August 5, 2013
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カテゴリ: 日本史





7月1日(月)に行って来たのですが、

2日後に東北旅行に行ったので、

ブログに載せる機会がないまま一か月以上経ってしまいました。



これからもずっと、この日本史シリーズに参加する予定なので、

遅まきながら記録として残しておきたい思います。







奈良に付いて、早めの昼食後、

最初に行ったのは、 平城京跡 でした。



710年、元明天皇は藤原京から、

奈良盆地北部の平城京へと遷都しました。

この後、山城国の長岡京・平安京に遷都するまでを、

奈良時代といいます。



平城京は、唐の長安に習って、

碁盤の目に状に東西・南北に走る道路で区画された都市でした。



平城京跡は、発掘調査の後、

平城遷都1300年祭に向けて、

一部復元されました。






1.jpg


復元された 平城宮の正門 朱 雀 門



元日や外国使節の送迎の際に、

この前の広場で儀式が行われました。






2-1.jpg


朱雀門前での歌垣の様子





3.jpg


朱雀門は衛士たちによって守られ、

常時開いていたわけではありませんが、

宮の正門としての権威とともに

その勇姿を内外に誇示していたのです。






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朱雀門を潜ると、遥か遠くに 第 一 次 大 極 殿 が見えます。

このだだっ広い広場も、

国内外への権威の誇示のひとつです。






6.jpg


日陰で、講師の先生から説明を受けました。






7.jpg


復元された 第 一 次 大 極 殿


天皇の即位や元日朝賀などの国家儀式、

あるいは外国使節の歓迎の儀式がおこなわれた施設です。



生憎、この日は月曜日でお休み。

中へ入れなかったのですが、

平城遷都1300年祭の時に 大極殿の中に入った ので、

他の人達ほどには残念に思いませんでした。






8.jpg


大極殿の方から朱雀門を見ると、

その前に阪神電車の架線が通っています。

平城京跡の敷地内にです(苦笑)



「こういう所は、奈良県人の大らかさだ。」と、

奈良県人の講師の先生が苦笑されていましたが、

ホントは、

近鉄電車の前身である大阪電気軌道が開通時(大正3年)には、

まだ史跡として保護されていなかったから。






平城京地図.jpg


平城京跡MAP


ここには大極殿跡が2ヶ所あって、

もう一つは、740年に平城京から恭仁京に都が移り、

難波京、紫香楽京と転々とし745年に平城京に再び戻ってきた時、

元の場所とは別の場所に建てられました。

これら二つは第一次大極殿、第二次大極殿と区別されています。





10.jpg


復元されたのは第一次大極殿の方で、

第二次大極殿跡 には基壇と、

建物の柱のあった場所にはツゲの木が植えられて、

円柱形に刈られています。







11.jpg


宮跡からは、東の方に若草山と三笠の山






12.jpg


西には生駒山が見えます。






次は 東大寺 へ行きましたが、

長くなるので、次回にさせて頂きます。



***** つづく *****







rose





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Last updated  October 13, 2013 04:08:30 PM


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