに入ることになります。ジョン16歳、ポール15歳の夏でした。

ジョンと知り合って、すべてが一変した。知り合えてよかったと思う。
彼は僕より二学年上級で、僕はまだほんの子供だったけど、僕ら二人は
同じようなことを考えていたんだ。    -ポール・マッカートニー


1958年2月、ジョンはポールの紹介で ジョージ・ハリスン に出合います。3つも年下の少年でしたが、ギターの才能を見込んで仲間に入れることにしました。のちにビートルズとなるメンバーがこれで3人揃うことになりました。

僕は「ローンチー」を弾いた。ジョンは聴いていて、
しばらくしてから言った。「よし、入れてやる」って。
               -ジョージ・ハリスン



[ハンブルク]-僕はリバプールで育ち、ハンブルクで大人になった-

1960年、ジョン、ポール、ジョージのまだ駆け出しのバンドに、「ドイツのハンブルクのクラブで演奏しないか?」というプロとしての話が舞い込みました。3人にドラムスとベースの二人を加え、5人編成のビートルズがここに誕生。こうしてライブ演奏の実力をつけていきました。


[キャバーン]-ビッグになろうと思うなら、変えなくちゃだめだ(ブライアン・エプスタイン)

1961年2月、ハンブルクから戻ったビートルズは、リバプールで人気の「キャバーン・クラブ」にレギュラー出演するチャンスをつかみます。ハンブルクで鍛えたライブ演奏はリバプールの若者の間で評判となり、この人気に注目したレコード店経営者、ブライアン・エプスタインは、ビートルズにある種のひらめきを感じ、マネージャーになろうと決意します。

彼らの服装はあまりきちんとしていなかったし、清潔でもなかった。
でも観客の興奮にはすさまじいものがあった。
彼らは一種の磁力を放射しているように見えたんだ。
僕はすっかり魅せられてしまった。 -ブライアン・エプスタイン-



★展示品★

・パーシー・フィリップ・スタジオのレコード・カッティング・マシン ・・・ビートルズ初のレコードを製作したカッティング・マシン。前身にあたるバンド「クオリーメン」は、ここで初のレコードを製作した。

・セント・ピーターズ教会イベント・プロブラム(1957年7月6日) ・・・ジョンとポールが初めて出会った日の「クオリーメン」のステージプログラム。

・ギャロトーン・チャンピオン ・・・1956年頃、ジョンが初めて手にしたギター。ポールと出会った日にも、ジョンはこのギターを弾いていた。

・直筆のハガキ ・・・ハンブルク巡業中に女友達にあてたもの(1962年5月7日消印)

・リッケンバッカー325MG ・・・ビートルズ初期のジョンの代表的ギターで、初めて買ったリッケンバッカー。

・リバプールの音楽新聞「マージー・ビート」 ・・・地元のミニコミ誌で、ビートルズがリバプールで人気投票1位になったことを報道している。(1962年1月4日)

・黒の革ジャン ・・・デビュー前のステージ衣装。「キット・カーソン」製。





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