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昨日の日記の続きです。松島周辺を堪能した後、せっかくなので津波被害のさまをこの目で確かめるべく、車を北東方向へ走らせました。向かうは牡鹿半島の付け根にある漁業の町、女川(おながわ)です。松島海岸から東へ抜け、三陸自動車道の無料区間を走って石巻市内へ。市街地のメインストリートを通り抜け、町外れでやや長いトンネルを2つ越えると、石巻郊外の町並みが広がりました。交差点を左折し、通称「女川街道」と呼ばれる国道398号線に入ると、周囲の景色が殺伐としているのに気がつきました。街道沿いや道外れを問わず、あらゆる建物がまともに建っていません。屋根が波打つ家屋や壁がすっかり抜け落ちた鉄筋鉄骨造りの建物。山の方向へへしゃげていたり、たもとにはがれきがうずたかく積もっていたり…。アスファルト舗装のはずの道路はやけに白っぽくほこりっぽい。交通標識が根元から海岸とは反対方向に折れ曲がっています。信号機に灯が入っていない交差点も。ここ、石巻市渡波(わたのは)地区も津波の被災地のひとつ。Googleマップで掲げられている上空写真を見ると……。建ち並ぶ住宅の合間あいまに白くなっている空間がありますが、これら空間のほとんどは津波で流された住宅跡。3.11から早くも4か月が経過し、一部ではふだんの生活に戻っているようではありましたが、まだまだ町全体の復興にはほど遠い光景が広がっていました。さて女川街道は渡波地区を過ぎると深い入り江の縁ににとりつきます。ここはあまり津波の被害がなかったらしく、ほとんど家がふつうに建ち並んでいますが、門の前や庭の中には何層も土のうが積み上げられていました。街道と海岸の間には3月11日以来列車の走らなくなったJR石巻線の線路が走っていますが、海水が線路の道床を洗っていました。この地域は地震の影響で周辺の地盤全体が沈み込んでいるようです。そうこうしているうちに車は女川町の郊外に入り、入り江のふところにさしかかります。入り江終端には多くの家や倉庫が建ち並ぶ向こうに『高政』と大書された建物が見えました。女川の老舗かまぼこメーカーで、辛くも津波の直接被害からは逃れることができ、復旧が進みました。当初は名物の揚げかまぼこを周辺の避難所に無償で差し入れる活動に専念、その前向きでボランタリーな取り組みが報道でも何回か紹介されていました。その『高政』を右に見ながら街道は上り勾配にさしかかります。女川の中心部へ抜ける峠を越えるのです。峠を越えるか越えないかといったところで、沿道の建物に変化があらわれてきました。屋根が傾いている住宅。よく見ると壁がありません。倉庫とおぼしき建物。折れ曲がった鉄骨の柱しか残っていません。どうもここまで津波が襲ってきたようです。海ははるか眼下。この峠までは目測で海抜20~30メートルくらいありそうですが、こんなところまで大波がかぶさってきたことなんてにわかには信じられません。すれ違う車はダンプばかり。おそらくがれきを運び出しているのでしょう。峠を越えた街道は、女川の中心部へ向けてひたすら下り坂。進むにつれてますます目の前に惨状が広がってきました。津波が襲う前の街道沿いは多くの住宅が建ち並んでいたと思われるのですが、コンクリートの基礎ばかりがむき出しになっていて、地面からは夏草が生い茂っていました。そして車は女川の市街地とおぼしき場所に到着。「おぼしき」と書いたのは、現状の光景が到底、町の中心部だったとは想像できないくらいの荒涼とした景色だからです。上写真の左側建物は5階建ての旅館だったビル。パッと見た感じでも津波が5階の高さまで到達したことを思わせます。手前の空き地にも津波が襲う以前は建物がひしめいていたのでしょう。上の写真はすべて、女川の中心部であるJR女川駅近辺の光景。小さい建物は跡形もなく、鉄筋コンクリートの建物も壁が流失しご覧のとおりです。人っ子ひとりおらず、殺伐とした光景が広がるばかりで、息をのむばかりです。上の写真はJR女川駅。手前道路の向こう、一段上がっている砂利敷きは、おそらく線路があった場所。その向こうの背丈の低いコンクリートはプラットホーム跡です。上屋が跡形もなくなり、パッと見た感じではとても駅には見えません。この鉄筋コンクリート造りのビル。パッと見「何かヘン」と思いきや、よくよく見ると横倒しになっています。手前の、壁に見えるコンクリートの面は、実は地面に向き合っていた床なんです。津波のパワーのすごさを思い知らされる光景です。写真には撮りませんでしたが、道路という道路もすべて砂利道のようにガタガタでした。いずれもアスファルト舗装されているのですが、波に洗われ、がれきの洗礼を受けた結果、アスファルトの表面が削られてしまったのでしょう。津波が来る寸前までは、車の往来があり、水産加工の工場では多くの人たちが働き、それぞれの人々の生活がごくふつうに見られていたのでしょう。3月11日を境に、その町は死の町に変貌してしまいました。その女川を後にして、埼玉へ戻る帰途、石巻港の臨海部を走っていると、空き地という空き地はすべてがれきや津波に流された車の廃車置き場になっていました。阪神・淡路大震災でも被災地の惨劇を目の当たりにしましたが、そのときは確かにそこに建物があったことを偲ばせました。今回の津波被害に遭った場所では、そこに建物があったことが容易に想像できないくらい、何も残っていない荒涼とした光景が広がっているだけでした。同じ地震でもケースによって被害の次元や大きさがまったく異なることを思い知らされたことです。【送料無料】3・11東日本大震災でわかった!地震・津波の新常識価格:945円(税込、送料別)
2011年07月31日
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東日本大震災の被災地復興のお手伝いになるべく、現地で微力ながらお金を落とそう、ということで日帰りで東北ツアーを挙行しました。ヨメさんにママ友を加えて3名。めざすは日本三景の1つ松島です。日本三景といえば、松島に丹後の天橋立・安芸の宮島。宮島は中学生の頃に訪れたことがあり、天橋立に至っては父親の実家に近く、物心つくときから毎夏、天橋立で泳いでいたクチ。しかし松島は未だかつて訪れたことがありませんでした。そしてようやくこの日を迎えたわけで、今回の地震による大津波でも大きな被害を受けなかったという報を聞き、訪れることにしたもの。夜明けとともに出発、川越から関越道を北へ向かい、途中、東松山でママ友を乗せて、さらに関越道を北上、高崎ジャンクションから北関東道に乗り換えて栃木県内で東北道に合流。折しも昨日からの豪雨で、関越道は新潟県内が通行止めの表示が出ていました。わが一行も、道中はひっきりなしに雨に洗われます。那須を越え、福島県内を縦断、宮城県に入ってからも車は順調に進み、仙台南ジャンクションから仙台東部有料道路へ。津波に襲われた仙台空港近くを走行し、仙台市街を左に見ながらバイパス、走っているうちに松島海岸インターチェンジに到着しました。時計は10時半。自宅を出発したのは朝4時半過ぎでしたから、高崎を経由して遠回りしたとはいえ、6時間弱で到達したことになります。地震被災者の高速道路無料施策が高じて東北道の料金所渋滞が伝えられていたため、多少の渋滞は覚悟していたのですが、折からの豪雨で外出を控える人が多かったのか、本当にあっけなく目的地に着いたことです。折からの戻り梅雨の影響で空はあいにくのどんよりとしたお天気。晴れた日にはもっと見晴らしが利くことでしょう。観光地の朝10時半はまだ早朝とみえ、人通りはパラパラ。まずは土産物屋さんの入り口をくぐり、「ずんだシェイク」なる飲み物を見つけたので試飲。「ずんだ」とは枝豆のこと。ご当地は枝豆をすりつぶした餡を餅に絡めた「ずんだ餅」が銘菓ですが、そのずんだをシェイクにしたもので、枝豆のほのかな青臭さがフレッシュでした。さて松島に来たからには、「八百八島」と言われる島や奇岩の数々を間近で見ないわけにもいきません。ということで、島巡りの観光船に乗り込みました。観光船は湾内を約50分で周回。数々の奇岩が目に飛び込んできて目を奪われます。その昔、俳人・松尾芭蕉をして「島々や千々に砕きて夏の海」と詠ませただけのことはあります。さてこの松島。南西の塩竃・多賀城や北東の東松島といったエリアは津波で大きな被害が出ましたが、その間に挟まれた松島は、それこそ湾の入り口に鎮座している数々の島や岩に阻まれて、津波の被害はさほどではなかったと聞いていました。しかし観光船での周回中、通りかかった沖合の有人島では、海岸べりの家屋が傾いたり、基礎のコンクリートだけが残っているような状態も見受けられたため、少なからず被害があったことが見受けられます。船を下りてから観光船スタッフの1人に話を聞いてみると、松島海岸も3メートルの津波が来襲したとのこと。流される家屋はなかったものの、実はかなりの被害になったようです。どおりで、観光船の乗船券売り場は仮設コンテナになっていました。本来は上写真奥に見える瓦屋根の建物が観光船の乗船券売り場と休憩所になっているのですが、もろに津波をかぶったらしく、復旧作業をしている最中でした。ちなみに津波直後の乗船券売り場の建物の写真が近くの土産物屋さんの店先に掲げられていました多くのがれきで埋まっている状況が見て取れます。海岸沿いの堤防を見ていると、頭頂部の石板が至るところではぎ取られ、中のコンクリートがむき出しになっていることに気づきました。おそらく津波によるものでしょう。がっちり接着された重い石板がいとも簡単にはぎ取られるとは、改めて津波の威力を思い知ったことです。海岸に沿った道路沿いには、多くの土産物屋や食堂が建ち並んでいますが、これらも全部、津波に洗われた外壁をきれいに塗り直し、店内もすべてリフォームしていました。どおりでいずれの店もどことなく外壁や店内がきれいだな、と思っていました。中にはまだ工事中のお店もあったり、よくよく気をつけて歩いていると、津波によって廃業したとおぼしきお店も数軒ありました。下写真の左側のお店は、リフォーム中です。海岸近くには上写真のような看板が掲げられていて、昔から津波来襲には敏感な土地柄に見受けられますが、そんなご当地でも今回の大津波は「まさか」の事態だったようです。ひとしきり海岸を端から端まで歩いたので、すっかりお腹が空きました。時計を見ると既に13時過ぎ。ということで海岸沿いの和食レストランに入店。牡蠣フライ定食、天丼、牛タン定食など、松島や仙台の名物を冠した三様のメニューを注文し、3人で食べ比べ。僕が注文した天丼は、特大の穴子がメインでしたが、ネタとしては珍しい牡蠣の天ぷらも入っていて、やはりこの界隈は広島と並ぶ牡蠣の産地ということを意識できました。【送料無料】Tabimo仙台・松島・平泉(2009)価格:680円(税込、送料別)
2011年07月30日
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タイトルからは想像つきかねますが、やっぱり新幹線ネタです。3月11日に発生した東日本大震災では、太平洋沿岸が大津波で洗われ、原子力発電所が深刻な事態になるなど、想像を絶する規模の被災状況にばかり人々の目は向いていました。しかしそんな悲惨な状況の中で、いくつかの美談もあります。その一つが被災地を走っていた東北新幹線です。【Wikipediaより】最初の本震当時、何本かの列車が高速で走行中でしたが、そのいずれもが激しい揺れに翻弄されながらも、乗客乗務員の誰一人、ケガをすることもなく安全に無事に停車したのです。僕はこの報を聞いて、何とも言えない感動を味わったものです。沿線では宮城県栗原市の「くりこま高原駅」が最も激しい震度7の揺れに見舞われましたが、ちょうどその付近を走行中だった2本の下り列車は、本震の来る1分前に自動的に非常ブレーキがかかって、揺れが来た段階ではかなりスピードも落ちていたため、脱線や転覆は免れました。この、列車の安全停止に貢献したのは、JRが誇る『早期地震警報システム』です。気象庁頼りではなく、沿線やエリア内の沿岸部にJRが自前で地震計を設置、そこで感知した揺れを即座に中央のコンピュータに伝送、地震の震源地、規模や震度を測定した上で許容量を超える揺れが推定されると、電力供給をストップする仕組み。停電になると新幹線列車は急ブレーキがかかるように設計されていて、なので運転士がブレーキ操作をせずとも列車は停まるわけです。で、揺れを感知してから電力供給ストップまでの動きがわずか1秒で完了します。それにしても一つ解せないのが、揺れが発生する「1分前」に既に電力供給がストップされ、列車の速度が落ちていたこと。なぜそんなタイムスリップじみたことが実現できるんでしょう。これには、地震のメカニズムを応用した、巧妙な仕掛けが施されているんです。地震は、身体に感じるS波と呼ばれる本震が来る前に、人間が感知できないP波と呼ばれる微振動が発生します。新幹線の地震警報システムの地震計は、このP波を感知するのです。そのP波の数値を伝送し、中央のコンピュータで、数十秒~1分後にやってくる本震のS波の規模を推定しているわけ。推定した結果、S波の揺れが許容量を超えると判断すると、その瞬間、電力供給を断ちます。ゆえに、揺れが来る1分前には列車は減速しているんです。東日本大震災では、女川に近い牡鹿半島に設置してある地震計が最初にP波を感知し、それが元で一連の動きになりました。このシステム、もともとは来るべき東海地震に備えて、今から20年前に東海道新幹線に導入されたのが最初。その後、山陽新幹線や東北・上越新幹線など、全国の新幹線に取り入れられました。P波を捉えてS波を推定し、警告を促す仕組みとしては、今やメジャーになった『緊急地震速報』が挙げられます。でもこの仕組みが一般にリリースされたのは4年前。それに引き換え、新幹線の『早期地震警報システム』は、さらにさかのぼって4半世紀近い歴史を持っています。今やJRの地震計で測定した数値を、逆に気象庁に提供しているほどです。ただ、1分前からブレーキがかかったとしても、200数十キロで走っている新幹線列車が完全停止するまではどう見積もっても3分はかかります。となると残り2分の間に、大きな揺れで線路施設が破壊されたら、安全な停止は約束されません。しかしここにもJRはぬかりなく対策をとっていました。JRにとって震撼とした地震が過去に2つあります。1つは阪神・淡路大震災、もう1つが新潟県中越地震。阪神・淡路のときは、阪神間の沿線が東日本大震災と同じく震度7の烈震に見舞われ、高架を支えていた柱が至るところで破壊、高架が崩れたり落橋したりしました。新幹線は朝6時から運転を開始することになっていますが、地震発生時刻が早朝の5時46分だったこともあり、間一髪、大惨事からは免れましたが、「地震発生があと15分遅かったら……」とJR関係者を青ざめさせました。もう1つの新潟県中越地震は地震発生が夕刻4時ごろでした。被災地を走る上越新幹線沿線では、震度6の激しい揺れに翻弄された下り列車が、自動停止する寸前に脱線したのです。幸い、乗客は無事で大事に至りませんでしたが、JR関係者は営業中の新幹線列車が脱線したことに強い衝撃を受けました。こうした2つの事象を経験した結果、高架柱に鉄板を巻いたり、落橋防止装置を取り付けて、震度7でも施設が破壊されないような策を講じるとともに、車両や線路に脱線防止装置を取り付けて脱線対策も講じました。それらの対策が今回の東日本大震災で大きな効果をもたらしたのです。昨日も書きましたが、新幹線の地震対策にもハードとソフトの絶妙なマッチングが見られます。すなわち、構造物の耐震強化や脱線防止装置といったハード面、早期に地震を検知したり、早く列車を停めるといったソフト面とがみごとに織り込まれて「地震に強い」新幹線が実現しています。こういった数々の地道な施策が、開業後半世紀を経てもなお、乗客死亡ゼロの記録を樹立し続けています。【送料無料】新幹線の軌跡と展望価格:1,890円(税込、送料別)
2011年07月29日
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懲りずに中国高速鉄道事故をきっかけとした新幹線ネタです。中国マスコミの報道によると、追突された側の運転士が「列車指令から突然、停車を命じられた」と証言しているそうです。これが本当だと「落雷が原因」という天災説は一気に崩れ落ちることになります。ただ解せないのは、そうは言っても停車している列車に後続の列車が突っ込むのをなぜ保安システムは許してしまったのか、ということです。システムそのものに問題があったのか、という考えと同時にそれともひょっとしたら何らかの理由で、保安システムの動作を人為的に断ち切っていたのか、という疑念すら起こります。もしそうであれば、いくら技術が高い装置であったとしても、使い方次第で無用の長物となってしまいます。とかく「技術」というと、施設や装置といったハード面のことばかり取りざたされますが、実はそのハードをどのように使っていくのか、といったソフト面も忘れてはなりません。ハード・ソフトは車の両輪であり、双方の技術がバランス良くミックスされてこそ、安全で利便性の高いアイテムができあがるのです。そして日本の新幹線は、高次元のハードに加え、それを運用していくソフト面で他国の追従を許しません。例に挙げると……。東海道新幹線の「こだま」に乗ったことのある人は誰しも経験することですが、駅に停まるごとに、後から追いかけてきた「のぞみ」「ひかり」の通過待ちをします。この間隔の短さがすごいのなんの。「こだま」が駅に停車してドアを開けたら、1分もしないうちに隣の線路を200km/h超の高速で「のぞみ」や「ひかり」が通過していくんです。さらに、朝や夕方の乗客が多い時間帯では、「のぞみ」が発車したわずか3分後に、次の「のぞみ」が出発します。最高時速270km/hの高速列車が、通勤電車並みの時間間隔で雁行するんです。他国の鉄道技術者は日本の新幹線を見て、スピードの速さ以上に、この神業とも言えるダイヤとオペレーションに感嘆するんだそうです。「とても自分たちにはできない」と。で、その神業をギリギリのセンでやっとこさ実践しているかというと、現場では実に優雅に余裕を持って職員が行動している。その秘密はダイヤグラムにあります。ダイヤグラムにはいくつか種類があって、列車の運行そのもののダイヤの他に、乗務員の乗務スケジュールや車両の運用スケジュールなどが挙げられます。で、東海道新幹線の場合、これらのダイヤが5秒刻みで決められています。5秒刻みですよ。ドアの開け閉め、車掌の安全確認、運転士への発車合図、運転士の列車起動……、それらすべての動作は5秒刻みですべて決められているんです。で、そのとおりに動作をすれば、決して事故が起きないようにダイヤが組まれています。ただ実際の現場では、なかなか5秒刻みでオペレーションすることは叶いません。事故やトラブルがあれば当然ですが、そういう状況ではなくてもたとえばある駅で乗り降りするお客さんが通常より多かった場合、乗降に手間取って発車のタイミングが遅れてしまうことは日常茶飯事です。ところがそういう場合でも次の駅に着く頃には、時間を取り戻しています。なぜか?ダイヤを作成する際に、余裕時分という「遊び」を設けているからです。たとえば次の駅まで通常なら30分要するところを、ダイヤ上では30分30秒に設定したりする。そうすれば30秒遅れで発車したとしても、次の駅までで十分時間を取り返せるカラクリです。今、東京から「のぞみ」で新大阪までの所要時間は最速で2時間33分ですが、実は「遊び」を無くせば、2時間20分くらいで到達できるんだと思います。そこをダイヤ上では10分以上余裕を持たせていて、少々の遅れでは他の列車に影響を与えない仕掛けにしているんです。この「遊び」の存在が常に過度のダイヤの乱れを抑え、「こだま」を「ひかり」「のぞみ」が際どいタイミングで追い抜いたり、「のぞみ」同士の運転間隔を縮めることにも貢献しているんです。まさにソフト面で実にこなれたオペレーションをしていると思いませんか?いくらハード面が優れていてもソフト面が肝要なのです。では「遊び」がなくなるとどういうことになるか?関西のJR西日本管内では、乗客の奪い合いでそれこそ戦前から私鉄とのスピード競争に明け暮れていました。余裕時分を切り詰め、列車をトップスピードで走らせる。何十年もそういうオペレーションが染み付き、JRになってからもその体制に拍車がかかりました。「遊び」がなくなることで、ちょっとした事象でも列車が遅れがちになります。遅れた時間を取り戻す術もないため、1列車の遅れが全体のダイヤの乱れに直結します。ダイヤの乱れは利用者からのクレームにつながるため、本社も現場もストレスがかかります。特に現場の運転士は、直接真後ろに乗客の顔があるため、そのストレスには多大なものがある。勢い、少々無理をしてでも、つまりスピード違反をしてでも時間を取り戻そうとする行動に出てしまいます。その結果、起きたのが、6年前のJR福知山線脱線事故でした。事故を契機にJR西日本も「遊び」の重要性にようやく気づき、今は余裕時分を入れたダイヤに補正されています。区間によっては今までより到達時間が長くなったところもありますが、人の命には替えられません。中国の鉄道首脳は、単にハード面だけをおいかけて「技術」「技術」と言ってるような気がします。「巧みな高技術」とは、ハード面とソフト面の絶妙なマッチングだということ。その巧妙なマッチングを実現している日本の鉄道技術に追いつくのは、おそらく数十年先のことになるんじゃあないでしょうか。【送料無料】鉄道ダイヤ回復の技術価格:2,625円(税込、送料別)
2011年07月28日
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今週は『日本の新幹線礼賛』週間として日記を綴っております(笑)中国の鉄道首脳が豪語していた「わが国の高速鉄道の技術や安全性は世界一だ」というセリフにほのかな怒りが湧いていたのと、今回の大惨事を見るにつけ「ほーら言わんこっちゃない。そもそもおたく(中国)は、同じ土俵にすら立ってないんだよ」ということを主張する「度量の狭さ」(笑)にほだされての行動です。さて、日本に限らず鉄道の世界には『フェール・セーフ』の原則があります。この概念はもともと航空機の設計で生まれた思想で、何かトラブルがあっても「常に安全側に動作する」ように設計に盛り込むこと。たとえばジャンボジェット機は4基のエンジンがありますが、トラブルでたとえ1基しか動作しなくても安全に着陸できる設計になっています。TAKE OFF 安全飛行への招待価格:5,250円(税込、送料別)そして鉄道の『フェール・セーフ』は、「何かあったらとにかく停車」が思想信条になっています。鉄道の運行がストップするというトラブルが発生して、それがテレビや新聞で報道されたときに、「信号が赤のまま切り替わらなくなり……」というフレーズがあります。鉄道施設にはありとあらゆるセンサーが仕込まれていて、どれか1つでも異常な動作や信号を検知したときには、即座に周辺の信号を赤にするしかけが施されています。そうすると走行中の電車は停まらざるを得ません。仮に運転士がブレーキ操作を怠っても、車両側が自分でブレーキをかける仕組みになっています。【送料無料】列車制御価格:2,310円(税込、送料別)駅に停車中の列車も、前方が赤信号だと発車できません。運転士が運転開始の操作をしても、車両側は言うことを聞かない設計になっています。そうして列車をすべて止めておいて、本来の原因調査をする。すると、レールにヒビが入っているとか、山際で土砂崩れが発生していたとか、信号ケーブルが劣化して断線気味になっていたとか、そういうもともとの原因が明らかになるわけです。もしこの事態を放置して列車を走らせていたならば、とんでもない事故を引き起こしかねません。なので鉄道の世界では「疑わしき状況になったらとにかく列車を止める」ことが大原則になっています。しかも止めるからには安全にかつ速やかに止めなければならない。在来線の場合ではトップスピードの時に「急ブレーキをかけて700mで停まること」、新幹線の場合で「2kmで停まること」が原則であり、これが技術的に保証できなければ、最高速度を引き上げることは許可されません。日本でも新幹線に限らずいろんな鉄道でスピードアップが図られていますが、同時に必ず「安全かつ速やかに停める方法」も検討されます。で、この停める方法が見つからない場合、スピードアップそのものが国土交通省から許可されないのです。中国の高速鉄道は「最高速」にこだわりすぎ、「最高速から安全に速やかに列車を停める」研究がおろそかになっているんじゃないでしょうか。それに冒頭の『フェール・セーフ』。これは全世界の鉄道で適用されている思想のはずですが、先行列車が停まっていることが検知できずに、後続列車が追突している状況は、この『フェール・セーフ』がまったく機能していない。センサーが故障していたのか、あるいはセンサーの配置がおかしかったのか。そのあたりのところは推測しづらいのですが、『フェール・セーフ』よりも『トップ・スピード』にこだわったがゆえの今回の大惨事であることは間違いありません。
2011年07月27日
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昨日に続いて新幹線ネタです。中国の高速鉄道事故では、転落した車両を土に埋めるなんていう事実が明らかになり、当局の隠蔽体質に自国民からも怨嗟の声が相次いでいます。もっと驚愕すべき話があって、高架から宙づりになった車両を大胆に地上へ落とすシーンもありましたが、あの瞬間、車内にはまだ遺体が取り残されていたんだそうです。……彼の地では、やっぱり人命より国威が重んじられるんですね。さて日本の新幹線では今回の中国で起こったような事故が非常に起こりにくい仕組みを持っています。細かいことを言い出せばキリがありませんが、まず根本的な話を書きたいと思います。日本の新幹線システムは、中国はおろか他国の高速鉄道と決定的に異なるところがあります。それは新幹線が他の在来線に乗り入れることのない、閉鎖された路線だ、ということです。なぜかというと、線路の幅が違うからです。【Wikipediaより】上の図で言うと、JRの在来線は「狭軌」と呼ばれる1067mm幅。この線路幅で時速200km/hの高速列車を走らせると、重心が不安定となり非常に危険なので、新幹線はワールド・スタンダードである「標準軌」(1435mm幅)を選択しました。これでどういうことになるか、というと、新幹線電車が自由に在来線に入線できなくなるわけです。ですので、たとえば新幹線を鹿児島や青森に到達させたいとなると、膨大なカネをかけて新たに線路施設を作らないといけない。今から30年前、東北・上越新幹線が開業しましたが、その時は埼玉県の大宮駅が始発駅となりました。本来は東京の上野駅を始発にするはずだったのが、東京都から埼玉県にかけての沿線住民が「騒音が激しくなる」「日当たりが悪くなる」等の理由で建設に猛反対し、着工が遅れたため開業に間に合わなかったのです。その後、上野駅まで線路が到達するまでの数年間、利用者は在来線の「リレー号」に乗って大宮駅で乗り換える、という不便をかこいました。ここは日本の新幹線システムの大きな弱みです。もし在来線も同じ線路幅なら、わざわざ新規に作らなくても、都心部は在来線に乗り入れてまかなうことが可能ですし、目的地も在来線で既に到達しているところまで自由自在に設定できるわけです。その分、投資額は大幅に抑えることができ、しかも利用者は乗り換えなしであらゆる都市に行けるのでメチャクチャ便利が良い。諸外国の鉄道は、もともと在来線が標準軌なので、上記のような芸当ができます。つまり、郊外区間だけ高速新線を作り、主要駅近辺では在来線の線路を使って走らせる。実に合理的な方法で運用しているのです。ところが、最初の東海道新幹線を作った国鉄スタッフは、この弱みを逆手にとった、逆転の発想を持っていました。「在来線に乗り入れられないのなら、むしろ新幹線ならではの高度な保安システムが設定できる」と。在来線とは隔絶されているからこそ、旧来のシステムとは次元の異なる仕組みが可能だ、ということに気づいたのです。その発想でもって総合司令所なる施設を作り、壁一面に東京から新大阪までの路線図をトレースしたパネルを設置。このパネルの線路に当たる部分には電球を仕込んで、どの列車が今、どの地点を走っているのか、周辺の信号はどういう状態なのかを一瞥で分かるようにしました。雨や風などの気象情報も随時司令所に届き、列車の運行停止や運転再開などの指示を司令所からできるように整備したのです。司令所を核にした列車運行の一元管理は、今では当たり前の話ですが、新幹線が開業した50年前以前は、列車の運行を司っているのは駅でした。各駅の駅長が最終責任を負っていたのです。時速200km/hの高速列車を運行するに当たり、駅ごとに権限と責任を負わせていたのでは、スピードに追いつけないし、その分、事故率が高まる。そこで新幹線ではあえて駅長から列車の運行権限を剥奪し、総合司令所に一任する仕組みを新しく作りました。在来線に乗り入れられないからこそ出てきた発想であり、この方針が日本の新幹線システムの高い安全性を保証しているのです。まさに弱みを強みに変えた仕組みだと思います。このようなシステムを採用しているのは、日本以外では台湾の高速鉄道だけ。それも日本から仕組みを輸出して実現しています。中国を始めそれ以外の国ではすべて在来線に自在に乗り入れています。ということは、在来線側でトラブルがあってダイヤが乱れると、高速鉄道側もそのあおりを喰らうわけで、いたずらにストレスがかかってしまうことになりますし、列車の運行管理も在来線で行われていた旧態依然の仕組みの延長線上でしかない。もとより日本の新幹線システムは、他国の高速鉄道システムよりも安全性の面では次元の異なる高いレベルから出発しているのです。そしてその本質は、中国の主張する技術力の高さとかそういう次元ではなく、「一元管理」という「発想力の違い」なのです。【送料無料】新幹線安全神話はこうしてつくられた価格:1,995円(税込、送料別)
2011年07月26日
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「やっぱり」というか「とうとう」というか。中国の高速鉄道でとんでもない事故が起こりました。(読売新聞より)落雷が原因で停車していた列車に、後から進行してきた高速列車が追突。追突した列車のうち前4両が脱線し、うち3両は高架下に落下、残り1両は高架から宙づりになったものです。列車はほぼ満席だったそうで、その割にはこれだけの惨事で死者数は30数名程度で済んだわけですが、ニュース映像で見る限り、脱線転覆した車両は寝台車でしたので、それが功を奏したのかもしれません。座席車だったら犠牲者はもっと大変な数に上っていたでしょう。事故の詳しい原因は発表されていませんが、鉄道ファン的視点から探ると、「車両」「信号保安設備」「システム運用」の3点に問題があったように思います。まず「車両」。そもそも簡単に車両に落雷すること自体ヘンです。車両に落雷すると、一瞬のうちに大容量の過電流が流れるため、電気系統に再起不能となるダメージを受けます。高価な鉄道車両が一瞬でおシャカになるわけです。日本の鉄道車両では、そんなもったいないことにならないように「避雷器」なるものが取り付けられていて保全を図っています。今回、落雷で止まっていたという先行列車の車両には、そういう対策が施されていなかったのでしょうか。次に「信号保安設備」。落雷で止まっていた先行列車に追突するということは、追突した列車の運転士は目視の範囲に入って初めて先行列車に気づいたことをうかがわせます。日本の新幹線の事例では、時速300km/hで走っているときに急ブレーキをかけても完全停止するまで2kmは走るんだそうです。今回の事故でも、先行列車が止まっていることを目視でやっと確認できたとすると、その瞬間、急ブレーキをかけたとしても到底、衝突を回避することは叶わなかったことでしょう。そんなことにならないように、先行区間で列車が在線しているときは、後ろの列車は同じ区間に入ることのないよう、人の目視に頼らずに、さまざまな保安システムで自動コントロールされる仕組みとなっているはずです。ところが今回の事故はそれがうまく作動しなかったことになり、信号保安設備の根本的な配線ミスやプログラムミスが考えられます。これらは開業前に繰り返し試運転を行って走り込みをして問題を解決すべきであり、そこに「まず開業ありき」の邪念があったとしたら、きちんと検証されないまま営業開始していた疑いがあります。最後に「システム運用」。中国の高速鉄道は、運転指令の管轄がどうも列車ごとに分けられているようであり、1つの統合体がすべての列車をコントロールしているわけではなさそうです。列車ごとに管轄を分けた運用だと、「自分の担当する列車だけ満足に走ればそれでよい」という人間の心理が働き、自列車だけの正常運行をめざすあまり、矛盾した状況を他の列車に押しつけてしまう懸念が生じます。こうなると、すべてのオペレーションがチグハグになっていき、どこかでミスが生じる確率が一気に高まります。時速300km/hの列車は、1分間で5kmも進みます。1秒間だと80メートル強。数分のオペレーションの遅れが、とんでもない惨事を引き起こしてもおかしくはありません。同じエリアを走るすべての列車は、1つの組織が管轄すべき。日本では当然のことなのですが……。今回、追突された先行列車は、本来のダイヤでは追突した列車の後を走ることになっているそうです。どうして出発が逆転したのかはわかりませんが、僕はシステム運用のつたなさや甘さが露呈したのではないか、と勘ぐっています。先日、北京-上海間の高速鉄道が開業した折、中国の鉄道首脳部は「日本や欧米からの移転技術を元に、我々の独自技術で作り上げた。もはやわが国の高速鉄道はわが国固有の技術である」と豪語していましたが、決して技術を自国のものに昇華していない実態が今回の事故を通じて明らかになったと思っています。日本では、最初の鉄道である新橋・横浜間鉄道が開業してから、東海道新幹線が開業するまで約90年かかっています。最初の鉄道はイギリスの技術が導入されましたが、そこから日本の風土に合わせて技術を昇華、そして新幹線という高速鉄道を独自に開発しているわけで、そこには一世紀近い期間がかかっている。さらに新幹線技術の中には、戦時中の零戦の設計ポリシーといった航空技術も盛り込まれているんです。そこまでしてようやく高速鉄道の技術をモノにできるわけで、わずか数年で他国の技術を自分たちの風土に合わせて昇華するのはかなり困難なはず。そういうわけで今回の事故、僕は起こるべくして起こった、というように思います。日本の新幹線でこういう事故はまず起こりにくいんですがね。なぜか、ということは明日また書こうと思います。しかし、日本もこの事故を決して対岸の火事にしてはならず、日本の高速鉄道システムの安全にさらに磨きをかけるため、この事故の教訓をフィードバックする必要があるとは思います。【プラレール 鉄道 タカラトミー】【10%OFF】▽【タカラトミー】プラレール イベント限定上海...価格:6,142円(税込、送料別)
2011年07月25日
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いよいよこの日がやってきました、2011年7月24日。東日本大震災で被害の大きかった岩手・宮城・福島の東北3県を除き、全国規模で今日の正午に一斉に地デジに移行、アナログ放送が停波されました。停波寸前の正午前、NHKでは天気予報を放送。そして時計の針が12:00を指したとたん……ごらんの通りのアラート画面が。他の民法各局も……、日テレTBSフジテレビテレ朝テレ東ブルーバックなので共通画面と思いきや、局ごとに微妙に書式が違うんですね。この画面も半日の命。日付の変わる25日午前0時にはいずれのチャンネルも砂嵐になるそうです。【送料無料】地デジがまるごとわかる本(2011年最終案内)価格:780円(税込、送料別)
2011年07月24日
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スマートフォン用のモバイルSuicaアプリが、ようやく今日リリースされました。わがauのIS03を購入したのは昨年の11月でしたから、8か月も待たされたことになります。さっそくアプリのインストールと機種変手続きを行いました。IS03にモバイルSuicaのアプリをインストールし、以前のケータイ内に登録されている残高を、サーバ越しにスマホへ移し替える作業を行います。まずはIS03の裏ブタを開けて、SIMカードを取り出し……そのSIMカードを以前のケータイに挿入し、モバイルSuicaを起動。残高は3,930円ありました。次いで「会員メニュー」を操作して「機種変更」の手続き開始。手続き中のアニメーションを見ること約1分で、モバイルSuicaの初期設定画面に遷移。そして機種変更の処理画面が表示されました。さらに待つこと約1分で……、初期設定が完了。ちゃんと残高3,930円がIS03側に移動しましたIS03のモバイルSuica起動画面。通常のケータイの画面より精彩に見えます。何はともあれ、ようやくスマホでモバイルSuicaが使えるようになりました!【送料無料】電子マネ-ってなんだろう(1)価格:2,100円(税込、送料別)
2011年07月23日
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この前の日曜日、埼玉チャプターの勉強会で、ボイストレーニングをやりました。コーチングは相手との対話で進めていくわけですが、コーチの声質とかトーンによって、相手に与える印象度が異なってきます。滑舌のハッキリしないコーチだと、話をするのも億劫になりかねません。そういう意味ではコーチのボイトレも有効なんですよね。で、その中で「宝生寺の入道」という長セリフをひと息で言うトレーニングメニューがありました。宝生寺(ほうしょうじ)の入道(にゅうどう)前(さき)の関白太政大臣様(かんぱくだじょうだいじんさま)のことを宝生寺の入道 前(さき)の関白太政大臣殿と言ったれば宝生寺の入道 前の関白太政大臣様がおおきにお腹をお立ちなされたによって今度から宝生寺の入道 前の関白太政大臣様と言おうやのう、宝生寺の入道 前の関白太政大臣様このセリフを、息継ぎなしで、早口になることなく発声するんです。これ、できそうでなかなかできない。カギになるのは腹式呼吸。腹から息を吐きだすことによって、ひと息の時間を持続できるようになるんです。腹式呼吸のトレーニング後にもう一度このメニューをやってみると、最後まで言い切れる人が続出。残念ながら僕は最後の1行を残して止まってしまいましたが……(^_^;このトレーニング、プロのアナウンサーは誰もが経験するんだそうです。元TBSアナウンサーの久米宏さんは、ひと息でこのセリフを2回言えたとか。やっぱりプロ中のプロは違うんですね。【送料無料】ヴォイトレ本!価格:1,575円(税込、送料別)
2011年07月22日
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台風が来ています。はるか伊豆諸島の八丈島近海へ移動していきましたが、関東は朝からやや強めの風が吹いており、小雨もパラパラ。そして今朝はあまりの涼しさにビックリ。いつものようにシャツの袖をまくっていると、肌寒く感じるほどです。今日の埼玉の予想最高気温も24℃で、つい数日前まで、最低気温でさえ25℃を超えていた気候が信じられません。猛暑も一段落。今日はずいぶん過ごしやすい一日になりそうです。このまま涼しい気候が持続して欲しいところですが、それも明日までのようで、週末からはまた予想最高気温が35℃を超えるそう。来週月曜日は37℃予想になっています(^_^;考えてみればまだ7月なんですね。この猛暑、まだ1か月以上続くのか……。ひんやりタオルで暑さ対策や冷感タオルに【あす楽】ひんやりタオルで暑さ対策、冷感タオルに冷...価格:1,575円(税込、送料別)
2011年07月21日
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少しブランクが空きましたが、かつて大阪で住んでいたマンション内のコミュニティーの話です。自治会役員の子供部長に選ばれ、親分ことMS副会長とマンション管理員のMKさんに見初められた僕は、何だか自治会の活動を面白く感じ始めていました。で、前々回に紹介した、チンピラ役員ことAZさんがCH自治会長に甲高い大阪弁で噛み付いたときの役員会のシーンに戻ります。役員会が終わって、全員で集会室の後片付けをしていたとき、MS副会長がAZさんに何やらコソコソ話をしているのが見えました。するとAZさんがにわかに笑顔になって「いいっすよ! いつでも声かけてください!」と甲高い声で応じている。数日前、親分・MS副会長は「マンネリ化した自治会を変えるために、気脈の通じる旦那衆を巻き込みたいねん。もう何人か目を付けてるヤツがおんねんけど、まずはそいつらと飲み会をしたいんや」と僕に語っていましたが、その話をAZさんにしたわけです。その反応に気をよくしたMS副会長は、目を付けた人間をことごとく一本釣り。たちまち何人もの旦那衆が集まりました。大手エレクトロニクス商社に勤務のMRさん、関西の大手電力会社勤務のOKさん、地元消防署に勤務のTさん、タイル職人のOZさん、関西の大手ガス会社に勤務のNSさん。ここにMK管理員も加わり、集会室の隣にある和室で、各自が酒を持ち込み乾杯。もともと職業もバラバラで利害の対立も何もない間柄。年齢は当時20歳代の僕が一番若かったのですが、話の内容はウンウンと頷けることばかり。それに若輩者の僕の意見もすんなり聞き届けられることが多く、「自分もこのコミュニティーに役立っている!」と、充実感をたっぷりと味わったものです。それからは毎月の役員会終了後に必ず飲み会を開催する習わしになっていきました。時には、夜、勤務先から帰宅してくると、ふだんは営業が終了して真っ暗なはずの管理員室に、煌々と明かりが灯っている。「ひょっとして…?」と覗くと、案の定、ジャージ姿の親分・MS副会長がMK管理員と酒宴をしていたりする。「おおお、まさやん! お前が帰ってくるのを待っとったんや。まま、入りぃな!」10数メートル先の自宅の玄関扉を開けることなく、そのまま管理員室に引きずり込まれ、結局、深夜までメートルを上げてしまう。そんなこともありました。こうなってくると、酒宴の開催も毎月の役員会終了後どころではなく、毎晩の行事のようになってくる。夜に管理員室の電気が点いていると、誰かが酒宴をしているわけで、いそいそと管理員室に直行する自分がいました。逆に管理員室の明かりが点いていないときは、寂しい思いをしたものですf(^ー^;それにしても、毎晩のように酒宴を繰り広げ、よく話題があるな、という向きもあるんですが、僕が住んでいたマンションはけっこう深刻な問題を抱えていて、その問題解決のためのディスカッションは、何度やってもやり足りないくらいの深刻さだったんです。そういう意味では、飲み会をしていてもまったく話題に事欠かない状況があったわけです。で、不謹慎な話ではありますが、酒宴の中で重要な案件を決めることもしばしば生じました。では、その深刻な問題とは?それについてはまた回を改めたいと思います。【送料無料】長く暮らすためのマンションの選び方・育て方価格:1,890円(税込、送料別)
2011年07月20日
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休日ウォーキングで自宅から9km弱を歩き新所沢駅前まで来ると、商店街の街路灯にこんな幟がはためいていました航空生誕100周年。なるほど。そうだったのか。この所沢に1911年(明治44年)、日本で初めての飛行場が開設され、ここに日本の航空史が始まりました。終戦時に米軍に接収され、その後廃止。米軍から一部を残して返還された後は、所沢市役所をはじめ公的機関が建ち並びました。首都圏に出入りする飛行機を一括で管制する「東京航空交通管制部」は、実はこの所沢飛行場の跡地に設けられていて、日本初の飛行場を擁した町の面目を保っています。今年、2011年はまさにその航空史が始まって100年を刻む年。あんまり世間では報道されてないのですが、さすがに地元・所沢の街は専用のウェブサイトも開設し、100周年記念事業を企画しているようです。【送料無料】ものがたり日本の航空技術価格:777円(税込、送料別)
2011年07月19日
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長男の部屋。あまりの雑然さに驚愕。「何でこんなに汚くて、物が錯綜しているんだろう」と思いきや、よくよく見れば本棚がない。狭い部屋で1辺が窓、2辺目がベッド、3辺目は勉強机、4辺目はクローゼットときているので、もとよりスペースがなかったため、結局、本棚は今に至るまで存在せず、勢い、本は床置きの状態になってしまいます。いつのまにか、長男はちゃっちい本棚を作っていましたが、あっという間に崩壊。その様を見て、ふつふつとDIY魂が湧いてきました。さっそくホームセンターで材料を調達。柱と棚板を組み合わせてスレッドでネジ止め。あっという間にできあがり。高さ調整をして、クローゼットの上段に格納。長男に床置き状態の本を移設させ、ようやく部屋がスッキリしました。さて本棚製作はこれで終わりません。クローゼットなので奥行きもそれなりにあるため、手前にコロ付きの本棚も作るつもり。それはまた後日ということで。【送料無料選択可!】かんたん実用木工家具アイデアブック (単行本・ムック) / スタジオタック...価格:1,995円(税込、送料別)
2011年07月18日
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コーチングの勉強会で大宮へ行った折、駅近くのビルに入居している献血センターで献血をしてきました。実は先月も訪れていたのですが、薬を服用していることを軽視していて、服用してからの時間経過が足らず、献血はかないませんでした。今回は薬の服用を調整し、万全の態勢でセンターの門をくぐります。さて、献血を最後にしたのは今から20数年前の大学生の頃。こうなると実質、献血初心者。献血カードへの登録に始まり、タッチパネル式の液晶画面で23項目のアンケート回答を経て、スポーツドリンクを飲みながら待つこと10数分。名前を呼ばれて、採血ルームに入り、まずは血液型の判定と濃度測定。採血可能という診断で、ようやく採血台へ。その昔、献血をしたときに採血針を腕に刺した際、とても痛かった記憶があり(この体験がその後の献血を遠のかせました)、ちょっとおっかなびっくり。「最初は痛みがありますが、じきに痛みはなくなりますので」と係の人の言葉どおり、針を刺した瞬間はチクッとしたものの、1分後にはまったく感覚がなくなりました。400ccの全血を採血されるまで約10分。採血後も身体の変調はまったくなく、しばし休憩をして何ごともなかったかのように帰路につきました。先日、テレビ番組で紹介されていましたが、身体の健康維持のために、年に最低1回は血を抜いて新陳代謝を促すのが良いんだそうです。【送料無料】血液浄化健康法価格:840円(税込、送料別)
2011年07月17日
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昨日は月に一度の神楽坂飲み会でした。蒸し暑い夜はビールに限りますが、こういうものも注文してみました。ジンジャエールで割った赤ワインです。口当たりがよくてゴクゴク飲んでしまいましたそして今日の焼酎は芋焼酎の『不阿羅王』(ファラオ)最近は焼酎といえば芋ばっかり飲ってますね。でも、あのふくよかな香りが何ともいえないんです。ところで宴もたけなわの夜9時頃、茨城県沖を震源とする震度5弱の地震が発生。東京都内も震度3を記録しました。狭山のわが家でもけっこう揺れたらしいのですが、こちらは全然気づかず。言われてみれば、テーブルに乗せていた手が「ゆら~り」と動いたような感触は思い出しましたが、地震なのか酔っていたからなのかはわからず(^^ゞちなみにお店のある神楽坂上は、けっこう固い地盤らしく、3・11でも大きな揺れは感じなかったんだそうです。
2011年07月16日
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少しブランクが空きましたが、マンションの自治会役員の話です。自治会の中で最も活動内容が盛りだくさんの子供部。その子供部の部長になった僕は、どの役員よりも管理員室を訪ねる機会が多くなりました。壱番館・弐番館双方に管理員はいます。壱番館は通い、そして弐番館の管理員さんは今となっては珍しい住み込みでした。この住み込みの管理員は長続きせず、入居が始まって3年の間で、当時の管理員さんが3人目。つまり、1年ごとに交代していました。最初の管理員さんは張り切りすぎて住民への態度が厳しく、住民から相次いでクレームが出たため解雇。2人目はあまりの世帯数の多さにビビってしまい、いつの間にかフェードアウト。3度目の正直だったのが、当時の管理員、MKさんでした。年の頃50歳半ば。それにしては30歳代と思しき若い奥さんがいて、3歳くらいの息子さんもいました。息子さんはMK管理員にうり二つ。どう見てもお爺ちゃんと孫なのですが、実際には親子なんだそうです。このMK管理員、小柄で華奢で弱々しい第一印象だったんですが、後日、仲良くなっていろいろと武勇伝を聞くうちに、実際には相当の肝っ玉が座った人だと分かりました。四国は松山の生まれ。若い頃は相当やんちゃだったらしく、ヤクザの女に手を出して、日本刀で切り付けられかけたこともあったとか。その後、建築業を営み、松山や高松で手広く商売をしていたらしいのですが、バブル崩壊とともにあっけなく倒産。もともと奥さんがいて、既に成人した子供さんもいるらしいのですが、いろいろあって離婚、今の奥さんは実は2号さんなんだそうです。そんなことをおもしろおかしく話してくれる。奥さんも見た目は明るくてくったくない。すっかり僕はMK管理員を気に入りました。そして「子供部長は大変じゃろうけど、期待しとるからな」とMKさんの期待は大きい。この人に気に入られるためには何をすればよいか?そんなことを思う毎日が始まりました。その頃、マンションの敷地内に毒蛇のマムシが出没し、壱番館の管理員さんが退治した、というニュースが飛び込んできました。僕が住んでいた地域はけっこうマムシが多いようで、近くの「ライオンズマンション大阪狭山」でも、植栽を整備していたらうじゃうじゃ出てきて往生した、なんていう話も聞いていました。「すわ、うちのマンションも!?」ということで、壱番館の管理員室を訪ねると、アルコール漬けになった退治したマムシを見せてくれました。「まだ子供のマムシやから親とかがおるかもしれんな……」なるほど。予断は許さない。「『マムシに注意』とかいう看板が小学校のPTAとかであるじゃろ。ああいうのが建てられたらええんじゃが…」とMK管理員。そういうことか。たまたまマンション内に小学校のPTAの役員をやっているお宅があったので、すぐに連絡を取り、事情を説明。数日後、PTA役員の奥さんが『マムシに注意』看板を2本、持ち帰ってきてくれました。それを管理員室に持ち込むと…。「おおぉ、こりゃええわい! あんた、ほんまに調達してくれたんか。いやぁ、恩に着るわい」とMK管理員。「まさやんが子供部長で良かったなぁ」とも。気に入られ作戦、成功ですちょうど夕刻だったこともあり、MKさんは「ちょっと待っとき」と言って居室にいったん引き、しばらくすると缶ビールを2つ持って「まぁ、ちょっと一杯、やりましょうや」と管理員室に戻ってきました。そのうちに奥さんが手料理のおつまみを持ってきて、ささやかながら酒宴が始まり……。これから後、毎日のように数限りなく開催された、居酒屋・管理員室の幕が開けたのでした。【送料無料】マンション管理員検定公式テキスト価格:2,520円(税込、送料別)
2011年07月15日
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菅首相が突然「脱・原発」を語り出しました。閣僚にも相談せずに言っちゃうのもここに極まれりで、総スカンをくらっています。「エネルギー・シフト」を来たるべき総選挙のカードに使うことの是非も問われています。でもこの際、政治的な話は抜きにして、「エネルギー・シフト」のことを素直に書きたいと思います。結論から言えば、僕の考えはやはり「原発廃棄」です。小学生の頃、ヒロシマ・ナガサキのことを知り、子供心に恐怖心でさいなまれたとき、社会の授業で原子力発電所の存在と「核の平和利用」という言葉を知りました。メチャクチャ違和感を覚えたものです。一度に何十万の人を焼き尽くし、その後も放射能汚染で多くの人を病に斃れさせた、地獄を現出させる「核」が、どうして発電だと「平和」という言葉にすり替えられるのか。「元はおんなじやん」と、素直にそう思ったんです。それから月日が経ち、社会に出てからは、「社会的コスト」という概念が僕の中にも生まれ、原子力発電のコストパフォーマンスが高い、という説明を見聞するに「なるほど、だから資源のない日本のエネルギー源として原発推進が理にかなっているんだ」と思い直していました。ところが今回の事故。やっぱり、かつて子供心に素直に感じていた不安が現実のものとなったわけです。「高コストパフォーマンス」という理屈も、原発を安定稼働させるための周辺のコストや、廃棄物の処理が何十年もかかる、ということを知るや、むしろ「低コストパフォーマンス」ではないか、と勘ぐっています。そういえば六ヶ所村の核廃棄処理施設。知り合いの電力会社の人に以前聞いた話ですが、その施設には各電力会社から人が派遣されているらしく、辞令を受け取ると2年はそこに勤務することになるんだそうな。で、2年間、ずっとそこに幽閉されっぱなしで、留守宅に帰ることもままならない。なのでその辞令は戦時中の「赤紙」扱いなんだそうですよ。人跡未踏の地域に、幽閉され続けなければならない意味が、その話を聞いた当時はよくわからなかったのですが、福島の事故を知った今は、その「理由」が何となくわかろうというもの。あ、コストパフォーマンスの話でしたね。エネルギー・シフト論によって経済界も動揺しています。曰く、原発を稼働させなければ安定操業が見込めず、それは製品のコストに跳ね返る、とし、「このままでは海外に工場移転せざるを得ない。雇用問題にも発展するが、それでも良いか」と。僕も経済界のはじっこに身を置いてますが、この財界トップの言い分は、正直、僕は国に対する脅しとしか思えない。この国難の今にあって、どうして「我田引水」的発想から抜けられないのか。なぜ、「一緒になって電力問題を解決しよう」という話にしないのか。僕は不思議でなりません。今から30数年前、自動車メーカーのホンダは、米国・カリフォルニア州の極端に厳しい数値が制定された排ガス規制に真正面から取り組み、米国の自動車メーカー・ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)はおろか、全世界のどの自動車メーカーでもサジを投げる中、エンジンの燃焼機構に創意と工夫を持たせ、全世界で唯一、その規制をクリアするエンジンを開発しました。それがCVCCと言われるエンジンで、後に日本でもシビックに搭載され、爆発的ヒットを生みました。日本人というのは、究極の場面に陥ったときに、実は不屈の精神で万難を切り抜けるDNAを持っているはずなんです。だからこそ資源を持たざる弱みを強みに変えて、ちっぽけな島国なのにGDPは世界のトップスリーに入れるわけです。財界の言い分は実は単なるポーズで、実際には水面下では、電力供給が不安定な中でも安定的に操業するための工夫をどこもかしこもやっている、と思いたい。あるいは、原発に代わるエネルギー源を低コストで調達できるような今までにない新技術をどこかで開発していると信じたい。今は確かに受難ですが、これも長期にわたると日本人はうまくその状況を吸収して、あたかも当たり前のように活動する特性を持っていると思うんです。そのうち「あ、そういえば以前はこの状況を『受難』ととらえていたな」となるんじゃないかと。で、そうなるためには、わが日本人は徹底的に痛めつけられる状況にならないと本気にならない。太平洋戦争で国じゅうが焼け野原になり、すべてがご破算になったからこそ、その後の経済発展があったわけです。日本人はそういう状況下だとマジになるんです。覚悟ができるんです。その理屈で行けば、「50数基の原発はすべて廃止!」としてしまった方が、違う次元へのシフト・チェンジが、より促進されるんじゃないでしょうか。この考え方、甘いでしょうかね。【送料無料】原発はいらない価格:880円(税込、送料別)
2011年07月14日
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マンションコミュニティの話はちょいとお休みしまして、昨夜のマイコーチとのセッションの話。「何だか最近、自分の心が穏やかじゃないんですよ」という僕のセリフから始まりました。コーチ「というと?」--7月にちょっと大きな異動があって、 僕も部内のある課の課長を兼務しだしたんですが、 どうも意識がそっちへ偏りがちなんですよ。 本当は部全体を俯瞰しなきゃいけないのに…。コーチ「なるほど。……で?」--『で?』ですか? うーん……。部全体の風土を変える取り組みが、意識の中で滞っていること。それに対して「このままではいかん」と奮い立たせようとしている自分がいること。でも、兼務している課内で担当しているプロジェクトのことばかり最近は気にかかっていて、どうにも部全体のことまで意識が及ばず、心の中がざわめいていること…。自分でも「あ、全然まとまってないなぁ」と思うほど、とりとめもないセリフを言い続けていました。コーチ「あのね。今の話を聞いてたら、兼務している課の人間を 信頼していないように聞こえたけど?」--えっ!? そう聞こえました? いやそうでもないんですよね。 「あとはよろしく!」というセリフで、 直接業務とかには関与しないようにしてますから。コーチ「なるほど、そうですか」--そういえば、部全体にかかわる取り組みで1つ、 別のチームの人たちとディスカッションしましたね。 「部全体を俯瞰しなきゃ」という思いが 自分をそういう行動に駆り立てたんだと思いますけど。コーチ「へぇ。それは具体的にどんなこと?」それから約10分、具体的な取り組み内容を語りました。その取り組みの進捗度合いが遅れていることや、その遅れをカバーするために、僕自身ができることがないか、メンバーに問いかけたこと……。コーチ「今の話を聞いてると、 まさやんはまっとうな行動に出ていると思うけど。 それで、どうして心の中がざわめいているわけ?」--う~ん……。その時、頭の中にパッと光が差したような気がしました。そうか! そういうことか!--今、パッと思ったんですけど、 今の会社、将来的なビジョンがまったくわからないんですよね。 このままだとジリ貧になるのはわかってて、 でもそれに対応するために、こういうビジネスを展開しようとか、 こういう取り組みで価値を築こうとか、そんな話がまったくない。 だから僕は不安で不安でしょうがないんです。 それが心の中がざわめく原因の1つなのかも。コーチ「ほーら、セッション終了間際に、 とっても興味のある話が出てきましたね!」--ハハハ、そうですね。そのビジョンを自分で構築しないと、 この心の中のざわめきは収まりそうにないと思ってるんです。コーチ「なるほど、今の会社のビジョンメイキングね。 こりゃ次回から楽しみなセッションになるなぁ」この間30分。自分のモヤモヤした感覚を、さまざまな質問やフィードバックで、具体的な課題に気づかせてくれました。さすがマイコーチ。引き出し力、カンペキです。【送料無料】人の力を引き出すコーチング術価格:756円(税込、送料別)
2011年07月13日
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ご好評にお応えして(笑)、昨日の続きです。本題に入る前に少し振り返ると、僕が住んでいたマンションは、かのマンション最大手・大京が分譲するライオンズマンション。最大手とはいえ東京が本拠地の会社なので、当時の関西では物件数がさほど多くありませんでした。むしろ長谷工のマンションの方が圧倒的に多かった。で、わが「ライオンズマンション千代田」は、南河内で最初に分譲された物件。壱番館・弐番館と分かれていて、双方とも15階建て。300世帯を超える大規模マンションです。地元の河内長野市では、それまで15階建ての建物がなかったらしく、このマンションができたおかげで、ようやく消防署に45mはしご車が導入されたとか。竣工は平成元年。ちょうどバブリーな頃ですね。なのでこの後、堰を切ったようにライオンズマンションが南大阪地区にもほうぼうに建てられました。近傍でも「大阪狭山」や「金剛」「金剛寺池台」と立て続けに竣工しています。で、僕が自治会役員になったのは竣工からまる3年経過した、平成4年2月でした。さて自治会の会長は、というとCHさん。齢70を超えたお爺ちゃんですが、とってもかくしゃくとしていて温厚。本当に自治会長にふさわしい風貌です。第一印象はとても好感を持てました。ご本人も自治会長の立場が心地良いのでしょう、自治会発足当初から会長はCHさんが務め、周囲もそれを当然のように受け止めていました。ところがそれだけ人間としてできあがっている人なので、どうかすると考え方は保守的。決めごとも当たり障りのないところで結論を出すし、そうなるように誘導する形になってます。わが親分、MS副会長はどうもそれが我慢ならないよう。「自治会は3年しか経ってないのにマンネリ化してる。それは会長職をずっと安泰の状態にしてるからや!」書き忘れましたけど、親分・MS副会長は、パッと見はヤクザの親分ですけど、職業を聞いてびっくり。大手総合商社の鉄鋼部長じゃないですか。その商社は鉄製品の取引が売上の大半を占めているので、まさに花形部署です。その部署だけで社員が何千人もいる。その中をのし上がってきているわけですから、リーダーシップ、マネジメント能力、どれをとってもピカイチの人です。「ヤクザよばわりしてすみません……」心の中で謝りました(笑)さてそのMS副会長。役員会でCH会長が持論を展開して結論めいたことを言い出すと、その声にかぶせるようにして大声で出席者に意見を求める。そのたびに自分のペースを乱されたCH会長は、真横で苦虫を噛み潰したような表情をしていました。どっちが良いとか悪いとかいう話でもなく、でもCHさんの気持ちが何となくわかるようで、僕的にはちょっと同情しなくもない。でも「自治会のマンネリを打破したい」親分の言い分もよく分かる。だんだん役員会の空気がMS副会長のペースになっていくのが分かりました。2回目の役員会の時でしたでしょうか。議題は忘れましたけど、そのことについてCH会長がいつものように持論を展開し、結論を言って納めようとしたときに、出席者の中から、甲高い素っ頓狂な声で「そんなん、別にやらんでもええんちゃうん!?」と言い出す人が出てきました。ハッとしてその声の主を見ると、頭はパンチパーマ、体格はヒョロッとしていて顔は細く、細い目はまるで、は虫類を思わせるような鋭さ。そんな風貌で上体を反らしてCH会長を指さしている。「うわっ! チンピラや!」これが僕の第一印象だったAZさんでした。とにかく声がでかい。後で聞いたら、職場は印刷工場とのことで、機械音が激しい喧噪とした工場内だと、自然に声が甲高く大きくなるんですよね。納得しました。その役員会の瞬間ではその人となりを知らない僕は、「ヤクザの親分がいたと思ったら今度はチンピラ…。どないなっとんねん、このマンションは。そんな奴らばっかり住んでるんか?」と、少しウンザリしたものです。そのAZさんとCH会長とのやりとりを、親分・MS副会長はニヤニヤしながら、コックリコックリとうなずいていました。で、AZさんの風貌や声があまりのインパクトなので他の役員もその雰囲気に飲まれていき、結局、CH会長の思惑とは違うところで結論が出ちゃいました。CH会長には可哀想なことですが、しかしその結論はマンション住民の大多数の意見を反映してもいました。温厚なCH自治会長が、チンピラもどきのAZさんに食われた日でした。【送料無料】地域コミュニティ最前線価格:1,890円(税込、送料別)
2011年07月12日
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7月8日の日記の続きです。自治会役員会の初日。そう、僕が子供部の部長になったときのこと。たまたま僕の近くに大柄で厳(いか)ついオッサンが座っていました。全身白いジャージを身にまとい、眼光が鋭くて顔は脂ぎってる。年の功は40歳半ば。一瞬、カタギの人と違うような雰囲気を醸している。「エライ人が自治会の役員に入って来はったなぁ…」と思ったことです。で、役決めのくじ引きで彼は副会長に選出された。「なんや、副会長になってしもうたがな…」「まいったなぁ」なんていうセリフを誰に言うともなくつぶやいています。で、最後は「ま、しょうがないな!」とひと言口走って、そそくさと会議室を後にしました。おっ! はっけーん!僕は昔から、ムードメーカーをかぎ分ける能力があるみたいで、この一見、やくざの親分のような風貌の彼を見たとたんに「この人と仲良くなると、この1年間、自治会活動が楽しくなるかも」という答えを一瞬のインスピレーションではじきだしました。この親分の名はMSさん。この後、何かあるといろいろ声をかけてくれて、ずいぶんと懇意にしてくれました。さて最初の役員会から数日後、前年の子供部長と業務の引き継ぎをしたのですが、イベントのあまりの多さに改めてビックリ( ・_・;)2週間後にいきなり『小学6年生お別れ会』があるじゃないですか。マンション内の1年生から6年生までを集会室に集め、卒業していく6年生を送り出すイベント。みんなでお菓子を食べながらゲームをしたり、歌を歌ったり。その企画と運営を子供部の役員が担うのです。子供部のメンバーは僕を入れて5~6人。さっそくメンバーを集めて役割分担。そのメンバーの中で奥さんではなくご主人が出てくれた世帯が2つありました。大手広告代理店勤務のAMさんと関西の大手都市ガス会社に勤めているNSさん。この2人にはその後もずいぶんと助けられました。で、お別れ会の話に戻します。プログラムの最後に「6年生のお礼の言葉」というのがありました。小学校を卒業していく6年生が、下級生に対してはなむけの言葉を贈るとともに、「お別れ会を催してくれてありがとう」という役員へのお礼で締めくくるのですが、これを6年生の誰にやってもらうか。名簿を見ていくと、何と偶然、あの副会長に選出されたMSさんの息子さんが6年生じゃないですか。こりゃあ、お願いに上がらないわけにはいけません(笑)さっそくお宅を訪問し、奥さんに事情を説明して息子さん本人を出してもらうと、何と廊下の向こうでニヤニヤしながら「ご苦労さん!」と声をかけるMSさんご本人もいるじゃないですか。ここで一気に気分的にMSさんと近しくなりました。不慣れな中で準備不足もあり、不安一杯でお別れ会の本番を迎えましたが、特に大きなトラブルもなく大団円。確かその時もMSさんが様子を見に来てくれて子供部の各役員に「いやぁご苦労さんやなぁ」と声がけをしていたように記憶しています。各役員さんも笑顔で「いえいえ」と返していました。時期は3月はじめ。まだ代替わりして1か月も経たないうちから、MSさんを中心に何かが動き始めました。【送料無料】地域再生と町内会・自治会価格:1,600円(税込、送料別)
2011年07月11日
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引き続き、エニアグラムのワークショップの話。ワークショップでは自分の感じたことや思いをクレヨンで絵にしていき、そしてその絵とともに自分の内面を参加者の前で発表していきます。この趣向は最初のプライマリーコースの時から同じで、絵心の全くない僕は、絵を描くことに、しかもその絵を参加者の前で発表していくルールに面食らいました。しかしセカンダリーコースPart2の最終日ともなると手慣れたもので、自分の考えや過去の出来事がスラスラと頭の中でイメージでき、そして素直にクレヨンを握っている自分がいました。それにしても今日はきつかった。今日の後半は、自分の「性格」が成立する過程を掘り出していきました。「性格」の成立には、自分の身内、なかんずく親との関係や親のリアクションが自分にどう影響を与えたかが大いに関わります。「物心がついた頃の、親との思い出を絵にしてみてください」というお題で、僕は絵そのものはすんなりと頭に浮かびました。それが上の絵。絵心がまるでなくて恥ずかしい限り。当時、僕は3歳ごろ。ある日の昼下がりに、それはご近所さんだったのか、父親の会社関係の人だったのかは記憶にないのですが、1人の女性が訪問してきて、ちゃぶ台越しに母親がその人と会話を交わしているシーンです。僕はずっと母親の背中に抱きつき、この絵では顔を埋めている図ですが、実際には横向きになって耳を母親の背中に押しつけ、その背中を通した響きの母親の声を聞いている思い出です。背中から聞こえてくる声は、身体中の細胞や骨を通じて響いてくるので、通常と違って低音がきいていて心なしかビブラート音でもあります。おそらくそれは自分が母親の胎内で聞いていた声とそっくりだったのでしょう。だから安心感を得ることができたんだと思います。吹き出しの『♪』は、安心感を象徴する記号。ところが『♪』の後に思わず『...』と付けてしまいました。この『...』の意味は、「常にこういう安心感を感じていたい」という3歳の僕の健気な思いを象徴しています。実は僕は母親から「思いっきり愛情を注がれた」という記憶がありません。いえ実際には母親は僕によく尽くしてくれたし、何かと関わってくれていました。でも何だか意識の上では溝ができているんです。「母親は『子育てしなければ』という義務感で子どもである自分に接している」ということを何となく僕は感じていたんです。物心ついたばかりの3歳の自分がそんなことを思っている。だからいつ見捨てられるか、不安で不安で仕方がない。「見捨てないで!」という思いが、母親を背中から抱きつかせ、そして安心できる周波数の声を欲していたんですね。そういう過去の思い出を1つひとつ思い出していくうちに不覚にも涙が出ました。他の何人かの参加者も、自分の絵を発表しながら感極まってボロボロ涙を流していました。それだけ自分の性格が形作られた頃の思い出というのは、ショックであり、もの悲しくあり、直視できないものなのです。直視できない思い出を直視するのが今日のワーク。セカンダリーPart2の最終日。かなり精神的な動きが激しい1日でした。【送料無料】性格形成と変化の心理学価格:2,520円(税込、送料別)
2011年07月10日
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今日はエニアグラムのワークショップ。先々週のワークに続いて『セカンダリーPart2』の2回目でした。そのワーク中、おもしろい場面に居合わせました。参加者の中で2名、タイプ変更があったんです。自分がどのタイプなのか。エニアグラムのタイプチェックは、ネット上でもできるようになっています。でもここではじき出されたタイプ。時として間違っている場合もあるようです。チェックをしている最中の気分、考えによって結果がぶれてしまい、本来とは異なるタイプがはじき出されるワケ。ワークショップでは自分と同じと思われるタイプの人たちが複数参加するので、ワークの中で出てきた考えや行動を自分に照らし合わせて比較したり咀嚼したりができるのですが、そんな中で「ん? ちょっと違うな」という部分が出てくると、ひょっとしたらタイプが異なっているかもしれないという気づきにつながります。そして自分のタイプが違う? と気づきだした人に、ファシリテータがさらに追い打ちをかけるように、なぜそう考えるのか、そういう行動に出た背景にはどんな思いがあるのかを丁寧に聞いていく。そうすると、まったく異なるタイプであることに本人は気づくんですね。エニアグラムのタイプチェックは、実はアセスメントをするだけでは不十分。より確実に自分のタイプを測るためには、やはりワークショップに参加するのが早道なようです。神秘家グルジェフによって西洋に伝えられたというその思想は、現代では、人間を9つの性格や本質...価格:3,850円~(税込、送料別)
2011年07月09日
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今から20年くらい前になるでしょうか。結婚して3年目、大阪の郊外でマンション暮らしをしていました。それまでは典型的な会社人間。しばらくはヨメさんと共働きしていたこともあって、ご近所とのお付き合いもまったくなく、家に帰ると「食事」と「寝る」生活が続いていたのですが、長男が誕生、ヨメさんは公園デビューで同じマンションの同い年の子供を持つママ連中とコミュニティができ、少しばかりは家の生活にも変化が見られた頃です。ある日、同じ階の人が、「次年度の自治会役員になる順番です」と自宅を訪れてきました。そのマンションは300世帯を超える大所帯で、1つのマンションで1つの自治会を構成。フロアごとに順番で役員を務めるルールになっていたので、「とうとうお鉢が回ってきたか」という印象でした。ヨメさんは生まれたばかりの長男の子育てで手一杯。しょうがないので僕が最初の役員会に出たのですが、そこで何と「子供部」の部長になってしまいました。自治会の中に「子供部」やら「婦人部」やらの組織があって、たまたまくじ引きで「子供部」に。で、誰が部長をやるか、という話し合いの中でどういう経緯があったか記憶のかなたですが、そうなってしまったんです。「自分の子供は乳飲み子なので、こういうのは小学生くらいのお子さんがいる人の方が適任では?」と抵抗したのですが、「いや、お子さんがいらっしゃらない人も、過去にいましたから」という自治会長のひとことであっさり撃沈されたのを覚えています(苦笑)ま、ちょうど会社の仕事も少しマンネリ化していて、何か刺激を欲していた時期でもあったので、「こういうボランティアもたまにはいいか」と自分に言い聞かせ、子供部長を引き受けたことです。これが僕の『ボランティア元年』でした。そして自治会の役員になったのがきっかけでいろんな旦那連中とお付き合いが始まり、それからの数年間、自治会に飽きたらずマンションの管理組合まで触手を伸ばし、マンション内のコミュニティにイノベーションを起こすことになろうとは、その時は夢にも思いませんでした。つたない記憶を辿りながら、しばし、20年前の、楽しくて、でも辛い場面も多々あった思い出を、これから何回かにわたって書き連ねていこうと思います。【送料無料】地域再生と町内会・自治会価格:1,600円(税込、送料別)
2011年07月08日
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今度の日曜日は、わが地元・狭山市の市長選挙です。僕は当日、エニアグラムのワークショップに参加するため朝から晩まで出ずっぱりなため、市役所に出向いて「期日前投票」、いわゆる不在者投票をしてきました。あらかじめ郵送されてきた投票用紙に引き換える整理券を持参し投票場所に行くと、選管職員が整理券のバーコードをリーダーで「ピッ」と読み取り本人確認。次いで、投票用紙を渡されました。ところで、この整理券のバーコード。投票所番号やその投票所にエントリーされている各選挙人のエントリー番号がコード内に入っているようで、常に同じ番号をバーコード化されているように見受けられます。今までの様子をうかがっていると、毎回、選挙の時には投票所でこのバーコードを読み取っていますので、とすれば「こいつは毎回選挙に来ているのか」「最近はほとんど棄権していてたまたま今回は選挙に来た」といった情報が採取できるはず。昨今、いろんな選挙で投票率の低下が著しい、と報道されており、いかに投票率を上げるかが課題になっていますが、このように個々人の選挙行動を補足できるんであれば、もっとマーケティングに活かせるんじゃないでしょうか。単純に投票率を上げたければ、方法は簡単。ド素人の考えですけど、たとえば5回連続で投票に来たのであれば、報償として次年度の市民税を大幅にディスカウントするとかはどうでしょう。メチャクチャ投票率がアップすると思うんですが。もし不正を策するヤカラがいた場合は、ペナルティとして過去数年にさかのぼって重加算税を追徴する。どうでしょう?投票率を上げるために税額控除で釣る、というのは動機的にはおかしいことかもしれません。本来は、候補者があまたの市民に理解できる施政方針を示し、そして市民の側も選挙への理解の度を深めるのがスジですから。でも、だからといってこのまま放置していれば、やっぱり投票率は低下傾向で推移し続けると思います。バーコードを見ながら、ふとそんなことを思いました。【送料無料】若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!?価格:1,050円(税込、送料別)
2011年07月07日
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最近、毎週のように仕事で横浜に通っています。渋谷から東急東横線に乗るのですが、何気なく車内の中吊り広告を見て仰天。何と、西武グループの広告が踊っているではありませんか最近は駅や車内で他の鉄道会社の広告が掲げられることも珍しくなくなりましたが、東急と西武はかなり事情がことなります。それというのも戦前からオーナー同士がメチャクチャ仲が悪く、ことあるごとにいさかいを起こしてきた間柄だからです。今の民主党と自民党の関係以上に悪かった。西武鉄道の中興の祖は堤康次郎、東急のそれは五島慶太。それぞれ『ピストル康次郎』『強盗慶太』ときなくさい異名をとるほど、およそ堅気の人ではない雰囲気を醸していたそうです。双方とも鉄道会社の経営者としてライバルだったわけですが、それがエスカレートしてしまったようです。2人とも後に政界にも進出していて、堤は衆議院議長まで登り詰め、五島は運輸大臣を務めました。要は似たもの同士なんですね。西武vs東急の象徴的な争いとして語り継がれているのが『箱根山戦争』。日本の高級リゾート地、箱根をめぐる陣地争いです。戦前から箱根は西武グループが開発していて、私設の有料道路(今の『箱根ターンパイク』)まで持っていました。そこへ東急の息がかかった小田急グループが進出。箱根登山鉄道を買収し、じわじわとシェアを拡大してきたんです。当時、箱根登山鉄道の路線バスが西武の有料道路を走っていたのですが、東急-小田急のシェア拡大を不快に思った西武は、ある日突然その有料道路の入口に遮断機を設置。箱根登山鉄道のバスだけ締め出したわけです。この事件は訴訟沙汰となり、最終的に痛み分けとなったものの、その後も箱根リゾート地は西武系と東急系で各施設が2分され、双方でバスターミナルを作るなど、非合理的な運営がなされていました。伊豆半島も、東伊豆に東急系の伊豆急行、西伊豆に西武系の伊豆箱根鉄道が走っていて、ここも群雄割拠の状態が長く続いています。しかし往時より50年ほど経った2003年になってようやく西武と東急は和解し、箱根のそれぞれの施設はお互いに相互乗り入れが可能となりました。今さら戦争、という時代でもないし、何より少子化やマイカー族の増加で乗客は減少気味。同じ公共交通機関を運営している会社同士が手を携えて対処することはあっても、いがみ合う理由はなくなった、というのが真相でしょう。しかし、当時をリアルに知ることの無かった僕ですら、過去に堤康次郎と五島慶太の物語に接して抜き差しならない関係であったことを強く印象づけられたわけで、やはり東急の車内に西武の広告が掲げられているのを見て、隔世の感がありました。【送料無料】堤康次郎と西武グループの形成価格:4,410円(税込、送料別)【送料無料】東急・五島慶太の生涯価格:2,415円(税込、送料別)
2011年07月06日
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『アサーティブネス』をテーマとしたCTPのオンラインクラスが昨日終了しました。1か月前に参加者の前で宣言した、「この1か月で行動したいこと」がまだまだ道半ばではあるものの、少しでもやれたことに充実感を覚えました。さてこのクラスの3週目の時に「目の前で起こっている事象の捉え方」を学びました。人は誰しも「~あらねばならない」「~であって欲しい」という観念を持っています。もちろん内容は人それぞれですが。こういう観念を『ビリーフ』と言います。このビリーフは、過去にその人が味わった体験やその体験をきっかけに頭の中で構築した概念がベースになっているのですが、ビリーフを持ってしまうことで、思わずストレスを感じたり、行動が止まってしまう悪影響があります。たとえば金銭の貸し借りがきっかけでトラブルに巻き込まれた身内がいた場合、「人にお金を借りるのは最低の行動だ」というビリーフができあがることがあります。そういうビリーフを持った人に、たまたま友人が「持ち合わせがないので1000円貸して欲しい」とやってくると、その瞬間、その友人に嫌悪感を覚え、ヘタをすると友人関係を清算する発想に行き着きかねない。「え? たった1000円で?」といぶかる向きもあるでしょうが、本人にしてみれば金額の問題ではないんです。友人の「カネを平気で無心してきた」行動に、自身の「人に金を借りてはならない」というビリーフが引っかかり、結果的に相手との接し方がエスカレートしていく。誰が悪いとかという話ではないのですが、妙なビリーフを持っているがゆえに友人を失う行動に出かねないケースもあるわけです。さて、僕の勤務先。ハッキリ言うと経営陣がなってません。世間には『尊敬される会社』がいくつもありますが、そういった会社の経営者が考えていることや行動していることにはやっぱり一日の長があって、「なるほど、だから従業員にもお客さんにも愛される会社なんだ」と納得できるわけですが、振り返って僕の会社の経営陣を見ていると、言動一つとっても人の神経を逆なでするような言い方だったり、他人の手柄を自分の手柄にして平然としていたり、ま、そういう風に見えているわけです。僕は以前、このことにかなり強いストレスを感じていました。つまり「経営者はかくあるべき」というビリーフが自分の中に構築されていて、少しでもそれから外れた言動が目に付くと、それだけでストレスを感じるのです。これはもう3年くらい前の話ですが、埼玉チャプターの勉強会にコーチングの世界ではかなり有名でフィードバックのきつさでも定評のあるMさんという女性コーチが勉強会の進行役をやってくれたことがありました。コーチングのエクササイズで僕がクライアント役をすることになって、その時、自分の勤務先の社長の言動をさんざん紹介し、「本当にうんざりしてます」と吐露したんです。そのやりとりを横で聞いていたMさんが「まさやんの会社の社長って、まるで老廃物の固まりの『うんこちゃん』みたいな人ですね」とコメントし出しました。「うわー、さすがキツイなぁ」と思いながらも、「そうでしょう? そう思いますよね?」と応じていると、次の彼女のセリフが堪えました。「そんな社長の元で働いているアンタは、『うんこ』以下よね」(゚◇゚)ガーンですよ。一瞬、頭の中が真っ白になりました。次いで、「え? 悪いのは社長やのに、何で僕がここまでこき落とされないとあかんの?」という思いがグルグル頭の中を回り始めました。やりとりを聞いていた周囲の参加者もドン引き。何が何だかわからないまま勉強会を終え、それからも「何で? どうして?」という思いがずーっと残っていました。最近になって、ようやくその時の思いが「自分のビリーフに根ざしている」ということに気づき、そのビリーフを書き換える努力を始めました。つまり、『世の中には乱暴な言葉を平気でしゃべる経営者がいる』『世の中には人の風上にも置けないような人間が経営陣の一角を占めていることもある』『世の中には他人の成功を横取りする経営者もいる』という文章に書き換える。と言っても、すぐに書き換えができるわけではありません。それでもとにかく、問題の経営陣が自分にとってストレスを感じる行動に出たときに、その都度、「これが現実。そういう経営陣もいる」と、自分に言い聞かせてきた。するとどうなったかというと、以前よりさほどストレスに感じることがなくなったんです。不思議なもんです。『アサーティブネス』を実践するには、まずは目の前の事象をどう捉えるか。そのためには自分のビリーフを書き換える努力が必要、ということを今回のオンラインクラスで改めて学びました。【送料無料】いやな気分の整理学価格:693円(税込、送料別)
2011年07月05日
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って、夏の暑さの話なんですがね。今日も関東地方は猛暑です。メチャクチャ暑いですね(~Q~;)いつもの年だと、もうクーラーをガンガンにかけて、暑い夏をやり過ごすんですが、今年は国を挙げての節電モードなので、大手を振ってクーラーをかけることもはばかられる風潮です。ところで、僕が子どもの頃って、夏の暑い盛りに電車に乗ると、まず冷房車が来る方が珍しくて、基本は天井で扇風機が回っている車両ばかりでした。それに加えて通勤ラッシュは今よりももっと混雑。熱気、湿度がムンムンの状態で、隣に立っているオジサンの汗がこちらの腕にベッタリ付くほどのすし詰め。当時は今よりも温暖化が進んでいなかったとはいえ、体感的にはもっと暑かったはずで、でも当時の人たちは「暑い、暑い!」と叫びながらもクーラーがなければないなりに過ごしていたんですよね。学校も暑かったなぁ。クーラーが入っているのは基本的に職員室だけ。体育の後なんかは、全員のびてましたね(^_^;)僕の場合、進学した大学ですら満足にエアコンが完備されてませんでしたし。それがどうでしょう。今や公立高校でもクーラー設置が当たり前になろうとしているんですから。そりゃもう隔世の感があります。でもそれだけ空調に頼りすぎるから、電気はいくらあっても足りない状態になるし、身体も暑さに弱い体質になっていくんですよね。今、「30数年前のクーラーなしの生活に戻れ」と言っても、みんなかぶりを振って拒否るんでしょうが、でも僕たち以上の世代は、みんな過去にそういう生活を体験してきたわけで、やってやれないことはない。んー、でも一度クーラーに慣れてしまうと、やっぱりクーラーなしはつらいかな(苦笑)【予約商品・8月1日もしくは8日までに入出荷分】たてすだれ 簾 よしず 高さ300cm幅180cm(10...価格:2,394円(税込、送料別)
2011年07月04日
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あっけなくバッテリーが上がっちゃいましたセカンド・カーのムーヴ・コンテを導入してからというもの、ヨメさんの日々の通勤や週末の買い物は、もっぱらコンテの出番が定番。わが家の駐車場は細長いので2台が縦列で並んでおり、入れ替えが面倒なため勢い稼働率に差が出てしまうんです。それで、むしろVOXYがセカンド・カーのような状態になっていて、この1か月はまったく火を入れなかったんです。もともとVOXYの方は、ナビやテレビなどただでさえ電力消費が激しい上に、ケータイやiPadの充電用に100V電源のインバータも積んでいて、バッテリーには過酷な環境を強いていました。しかも車購入後3年以上を過ぎましたが、バッテリーは一度も交換していません。そういうわけでよくよく考えるとバッテリー上がりは時間の問題でした(^^ゞディーラーに連絡を取り、コンテを出動させて新しいバッテリーを調達。ストッパーを取り付けて……、マイナス電極をネジ締め。エンジン始動用のスマートボタンを押すと……。無事にかかりましたそんなわけでせっかくの日曜日、朝からバタバタでいつの間にか夕方になっていました。高性能・長寿命セミシールドMF仕様SilvenX/カーバッテリー 75D23L [75D23L]価格:15,600円(税込、送料込)
2011年07月03日
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今日は会社の経営方針説明会。その後は懇親会です。昼の12時から1時までサントリーのモルツを飲みっぱなし。お腹がふくれるので食べ物は一切摂らず。【送料無料】サントリー モルツ大瓶(633ml)×20【1ケース価格】価格:7,480円(税込、送料込)あっという間にいい気分になりましたで、今度はいつもの神楽坂飲み会メンバーでJR大久保駅そばにある海鮮居酒屋で飲み直し。さすがに立て続けのアルコールはつらいので、ここではしばしウーロン茶を飲み続けてインターバルをとりました。そして、トドメの神楽坂。ウーロン茶を飲み続けて酔いが少し覚めたので、ビールやら日本酒で一献。散会は夜の7時。いつもの神楽坂よりも遙かに早い時間ですが、昼から夜まで飲み場所を3回はしごしてかなり良い気分で帰途についたことです。
2011年07月02日
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自宅近くの、駅前にある『am/pm』が今日、閉店してしまいました。『am/pm』と言えば、一昨年でしたか、同業のファミリーマートに買収され、現在はオーナーを説得して店名を『ファミリーマート』に変更する取り組みが行われています。ただし、至近距離に既に『ファミマ』が存在している場合、お客さんの食い合いになるため、どちらかが店を閉めることもあり得ます。今回、近所の『am/pm』が閉店したのは、まさにそれが理由。上の写真で、左端に『ファミリーマート』が写っていますが、赤矢印のところが閉店した『am/pm』。わずか100メートルしか離れていません。そういうわけで、駅入り口に近い『ファミリーマート』を残す結果に。ま、致し方ないのではありますが、わが家にとってはちょっとつらい影響が生じました。というのも、わが家のメインバンクは三井住友銀行なのですが、『am/pm』は以前、同行と提携して、三井住友銀行のATMが設置されているんです。わが家の周辺では三井住友銀行の支店が近くにない環境なので、けっこう重宝していたんです。閉店によって、気軽に引き出せないようになってしまいましたf^_^;)これからATMを利用するために、少し遠出をしなければなりません。
2011年07月01日
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