October 13, 2013
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カテゴリ: 日本史





「孤高のメス」の作者の大鐘稔彦先生の講演会 がありました。



有名な先生だけあって、会場は超満員。

のんびり開園15分前頃に行った私たち夫婦には、

当然椅子がありません。

後で立ったままでしたが、有意義な講演を拝聴しました。



演題は、 「患者を生かす医者、死なす医者」

先生のご体験から、

「患者にとって良い医者、良い医療」とは何かを考えさせられた内容でした。



大鐘先生は、1999年から、

私が住んでいる市内の僻地医療に従事されています。





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前回の奈良時代の続きです。

興福寺の後は、 鑑真和上の唐招提寺 に行きました。



度々の渡航の失敗にも屈しないで、

6度目の挑戦で、やっと日本に渡来。

その時には盲目になっていたと、昔学校で習いましたが、

何故そこまでして渡来する必要があったのかは、

恥ずかしいけれど、今回初めて知りました。



当時、民衆は、重い税や労役に苦しんでいましたが、

苦しみから逃れる唯一の方法は、

出家して僧侶になり、「労役や税を免除される特権」を利用することでした。

「坊主丸儲け」って、この頃からあったんですね(苦笑)



その為、沢山の僧侶が無尽蔵に増えていきました。

朝廷は、これではいけないと思って、

僧侶は、資格がないと出来ない事にしたのです。

でも、日本には、その 「授戒」 を行う事のできる高僧がいなかったのです。


第9次遣唐使に選ばれた2人の留学僧

「普照(ふしょう)」と「栄叡(ようえい)」が命じられ、

鑑真和上に我が国の伝戒の師として弟子の紹介を懇請しましたが、

弟子の中で手を挙げる者は一人もなく、

鑑真和上ご自身が、日本へ渡航することを決心されたのです。


754年 聖武上皇 は、

今後授戒伝律は一に 鑑真和上にまかす との詔を出され、

まずは東大寺大仏殿前の戒壇で

聖武上皇を始め約400人の授戒が行なれました。



東大寺で5年を過ごした後、

759年に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開き、

「唐律招提」と名付けられた 鑑真和上の私寺 として始まったのです。




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金 堂  ※国宝 奈良時代(8世紀後半)



南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂。

屋根の形が素晴らしいです♪






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中には、中央に盧舎那仏像、

左右には千手観音と薬師如来が安置されていますが、

千手観音の腕は、本来千本あったそうですが、

解体修理の後、全部は入らなくなり、

現在は、953本だそうです。






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クリック!<拡大画像>


境内の見取り図です。

クリックすると拡大図が見られます。







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金堂の西側にある 戒 壇 (かいだん)へ






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戒壇とは、僧となるための授戒が行われる場所の事です。

創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、

その後再興されたものの、火災により建物は失われました。






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現在は、3段の石壇のみが残り、

その上に昭和53年に、

インド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれました。







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講 堂 ※国宝 奈良時代(8世紀後半)



天平時代の面影をとどめる唯一の建築物として

きわめて貴重な存在です。



内部は、本尊弥勒如来坐像と、持国天、増長天立像の他、

沢山の仏像が安置されています。






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向かって左側が講堂、右側が金堂

正面には、礼堂の前に鼓楼が見えます。






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鼓 楼 (ころう)※国宝 鎌倉時代


名称は「鼓楼」ですが、

現在は鑑真和上の仏舎利を奉安しているため、

「舎利殿(しゃりでん)」 とも呼ばれています。






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ここから苔の綺麗なお庭を通り抜けて

新宝蔵 へ行きましたが、

画像はありません。






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開山御廟 (かいざんごびょう)


鑑真和上の墓所です。

御廟前には、和上の故郷・揚州から贈られた瓊花が植えられ、

初夏にその可憐な花を咲かせます。






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開山堂


鑑真和上1250年御遠忌(ごおんき)に向け、

寺が制作した鑑真和上坐像(国宝)のお身代わり模像が安置されてます。

本物の鑑真像は見られませんでしたが、

こちらは拝する事が出来ました。



手前の何人かの人が立っている所には、

松尾芭蕉句碑 が立っています。



鑑真和上坐像を拝した際に詠んだ句

「若葉して御目の雫拭はばや」 が刻まれています。






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右側が、 経 蔵

唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です。



左側は、 宝蔵 で、

唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれています。







春日大社、興福寺、唐招提寺は、

今までに何度も行った事がありましたが、

今回、改めて講師の先生と回ってみると、

気が付かなかった建物や知らなかった事等が

沢山お勉強できて、

日本史の面白さを再発見したツアーでした。



来年には、舞台が京都に代わって、

まだまだ日本史シリーズは続くようです。



子供の頃には、大の苦手だった日本史。

少しでも理解出来るようになればと思っています。






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帰りの車窓から撮った日没






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快い疲れの中、

心は充実感でいっぱいになって帰りました。







次回は、「山の辺のみち」の1部を歩きました。

今までに行った事のない場所だったので、

とても楽しみにしていたツアーでした。



***** つづく *****






rose





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Last updated  October 14, 2013 10:36:29 AM


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