前回、以前いた日本人スタッフの影響でカタコトの日本語を話す同僚について
少し触れたが、わたしも 日本語普及事業
に奔走している。
なにしろ日本語の単語のいくつかは、イタリア語のそれと同じ発音だったりする
(もちろん意味は全く異なる)。
「Cin cin!(乾杯!)」は有名な話なので教えるまでもなかったが、
「不足する(MANCARE)」という動詞の一人称単数現在形(MANCO)は
おもしろがって教えてしまった。
美しいのは傘と風。CASA(カーサ)は家のこと、CASE(カーゼ)は家の複数形。
数字の10は「下に」(GIÙ=ジュー)という意味だし、
己は「名誉」(ONORE=オノーレ)、といった具合である。
ところでわたしの名前「まみ」も、イタリア語でちゃんとした意味がある。
英語圏の人に“MAMY( お母さん
)”のようだとよく言われ、
イタリアでもやはり
“Come mamma!(コメマンマ=「お母さんみたいね!」)”と多々言われる。
ところでこの「コメマンマ」という発音も、日本語の「 米、飯(こめ、まんま)
」
のようでかわいらしい。
で、「まみ」だが、イタリア語の文で、“M’ami.”。マーミ。
あなたはわたしを愛してる。
わたしの名前には素敵な意味がある。
だから誰もがすぐに、わたしの名前を覚えてくれる。
これは本当に名付けてくれた両親に感謝している。
わたしの名前を付ける際、「まみ」の対抗馬が 「みほ」
だった、と両親から
聞かされたことがあったが、良かったー「みほ」じゃなくて
(中山美穂さん、全国のみほさんゴメンナサイ)。
「O(オー)」で終わるとイタリアでは男性の名前に思われてしまうことがあるし、
だいたい 「H」の発音ができないイタリア人
には「みお」と呼ばれてしまうのがオチなのだ。
名前というのは重要である。
自分という人間を認識してもらうための一番の指標になるものだからである。
誰だって正しい名前で呼ばれたい。
ちなみにわたしの名前は本来は漢字で書くので
(ここでは平仮名で公表、統一している。
どんな漢字かは以下の内容からご推量下さい)意味がある。
それをイタリア語で説明するとみんながニヤッと笑い、“È fico!(クールだねぇ!)”と言ってくる。
“BELLA CANAPA( 美しいハシッシュ )”。
両親は、 麻
という植物が強いことから、
たくましく 美
しく育って欲しいと願って付けたのであるが、
こちらの意味も、イタリア人にはすぐに覚えてもらっている。
(2003年6月)