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フランスに来てから、長年、夫につきあい、中古車で長距離もたくさん走ってきたので、車はとにかく走ればいいのだ、と思うようになりました。細かい気配りがたくさんついていても発車しなかったら無意味、一部壊れたら、部品を変えて、それでいいじゃない、車は走ればいいんだから、と。あきらめも大きい。なにしろ、湿気は日本ほどないと言っても、酷暑の夏の熱風の中を冷房のきかない車で南仏から北西部に千キロを超えて走行する、ということがあった時は、ちょっと地獄。日本で乗っていた冷房完備車が恋しいばかり。それでも車を変えようかと言わない夫にさすがにもうあきらめていました。どうせ、夫は車には興味がないから、一生、修理をしながら中古車でいくんだろう、と。が、最近、夫が新車をしかも電気自動車を買うか、といってきました。思わず耳を疑いました。私が言うならまだしも、あなたの口からまさかそのお言葉が出るとは。フランスでは2022年12月末までに4万7千ユーロを超えない新車の電気自動車を購入した人には政府からの補助金として6千ユーロを渡すという。これに便乗して購入した知人もいます。それなりに高いとは思うのですが。夫は知人の話を聞いて便乗したいと思ったのか、で、私にも新車が欲しいと言ってたじゃないか、と言ってみたりします。そうとはっきり言った覚えはないが、確かに普段から車屋さんの前や路上駐車をしている車の前を通るたびに、新しそうな車の前で無意識にため息をつくようなことはあったかもしれません。じっと車の前で眺めて立ち尽くしていたり、とか。バカンスの時期に高速道路を走っていると、ルノーのZoeとかミニクーパーを見るとまるで美術品が走っているみたいと、と思ったり。昔のジャガーが格好いいのね、と思ったり。プリウス、環境意識高い人が乗っているんだろう、と思ったり。トゥインゴもヤリスもキアも可愛い形をしているのね。DSおしゃれだなあとか。DS、あ、ディープスティトととれないこともないか。フランス語でデェエス、女神を意味する方で読んでいたので、今まで気がつかなかった。日産リーフ、ミラ、トヨタ車、プリウス、ヤリス、アイゴー、本田、スズキ、三菱、マツダという日本車も結構走ってるんですね、フランス。もちろん、プジョーやシトロエンも走ってます。シトロエンは昔から安定性のある走行で定評があるそうです。あまりガタガタ揺れないみたい。あと、ドイツやルーマニアの車、韓国発の車もたくさん走っています。南仏にいた時はフェラーリも見ました。ルノーは1980年初期かなあ、すでに喋る機能がついていて、ドアが半開きだと空いてますよ、と言う車を造っていたんですね。すごいなあ、と当時は思いました。それはでも、高級車の部類で、会社の経営者みたいな余裕のある人が乗るような車でした。一般市民は、パリ市内の話ですが、でこぼこですぐにエンコしてしまうような車が多く走り、当時は日本のほうが傷のないきれいな車に乗っているのになあ、とびっくりしたのを思い出します。たまに高級車っぽい屋根のないスポーツカーも走っていましたが。さて電気自動車を推奨するフランス政府。でも電気代、節約しろ、とか同じ政府が言ってなかったかなあ。ああ矛盾。暖房費用にお金がかからないように二重窓を推奨する、とか。フランス政府は2035年からガソリン車の販売を禁止する予定でいるとか。これに対して、疑問を投げかけるフランス人がいてユーチューブでインタビューに答えているのを聞いて、話の内容が社会的背後にも環境問題にも及んでいて驚きました。フランソワ・グザイヴィエ ピエトリ氏。新しいものが出てくると、確かにフランスは批判的になる人もいて、これはあの、エッフェル塔建設でも反対運動が出たこともあったわけで、批判できる自由のある国であるということはいいことで、批判する人がなぜ批判するのか理由をちゃんと話しているというのもいいことで。批判する人がいてくれるおかげで矛盾に気づくこともあり、薄々感じていることなどをはっきり言ってくれる人がいると、ああ、やっぱり、不安的中とか。で、ピエトリ氏ですが、環境問題とか電気自動車に必要なコバルトを得るために働いているコンゴ共和国の子供たちの話とかもちらっとしています。で、そのコンゴのコバルトには背後に中国がいる、とかで、コバルトは中国資産。そこに頼ることになるわけで、中国がコバルトを値上げします、という可能性もあります。電気自動車が普及すると、ガソリン車の整備士という仕事もなくなるなどの失業問題の社会現象にもつながる、とか。ふと思ったのですが、昔、ノルマンディで整備士をしていた男性は、日本車はね、壊れないんでほぼ扱ったことはないんですよねえ、と笑顔で話していたのを思い出しました。ああ、日本車、整備士の収入にはならなかったのね。フランスにおける日本車への信頼度は高いものがあり、これをあのカルロス・ゴーン氏が社長をしていた時も多いに活用して宣伝文句に使っていたんですね。あと、フランス人で日産車ファンもいて、特にサニー愛好家がいたこともあります。サニーのバッテリーはもともと軍用車だったので頑丈なんだと。たぶん愛好家が大事に乗りつないできたのでしょう、南仏にいた時、数年前に傷一つない日産サニーを見かけたことがあります。さて、また脱線してしまった。ピエトリ氏は水素自動車はもっと環境にいいんじゃないか、と言ったような話もしています。この水素自動車は日本の自動車会社で開発を進めるトヨタのような会社もあるので、将来性はあるのでしょうね。明治天皇の玄孫と言われる竹田さんという方もユーチューブで、電気自動車においては遅れをとっている日本は世界が電気自動車になると経済的な打撃を受ける、とも話しておられて、そりゃ大変、と思ったり。ただ日本は水素自動車においておそらくいい車を作っていきそうなので、これはメルセデスベンツのような会社も一部目指しているみたいで、将来的には政権が代われば、今度は水素自動車に向かう可能性はあるのでは、と思ったり。基本的に政府が目指している方向が必ずしも万人の目指す方向と同じとは限らない、と特にこの2年間で思うようになりました。自分は古いものを大事に修理しながら使っていくフランスが好きです。確かに古いものばかりに囲まれていると時代錯誤の罠にはまったような閉塞感をふっと感じることもないわけではないけれども。そこに便利なものがあるのなら、何もわざわざ不便なことに時間をかけなくてよいのにとかです。ただ、ほんとうはそんな考え方では逆に心が貧しくなることもあるのでは、と自問したり。不便だな、と思いながら慣れないことに時間をかけて、ああ、これはこういう仕組みだったのか、とか新たな学びもあったり。一度、今は廃車になったガソリン車のボンネットを支える部品が壊れて、あれはその部品がないと非常に重いものだった、ということがわかったり。夫はある日、その部品を交換して、再び普通に開いてくれるようになったのだけれど、それまでに結構日数がかかり、夫も無邪気に笑いながら、知っていたら、もっと早く交換していたのになあ、と。私も知らなかったので、能天気にそうねえ、と。さて、電力はほとんど地震のないフランスはほぼ原子力発電に頼っていますが放射性廃棄物質の問題はやはりいまだにどうするのか解決策は現時点で世界のどこを見てもないみたいです。そうは言っても、原発がフランスから消えると電気が使えなくなるということで、大変でしょう。2022年のフランスでの新車発表会では中国から多くの電気自動車が参加していたそうです。欧州の車より安い価格だったそうです。すると、国の補助金で中国車を購入する人もたくさん出てくるんだろうか。なんだろう。私的にはとりあえずハイブリッド車がいいんだけどなあ。電気自動車に国から補助金が出るとはいえ、それなりに高いわけで。今は電気より安いハイブリッド車にして、数年後に水素自動車がでれば、節約して、そちらに変えるとか。でも、夫は最近とうとう電力で動く芝刈り機を購入して、これは便利と思ったのかもしれません。またフランスはロシアからの石油も見込めなくなり、ガソリン代が値上げしていることに不安もあるのだと思います。さて、ピエトリ氏は電気自動車の普及が促されると、電気代も高くつき、保険なども高く払うことになります、と話していたので、なんだかんだ言っても節約したい人は軽く国の補助金に食いつかない方がいいのかなあ、と思ったり。補助金も国民の税金から出てるし。 2022年1月フランス人口67816396人。6千781万6396人。
November 23, 2022
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日本から姉がEMSでない国際郵便でフランスに小包を送ろうとしたら、今は567とロシアのウクライナ侵攻などが原因で、EMS以外の送付は受け付けてないそうだ。しかも、手書きでの宛先もだめ。パソコンかスマホで書いたものしか受け付けていない、とか。あらあ。日本からEMSでフランスに送ると、フランスに入った時点でクロノポストの管轄に置かれ、これまでにも問題があった。フランスの都会に住んでいる人はひょっとすると、そんなに問題がないのかもしれないが、田舎では、住所が書いてあるところまで来ても、しかも不在でなくても、郵便受けの前に住民がいない、と不在として小包をそのまま持ちかえり、しかも、配達証明すら置いていかないので、送られた人は知らないまま、二週間の保管期間を経て、送付人に戻される、という信じられないことがあった。顔見知りの郵便局員さんに聞いても、クロノポストは管轄が違うので、まあ、時々問題があることは聞いてはいましたが、と言われたことがあった。せっかく小包がフランスまで来たのに、日本へ送り返され、送料代も返還されず、ということが過去にもあったので、EMSだけは避けてほしかったが、それしか方法がなかったそうである。なので、とりあえず、お問い合わせ番号をもらい、それで追跡することにした。それにしても、宛先も手書きはもう受け付けないって。そう言えば、フランスで中古車を購入し、ナンバー登録をする時も、パソコンでネットにつなげていない人には難しい時代になった。そう、もうネットでしか受け付けていない。警察に直接行き、必要書類をもらって、手書きで申請することが不可能になっていた。人々は社会生活を営むのに、無理矢理、ネットにつながっていないと普通の生活ができないような具合になっている。ネットは必需品になってしまった。とりあえず、ネットのない人、あるいは一時的に使用できない場合は、町の中にサービス期間があるにはある。そういうところも昨年か一昨年か567で自粛規制中は閉まっていたりした。ネットがなくても普通に生きていける社会の在り方も大事じゃないか、と思う。これがないと生きていけないという選択肢のない社会は病的な気がする。
June 17, 2022
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2021年4月初旬、南仏に帰宅。着いた時は頭痛を抱え、ボロボロ。荷物を車から運び。自分は夫より走行距離は短いのになぜだろう。頭痛はあえて薬を飲まず、ソファに寝っ転がり、そのまま眠り、翌朝はすっきり目が覚め、たまった洗濯物をかたずけ始め、植物に水やりしたり。以前、気がついたのだけれど、頭痛薬を飲むと、頭痛は取れても身体がすっきりしないことに気がつき、以来、頭痛薬はできるだけ避けています。幸い猫は老猫も若いのも元気だったのが何より。週末に夫の知人が来てくれて猫にえさをやってくれたらしいので、猫が元気なのもその人のお陰です。しかも鉢植えのチューリップも元気に咲き、ベランダのベゴニアも、挿し木の薔薇からは二つのつぼみがつき、コンポストから育ったトマトの新しい葉っぱたちも成長を続け、無事でよかった。枯れていたら、どうしようと思っていましたが。大きな鉢植えのレモンの木からも白い香りのいい花がたくさん咲いています。今は花の季節か。梨の木、セイヨウカリンの木、サクランボの木。ただ、4月7日、南仏の田舎の今朝の気温はマイナス4度だったそう。フランス北西部は海岸沿いの気候ということもあり、5月初旬かと思うほどの爽やかな過ごしやすい気候だった。ニースやカンヌ、マルセイユなどの海岸沿いなら、もう少し気温も穏やかなのだろうけど、南仏の人が言う「北フランス」のほうが暖かった。昔、ディニユ・レ・バン Dignes les Bains という南仏の高地プロヴォンス(Haute Provence) の養蜂家のお家でハチミツを買った時、蜂蜜は匂いでどの種類かすぐわかるという奥さんが遥か彼方を眺めるように、「私は北フランスには住めないと思う。寒すぎて」と言ったのを面白く思い出す。何故かと言うと、時は真冬、周囲は雪に覆われ、ここは冬の北陸と思うほど寒かったのだ。夕べのニュースではフランスの中東部ブルゴーニュ地方の葡萄園の話が出ていた。葡萄の木が新芽を出したものの気温が下がり、一本一本の葡萄の木のそばで火をともしたり、ヘリコプターを飛ばし、葡萄の凍結を防ぐ様子が映っていた。ブドウ園は広大なので、手間暇考えただけで気が遠くなりそうな話です。ヘリコプターを飛ばせば、ブドウ園農業者のふところは痛いそうだが、土壌の最も暖かい空気を上に送り、凍結を防ぐことができるという。ブルゴーニュと言えば、ロマネコンティの超高級ワインでも知られるワインの生産地。一本で百万円を超えるロマネコンティもあるそう。En tournant au-dessus des parcelles, les pales des appareils rabattent en effet l'air le plus chaud au sol, ce qui évite aux bourgeons de geler. (https://www.leparisien.fr/societe/meteo-des-helicopteres-pour-sauver-du-gel-un-vignoble-du-medoc-05-05-2019-8066106.php)さて、ノルマンディを去って、ある町を通り過ぎたのだけれど、美しい大聖堂が川の向こうに見えたものを撮影。とはいっても、走行中の撮影で、例によって長旅で車のガラス窓が汚れ、今回はしつこい宇宙円盤(ただの汚れ)まで飛び交い。南仏からフランス北西部への旅はこれまでに幾度となくしているけれど、毎回違う町を通っていることもあり、この風景はひょっとして最初で最後と思い、動画の質は決していいものではない、と思いつつもユーチューブに載せました。フランスのル・マンの町の一角だったようで、有名な大聖堂もちらっと見えました。黄色い宇宙円盤型の汚れは、ほんとうにごめんなさい。🙇
April 7, 2021
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ここ数日たくさん動画や写真を撮ったのだけど、このパソコンが壊れたら、みんな消えていく、とわかっていても他に保存する時間もなく。あさってノルマンディを去り、どこかで一泊し、南仏に戻ります。2021年4月2日、いつまで続くのかわからないけれど、フランス全土で午後7時以降は外出禁止ということでずっと走行できない。早く猫に会いたい。みなさんも身体に気をつけて。Please take care.Bonne nuit.フランスは午後7時から午前6時までは外出禁止。 La France est soumise à un couvre-feu entre 19h et 6h du matin.
April 2, 2021
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南仏を去ってフランス中西部のポワティエの知人宅で一泊させていただいた後、ブルターニュに向かって走行した途中の風景動画です。編集なしのすっぴん動画です。車のガラス窓があまりきれいではないのですが。例によって、もごもご呟いている可能性があります。2021年3月中旬よかったら、ご視聴ください。
March 27, 2021
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南仏の奥地で珍しく今日は雪が降りました。ちょっと積もりましたが、おそらく明日には消えていることでしょう。確か、南仏で雪を見るのは2017年以来。今日は晴れるだろう、と思い、洗濯も、結局、家の中で干すことに。
January 5, 2021
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あけましておめでとうございます。31日の夜にようやく南仏の我が家に戻ってきて、元旦から洗濯でした。でも、猫2匹もベランダの花も元気で良かった。猫は、夫の知り合いでまだ大学生の人が来てくれて、この人がいなかったら、猫も生きてはいなかったと思う。ほんとうに感謝。皆様にとって健康に恵まれた心豊かな穏やかな一年となりますように。Je vous souhaite à toutes et à tous une Merveilleuse année!
January 2, 2021
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師走です。皆様、良いお年を。明日から、ノルマンディを去り、ブルターニュ、ポワティエを過ぎて、南仏に戻ります。ノルマンディもブルターニュも雪道はないのですが、フランスも中央当たりに行くとあるのでは、とちょっぴり心配ですが、そろそろと行きます。自分のカメラを落っことして、風景が撮れなくなったので、ちょっとがっかりですが、くる時にいろいろ撮ったので、いつかまとめて動画に載せたいと思っています。「フランス語なぜ」もフランス語基本文法を早く載せたいと思っています。それでは、皆様、穏やかな良い年始年末をお迎えくださいますよう。Bon fin d'année et BON ANNEE 2021!
December 27, 2020
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南仏の都会エックスオンプロヴォンスの旧市街と呼ばれる界隈の郵便局から日本向けに小さな小包を送ろうとした。郵便局員の女性たちはものすごく親切だった。時間をかけてたくさん説明をしてくれた。ガラス瓶に入ったものは、このままじゃ送れませんからと郵便局員さんが特別に保護シートまで出してくださった。ほんとうに親切だった。が、税関で要請される書類は自宅でネットを通じて書き込み、自宅でプリントアウトしたものしか受け付けられないのです、と目茶すまなさそうに言われ、結局、南仏エックスの郵便局からは送れなかった。その日は、10月中旬、これから、ノルマンディに北上する日だった。まだ、第二の封鎖がない時期である。仮に家に戻っても、プリンターがないので、書類の用意はできない。昔使用していたプリンターは壊れ、夫が廃棄処分に。以来、自宅にはプリンターはない。こんなことは初めてだった。しようがなく、小包をかかえたままノルマンディへ。ノルマンディの小さな田舎町の郵便局に行き、話をきいた。すると、プレゼントで送るものでも、税関に提出するためのプロフォルマインヴォイスが必要で、これを書いて一緒に送ればいいんですよ、と言われ、そのようにして、郵便局から普通に送ることができた。(追記 追跡サービスで確認したら、10月31日に送った小包は無事に11月7日に日本の宛先に届いていました。ちょうど一週間目くらいですね)都会で機能しなくなったことが田舎で機能している。昔、夫がパスポートの更新を緊急にした時も同じことがあった。やはり、南仏エックス市内では日数がかかりすぎるということで、夫が南仏の小さな村役場に行き、更新手続きをして短い日数で可能にしてくれた。都会はなんでもスピーディで速い、と思うのは、早合点というものである。ことのついでに、日本から姉がEMSで小包を送ってくれた話もまた書きたい。以前、これで問題があり、フランスにせっかく届いていた小包は日本に戻された。EMSでフランスにものを送ると、フランスではクロノポストが引き継いで運ぶ。問題は、このクロノポスト。まず、住所が正しく記入されていても、不在通知書を何故か置いていってくれない。うちは南仏の田舎である。知らない人にとって非常に分かりにくい場所にあり、クロノポストの人は、住所が見つからない、ということで小包を持ち帰る。しかも、配達時の不在通知書なしなので、うっかりすると、2週間の保管期間を過ぎれば、送付人に戻されるのである。以前、そのようにして、日本に送り返された小包があった。今回は、しかも、何か月か前に、村役場がうちの番地を変更していた。日本の姉には連絡したが、やはり、案の定、昔の番地を書き込んでいた。なので、さすがにクロノポストはうちまで配達できない。幸い、EMSの送付番号があり、それをもとにネット追跡をした。すると、南仏のどこかで小包は、送付先不明で保管されていた。クロノポストで電話連絡し、自宅に送ってほしいというと、それはできないと言われた。え?一瞬、つまる。最寄りの郵便局までは送り届けることができる、という。なんだかんだ言って、やはり、番地番号が違うので、これを送付人が訂正した用紙がないと自宅に送り届けることができない、なので、私の身分証明書を提出し、それを確認できる第三者が必要なのである。それで隣町の郵便局に送り届けてもらうことになった。久しぶりに向かった南仏の田舎の郵便局。なんとなくアンドリュー・ワイエスみたいな画家がモデルにしたくなるような美人の郵便局員がその日は窓口にいた。私のことを覚えてくれていて、気さくな様子でお元気だった?と話しかけてくれた。ま、クロノポストのお陰で久しぶりに美人の郵便局員さんと短い会話を楽しめたので良かったかな。(なんて書いちゃうと、我ながらおじさんみたいな気分、あはは)
November 2, 2020
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フランス北西部ノルマンディの田舎に約二週間行っていた。久しぶりに会う夫の弟夫妻や子供たちや馬や猫も元気そうで何よりだった。夫は、ひいおばあちゃまのお墓に大きな黄色い菊の鉢植えを買ってお墓参りも済ませた。封鎖が10月30日金曜日から、シンデレラ姫のごとく、木曜日の真夜中零時から再びされると言うことで、どうする?と思いつつ、一応、この万聖節 TOUSSAINT で遠方に墓参りに行く家族も多く、そういう状況をを考慮して土日は比較的緩和されていたらしく、土曜日にノルマンディを去り、途中で一泊し、夕べ南仏に戻った。一応、手書きで移動目的などを書いた紙とマスクは用意した。ノルマンディはずっと曇り空、小雨、雨風の繰り返しで田舎の地面もじとじと湿っていた。フランスの中央を超えて、サンエティエンヌあたりから、太陽の南仏の雰囲気が始まった。この南仏の太陽を少しノルマンディに送りたい、と思うくらい。最近、フランスのどこかで23歳の青年がイスラムテロとして教会で祈りをあげていた人々を襲った事件が起こったそうで、帰路途中で見かけたソローニュの町だったか、ひっそりした町のひっそりした教会の前を拳銃を携えた二人の若い男女の警官が警備にあたっていた。23歳のイスラムテロに対して、あるイスラム教徒の女性が憤慨し、フランスは行く先をなくした自分たちを受け入れてくれた国だ、と叫んで彼女に敬意を示すフランス人たちのコメントがたくさんあったようだ。フランスは確かに亡命者を受け入れてきた国で、言語習得にも寛大な国だと思う。昔、パリ市内のポンピドーセンターの図書館には、無料で利用できる言語習得のための場所が設けられていた。日本で高価な価格で販売されていそうな教材が、無料で使えるとは、と感動と感謝すら覚えたものだった。芸術家にも寛大だった。どこかのアトリエに通う学生は、美術館には無料で入れたそうだ。さて、今回も、高速も大いに利用。時速130キロ制限で走行していると、たまにびゅんと横を飛ばしていく車があるのだけど、あれは150キロは絶対に出しているんだろう、と思いつつ。できるだけ安定した走行車の後ろを選んで走っていた。と、いっても、ほぼ夫が運転していたのだけど。自分は往復で300キロくらいしか走行していない。ノルマンディ滞在中に、普通の道路で80キロ制限を90キロ出していたようで、フラッシュをたかれてしまったので、近いうちに罰金請求書が来ると思う。前をのんびり走行していた車を追い越した矢先だった。悔しいけれど、人身事故につながらなかったんだから良かったんだ、とあきらめる。今回の長旅の途中で、高速道路で大破した二台の車を囲む警官たちを見たりもしたので、ほんとうに注意一秒アホ一生である。ソローニュで一泊させてくれた夫妻と車の話になって、高速の第三車線の一番左側の一番速く走る車線を走行中に彼らの車が勝手にエンコしてしまった話をしてくれた。追突事故につながる怖い話である。運転中に、ああ、これはまずい、車がもうすぐ勝手に止まってしまいそうだ、と感じたご主人はそろそろと右側の車線に車を移動させたようだが、それでも、下手すると180キロの速度で飛ばす者が後ろから来ないとは限らず、非常に危険な状態だった。車をとりあえず、止め、保険会社のアシスタンスに電話をして時間はかかったけれど、何とか切り抜けたらしい。車はディーゼル車だったそうだ。夫は、そのせいじゃないか、という。ディーゼル車は確かパリ市内ではもう禁止されているんじゃないだろうか。フランスで中古車を買う場合は、そういうこともあるので、ディーゼル車は避けたほうがいい。車屋さんは売っているし、地方に住む人はあまり関係ないのかな。自分たちのガソリン車はそういうことがまだ起こっていないのが幸い。さて、二匹の猫は夫の知り合いの青年が週に一回か二回ほど様子を見にきてくれたおかげで元気で、今年4歳か5歳になる猫は、「どこに行ってんだよう、もう帰ってこないかと思ったよお、なんだよう」とでも言いたげにニャあニャあ泣きながら家に入ってきたので、可愛いやらおかしいやら。それにしても、たまに日本国内に出る記事で、新型コロナでフランスでの人種差別のニュース記事のタイトルを見るが、人間が集まる都会の話なんだろう。フランスの田舎から田舎へと移動していたので、田舎の広大なで畑に遊ぶ角のない鹿の親子を見たり、あまり人に会うこともなく。道に迷って、偶然運よくそこにいた人たちに話しかけたりもしたが、彼らも親切な人ばかりで、中には、車で道案内を途中までしてくれた人もいた。広々とした畑や放牧された牛や羊に囲まれた一角に住む田舎の親切で気さくな人ばかり。小さな町のパン屋さんも気さくで明るくて普通だったし。まあ、マスクはみんなしているけれど。
November 2, 2020
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フランスに在住する人が日本で、10年相当期間、会社勤務をし、厚生年金が払われていた場合、あるいは国民年金が払われていた場合、フランスで年金の受給ができるそうです。しかし、65歳を過ぎてしまうと、年金は無効になります。要注意!60歳になる少し前から準備してください。まず自分の年金手帳で基礎年金番号をチェックします。もし、うっかり年金手帳をフランスに持ってこなかった場合、日本の家族に聞く、あるいは年金機構に直接聞くことです。たぶん、年金ネットに再交付申請をする項目があるはずです。よく探しましょう。年金ネットのサイトで、日本で住民登録表を置いていた日本の住所を書き込み、そのあとで、フランスの住所を書き込みます。そこに至るまで、悪戦苦闘する可能性はありますが、よくネット欄を見てフランスの住所を書き込む場所を見つけてください。すると、後日(ほぼ忘れた頃に)年金機構からフランスの住所に親展でハガキが届き、年金ネットにログインができます。ログインをして、自分の勤務記録等をチェックします。年金ネットのサイトで、年金請求書をダウンロードし、書き込み、送付します。フランス在住者は迷わず下記に直行。日本ねんきんネット(日本年金機構)日仏協定・申請書一覧(年金請求手続き)フランスに在住している日本年金の受給者が、年金に関して各種の届出が必要になったとき海外在住年金受給権者の届出事項連絡票Formulaire de communication relatif à la Déclaration/Demandede bénéficiaire de pension résidant à l’étranger https://www.nenkin.go.jp/service/kaigaikyoju/shaho-kyotei/sinseisho/france2.files/2-2.pdf以上です。
March 15, 2020
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Yahoo France en panne"Ce site est inaccessible"フランスのヤフーが全く開かなくなっています。OUTAGE.REPORT によると、アメリカ、フランス、モルドヴァ、英国、オーストラリアなど12カ国でヤフー画面が出てこない問題が発生しているそうです。En temps réel 上記のサイトでは実況で報告しています。2019年の9月にも同じような問題が発生していたようです。フランス側から開けたDowndetector のサイトではではヤフーに障害が生じていると、その土地に赤色を置くのですが、パリ、南仏、イタリアの一部などが赤くなっています。あれ?日本も東京やその他の都市部が赤くなっています。日本語版のDowndetectorでは問題がないことになっています。フランスの場合は、ヤフーメールを開くことはおろか、ヤフーそのものを開くこともできないようです。フランス語のコメントで、本人のコンピューターが壊れたと思ったのか、買い替えなきゃ、とコメントしている人がいて、ああ、違うんだよお、と思いましたが。それほど困った状況だったのかも知れませんね。2019年の9月や10月でもフランス、ドイツ、イギリスなどヨーロッパ全土でメールが開けない人が続出していたんですね。いつ、もとに戻るのかはヤフーにもわからない。ネット社会に頼っている人たちにとっては困ったことですよね。列車予約をして電子切符をぎりぎりで受け取る人もいるわけだから。サイバーポリスの出番って感じです。
December 9, 2019
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今日2019年9月26日、元フランス大統領ジャック・シラク氏がお亡くなりになった、と知った。86歳だったそうだ。1932年生まれ。1962年はまだ30歳。大統領期間は1995年から2007年まで。元ミッテラン大統領政権では首相を務めた後、大統領になっている。シラク氏の次に大統領になったのはサルコジー氏。力士の名前はすべて覚えたというシラク氏が大の相撲好きの親日家だったので、その反動か、サルコジー氏は日本に対して冷めた印象で相撲のことも皮肉るようなことを言ったらしい、と記事で読んだことがある。それでも原発派のサルコジー氏は東北大地震の際は現地まで行かれた。これはでも、日本に原発の技術を販売する目的もあったのかも知れない、とつい思ってしまう。報道で見る限り、政治家特有の親近感を抱かせる人柄はあるものの、日本人としては、気持ち的にシラク氏の方がどうしても、日本の文化にも関心を示し、日本とのつながりは温かいものがあったような気がする。シラク氏が初めて日本に訪れたのは21歳の時だったそうだ。1953年の日本。以降、40回か50回は日本を訪れていたらしい。文学、歴史、刀や茶道にも詳しく、日本のことなら何でも僕に聞いて、というくらいだったのだろう。フランスのスポーツ番組で相撲が放映されたのもシラク氏のお蔭だったそうである。さて、シラク氏は若い時、コミュ二スムに傾倒していた時代に核実験反対運動に署名もしている。1960年から1996年まで、フランスは210の核実験を行っている。ドゴール大統領(1959年-1969年)ポンピドー大統領(1969年ー1974年)ジスカールデスタン大統領(1974年-1971年)ミッテラン大統領(1981年ー1995年)シラク大統領(1995年ー2007年)核実験はフランス国内ではなく、フランス領で行われた。アルジェリアのサハラ砂漠Reganneレッガンヌ南西部で空中爆発、Reganneレッガンヌ南部で地下爆発実験など、またタヒチから1200㎞先かつニュージーランドから4750㎞先の Mururoa ムルロアやFangatafua ファンガタウファや、イネケールなどの環礁で、ポリネシアでは193回に及ぶ実験が行われた。しかも英国もポリネシアで1958年まで核実験を行っていたのではないだろうか。1200㎞かあ。南仏からパリまで1000㎞くらいだから、そんなに遠くはない。遠いけれども、車で行ける距離。これが原因でニュージーランドを旅行中のベルギー人が現地の人たちからボコボコにされたそうである。フランス人と間違われて大迷惑だった。2019年5月23日にフランスの国会は、核実験のせいでポリネシアに特に衛生面での被害を及ぼしたことを認めた。ポリネシアでは奇形児の出生数が25年で5倍に増えたそうである。南仏も時にはパリまでもサハラ砂漠から熱風が届くこともあることを思うと、やはり当時の政治家たちは核実験を軽く見すぎてていたのかも知れない。核保有国にならないと、ソ連から何をされるかわからない、という焦燥感からか。フランス人の夫は、子供の時にテレビに、あるクリームの宣伝が入り、それが、放射能クリームで美人になる、というようなものだった、と話してくれたことがあった。それほど認識が低かった、ということなのだろう。世界の核実験数 米国 1050回 主にネヴァダ州で。ソ連 715回 中国 75回 英国 75回 北朝鮮、インド、パキスタン 6回世界の空中核実験年代米国 (1945-1962)ソ連 (1949-1962)中国 (1964-1980)英国 (1952‐1958)ポリネシアはフランス領になったばかりに核実験の現場にされてしまった、と思うとなんだかね、しかも核実験の被害というのはすぐにわかることでもなく、実際に被害者が出て、各地で放射線量を測定されてから、と時間もかかる。核実験とは関係は直接ないけれども、原子力を平和利用しようと、電力に還元する方向に発展した原発。その原発大国フランスは、2005年前後の原発由来の電力は請求書には90パーセントだと書かれていた記憶がある。今は75パーセントに減少しているそうだ。ちなみに何年か前に、うちは原発由来はゼロの電力会社に登録している。さて、核実験という深刻な負の遺産の話になってしまった後で、このあとを続けるのは不謹慎な気がしないわけではないけれども、シラク氏の個人的な回想に戻ります。シラク氏は若い時、アメリカに留学し、アメリカ人のガールフレンドもいたそうで、当時のジャック青年は相当なイケメンだった。後に若い政治家として登場した時は、「みんな、シラクがハンサムだから投票しているだけでしょう?」と冷ややかにコメントする女性もいたくらいだ。確かに政治家としてメディアに出た当初は、特にその感は否めない感じはする。しかも口を開けば、飄々とした気さくさがある。シラク氏がアフリカを訪れた時だろうか、現地の正装として花の飾りを頭から胸に被るようなものがあるが、その恰好で写真に写っていた。あ、いつからアフリカ部族の酋長に、とまた親近感が増した。(アフリカじゃなくて、太平洋の島だった!爆)Libération Mardi 2 septembre 1986 リベラシオン紙のFlorence Decamp記者の記事と一緒に載った当時、首相のシラク氏の写真。1961年からフランスの海外準県として統治される太平洋のワリス・フテュナ島を1986年9月1日に訪問した際の写真。記事の中では、シラク氏訪問とともに初めて飛行機がやって来ること、病院の再建、電話の改善、テレビ番組の選択肢が増えること、フテュナ島には電気が供給されること、などが書かれてある。島の人々にとってはシラク氏を伝統の衣装に包み迎えることが最大の敬意だったのだろう。夫は、昔の大統領選挙のさい、テレビ対決で見せたミッテラン氏とシラク氏の話し方の品格の高さに驚いていた。もう今は誰もあんな大人の品格で話す政治家はいないよ、と。確かに二人とも落ち着いていて、低い声で談話し、皮肉にもゆっくりとしなやかな話し方で対応している。が、話している内容は、若いシラク氏(当時、首相)が過去のミッテラン氏の能力のなさなどを攻撃し続け、最後にミッテラン氏(当時、大統領)がそろそろ未来を見据えた話題にしましょう、と言って一本勝ちのような内容。シラク氏夫妻は二人のお嬢さんに恵まれた。が、長女は病弱で自殺未遂もおこした。次女クロードさんは俳優のヴァンソン・リンドンと10年間の交際をしたそうだが、初婚相手は大学講師兼フィガロ紙の経済研究部のディレクターだった。26年前である。が、新郎は結婚からわずか7か月後に自殺。34歳。この男性の母親は自殺説を否定している。一人息子だった。クロードさんはその後、ベルギー生まれの柔道家と交際し、息子が生まれたがその後、別れ、2011年に再婚をしたそうだ。クロードさんは父親の政治活動のサポートに徹した時期があり、よくテレビに映っていた。さて、1987年か1986年か忘れたけれども、パリのはずれの高級住宅地区Neuilly sur Seineに広大な草地があり、普段は時々馬が走っていそうなその場所に大きなテントを張り、多くの人が集まり、ワイワイ何かやっていた。たまたま通りがかっただけだが、雰囲気として誰でも参加できそうだったので、好奇心に駆られ、ワイドオープンなテントの中に入って見た。テントの下にはたくさんのテーブルと飲食物があり、主にスーツ姿の多くの若い男性たちが座り、時々、大声をあげて甲高く笑っていたり、恐ろしく賑わっていた。酒の勢いもあるのか、やたらエネルギッシュだった。宴会会場のような感じ。ややドン引き。意外なフランス人像?奥には大きなステージが設けられ、そこでいろんな人が次から次に壇上に上がり、その中にテレビでよく見かけたシラク氏もいた。と、言うより、それはシラク氏の演説のために設けられた会場だった。と、言うわけで初めてフランスの政治家の演説を見聞。当時はシラク氏は首相だったはず。シラク氏の演説は少しづつテンションがあがり、実に情熱的だった。よく考えてみれば、シラク氏も当時は54歳くらいだった。さて、シラク氏が壇上から去ると、大きなスクリーンにマドンナが映り、マドンナの歌で会場がまた盛り上がっていた。確か、当時、マドンナはエイズ基金としてフランスに多額の寄付をしたと思う。何を話されたのかは当時の自分のフランス語能力でわからない部分もあっただろうし、覚えているのは、シラク氏を応援する男性が、「シラク氏は何も言わないけれど、アジア人の孤児を家族に迎えた人です」と言った部分はよく覚えている。ふっと頭の中でアジア人の小さな女の子を長年思い描いていたが、実はベトナムのボート難民のすでに21歳の若い女性だった。実際は彼女はシラク家に2年間住み、養女となったわけではないが、フランス語教育などを受けさせてもらったそうだ。彼女の中では、シラク氏夫妻は、パパ、ママと呼ぶほどの存在だとインタビューに答える様子が映っていたのを最近になって観た。シラク家の家庭に関するドキュメントの中には彼女は登場しない。家族として認識はされていない印象。ひょっとしたら、シラク大統領夫人と次女のクロードさんの検問が入ったものだったかも知れない、と自分は想像していた。このドキュメントに関して視聴者からの批判的なコメントなどもあったらしく、後日、当のベトナム人女性もどことなく残念そうにしているイメージが映っていた。が、実際はどうなんだろう。むしろ、ベトナム難民を救った優しいシラク大統領夫妻だった、のような良い話を政治利用したのではないか、と思われる方がいやだ、と思われたのかも知れない。実際、私が偶然遭遇したシラク首相時代の会場でも、シラク氏はその話を自ら明かしてはいない。ベトナム人難民女性に大きなチャンスを与えたかっただけで、そのほかのことは彼女を静かにしておいてほしい、決して政治利用ではない、という思いだったのかも知れない。シラク氏が大統領を退き、サルコジー氏に譲ってから、ある映像を見た。それが大変ユーモラスだった。しっかり、おじいちゃんになったシラク氏。シラク氏の夫人ベルナデットさんがこれから何やら演説をしようとしていた。夫人の後ろにはたくさんの人が座り、中に少し若い時のオランド元大統領もいる。夫人のほぼ真後ろにシラク氏が座っていた。と、金髪の長い髪の女性が現れたが、彼女の席がない。シラク氏は彼女に話しかけ、その内、手を取り、Vous ne restez pas debout. 立ったままなんてだめですよ。そして、ほかの人たちに話しかける。 Apportez la chaise. 椅子を持ってきてください。傍目には堂々とナンパしているように見えないではない。その光景を呆然と眺めるシラク夫人ベルナデットさん。椅子はどうやらちゃんと運ばれたようで、夫人は Bien. 「良かろう」とばかりに演説をする方向に身体を戻し、演説を始めた。が、その真後ろでニコニコ顔のおじいちゃんシラク氏は親し気に金髪の女性にVous savez. Les Femmes. Il faut se méfier. 女の人たちはね。わかるでしょ。警戒してかからないとだめなんですよ。(このセリフ、夫が妻のことを指してあきらめがちにモノローグでよく使う)なんてセリフをニコニコしながら話しかけ、金髪の女性もシラク氏の耳に何やらひそひそ話をしている。シラク氏はご機嫌そうに愛くるしい笑顔を見せている。 夫人がいたって生真面目に演説を続ける後ろで二人はひそひそ話が止まらない。が、ハっと気がついたかのように真面目な顔で夫人を見上げるシラク氏。それは後ろでいつまでもお喋りが止まらないシラク氏に注意せんばかりの厳しい眼差しで夫人が唐突に無言で振り向いたからである。学校の先生に睨まれた感のシラク氏の、あ、やっちゃった、みたいな表情。黙りこくったシラク氏を一瞥してデスクに顔を戻し、演説を再開する夫人。シラク氏が11歳の時に母親に書いた手紙の中に、「僕は自分でもなかなか直すのが難しいと思うけれど、この性格を直すように努力します」と言うのがあったけれど、ああ、変わってないのでしょう。と、ふと思ってしまった。(笑)演説を終えてシラク氏の横に無言で座るベルナデット夫人。シラク氏は口を堅く閉じたいたずらっ子のように神妙な顔つきで夫人を一瞬眺め、横に座った金髪の女性に、にこっとしてみせる。なんともお茶目なシラク氏だった。上記のお茶目なお話しは、Youtube で "Jacques Chirac gaulé par Bernadette" を検索すると閲覧できます。金髪の女性は何者か、愛人か、などと後日報道されたが、彼女はシラク夫人もよく知る人で、この説はすぐに消えた。いろいろ書いてしまった。一つの時代が終わったんだなあ、と思ってしまう。シラク氏のご冥福をお祈りいたします。
September 27, 2019
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トラックの運転手を直撃した燃料税から発したジレジョーヌのデモ騒動。フランスは過去から何かとストライキの多い国で、いきなり終電がなくなったり、パリ市内でタクシーに乗ったが、まるで前に進まない、とかそんな経験はある。いつのことだったかも何のためだったかも忘れたけれども、南仏マルセイユの路上に延々と連なるトラックの群れがあり、報道では聞いていたが、さすがに目前にしてその迫力には圧倒された。だが、今回、報道記事から見る今回の暴動はもはやテロだろうか、と思うほど。あとは、それに参加した暴徒もいるんじゃないか、という疑いも個人的には持っている。だって、他人の車を倒して炎上させる?生活に困る人達が?その辺の感覚がわからない。フランスは街だと住まいにお金がかかる。パリ市内のアパートや南仏もすごく高い。パリ7区の住宅街だと小さな7メートル平米をN万円で貸すアパートも広告に出されていたり、南仏も一軒家を購入する際は北フランスの田舎で城が購入できる価格。しかも、仮に2千万代の家でも、修理ししてようやく住めるとか土台の基礎工事がちゃちなものもあったりする。南仏を舞台にしたフランス映画、日照時間の多い南仏に憧れる北フランス人やヨーロッパのお金持ちが値段を高騰させたのは否めない。パリで企業相手に法律顧問を担当していた人はパリ市内に広くて城の一角のようなアパートに住みながら、南仏の山の中にプール付きの大きな一軒家を持っていた。日本にとって日本風の庭園が割と普通であるように、フランスにとってプール付きの家は必ずしも珍しいことではない。自分で5年かけて仕事の合間にプールを作った人もいる。 うちの近所にもベルギーやオランダ、スエーデンからの移住者や、中にはプール付きの別荘を持ち、夏場に集中してくる。なので、夏場のゴミ捨場は尋常でない状態になる。さて仮に月収40万円近くの収入があれば田舎では快適な生活ができるだろうが、都会では子供の乗馬クラブや空手、柔道、ピアノ、テニスなどにお金がかかるので意外に大変だろう。日本は学校の先生が自腹切ってクラブの顧問をしているが、これはこれで問題があるのではないか、と思う。フランスには日本のような進学塾はない。高額な進学学校はある。家庭教師には相応の余裕があるか、国や自治体から何らかの援助金を得た家庭だけが払える。長期バカンスに子供をどこに連れて行くかもフランスの親には実は苦しい話。制服のない学校も多いので、スポーツ形ブランド物に散財させられる親。日本では小学校から高校まで立派な新しい教科書は確か無料で配布された。フランスは使い古された教科書で、ページも剥がれやすく、重く、大きくて、日本の教科書のほうが質が高い、と何度も思ったものだった。一日の授業分の教科書をもたせると小さな子にはとんでもない重さになることもある。日本の教科書のページは薄くて、しかもはがれない。しかも学校に返さなくていい。フランスも一応、無料だったが、学校に教科書を返す時に教科書があまりにもひどい状態になると有料になった。教科書をとっておけないので、数年後に読み返すことは当然できない。これは確かにほんとうに必要なら本屋で参考書を買え、ということになるし、教科書を不要だと捨てちゃう人もいるかもしれないことを考えれば無駄を省くことにもなる。どちらがいいのだろうか。収入税に関しては、日本と同じで、ある一定の収入を超えるといきなり税金が発生する。これもうっかりすると、働ければ働くほどお金が持って行かれる話になる。あるフランス人家族は都会暮らしをやめ、田舎の広い一軒家に越した。そこで妻は専業主婦になった。彼女は言う。都会にいた時は家政婦さんに支払うために一生懸命働いていたけど、今は自分が仕切っていて、良質な料理にかける時間も子供と過ごす時間も増えた。思うに、収入税も減ったはずである。夫も畑や狩りを趣味にし、友人たちが遠方からきても宿泊する部屋もあり、人生は充実しているかのようだ。農業国フランスは食費は安い。スペインやモロッコからも安く野菜が来るので、確かにフランスの農民の生活は大変そうではある。野菜も肉も日本のほうが断然高い。農業国フランスだが、毎年、農民の自殺者が出る、と言う話をしていた人がいた。 フランスは社会保障税が高い。会社なら法人税もある。個人起業でもそれは同じ。今、流行りの起業家も4年目から収入がなくても社会保障税とかが取られてゆくシステムなので注意しないとあっという間に借金地獄。で、政府が起業家を勧める時にこの点をほんとうに隠すようにしか記載していない。税務局が間違えて請求書を送ったりする。その手間に時間が奪われる人も多い。すぐに対応せず、泣く泣く追徴金まで払う人もいる。すぐに税務局に連絡を取り、間違いを指摘し、ことなきを得る人もいる。基本的にフランスは銀行も会計事務所も税務局も受け身と鵜呑みは禁物です。書類やレターをじっくり読んで対処すべきことにはしっかり連絡をとることが必要です。フランスは、そのかわり、失業手当や低収入家庭への医療費が相互保険でほとんど支払いがない。これはすごい、と思う。思うままに書いたけれど、やっぱりサヴァイバル魂は必要、と思う次第。
March 17, 2019
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フランス国内のピレネー・オリエンタル地方でワインの専門家や愛好者から高い評価を受けた上質の有機赤ワインを造りながら、国外退去を通告された日本人夫妻の記事を詳細にまとめて書いた一人のフランス人記者、リュック・ルノワール氏。夫妻は各報道機関の記事や5万人を上回る署名運動のお蔭もあってか、現在は検討中で国外退去は保留とされている。ル・フィガロ紙の青年記者ルノワール氏の記事のお蔭でこの日本人夫妻が抱える問題をより詳細に知ることができた。短時間でよく調べたなあ、と思った。調査力、まとめ方、プロだから当然よ、と言われてしまえばそれまでだが。なんか特別思い入れもあったのか、と思うほどだった。しかし、それは彼の普段からの姿勢と信念から生まれたものだろうと思う。リュック・ルノワール氏は現在、ル・フィガロ紙の新聞記者で当新聞サイトに個人のブログコーナーもあり、本人の個人的な意見も載せている。彼個人の twitter には、日本人夫妻に関して「最悪なことは、この愛すべきカップルが味わった出来事を本人たちは恥と感じているのだ」と驚きの念をコメントしている。「国外退去」の通知を「恥」の概念で受け止めてしまう日本人のリアクションは恐らく多くのフランス人には不思議にうつるだろう。同様のことがあると、よく泣きわめく映像が報道される。それがいいとか悪いとかの話ではない。日本人としてこの気持ちは何となくわかる。無念さと入り混じった恥の概念。それは日本が戦争をしている国ではないことや日本から追放されたわけではないこと、日本人としての自尊心があるからではないか、と思う。日本が嫌いでフランスに抜け出したわけではなく、フランスワインに魅了されたから自由意志で夢をかなえにフランスにやってきたから。さて、フィガロ紙の記者の話に戻る。記者はフランス海軍の予備役将校 officier de réserve でもあるそうだ。「予備役将校」と言えば、アメリカ軍にあるが日本の自衛隊にはないそうだ。リュック・ルノワール氏はフランスのグランゼコールの一つである ESSEC を卒業後、2017年からル・フィガロ紙の記者である。その前は、パリ・ソルボンヌ大学で現代史の修士号取得、ボルドーのモンテスキュー大学で政治学の修士号取得、ボルドー政治学院で政治経済分野での修士号取得、TOEICは980のスコア、ドイツ語も理解する人らしい。日本語で「ルノワール」と書いたため、画家のルノワールの親戚かも、と一瞬思ったが、画家は Renoir で 新聞記者は Lenoir さん なので関係なかった。 リュック・ルノワール氏は最近では、第二次世界大戦中のフランス海軍に関する歴史本を出版している。この本の読者はやはり著者リュック・ルノワール氏の調査力と分析力を称えていた。ナチスの脅威と占領に抵抗し、シャルル・ド・ゴールは1940年6月18日、ロンドンからBBCを通じてフランス自由 France libre を提唱し、フランスは闘い続けるべきだ、と伝えた。これは当時のペタン将軍がナチスと協定を結び戦争を終結させる意図と衝突した。ルノワール氏は当時のフランス海軍の話はあまり知られておらず、その視点から歴史を調査した。Luc-Antoine LENOIR"Résister sur les mers" 電子図書としても出ている。日本語版はまだ存在していない。フランスの特に戦後史に興味のある人には呼んでみたい著書の一冊だろうと思う。Jonathan Siksou reçoit Luc-Antoine Lenoir sur Rcj ルノワール氏が自著について語る フランス語 ルノワール氏の著書とは関係ないが、ナチスの脅威に落ちつぶされそうになっていたフランスに大きく協力した話として米軍によるノルマンディ上陸作戦が有名で、1962年のアメリカ映画「史上最大の作戦」にもなっている。フランス語版の題名は le jour le plus long 。この偉大な映画は実話と違うシーンもある、と当時のフランスの軍人Maurice Chauvet氏(1918年6月12日ー2010年5月21日)が語っていたそうだ。映画製作にも助言者として立ち会ったが、監督は助言にも係わらず、作り話をあちこちに散りばめたそうで、一人の元フランス軍の助言者は頭にきたのか途中でその場を去ったそうである。パラシュートで降りてきたアメリカ軍がナチスに銃殺されるというぞっとするシーンは明らかに作り話だそうである。映画は衝撃的でないと話にならないと脚色されることは多いので鵜呑みは禁物であるけれど、よく宣伝効果のために利用される。「姥捨て山」の日本映画を観たフランス人に日本は年よりのばあさんを山に捨てるんだってね、と北フランスでも南仏でも聞かれたことがある。自分は少なくとも、そのような地域に生まれていないので、親からもそんな話は聞かされたことがないし、日本は今はどうかわからないが、年上の人間には敬意を示すものという風潮で自分は育ったから、と言うので精一杯。
July 14, 2018
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在仏日本人夫妻しょうじさんの赤ワインを味わった人のある話である。在仏日本人夫妻しょうじさんのワインには Domaine Pedres Blanques (Rié et Hirofumi Shoji) という名前がついている。Pedres Blanques というのはカタルーニャ語で「白い石」という意味だそうだ。命名からしても、夫妻のその土地とその地で造るワインへの並々ならぬ愛情を感じる。ネットではワインは2800円前後の価格がついているようだが、当初はその半額くらいだったそうだ。あるネットのワイン販売サイトではすでに55ユーロ約7000円を超える価格がついていたがすでに売り切れと書いてある。確か、一万ボトルは完売していると新聞で読んだ。フランス語のネットでヨーロッパの7人の侍みたいに7人のメンバーが文化的交流を図ったLPVというサイトがあり、そのサイトに実際 Pedres Blanques を味わったフレデリック・L と言う人が書き込んでいる。恐らく2018年の4月末の話か5月に入ってからの話だろうから、しょうじ夫妻が国外退去通告を受けて間もない悪夢の時期かもしれない。フレデリック・L という人はトゥールーズのワインアドヴァイザー(もしくはセラーマン、フランス語でキャヴィスト caviste)から バニュルスュ‐メーに根をおろした日本人カップルの有機ワインの話を持ち込まれた。「もともと自分は有機ワインには興味があった。で、このキャヴィストが彼のサイトで Pedres Blanques をそれは高く評価していることからワインを注文したが、すでに売り切れだった。それである週末にしょうじ夫妻のワイン畑までそう遠くない場所に行く予定があったので、ついでにしょうじ夫妻のワインカーヴまで行った。が、誰もそこにはいなかった。しようがないな、と Pedres Blanques を探しまくり、やっと、オランダ出身者が営む店で見つけた。その人もそのワインには一口で恋に落ちるほどのただならぬ魅力があるから、待たずにお飲みなさいと言ったので、食卓でさっそく一本開けることにした。妻は有機ワインには懐疑的であまり熱っぽくないが、これには珍しくはまった。4月末の2日間で行われた有機ワインの試食会では Pedres Blanques は熱狂的な注目を集めたそうだ」Je suis bluffé! とこの人は書いている。「しょうじ夫妻の赤ワインには驚かされた。のど越しもよく、深みも甘味もあり、後味もよく、幸福感しかない。うそだと思うなら味わってみるしかない。店に戻って結局6本買った」と書いている。しょうじ夫妻の Pedres Blanques には何かすごいものがありそうですね。
July 7, 2018
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昨日はフランスで上質で高評価を得た有機赤ワインを造る日本国籍のしょうじ ひろふみさんとりえさん夫妻にフランスから通達されたショックな通告について書いた。ブログの最後に最終的にどうにもならない場合はフランス大統領に恩赦をと書いたが、亡命者でもないし、フランスに子供がいるわけでもないし、これは究極の手段だから、やっぱり無理かな、とは思う。それで一応、ピレネー・オリエンタル県の日本人夫妻に言い渡された国外退去命令はフランス移民局からの通達であったのだろうか、という疑問が浮かんだ。移民局を通さずに当然そのような通達は不可能だと思うので、まあ、移民局なのだろう。フランスでは仮に日本国籍の人間がフランス国内で働きながら住むにはどんな滞在許可証がいるのだろうか。自分が知っていることはかなりおおまかに昨日のブログに書いたけれど、それは、しょうじ夫妻の立場には当てはまらない。それで、https://www.service-public.fr/particuliers/vosdroits/F16922というフランス政府公式サイトでちょっと調べてみたら、パスポートタレントというのがあった。これは何か高度な技術を持ち、フランスに投資したい、フランスで会社をつくりたい、とかもしくは芸術家である、小説家、舞踊家であるなど実績を伴って証明できる場合。最高で4年間有効、更新可能のパスポートが与えられる。パスポートタレントの中でも Création d'entreprise という項目がある。「起業家」のことだろう。在日フランス大使館が窓口となっているのだろうか。それとも直接、移民局に申請できるのか。これって、しょうじ夫妻にあてはまるんじゃないの?フランスでワイン製造業者として15万ユーロもの投資も済んでいる! après avoir investi 100.000 euros...とかaprès 150.000euros d'investissements...「自己資金を10万ユーロ投資済みとかあるいは銀行からの融資も含めて15万ユーロの投資後」、とフランス語版では読んだが、日本語版ではまだその金額が貯蓄としてある、と書いてあるものもあり、私自身はその辺は詳しくはわからないが、フランス語版の公式な請願書には15万ユーロの投資後とあるのでこちらが正しいのだろう。やっぱり、みんな、こりゃ何とかしないとと、大パニックで焦ってそうなっちゃうんだろう。私も数字間違えたり、日本語もすごかったりしてるし。ご本人のご夫妻は崖から突き落とされたような感じだったに違いない。悪夢よ、早く去れ。彼らを応援するすべての人に福あれ。この投資金額は大事なポイントだと思う。何故なら、法律では起業投資に最低3万ユーロを証明しなくてはいけない、Justificatif d'un investissement d'au moins 30 000 € dans le projet d'entrepriseとあるが、これは完璧にクリアしていることになる。Diplôme Universitaire de Technicien en Oenologie おそらく大学での葡萄酒学のディプロムのほかに農場責任者の技術者資格もお持ちだし、すでに有名なレストランに認められたという実績も出しておられる。一万ボトルは完売もしている。この実績をできるだけ沢山リストにしておくべきである。お客リストも大事である。何故かというと、このタレントパスポートを取得するには条件として、最低向こう一年間の滞在予定である場合、大学でマスターのディプロムを取得もしくは同様のレベルの5年間の職場経験がある場合、かつフランスにおける起業企画がある場合。難関は月収がフランスで定められている最低賃金に達していない場合。Justificatif de ressources supérieures ou égales au Smic pour un temps pleinFormulaire cerfa n° 13473*012000ユーロも稼いでなくてもよいことになる。だけど、もし、しょうじ夫妻が最低賃金額を稼いでいないとやや問題。客にだした請求書をすべてかき集めて月収いくらになっているか。政府に申請した収益はいくらだったのか。結婚証明書もいる。Étranger en France : carte de séjour pluriannuelle - passeport talentVérifié le 01 janvier 2018 - Direction de l'information légale et administrative (Premier ministre)Si vous êtes étranger (sauf citoyen d'un pays européen ou Algérien) et souhaitez travailler en France plus de 3 mois, vous pouvez bénéficier d'une carte de séjour pluriannuelle passeport talent. Cette carte vous est délivrée dans plusieurs situations, notamment si vous êtes hautement qualifié, souhaitez créer une entreprise ou investir en France, ou si vous êtes artiste. Elle est valable 4 ans maximum et renouvelable.vous avez un diplôme au moins équivalent au master ou 5 années d'expérience professionnelle de niveau comparable,Vous devez demander une carte si la durée de séjour envisagée est d'au moins 1 an. Si la durée de séjour est inférieure à 1 an, un visa de long séjour valant titre de séjour (VL-TS) mention passeport talent suffit.ConditionsVous pouvez obtenir une carte de séjour passeport talent - création d'entreprise - autorise à exercer une activité commerciale si :vous avez un diplôme au moins équivalent au master ou 5 années d'expérience professionnelle de niveau comparable,et justifiez d'un projet réel et sérieux de création d'entreprise (commerciale, artisanale ou industrielle) en France.DémarcheRépondez aux questions successives et les réponses s’afficheront automatiquementPièces à fournir :Votre visa de long séjourVotre passeport (pages relatives à l'état civil, aux dates de validité et aux cachets d'entrée)1 extrait d'acte de naissance avec filiation ou 1 copie intégrale d'acte de naissanceSi vous êtes marié : extrait d'acte de mariageSi vous avez des enfants : extraits d'acte de naissance de vos enfants avec filiationJustificatif de domicile datant de moins de 3 mois3 photosDiplôme au moins équivalent au masterJustificatif de ressources supérieures ou égales au Smic pour un temps pleinFormulaire cerfa n° 13473*01Pièces justificatives permettant d'évaluer le caractère réel et sérieux du projet économiqueJustificatif d'un investissement d'au moins 30 000 € dans le projet d'entrepriseだめかなあ、パスポートタレント。なんか、いけるような気がするんだが。あとは例えば、フランスに180日以上くらい滞在する人間がフランスで、たとえばフリーランスの翻訳家や画家として行動する場合もフランス政府に登録の義務があることになっているが、収入がないのに登録したことがあだになって社会税など税務局が間違えて請求書を送ってくることもあるから鵜呑みにしてはいけない。税務局からの通達には常に厳重なチェックが必要だ。フリーランスのデザイナーが泣く泣く収入以上の社会保険税を払ってしまった、とネットに書いていたのを読んだことがある。
July 7, 2018
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在仏の日本人夫妻で有機ワイン栽培農家が強制送還を命じられた話を聞いて、それはないだろう!?と思った。一応、下記サイトの署名運動の力もあったのか、強制退去は延期され、しょうじ夫妻の状況を見直す方向に向かっているようです。が、まだ安心はできません。政府が特別待遇をすればほかから槍が飛ぶのは目に見えています。何とか既存の法律を尊重した形で夫妻の滞在が正式に求められることを祈っています。(追記フランス時間7月7日)下記のサイトは「在仏の日本人夫妻への強制退去を却下してください」というフランスでの署名運動サイトです。Non à l'expulsion des vignerons japonais de Banyuls !フランスのピレネー・オリエンタル地方の Banyuls-sur-Mer でワイン畑を所有する山形県出身の しょうじ ひろふみ さん 38歳と 大阪出身の りえ さん42歳ご夫妻。写真でみると、とても若々しいご夫婦。すでに三ツ星のレストランでも認められた有機赤ワインを出荷している。2016年にはスペインでも最高の赤ワインとして名前が出ているそうだ。パリのレストラン Le Verre Volé でも認められた。強制送還は2018年4月に出されたそうだ。Pour quelle raison ? どのような理由で?INDEPENDANT Un couple de vignerons japonais installé à Banyuls frappé par une obligation de quitter le territoire夫妻の収入が外国人滞在者がクリアすべき収入に満たない、というのが理由らしい。月収2000ユーロに満たないじゃないか、という理由らしい。日本円で2018年5月7日は2000ユーロは大体258000円くらい。確かにフランスには外国人に対してそのような法律はある。フランス国籍保持者と結婚していないなら、お金がフランスの一般市民より要るんですよ、という法律。フランス国外の人間がフランスの大学生として滞在する場合は貯金額は証明する必要はない。申請すれば、週20時間の労働もできるので、免税店や食堂や会社でバイトもできる。留学生の場合は働かずにちゃんと生活ができていけるかを証明する貯金額を聞かれるのではないかと思うが、その辺は私にはわからない。インデペンダント誌のジュリアン・マリオン氏の記事によると、カタランの地のスローフードの代表かつ有機ワイン造りを土着体質で貢献するサロンの責任者であるジャン・エリティエ氏 Monsieur Jean L'Héritier, président de slow food pay Catalan が しょうじ ひろふみさんとりえさんのワインは超高速で上質なワイン造りに成功しており、このような二人を国外追放とは何という損失だろうかという趣旨のことを語っている。「カタランの地のスローフードの代表かつ有機ワイン造りを土着体質で貢献するサロンの責任者」この元のフランス語が président de Slow Food Pays Catalan et responsable du Salon Indigènes consacré aux vins nature です。急いで訳したので激しい日本語になっていると我ながら思いつつ。特に「土着体質で」なんですが、indigène = qui est originaire du pays où il se trouve, où il habite なので「地元民」で十分だったのかもしれません。まあ「先住民族」の意味もあります。vin nature は vin biologique 有機ワインで農薬も化学肥料も使わずに造るワインのことです。「カタランの地」ですが、1659年のピレネー条約でスペイン王国からフランス王国に渡されたピレネー・オリエンタル地方を指すそうです。カタルーニャと思ったのですが、カタルーニャは即スペインだろうと思われてわけがわからなくなる恐れもある、と思い避けました。現代風に訳すと「ピレネー・オリエンタル地方のスローフード代表兼有機ワインに貢献する地域民のためのサロン責任者」うーん、たいして進歩してないか。「地域密着型の有機ワイン農業者サロン」かなあ。しょうじ夫妻と同様にショックを受けた地元のフランス人、あるいはインデペンダント誌で紹介された二人の強制送還の通告に衝撃を受けた各報道陣が一斉に話題にした。ジャンポール・サルトルが1973年にディレクターだった左翼系のリベラシオン紙、ル・フィガロ紙、ル・ポワン誌、レジスタン・レピュブユリカン誌など。リベラシオン紙は1973年に哲学者サルトルがディレクターをしていた新聞で人道的な記事を多く掲載している。フランス3オクシタニのテレビ局ではアラン・カステックス氏 Monsieur Alain Castex は夫妻の有機ワインの素晴らしさと夫妻が地元にもたらした称賛すべき功績を称えている。ル・ポワン誌では、日本人夫妻の現地の弁護士 Me Jean Codognès コド二エ氏の言葉を載せている。彼らが働く地域で助成金を得ても月収2000ユーロはおろか1000ユーロの収入も得ていないケースは多い。しかも日本人夫妻は外国籍なので助成金なしでやっている、と。ル・フィガロ紙では経済欄にリュック・ルノワール氏の記事で、夫妻のワインに寄せられた葡萄酒専門家たちから数々の賛辞を載せていることや、夫妻の弁護士コド二エ氏は強制退去を命じた県に対して夫妻の滞在を許可するよう要請し、来月9月初旬に南仏モンペリエの行政裁判所で検討される予定になっていること、まさに化学肥料を全く使わない手作りの上質のワインへの評価も専門家の間で高いこと、夫妻はすでに2020年まで有効な滞在許可証を保持しているが、滞在許可証の身分を「給与所得者」から「農業従事者」に変更をした時点で国外退去を命じられてしまったことを載せている。ル・フィガロ紙の記者も、夫妻が助成金まったくなしでやっていることも強調している。弁護士は日本人夫妻が強制送還の通報を受けたことに動揺を隠せず、日本人特有の「名誉」感からか「恥」の念すら覚えているようだ、と語ったことも記者は書いている。このことが政治問題にも発展し、ルイ・アリオ氏も夫妻の立場を応援する姿勢をとったそうだ。政治的には右翼も中立派も左翼も関係なくピレネー・オリエンタル県の政治家も夫妻の立場を再検討してほしいと動いていた。Perpignon ペルピニャンは県庁所在地。ピレネー・オリエンタル上院議員(元老院議員) Sénateur des Pyrénées-Orintales の フランソワ・カルヴェ氏 François Calvet は 4月末の有機栽培ワイン市で実際にしょうじ夫妻の有機ワインをおいしく味わった際に夫妻にも出会い、二人が4月3日に受け取った退去通告に悩んでいることを知り、その通告が全く理解できない、と ピレネー・オリエンタル地方長官 préfét に対して、2018年 5月 3日にしょうじ夫妻が受け取った通告の再検討を求める手紙を出していました。ローマン・グラゥ氏 Député Romain Grau はフランス国民議会で選ばれた下院議員、ピレネー・オリエンタル地方でブドウの栽培農家の息子として生まれ、弁護士の資格を持つ政治家。グラゥ氏(グロー氏とも聞こえる)も、しょうじ夫妻の件に関して再検討を求め、電話でも確認したと述べている。 しょうじ夫妻の弁護に立った Jean Codognès ジャン・コドニエス氏は自ら、自分は常に左翼だったと主張するエコロジスト。コドにエス氏も元デピュテ(仏国民議会で選ばれる下院議員)だったこともある。コド二エス氏の話では日本大使館も夫妻の件を知り、動いてくれるのではないか、と期待しているようである。ルイ・アリオ氏はもともと弁護士でカトリック教徒、2018年まで極右翼系のマリーヌ・ペンで知られるあのフロント・ナショナルもしくは国民戦線党の党員である、とのことで驚いた。と、いうか、8年越しのマリーヌ・ペンの恋人である。籍は入れてないが生活をともにしているらしい。二人の間に子供はいないとのこと。2018年からは国民戦線党は名前を変えて国民連合党 ラソンブレ・ナショナルになっている。極右翼と言えば、移民排斥主義のようなイメージが定着している党である。ルイ・アリオ氏は2017年6月から欧州議会でピレネー・オリエンタル県などを代表する議員である。アリオ氏はおそらく良きフランス国民に恥じない模範的は農業従事者として頑張る夫妻がまるで犯罪でも犯したかのように国外追放になるとは、とショックを受けた趣旨のことを語っている。ワインはフランス国民にとってアイデンティティのような位置を占める、と私は思う。キリストの赤い血ともされる聖域の飲み物である。だから修道院でも昔から栽培されてきたのである。その聖なる飲み物を日本からやってきた若い夫婦が精魂込めてフランスの自然環境も配慮しながら造るのだ。最近のフランスは宗教的に多様化しており、無宗教的な傾向が強い。が、一方でクリスマスを祝うためのキリスト教的な飾り物を公共の場からはずす政府の決定をマリーヌ・ペン氏は嘆いておられたが、実は私も特にキリスト教徒ではないとしても、なんだか、それはフランスの伝統の一部だったんじゃないか、という気がしてちょっぴり賛同してしまった。しょうじ夫妻が身分の変更のために申請しなければ、誰かに密告でもされなければ、そのままいけたのだろうか。しかし自分たちのワインで起業した形になった時点で正直に申請したことがあだになった形で返ってきたような感じだ。夫妻は2011年に渡仏後、ブドウ栽培から赤ワイン造りまでをディジョン大学の学生として、ボルドーやブルゴーニュで修行を積み、oenologie 葡萄酒学及び農場責任者の技術者資格を取得したらしい。2017年に自分たちで10万ユーロ(約1300万円)の自己資金を投資し、5万ユーロを銀行から借り、土地を購入、自分たちの手で造る有機のワインづくりを始めて今日にいたった、と。始めたばかりのワイン造り。なのにすでに高い評価を受けたのである。まさにこれから、といった出だしである。フランス人にしてみると、フランス人でもその地域で有機のワイン造りをしている人にはそんな収入に満たない例も結構あるらしい、とル・パリジャン紙のクリスチャン・グトゥルベ氏も書いている。 この夫妻の魅力的な味を醸し出す有機の赤ワイン造りは、日本的な完璧主義者の要素が伝統的なフランスのワイン造りに生かされている。このような称賛すべきワインの製造者がフランスから追放されるようなことがあってはいけない、と語るフランスの人々。追放しないで、と署名運動もあったようだ。私もネット上でフィガロ紙の記事で紹介されていたので署名だけした。法律だけを取るなら不可能かもしれないが、署名者がある人数を超えると助けられることもあるのだ。かつて親を猟師に撃たれて失くしたイノシシの子供を大事に育てたフランス人夫妻が野生動物を飼ってはいけない法律があるので手放せ、という命令を受け、署名運動の力で特別に認められた例がある。何でもケースバイケースであるべきだが、行政は公正な対応をと一緒くたにしてしまうこともある。思うに、ポール・マッカトニーも日本入国を禁じられていたが、多くのファンの要請で運命を変え、日本でコンサートをよく開いてくれるようになった。ありがとう、ポール。確かにフランスの滞在許可証取得には規定がある。と冒頭でも書いた。フランス国籍者と結婚している。あるいは定期的に高額な給料を得ると証明できる場合。ほかには戦争などの理由で亡命を認められた場合。これは一般のフランス人にもあまり知られていない。昔、パリでイランからの亡命者の若い女性がクラスにいたことがある。彼女はフランスで懸命に勉強し、やがて母国に戻り、子供たちに教育を施したいと願っていた。彼女の住む地域は毎日のように爆弾に脅かされ、家族もまた危険な状態にある、と話していた。最初は冷静に話していたが、その内涙にくれた。たぶん、その頃か、中近東の11歳の少年が書いた言葉がフランスの新聞ル・モンド紙に掲載されていたことがあった。「僕の国は物心ついた時から戦争をしています。世界のどこかには戦争のない国があるそうですね。僕も早く戦争のない国になってほしいと願っています」またポルポト政権で家族親戚を抹殺され、命からがらでフランスに亡命を申請したカンボジア人の男性はパリのメトロで鞄の屋台を引いて売っていました。さて、それにしても、おいしいと定評のある日本人夫妻のワイン。15万ユーロあるいは約2千万円相当の投資をして一年後、どんなに上質のワインを出荷しても、元手を取るのはまだ先の話だという人間にいきなり国外退去を命じるのは酷だ。投資をした時は2020年まで有効な滞在許可証を持っていたわけだし、あくまでフランスの法律を尊重する姿勢はくみとってもらえるのではないか。それと大事なのが、お二人ともフランス語は日常語はもちろんフランスの資格を得るほど勉強はされている。これは滞在許可証申請時に移民局でわざと日常的な質疑応答でチェックされるが、夫妻はこの点も完璧にクリアされている。南仏にはイギリス人夫妻がやはりワインを始め、コティニャックにお洒落な店もだした。南仏の夏場は特に観光客も多いので、なんとかやっていけるのだろう。有機栽培で村おこしをした南仏コレンスにはかつてブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリ元夫妻もロゼワインを高額な値段で完売していた。日本でも販売されていると思う。最近はどうなってしまったのかわからないが、どちらにしても、実際にワイン畑は昔からブドウ園農家が携わってきたので、ピットさんがいなくなっても何らかの形で続いているのではないだろうか。フランスで頑張ってきた日本人夫妻が法律的に晴れてフランスで農業従事者として滞在許可証がおりますように。仮にモンペリエ裁判所が滞在願いの要請を蹴った場合、フランス大統領に直接恩赦をお願いする方法が残っています。しょうじ夫妻の弁護士の方はご存知だと思います。la grâce présidentiellesi la juridiction saisie rejette la requête en relèvement d'interdiction du territoire, il vous reste la possibilité de saisir le Président de la République d'un recours en grâce.
July 6, 2018
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フランス語で エオリアン éolienne と呼ばれる風力発電機が強風で倒れたというニュースに耳を疑った。地震のないフランスでエオリアンが倒れるとは想像もしていなかった。Vendée県で1月1日に強風カルメンに煽られたらしい。Nordex社の高さ62メートルのエオリアン。24メートルの深さから土台を築いているらしいが。今回のカルメンより激しいはずの2010年の強風にも耐えたとか。何度も強風にさらされて弱っていたのかも知れない。強風カルメンは時速130㎞以上、コルシカ島では180まで達したようです。これが初めてのエオリアン崩壊事故ではなくて、今までにもフランスやドイツでも事故は起こっていたようです。このエオリアンがうまく稼働すれば、原子力に頼らなくてもいいのですが、「反対派は風景を破壊する、危険だと盛り上がるんだね」とため息をつくあるフランス人。崩壊した風力発電機 ル・パリジャン紙
January 9, 2018
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ただいま、夜の11時36分。南仏。こんな時間にヘリコプターが飛んでいます。ほんの少し、ガラス窓が小刻みに振動を受けたりします。最近、遅い時間でも飛んでいます。昼も結構飛んでいます。火事でヘリがやってくることはありますが、火事にしてはずいぶん頻度が多い。昼間見ると軍用機のような色のヘリコプターです。
November 21, 2017
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フランスにはやや右翼系の大手の新聞社フィガロ紙、やや左翼系の大手の新聞社リベラシヨン紙、そして中立的な立場とされるル・モンド紙の御三家があります。昔、パリのフランス学校の先生はル・モンド紙には文法的エラーが少ないからと推奨していました。ル・モンド紙には世界経済大国第二位に置かれていた当時の日本の記事を伝えるフィリップ・ポン氏が日本の姿を伝え、時にはフランス人から誤解を受けそうな日本をよく伝える記事もあり、この記者は日本のことをよく理解している人だなあと思ったものでした。さて、5月7日の夕べ、ルペン氏の国民戦線党の集会に拒否された フランス国内外のメディアが約15ほど出た、と知りました。拒否された15のメディアの中には結構しられた Quotidien誌もあります。国民戦線党は300席の集会場はすでに満席なのに600席の依頼があり、不足しているのが理由だと述べていたようです。しかし、その中でぎりぎりで集会の報道を許されたメディアもあったため公平な形での拒否ではなかった、とル・モンド紙は伝えています。このため、中立的なル・モンド紙が紙面で国民戦線党の集会に対してボイコットを表明しました。理由は国民戦線党がいくつかのメディアを排除する姿勢に対して、これがプレスの報道の自由に反し、民主主義に反する行動としてル・モンド紙が納得がいかないからでした。ル・モンド紙の編集長リュック・ブロネー氏の名前でル・モンド紙に掲載されました。リベラシヨン紙も同様の理由でボイコットしました。ルペン氏に選ばれたメディアだけに報道させるのは自由を妨げる行為だ、としています。結局、昔からそこなんですね。国民戦線党の排他主義を見る一面でした。公平ではない一面かもしれません。透明ではない一面。何故、この時代にルペン氏の党はそういうことをするのかなあ。これがわかりませんん。メディアが大統領を選ぶ時代と言ってしまえばそれまでですが。少なくとも国民に公平な選択を可能にしようと報道してくれるのがメディアでもあるので、候補者の嘘や勘違いをできるだけつつくのも報道の自由。
May 8, 2017
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フランスの大統領が決まりました。破棄するフランス人も多く出たようですが。3日の討論ではマクロン氏が意外にルペン氏の辛辣な剣を避けて自分の意見へとしっかり持ち込み、人道主義的かつグローバルな見解を持っていることがわかりました。ルペン氏は「国民戦線党」という名前がほんとうは嫌いなんじゃないか、彼女自身は内心「愛国党」としたいのじゃないか、と思うことがあります。閉鎖工場を国営化する考えは、母親が母乳を上げる感覚に似ているなあと思いました。マクロン氏が当選する前にはオバマ大統領からの支持がありました。当選直後はトランプ氏からも「彼と一緒に仕事をするのを楽しみにしてるよ」と当選祝いの言葉がありました。ルペン氏は候補になってからアメリカに行ったのですが、トランプ氏には会えませんでした。プーチン氏には会っています。マクロン氏が候補になってから、いろいろ日本でマクロン氏のプライベートな部分で彼はゲイじゃないかと呟く人もいました。マクロン氏の2007年の結婚式のヴィデオを見たので、それはないです。24歳年上の人妻との禁じられた愛を貫いた人でした。結婚式会場でマクロン氏は言いました。「僕たちの関係をちょっと特赦な感じで形容されるので、僕自身にはそんな認識はないけれど、こういう世間で僕たちは困難に出会ってきました。今日ここにお集まりの皆さんのおかげで僕たちは結婚できました」ユーロはそのままですね。マクロン氏当選なので。マクロン氏が提案したように原発も半分減らす方向に向かうでしょうか。日本でも安心できる太陽光パネルの開発が進めばいいのかもしれません。でも、太陽光をどこに設置するかも考えなくてはいけないのですね。フランスの芸術家たちもマクロン氏の当選で一安心したことでしょう。国境なき文化ですから。大統領選対決時にマクロン氏は当選したら、誰にまず電話しますか、と聞かれ、ルペン氏に電話します、と話していました。彼女の好戦を称えるためです、と。もう、電話したことでしょう。
May 7, 2017
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2017年5月3日の夕べ、テレビ対談でフランス大統領候補のルペン氏とマクロン氏の対談があったので観た。ルペン氏はパンタロンに美しいハイヒールを履いていた。マクロン氏は細目のネクタイにすっきりしたスーツ。候補者二人の言葉の剣を交わす2時間半の対決となった。DUEL フランス語で「対決」まさにそんな感じだった。結果的にはマクロン氏が記者からの質問に明確な提案や対策を提起し、ルペン氏の執拗な攻撃にもよく抵抗していた印象。ルペン氏は攻撃が目立ち、彼女の提案そのものは二の次の印象を与えてしまった。マクロン氏は対抗するうち、まだ39歳なのに時々口のまわりに白い泡をつけて喋った。頼むから、水飲んで、と思っていたら、ちゃんと飲んでいたが。どこか病気なのか、とつい思ってしまったが、時々リラックスしている様子を見せながらも緊張はしていたと思うし、ルペン氏のあまりの攻撃に沸騰する腹立ちも抑えて 真剣に挑んでいたからだろう。話し方はちょっぴりサルコジー氏に似ているなあ、とふと思った。二人の男女のジャーナリストが候補者がそれぞれ各自の意見を述べる時間が均等になるように指示しながら対談が進むが、時にはそれが困難になることも。中年の女性のジャーナリストの表情がおかしかった。「もう、いい加減にしてよ」という表情がありあり。「あなたたちが同時に喋ったら何を言ってるんだかわからないでしょ」と言う場面も。C'est inaudible!ルペン氏が先に話し始めた。「あなたの政策の内容についておしえてください」という質問に答えるはずだったのに、ルペン氏はマクロン氏を皮肉りまくり避難攻撃。ルペン氏の政策企画図はまるで全然出てこないままの開幕となった。彼は野蛮なグローバル化候補だのオランドの指示で動くなど、彼の過去の大臣時代の仕事への批判、彼の本性は善意を誹謗にすり替え、笑顔を引きつった顔に変え、社会党の伝達マシーンは管理下に従える。銀行家の冷酷さをうまく隠し、などと続く。le candidat de la mondialisation sauvage, ... tout cela piloté par monsieur Hollande qui est à la manœuvre de la manière la plus claire qui soit. ... la bienveillance a laissé place à la médisance, le sourire a laissé la place à un rictus, et la machine de communication du PS a repris les choses en main. La froideur du banquier que vous n'avez jamais cessé d'être a fait surface. あれだけ次から次に勝ち誇った様子で避難攻撃を受けたら普通の人間はうつになるわ、と思うほど。もしくは切れやすいフランス人なら、完璧に切れて低レベルの罵倒後、退場だってしかねない。一体、マクロン氏、これだけ言いたい放題避難を受けてどう対抗するのか、と思っていたら、開口一番、爽やかな表情で「あなたは繊細なエスプリを持つ候補者ではないですね」と始めた。Vous n'êtes pas la candidate de l'esprit de finesse.そして、ルペン氏には何の対策もない、と。「全く驚くかな、あなたはされた質問に決して回答しないんですね。あなたから全く何も提案が出てこない。私ははっきりと答えますよ」Ce qui est extraordinaire, c'est que vous ne répondez jamaisaux questions. Vous ne proposez rien! Moi, je réponds précisément:それにしても、マリーヌさんも父親のルペン氏と結局同じか。マリーヌさんの意図はこのテレビという公の場所でマクロン氏を徹底的に叩きのめし、彼のイメージを下げること。政策なんてどうでもいいんだ。もしかしたら勝てないことがわかっているから叩くだけ叩こうと思ったのかな。ひいき目にみれば、これから若いマクロン氏がぐじゃぐじゃに言われても対抗するだけの力をつけていってほしいという老婆心か。確かにこきおろしている時のルペン氏は時々楽しそうでもある。私の剣についてこれるの?と言っているみたいでもある。でも、若い視聴者なら、そこまで読み取ることはないだろう。こういうやり方って返ってルペン氏の品格を下げると思うんだけど、何故もっとすっきりと自らの対策を述べないのかな。案の定、マクロン氏からあなたには何の対策もないのだと言われた。今朝はフィガロ紙はルペン氏とマクロン氏が上げた数字のエラーをつついていた。ただマクロン氏のあげた数字は2010年のある機関を根拠にしたものだろうと書いていた。マクロン氏はテロ特別対策本部を設けると言ったが、フィガロ紙はフランスにはすでにある、と書いていた。政治に関しては最も中立的な立場をとるとされるル・モンド誌もルペン氏がマクロン氏について「あの時、あなたは財務大臣だった」と言ったことは嘘であることを指摘している。ほかにもマリーヌさんの嘘や勘違いをいろいろ指摘していた。ル・モンド誌が上げたマクロン氏のエラーは二つのみ。最後のあたりは寝てしまったので、候補の二人が環境について話したか話さなかったかわからないけれど、たぶん、なかったんだろう。この分野は結局専門家の意見が必要だし避けたのかな。二人は法律や経済には明るい候補者だけど、原発や太陽光に残る疑問はいろいろあるし。それぞれ欧州連合に残るか離脱するか、で二人の意見は対立。マクロン氏は欧州連合に残る。欧州連合からの離脱をすると、例えば薬代も跳ね上がりますよ、と。マクロン氏は欧州連合の連帯で中国やロシアやほかの大国からフランスの経済は保護される、と説く。ルペン氏は国内生産を推進するためには欧州連合からの離脱が必要だという。ルペン氏は言う。まるで案がないわけでもない。最初からちゃんと言えばいいのにね。「最初の三つの層から10パーセントの収入税を減らす。 残業代は税金対象からはずす。 ガスや電気代は5パーセント減らす」と言ったあとで、またマクロン氏にあなたは何にも知らないでしょうけど、と言った素振りもあまりに見え見えで、さすがにマクロン氏もこの人、頭、ほんとうに大丈夫か、と訝し気に眉をひそめる。「あなたにはすべてが買っては売るもの。私にはすべてを売ってすべてを買うということはない。フランスはそんなものよりもっと別のものなんですよ」とルペン氏。マクロン氏は大統領になったら、80%の国民に住民税は消すとかいってた。どうなるんでしょうね。この対決後はテレビ視聴者の63パーセントがマクロン氏のほうが説得力があったと。ルペン氏は34パーセント。あるフランス人は候補のレベルも落ちたな、と言ってミッテランやシラクはもっと格が上だった、と。 ちなみにグローバリゼーションはフランス語で la mondialisation片仮名のグローバリゼーションもしくはグローバル化は日本語で「地球規模化」なんだろうか。グローブ globe は地球を指すから。フランス語から訳すと「世界化」
May 4, 2017
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フランスはそろそろ大統領選挙の投票が行われる。テレビで大統領候補が多数出演する番組を見ていたら、男性陣候補はほぼ全員ネクタイにスーツ姿、「私は羊飼いでした」という長身のラサール氏だってスーツ姿だった。その中に一人ラフなスタイルで登場したのが、フィリップ・プトゥ氏50歳。反資本主義政党。Anticapitaliste 「この中で政治家業じゃなくて労働者って僕ぐらいですよね。あ、アリトさんも労働者ですね」学校の先生をしてる女性のアリト氏も政治家業ではない。このプトゥ氏が番組中に話したいくつかのことに心が温まる気がした。 正直言って、プトゥ氏あまりにいい人すぎる感じで、絶対大統領にはなれないだろうなあ、と皮肉的な見方をしてしまう自分。本人も「大統領になっても、すぐにこういう制度を排除してもっとみんなで政治を一緒に動かす方法にします。だから、僕は大統領にはなりません」大統領官邸となっているエリゼ宮はどうしますか、と聞かれて、プトゥ氏、「これまで裏で陰謀が練られてきた博物館にでもして、一般公開すればいいんですよ」と冗談も飛ばす。フランス語で「まぐーいゆ」という言葉を使っていました。うそをつく、というより、いろいろ隠しごとをして裏でこそこそ陰謀を練る、とかそんな意味です。面白いけれど、ちょっと不安もある。それにしても、反資本主義政党。Anticapitaliste 反資本主義という名前がコミュニストと結びついてしまい、結局はコミュニストが独裁者になってしまった感じの国とイメージが重なってしまうので、この名前はどうなんだろう。(極左翼の党は別にあるし。左翼党のメロンション氏もどんな皮肉にも耐えて返す強さがある)プトゥ氏、「フランスには来たい人が自由に来れるような国にすればいいんですよ」つまり、来て住みたい人は誰でもどうぞ。この意見はマリーン・ルペン氏の極右翼の「移民排除」とは真っ向から対立する。もっともルペン氏の意見には別の大統領候補のアモン氏が茶化して「また、それですか」社会党のアモン氏もポーランド人などのフランスの外国人労働者を保護する政策をとろうと思っているようだ。フランスに在住する労働者はフランスに税金を納める義務がある。選挙権はない。無所属の39歳のマクロン氏も「そうやってフランス人を二つに分けようとするんですね」と、ルペン氏に意見。マクロン氏はフランスは移民もいて生きている国。外国から学生も来ている、才能ある外国人も受け入れている。フランスは法律的に正しい手続きをとった移民を受け入れている。これが民主主義が生きている証拠。といったような内容のことを話している。フィリップ・プトゥ氏は「難民とか、シリア難民とか、フランスは豊かな国だから、ほんとうはいくらでも受け入れることができますよ」こんな言葉は社会の底辺を見た人でなければ、言い切ることなどできないだろう。彼は工場閉鎖などで明日からどう食いつないでいけばよいのかわからない人々とともにいたから、そう言い切ることもできるのだろう。極右翼の党のルペン氏は、そこを別の観点から切る。そういうフランス人を出さないためにフランス国籍の人間を制限し、国境を閉鎖し、ヨーロッパ共同体から抜け、通貨も昔のフランに変えようと演説する。シリア難民にテロリストが紛れ込んだ事件が確かあったので、極右翼はとりわけ反対のはず。難民というカテゴリーにいる人の精神的な苦悩は計り知れない。転勤族の妻が言葉の通じない国にいきなり夫と飛ばされたら、それも精神的には大変なことだと思う。日本と慣習も文化も違い、まして自分で志望していくわけでもない。根無し草である。経済的には恵まれたとしても大変は大変だ。難民となると、経済的にはゼロ、自分の国に頼れるわけでもなく、亡命を認めてくれる国がなければ、生きてはいけない。反資本主義党のプトゥ氏は警察も武装しなければいいんです、と言う。そして、「解雇はしない法律にしましょう」昔の日本もよく会社に勤務したら、結婚と同じで一生会社員という仕組みだったような気がする。こんなことを言うフランス人もいたんだ、とちょっと驚いてしまったのが本音。最近、解雇が当たり前になっているけれど、解雇する側はほんとうに明日から生活費が入ってこなくなる人の状況を理解しているんだろうか。
April 21, 2017
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さて3月の第二週目くらいに、南仏エックス市内を散歩した時、銃をかかえたミリタリーの若者が二人、エックスの古都を歩いていました。普通にすれ違って行くわけだけど、もしそこで銃撃戦が始まったら、流れ弾にあたるのかな、とか。でも、彼らが都会の治安を守っていると多くのフランス人は思っているようです。空港とか駅の構内ではもう常時見ます。最近時々思うのだけど、あの銃から「笑い玉」のきのこの粉末とかが犯人を攻撃したらいいのになあ、と。そのあと、捕まえた犯人を公正施設の農園に連れて行く。そこでは老馬とか老犬とか行き場を失った動物たちが囲われていて、彼らの世話をしながら、馬糞などを使用した肥料で有機栽培をし、料理について学び、木々や植物が人に及ぼす良い影響についてまた魂とは何か、についても学び自給自足を学び、5教科を学びなおし、やがて社会復帰してゆく。人間の言葉を話さない動物の純粋さ、雨に打たれ、太陽に照らされる自然に人は本来の何かを取り戻す。昨日3月20日の夜9時からフランスのテレビテーエフアンで5人の大統領選演説があった。その中で極右翼のマリー・ルペンが犯罪者は未成年でももっと重い罰を与えるべきだとか言ったのに対し、まだ25歳くらいにしかみえないが実は39歳らしい社会党のエマニュエル・マクロンが未成年が刑務所に入り、出所するとさらに箔をつけてまた犯罪を起こす率が高い、と反論していた。社会党のエマニュエル・マクロンと書いていましたが、間違えておりました。彼は昔社会党に所属していたことがありましたが、候補時は自ら創設した右翼と左翼の両方のいいとこどりを目指した中道的な政党にいました。前進党 En Marcheです。すでに似たような党は別に存在し、フランソワ・バイル(François Bayrou)氏が党首の民主連合党、フランス語でモデム党(MoDem)がありました。 マクロン内閣でバイル氏は法政大臣 Ministre de la Justiceになりました。被害者としては、焼き裂きにしたい犯人ではあり、のどかな農園に連れて行くより、独房に入れて懲らしめたい気になるのはわかる。私も若い女性がレイプ事件に合った話を聞くと腹が煮え返りくるし、昔、家庭教師をしていた時、生徒の一人が交通事故にあった、と聞いて身体がわなわなと震え、会ったこともない加害者の女性に自然に憎しみさえ覚えたものだった。教え子は幸い軽傷のようではあり、その後屈託ない様子で事故にあった時の話をしてくれたものだった。けれど、ほんとうに生きるとは何か、を学ぶ機会が与えられなければ、犯罪を起こした人はまた犯罪を繰り返すかもしれない。
March 21, 2017
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フランスに行ってから日本の恋しいものはまずコンビニでしたが、耳かきも恋しいアイテムでした。竹で作った耳かき。おせんべいと一緒に耳かきも姉に送ってもらったこともあります。フランス人にプレゼントしたら、わあ、ちっちゃああいスプーン、バカ受け。耳のお掃除に使うんです、といったら、ええ、あぶなくないのおという質問。と、いうわけでフランス人の人には意味のないプレゼントとなりました。ま、耳かきをプレゼントする私も私ですが。フランス人は普通はコットン le coton-tige にアルコールなど沁みこませて耳をお掃除しているようですが、これは耳垢を奥に追い込むリスクもあるので賛否両論に分かれるようです。ちなみに「耳垢」は英語で、cerumen フランス語では男性名詞で le cérumen ほぼ同じ単語ですねえ。耳かきは何ていうんでしょうねえ。la curette で通じそうな気はします。la petite curette pour retirer le cérumen
June 28, 2016
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フランス語でもジャンケンポンというかグーチョキパーってあるんですね。フランスの子供も結構知っていたりします。pierre-papier-ciseaux面白いのは、フランスでは「井戸」も出てくることがあるようですが、私はまだよく把握してないので、次回。「井戸」はフランス語で le puits 男性名詞 ●単語グー は「石」 pierre ピエーr あるいは 「金槌」marteau チョキ は「ハサミ」 ciseaux シゾー あるいは 「小石」caillouパー は「紙」 papier パピエ あるいは 「枚」を示す「紙」feuille ← une feuille de papier 「一枚の紙」女性名詞 ちなみに男性名詞か女性名詞か、は次の通りです。「石」はフランス語で女性名詞です。単数形 une pierre(一個の石、ある石、不定冠詞) la pierre(特定の石、石というもの、定冠詞) les pierres (複数形) 「金槌」は男性名詞 un marteau, le marteau, les marteaux 「ハサミ」男性名詞 des ciseaux, les ciseaux ハサミは常に複数形です。「一丁のハサミ」は une paire de ciseaux●動詞勝つ gagner J'ai gagné. (私は)勝った。私の勝ち。 Tu as gagné. (きみが)勝った。きみの勝ち。 負ける perdre J'ai perdu. (私は)負けた。私の負け。 Tu as perdu. (きみが)負けた。きみの負け。●形容詞強い fort (最後のTは発音しません)●比較より強い plus fort, ...より強い plus fort que...この場合の plus は プリュ と発音します。石ははさみより強い La pierre est plus fort que les ciseaux. ●複合過去形J'ai gagné. (私は)勝った。私の勝ち。J'ai perdu. (私は)負けた。私の負け。上記の文章は「複合過去形」と呼ばれ、avoir動詞 + 動詞の過去分子 から成立しています。過去の動作などを示すために口語体として使われます。会話でよく出てくる、ということです。フランス語には「過去形」と別に呼ばれているものもあり、こちらは主に書き言葉として使用されています。フランス語の「過去形」は話言葉では、まず、ほとんど使いません。純文学作品には多くの過去形が出てきます。この「過去形」は会話文でほとんど使われないため、作家がきちんとしたフランス語を書けるか、という力試しにもなっている感がします。さて、複合過去形の例文をちょっとあげておきます。「パスポートを失くした」J'ai perdu mon passeport. (結果としてまだ見つかっていない意味合いがありますね) 「まだ朝食をとっていない」Je n'ai pas encore pris le petit-déjeuner. (結果として空腹だ、と会話を続けることができます)「ジャンはパリに行った」Jean est parti pour Paris. (よって彼はここにはいない。不在である。戻ってくるのか来ないのかこの文だけでは不明)「ジャンは出かけた」Jean est sorti.(彼は外出中。現時点で不在だが通常は戻ってくる)
June 25, 2016
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フランス文学で匿名で出版された恋愛物語があります。とは、いっても、後からラファイエット伯爵夫人の1678年の作品だということがわかっています。「クレーヴの奥方」と日本語で訳されている小説です。La princesse de Clèves フランス語では「クレーヴ姫」このクレーヴのレをアール発音しないでね、「ぺちゃんこ姫」になっちゃうから。あ、また、こんなこと書いてしまって。フランス語の力がついてきた中の上級クラスの方にお薦めの小説です。実に奥ゆかしいばかりの恋愛物語です。この小説はある若く美しい女性に恋した有力者が結婚にこぎつけたものの、いつまでも妻の心を射止められないことに苦悩し、一方、女性は特に嫌でもない男性と結婚したものの、既婚者となった身で別の男性に恋心を抱いてしまう。なんだ、不倫ものかで片付けるには、あまりにも奥ゆかしい物語です。フランス語版はgoogle books で La princesse de Clèves と検索すると原作が読めます。恋がしたいけれど、だあれもいない、という若いあなた、そんな時に読むのもいいんじゃないか、と思います。いいのか、こんなすすめ方をして。翻訳を読み比べてみるのも楽しいかも。
June 11, 2016
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GACKTという人がパリの空港近くのホテルで露骨な人種差別に遭ったという記事を読んで一体どこのホテルなんだろうと思った。ホテルというより、その従業員の名前が知りたい。ホテルのオーナーに忠告のレターを送るのである。名前を聞いて彼の代わりに文句の一つでもホテルのサイトに大きく公的に送ってみたいと思うくらいである。フランス人はよくやっている。客が意見を書き込めるサイトもあり、ホテル側もそれに応対するという形。フランスの若い人でたまに修行の足りない人がホテルや店で働いていることもある。買った服をぐちゃぐちゃに袋にいれてしまう店員とか。お説教したくなる。フランス人にとってお客様は神様じゃない、せいぜい、ギロチンにかけることのできる王様くらいの立場でしかないので、理に遭わない対応をされて頭に来ているフランス人客もいる。それにしても、中国人と間違われたにしても、そんなに彼らはマナーが悪いの?中国人観光客も海外にでて解放感から声がやたら大きくなるのかもしれない。そういう日本人の団体観光客を見たことがある。と、いうわけで、おそらく声の大きい客を懸念していたホテルの従業員から中国人観光客と間違われてしまったのか。もう一つはガクトさんが一体どんな格好をしていたのか。もしも、きちんとした背広でも着ていたら、まず、こういう目には遭わないはずである。パリは残念ながら見た目で差別する。背広にネクタイのビジネスマン風の男性はカフェやホテルではおよそ嫌な目には遭わない。フランス人でもよれよれのシャツなんか着て行き慣れないカフェに入るとウエイターが待てど暮らせど注文をとりに来ない。地元の人間ではないフランス人がパンを買いに行って店員が始終にこっともせず機械的に客にパンを渡し、そこに地元の人間が来て途端に店員が満面の笑顔に変わり、それで気分を害した客の話。フランス人同士の話なので人種差別とは呼べない。客として、時にははっきりと意思表示をすることで接待側も目が覚めることがある。それにしてもレベルの低いホテルである。と、いうか、その従業員の態度が哀しい。安い賃金にご不満で朝から早く起きてやる気なしの未熟者だったのか。ちゃんとしたホテルならこういうことはまずない。もしも、ガクトさんが彼の歌う姿をユーチューブで見せたら、きっとホテルの従業員もファンになったことだろう。フランスには多いのです、日本ファン、日本のポップソングファン。「ありがとう」くらいは知っているフランス人も多い。ガクトさんは理由を聞いたらしいが、一体実際にどういう返答をされたのか知りたい。理由が特にないのであれば、頑固なフランス人客のように、外によく通じるようにNon merci, ça me plaît cette place. 「いや、結構。この場所は気にいっています」と、フランス人なら、きっぱり伝えておしまいです。ガクトさんは一応サラッとクールに答えて日本人の品位を保ちましたね。ほんとうに今時、人種差別なんかするフランス人はいるんだろうか。と、言うのは、先ほどもちらっと書いたが、レストランでもカフェでもたまにフランス人客が店員に腹を立て、きっぱり言う、などはありうることだからである。ただそのホテルの未熟な従業員も過去に客相手に嫌な思いをしていたかもしれないし、入り口にたくさんの外国語を話す外国人がいるとフランス人客が遠のくと単に懸念しただけかもしれない。日本人でも日本でそういう人たちはいる。人種差別じゃなくて違和感だけで遠のくみたいな。大昔、日本を訪問した日本語はさっぱりのフランス人は道を聞いただけだったのに顔だけ見て逃げられた、日本人は冷たい、と話していた。そうじゃないんだけどねえ、とほんとうは伝えたかったが、目の前で腐る彼女に何かその時は説得する気力もフランス語力もなかった。もう一歩で人種差別的な話である。私はフランス語のまだよくわからない時代にパリ14区の「テレマック」というホテルに宿泊した。言葉は通じなかったけれど、ホテルのレセプションにいたハンサムで頑固者っぽいおじさんとは毎朝、お互いにまるで人見知り人間同士のような挨拶をしていた。そして、ある時、知り合いのフランス人が私を訪ねてきたその時はきっぱりと彼らに部屋には行かないでください、あなたたちは誰ですかとか聞いていて、なんだか守られている気がしたものだった。私がそのフランス人の人たちと出かける時のおじさんはしっかりとずぅっと私を見ていて、まるでお父さんに見られているような気さえしたものだった。ちなみに私を訪ねてきたフランス人の人は私が駅に置き忘れた辞書を届けてくれた正直な人だった。もう一人のフランス人は彼の友人だった。二度目にパリに行った時は婚約者と朝の5時に空港まで迎えに来てくれた本当に親切な人だった。フランス人は親切なんだよ、と、ここで声を大にして言いたい。「テレマック」ホテルにはレセプションのおじさんとは別に食堂で毎朝カフェオレとクロワッサンなどを用意してくれる若者がいて、彼はにこやかで片言の英語でなにやら庶民的な話をしてくれて、とても親切だった。どこの国に行ってもいい人も失礼な人もいる。正直な人もそうでない人もいる。パリ14区の HOTEL TELEMAQUE ホテル・テレマックは今でも健在みたいです。一つ星のホテル。もう何十年も前に泊まったわけで、さすがにインテリアは多少改装したみたいです。でも、奇抜な色の壁に変わってしまった。当時は確か薄い色の壁紙の古いイメージ。それでも、二度目のパリ一人旅旅行で縦長の窓が嬉しかった。駅から近いのも良かった。ダゲール通りの64番地。64 Rue Daguerre 75014 PARIS
March 31, 2015
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五月雨 さみだれの南仏の田舎 もう5月中旬を過ぎた。昨日からカナダの女子大生が遊びにきて、お茶を飲むこともなく、いきなり、主人と二人で柿の木などを雨の中植えていた。彼女はそういうことが好きな自然派。でも、雨の中、いきなり植木屋仕事はないよね、と。そう、ついに南仏の柿の木を。冬柿なら日本的な柿で、そうでなければ、熟してトロリとしてから食べるスペイン風の柿。さあ、どっちだろう。さて、私はその間、野菜と少量のオリーヴオイルで煮込んだラタトュィユを料理。女子大生の彼女はカナダには日本人が非常に多い地域があり、それで米酢なんかも簡単に見つかるとか話していた。しばらく前にカナダでお茶会に参加もしたそうである。一緒に参加した友人が途中から正座に耐えられなくなり、それが可笑しくて笑いをこらえるのが大変だった、と。正座、私も日本人のくせして、15分以上座ると横に倒れてしまう。フランス人の主人が時々、コンピューターに向かって、低いテーブルの上にしっかり正座して仕事していることがあり、たまに15分以上同じ姿勢でいるのを見ていつも驚かされる。主人に会うまで、ヨーロピアンの人は正座ができないと勝手に思っていた。
May 22, 2012
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最近、大学で日本語を学ぶフランス人に出会った。昨年、日本を旅行したそうである。漢字を使った文章も日本語で書けるレベルである。こういう人に会うと、2004年以来、日本に戻っていない自分が日本に関してはかなりの音痴になってしまったような気がする。もう、温泉と納豆が恋しい。今、2012年だから、2014年まで日本に戻らなければ、10年続けて日本に戻っていないことになる。食い意地の張っている私は、こしひかりのお米にイクラと納豆と黄身卵とお醤油を入れて食べたい。で、ねぎを薄く輪切りにして入れたら、もう美味。わさびもちょっといれたりして。ちなみにイクラってロシア語でした。鮭の魚卵。ま、ある意味、残酷ではあるけれど。残酷といえば、フカヒレスープ。フランスで放映されたフカヒレの密漁現場のドキュメントを何年か前に見てしまった。密猟者たちは恐らく中国人。生きたまま、ヒレだけ切り落として海に投げ捨てる。ヒレを失ったフカたちはそのまま海の底へ死の底へと落ちていく。痛い、なんてものじゃないだろう。なんとも残酷。ごめんね、こんな話になっちゃって。牛肉でも何でも生き物の肉は知らないで食べているほうが幸せって。納豆を食べれる人は幸せ。納豆は立派な蛋白源だものね。豆は何でもたんぱく質が豊富だから、別にお魚屋お肉を食べなくてもいいのだけれど、お魚やお肉を食べる時は、やっぱり、しっかり、お祈りをしてから、「いただきます」
May 21, 2012
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先週あたり、主人は出張でフランスの東部アルザス地方に出かけていた。南仏の自宅では、さくらんぼが大量に実り、主人が帰る前の日は、完璧に熟し、さあ、今が食べごろ、という感じだった。主人を迎えにマルセイユまで車を走らせるその前にも、自分は再度さくらんぼをうるうると眺めていた。その日はそんなわけで自分は午後からいなかった。夜は主人と遅く帰ってきたので、さくらんぼの木を眺めたのは翌日の朝。で、その翌日の朝、あれだけ見事に生っていたたくさんの赤黒いさくらんぼが消えていた。葉っぱだけが風に揺られている。あまりにも信じられない光景に唖然とし、何度もさくらんぼの木の前に立ち尽くし、自分の目がおかしいのでは、と思うくらいだった。しばらくしてから、偶然、黒、紺色と白い衣に覆われ、尾が少し長い、鳩よりも少し大きめの鳥がその口ばしにさくらんぼをくわえているのが台所の窓から見えた。フランス語では ピ・バヴァゥド pie bavarde 寿命は約5年と推定されるが、21年生きた例もあるそうだ。日本語ではカササギと呼ばれ、佐賀県の県鳥にもなっている結構美しい鳥である。ああ、じゃあ、あの鳥が全部さくらんぼ食べちゃったのかア、と。幸い、もう一本、別の少し小さめのさくらんぼの木があり、その実はこれから熟す感じだったので、カササギはまだ食べてはいない。でも、なんとなく用心深くなった自分が笑える。さて、4月25日生まれの黒猫の子猫たちは5月初旬ぐらいから目を開けている。黒いような青いような目である。大人に育つとあの目が金色に変わるのね。バンカー・ロイ 「裸足の大学」解決策は内側にある安達博文 テンペラ ひとつの物差しでははかれない絵画世界池田靖史 パリの画家 パリの空気が詩情豊かに伝わる絵画マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joe川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏
May 21, 2012
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南仏の田舎の図書館で借りてきたフランス語訳のピーター・メイルの「南仏プロヴァンスの12か月」を少しずつ読んでいる。日本でも何年か前にすでにヒット作になったという評判は聞いていたが、南仏の片田舎でのらりくらりと過ごしているイギリス人隠居者的見地で描かれたユートピアを綴った本だろうと思っていた。当時はパリで大奮闘して生きていた自分にはあまり関係のない遠いバカンスの国という気がしていた。そんな感じで何となく食わず嫌いのように敬遠していた。それにしても、こんなに笑えるエッセイだとは思わなかった。南仏に暮らし始めた自分だからか、冬の話になると、共感を覚える箇所もある。それにしても、この本に出てくるフランス人でいわゆる脱税している感の人々が出てくるが、人事ながら気になった。たぶん、筆者は英語で書いて英語圏の人間対象だから、何でも書いてしまったのだろうが。まさか、12ヶ国語に訳されるなんて考えてもいなかったのだろう。まして、フランス語に訳されるだろう、とは。 【中古】エッセイ・随筆 ≪エッセイ・随筆≫ 南仏プロヴァンスの12か月【b_2sp1102】【画】価格:38円(税込、送料別)プロヴァンスの贈りもの / プロヴァンスの贈りもの オリジナル・サウンドトラック 【CD】価格:2,268円(税込、送料別)池田靖史 パリの画家 パリの空気が詩情豊かに伝わる絵画マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joe川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏
May 21, 2012
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フランスはもうすぐ午前一時。Bonjour Japon!やはり夜は寝たほうが良いのです。朝は南仏の明るい太陽で目が覚めます。いいことです。夜中はとっても起きていられれません。Bonne nuit!Have a nice day!バンカー・ロイ 「裸足の大学」解決策は内側にある安達博文 テンペラ ひとつの物差しでははかれない絵画世界池田靖史 パリの画家 パリの空気が詩情豊かに伝わる絵画マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joe川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏
May 15, 2012
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この春、2回に渡って親戚がこの南仏の田舎に泊りがけで遊びにきた。北フランスに住んでいる親戚で、南仏で再会するのは初めて。なんだか、自分が北フランスに戻ったような気がしておかしかった。彼らは Aix-en-Provenceの旧市街やマルセイユやカランクと呼ばれる海と岩山の見事な景色のある場所を訪れたり、ヴァラージュで陶器を購入したり、この近くでオリーヴオイルやハチミツを購入。毎朝、クロワッサンやパンオショコラを買ってきてくれて、テーブルを朝陽の当たる場所に出して、みんなで朝食を取り、バカンス気分を満喫。夕食はみんなで野菜を洗ったり切ったり、バーベキューをしたり。こういう時は食器洗い機があるので、ほんとうに助かる。4月後半は結構、太陽に恵まれていたので、これもありがたかった。この田舎に来る前はやはり南仏の田舎の友人宅に滞在もしたようで、その時にサントロペにも立ち寄ったようだ。確かに南仏、訪れる場所は街も村も自然もたくさんある。
May 6, 2012
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今夜、誰がフランス大統領になるか決まる日。主人は投票に行った。私の住んでいる南仏の田舎は結構、極右翼に投票した人が多いそうだ。極右翼って移民嫌いでしょ、私はフランス国外追放かも、と言うと、主人は、「彼らのいう移民は、ほとんどアラブ人が対象だから」と毎回答えるこの会話を極右翼の話になると、つい繰り返してしまう。ワインやオリーブ畑、ラベンダー畑、メロン畑、かぼちゃ畑を耕す農業に従事する人が多いからか右翼系でいれば、土地をいきなり没収されるような事はない、と土地を持つ人々は思うわけで。左翼が力を得ると、土地が国のものにされてしまうのではという懸念を持っているからか。誰に投票していいのかわからず迷った人々がとりあえず極右翼に投票したのではないか、と見るのは左翼。サルコジー氏が大統領に就任して、あれから、もう4年も経ってしまったのか、と驚いている。(4年ではなくて、5年でした!)フランスで最近よく見るのは、政治家をおもしろ可笑しく真似るカントゥルー氏の番組。かなり、ぎりぎりのジョークで、18世紀のフランスなら牢屋入り確実もしかしてギロチン覚悟かとつい思ってしまう。日本で同じようなことをしたら、コメディアン命覚悟だろうと思うのは何故だろう。
May 6, 2012
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近所のフランス人のおばさんがちょっぴり困った表情で苦笑しながら、「主人が庭仕事をしながら、なんだか庭がどんどん大きくなってるような気がする、と疲れた顔で話したから、私は、あら、家の中も大きくなっちゃうみたいよ、って返事したのよ」言えてるなあって二人で笑いました。ほんとうに家の中も庭も行くところ行くところにやることが一杯あって、感覚的にわかるなあ。
April 26, 2012
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古い昔のコットンでできた白いシーツなどを主人の家族や知人から譲り受けた。大きくて、比較的厚手のフランスの重いコットン。少なくとも半世紀以上前のコットン。中には麻布と織り交ぜたのか肌にさっぱりした感触のあるコットン生地もある。感触がすごくいいので驚いている。最近、このようなコットンは少なくともフランスのスーパーや通販でも見つからない。しかし、洗濯機のない時代にこのようなコットンを洗うのは大変だっただろうなあ。絞るのも干すのも一仕事!フランスには特に村に行くと洗濯場がある。屋根だけがついたプールなどがある。村の特に女たちが集まってお喋りでもしながら洗濯したのかなあ。フランスでは手動式の木製洗濯ボックスは1830年に発明されたそうだ。電動式の洗濯機の普及はフランスでは1950年以降になるらしい。我が家にある洗濯機はイタリア製かなあ。水の省エネ対策とかで、音はよくて、思い切り回っているのかな、と思ったら、中は動いていなかったりする。でも、一応、洗ってはくれる。それでも、何となく物足りない。日本製が時々恋しくなる。
April 20, 2012
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一昨日から日本のアニメマンガをフランス語の字幕つきで夜になると観まくることに。久しぶりに日本語が聞けて嬉しい。しかし、フランス人の若い子たちがこうして日本語を聞きながらアニメマンガを見ているんだ、と思ったら日本に憧れるフランス人の若い子たちが増えるのもわかるような気がする。インターネットのチャット欄でフランス人の子が「フランスには何もない。日本に行きたいなあ」という文さえ読んだことがある。フランスに憧れてフランスにやってきた自分だからその逆パターンの気持ちがよくわかる。ちなみに私が見たマンガは「ナルト」と「デスノート」。え?今まで知らなかったのだ。と、いうか、二つとも全部見る暇もないのだけれど。話のストーリーがよくできていて面白いが、デスノートに関しては主人公の少年のあまりの浅はかさに途中から腹が立ってきたりして。自分を助けようとした無実の人間を平気で殺してしまう、なんてあたりから人間ではなくなっている。でも、そういうことを考えさせる、気づかせるのもマンガや小説のような架空の世界だから、できることなのだろう。近所にも映画作りに余念のない高校生のアントニー君とはまた違うもう一人の高校生の男の子がいて、彼もこのマンガファンで独学でひらがなやカタカナをちょっと習ってみたという。何となく、そういうことを聞いて嬉しかったりして。それにしても、「ポーの一族」を創った萩尾望都さんのサイン会がフランスのどこかであった、と聞いてこれだけはちょっといけなかったのがくやしい。
March 23, 2012
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フランスのテレビで日本の映画を観た。「誰も知らない」映画の最後のあたりで何故か昔パリのシャンゼリゼ通りで物乞いをしていた少年を思い出してしまった。11歳か13歳か、少年はジプシーだったのだろうか。ブティックから出てくる人々に手を差し出しては相手にされず困った表情だった。まっすぐな賢そうな正直そうな目をしていた。で、自分はたまたまその少年をお昼時にオフィスから出たところで見たのだった。あの少年が自分の息子だったら、どうしたかなあ、と思いながら、ハンバーガーを二つ買って、その紙袋を少年の両手にさっと渡した。少年の目は驚いていた。私は頭の中で、育ち盛りの彼の口にそのハンバーガーがちゃんと入りますように、と祈って。いや、これも昔、インドネシアでウクレレをかかえてちょっと歌を歌っていた6歳児くらいの小さな少年にボールペンをあげて、それが今までこの世に生まれて見たこともないそれは嬉しそうな笑顔を満面に浮かべてくれた少年、にこちらが感動してしまったのだけれど、その後、16歳くらいのそれはハンサムな少年が、なんとウクレレの少年からボールペンを奪って走って逃げ、ウクレレの少年はその後を泣きながら追いかけるというそんなシーンを見てしまったからである。何年経っても今でも頭にくる。もう、会えないウクレレの少年。さて、この三日間ほどエックスやマルセイユに行っていた。でも、頭の中は猫や咲きはじめた花のことでいっぱい。川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏Artiste Peintre E.M.イタリア出身テノール歌手ボッチェリの歌声を聴いて勇気をだしてください。 Canto Della Terra ボッチェリの歌声を聴いてください。 彼女のために生きる マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年
March 17, 2012
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最近ようやく南仏らしい太陽が戻ってきました。今日のお昼は庭のテーブルで食べたり。プリムベラの愛らしい花も咲いています。暖炉を炊かないと昼間は家の中にいるほうが寒い。しかし、今年の2月の南仏は寒かった。今でも夜中は凍るようで、猫用に外においている水も分厚い氷が張っていました。ちなみに最近、試験的に日本にいる姉にガラス瓶に入った南仏のハチミツと石鹸を送り、無事に届いた、とこれだけならばどうってことない話。プチプチが中に張ってある紙袋にそのままポンとガラス瓶を入れたので、最悪のシナリオで行くとガラス瓶が壊れて中はぐちゃぐちゃ、でもフランスの郵便局では局員さんが「送れますよ」と一言。じゃあ、と軽い気持ちで、冒険的に発送。しかし、姉から届いた、という知らせが来るまでの一週間、不安は不安でした。フランスの郵便局、結構信頼できるのかなあって。さて、フランスのコメディアン、ジャンデュジャルダンがオスカーを勝ち取りましたね。彼はフランスではかなりの人気者で、アメリカのジム・キャリー昔のビートたけしのような存在かなあと思います。笑わせるシーンをちりばめながらもとってもいい映画にも出ています。今、ぱっとタイトル名がでてこないけれども。彼がフランスのバカロレア試験(日本の大学入学試験みたいなもの)を得た時、苦笑しながら「これはおかあさんにプレゼント」と言って大学は進まずコメディの世界に飛び込んでいったようなことをテレビのインタビューで昔茶目っ気たっぷりに語っていました。そろそろ暖炉に火をつけようかなあ。それとも庭にでるかなあ。イタリア出身テノール歌手ボッチェリの歌声を聴いて勇気をだしてください。 Canto Della Terra ボッチェリの歌声を聴いてください。 彼女のために生きる マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏Artiste Peintre E.M.
February 29, 2012
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フランスで2月10日に白い雪が降っているのは北フランスのノルマンディでもストラスブールでもパリでもなくフランシュコンテ地方の高マルヌやシャンパーニュアルデンヌ地方の一部、そして南仏プロヴォンス。何故ノルマンディに降っていないのだあ。気象情報ではエックスオンプロヴォンスもマルセイユも雪が降っているらしい。と、いうことは地中海にも白い雪が降っているのね。ただいま南仏、午後の3時過ぎ。しんしんと白い雪が降っています。真っ白。美しい。それにしても降りかたが厚い。これは積もるかも。乙女なマグカップフランス伝統陶器<GIEN> ジアン スイカズラ マグカップ【楽ギフ_包装選択】【楽ギフ_のし...価格:5,250円(税込、送料別)猫ちゃんPlan de Paris コローレ 「ねこ」 マグカップ価格:1,050円(税込、送料別)フランス出発の航空券は何ヶ月か前から予約をすると格安便が手に入りやすい。ロマンス デコ Romance deco フランス発送イタリア出身テノール歌手ボッチェリの歌声を聴いて勇気をだしてください。 Canto Della Terra ボッチェリの歌声を聴いてください。 彼女のために生きる マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏◎富山県下新川郡で1980年築木造建(床面積240m平米)付の土地(水田含む)約8千m平米を売りに出している人がいます。詳細は4月5日のブログに掲載。さらに詳しくはロズモンドにメッセージをお送りください。個人のプライバシーは厳重に守ります。Artiste Peintre E.M.Romance deco
February 10, 2012
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南仏の田舎も寒波に見舞われている。近所の家にもつららが。ああ、南仏のつらら。さすがの寒さに主人は牛肉入りのポトフをリクエストしたり。テレビでは、温暖なはずのコルシカ島も雪が降っているのが放映されていた。海に降る雪。またダ・ヴィンチも建築に参加したらしいシャンボールのお城もその広大な庭も雪に覆われていて、これもテレビで見たが、なんて幻想的。可哀想なのはこの寒さの中のホームレス。フランスのテレビニュースの一場面で、ジャーナリストがダンボール箱の中に眠るホームレスに冬場の臨時施設に何故行かないのかと聞かれ、年老いたホームレスは「行きたくない。絶対行かない」と話す。実は2009年の冬だったか、まだエックスオンプロヴォンスの市内に住んでいた時だった。台所のガラス窓を覗く一人の女性に気づいて、ドアを開けると「寒いので中に入れてください」という女性は異臭を放つ明らかにホームレス。やはり外は相当寒かった。そのまま台所に入ってもらい、ポタージュとかチャーハンみたいなものを作って食べてもらった。少しでも力をつけてもらって何とか切り抜けてほしい、と。シャワーもすすめたが、水道水に触れると肌が痛いので、と彼女は拒否した。普通にしていれば、美しい女性なのに。こんな寒い時は施設に行ったほうがいい、と話したが、彼女は絶対いやだ、と話していた。単なるプライドではないと思う。切れるような痛くなるほど寒い夜をダンボール箱でしのぐ方が施設に行くよりましだと考えるのは、またそこをいつかは出されて再び路上に放り出されてしまうことがわかっているからか。人間が人間を助けるのは簡単なことじゃない、と思ったものだった。最近、黒猫が2匹頻繁にうちの周りに来るようになり、うち一匹は時々できる時に、主人に内緒でベランダで寝かせている。ベランダも寒いけれど、外の切れるような寒さよりはましかと。イタリア出身テノール歌手ボッチェリの歌声を聴いて勇気をだしてください。 Canto Della Terra ボッチェリの歌声を聴いてください。 彼女のために生きる マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏Artiste Peintre E.M.
February 6, 2012
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この間のブログで書いた中世から伝わる南仏プロヴォンスの聖マルセルの写真紹介。可愛いコックさんスタイルの男の子やプロヴォンスの伝統の布のドレスをまとった女性たち音楽隊や飾り付けをされたフォンテーヌさて、このお祭り、なんと、老若男女関係なく全員が、教会の中でいきなり始まる単調な音楽に乗っていきなりぴょんぴょん跳ねるような踊りを繰り広げてしまうのだ。フランス人の主人もこれはパンクだ、とバカ受けしていた。動画で観たら、なんと教会の僧侶の方も踊っていたが、顔はしかめていて、もしかして心の中で「いや、これはあり得ない」と呟いているような気がした。イタリア出身テノール歌手ボッチェリの歌声を聴いて勇気をだしてください。 Canto Della Terra ボッチェリの歌声を聴いてください。 彼女のために生きる マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏Artiste Peintre E.M.
February 3, 2012
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南仏、といっても海沿いのニースやカンヌではなく、奥地の南仏の私の田舎はドンと冷えて雪が降り、2011年の雪のようにさらっと消えず、今日は一日お天気は良かったが、積もったままだった。おとといの雪降る夜、2時間くらい停電し、その時、薪でくべる暖炉とキャンドルがあって良かった、と心底思う。さて、うちではその雪の降る日の前日に水道の元栓を止め、部品交換準備に入っていた。水道会社から異常な水道量のためチェック勧告を受けて外の土中に設置された元栓の水漏れを確認。お隣のご隠居さんと若いパパさんのお陰で部品交換をなんとかすませたが、3日間水道の水が使えなかった。洗い物の鍋がたまり始め、洗濯も水拭きもできず、シャワーも使えず、貯めておいた水で歯みがきやミニタオルで体を拭く程度のことしかできない。主人はどうと思っていなかったようだが、私は限界を感じていた。お隣さんのヘルプがなかったら、と思うと今でもゾッとする。文系で、自分でなんでも試してやってみたがる主人にやっぱり文系でこういうメカっぽいものに苦手な妻はこういう状況ではほんとうに情けない。ちなみにお隣のご隠居さんはこの南仏でこんな雪は見たことがない、と話していらした。今朝はお隣のご隠居さんからお借りした道具についた赤土を拭きとって綺麗にしてからお返しに行った。イタリア出身テノール歌手ボッチェリの歌声を聴いて勇気をだしてください。 Canto Della Terra ボッチェリの歌声を聴いてください。 彼女のために生きる マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏Artiste Peintre E.M.
February 3, 2012
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知り合いのフランス人女性はパリに行った時日本の本屋さんで書道の本を購入と見せてくれた。ひらがなをくずして書いた写真が中に載っていた。なんて美しい。彼女は書くことが好きで書道をぜひ始めてみたい、とか。ちなみに彼女が書くフランス語は美しい。彼女は鮮やかな色彩の歌舞伎の写真入りの雑誌も見せてくれた。自分は、馬鹿正直に、「小さい頃はテレビに歌舞伎が映るとチャンネルを変えていた」ちなみに「玉三郎以外」と。中学でフランス文学の教鞭をとっていた彼女は私を慰めるためか、「まあ、フランスでも作家ラシーヌの『フェードル」』の作品を小中学生に紹介しても興味を覚える子供は少ないわね」とため息をついていた。南仏フランス人の友人カップルは日本の緑茶が大好きで茶壷から茶碗にいたるまでコレクションし、御茶ごとに何度でお茶を入れるかまでリストを作り居間には掛け軸、お刺身もお寿司も大好きで南仏のおいしい日本レストランを何軒か知っている。日本の緑茶といえば、埼玉県のお茶の老舗が風評被害でお店を閉じたとニュースで読んで残念だなあ、と。しかし、あとからお宅のお茶を飲んで癌になった、なんて告訴されればそれも大変なこと。今の日本で原子力と放射能の話で信頼できる人の一人に小出裕章氏がいると思う。人のためになると思い、原子力の研究と原子力反対を続けて来られた。本物の学者とはこういう人を言うのではないだろうか。何か日本には核武装が必要だと話す政治家がいるみたい。核武装と言うのは、どこかで実際に核実験をしなくてはいけない。どこでやるつもりなのだろう。フランスもかつて故ド・ゴール大統領の時代から故ミッテラン大統領や元シラク大統領の時代まで核実験をしたそうだ。どうも210回くらいの核実験がすでにアルジェリアのサハラ砂漠やポリネシアで行われたそうだ。アルジェリアでは1960年から1966年まで17回、1966年から1996年までムムロアなどフランス領ポリネシアで193回行われたそうだ。ポリネシアの核実験の写真などフランス国立健康医学研究所のある一人の研究者が太平洋の島民たちと核実験の現場近くの島民の健康を調べ、結果、後者の甲状癌の発生率がほかの島民に比べ2倍になっていると報告した。フランス政府はこの研究者の調査結果を無視し、国際原子力機関の報告結果のほうを取り上げた。当時の事務局長はスエーデンのブリック氏。当機関の調査結果は1996年に作成され、短期的にも長期的にも何らの問題もない、とのことだった。2009年3月にはようやく一人の政治家で当時国防省のエルベ・ムラン氏が核実験の影響で発生する18の病気を公的に認め、核実験の被害者はようやく補償を得ることができた。フランスは原子力発電所がたくさんあって、地元住民はやはり不安を覚えているニュースを見たことがある。これが他国から爆弾でも落とされてしまうと一体どういうことになるんだろう、と思ってしまう。南仏にもある。南仏も地震の危険のある地域がある。何故、人間たちの手に負えないそんな危険なものを作るんだろう。1986年のチェルノブイリの放射能を帯びた雲はフランス東部とコルシカ島にその影響を及ぼした。コルシカ島の医者たちは子供の癌の急増を政府に訴えていたそうだが政府からは無視され続けたそうだ。原子力発電はクリーンではない。放射能汚染物質処理は土中深く埋められると言うが、地震で地形が動けば、どこにどう動いてしまうかわからない。また世の中には人為的に地震を起こすトラックのような物も存在する。また石油を求めて海底深く掘ればそれが地震の引き金にもなるそうだ。しかし、原子力の専門家、研究者は日本にはこれからも必要だと思う。それは世の中に核武装をしている国があるから。南仏に Cadaracheという原子力及びその他のエネルギー研究所がある。日本人の研究者が結構きていたように地元の人から聞いたことがある。カダラッシュに着たという中国人の若い研究者にも偶然知人宅で会ったことがある。この研究所のサイトを訪れると限られた化石燃料(ガス、石油類)資源とオゾン層破壊に面して原子力は新たな挑戦だと書いてある。そしてやたら安全性を強調している。何かそういうお題目が必要なのか、と思う。こんなお題目がなくても、日本にも世界にも原子力の研究者は必要だと思う。それはいざ何か問題が起こった時、原子力の専門家たちの意見が人類を救うことになると思うから。しかし、生産性のないものは販売もできないので、経済的には無駄ということになるのだろう。だから何らかのお題目が必要になるのだろうか。それでも世の中には地球に似た別の惑星を探す研究もされていたりする。地球は最終的にいつかは太陽に飲み込まれてしまうから、そうなる前に別の惑星を探して移動しなくちゃ、という長期的展望での研究らしい。ちなみに、小出裕章氏によれば、化石燃料資源は実はまだたくさんある、と話しているヴィデオを見た。確かにオゾン層の破壊を食い止めるために火力発電も二酸化炭素を出すのでクリーンではないのだろう。車の排気ガスそのものが健康にいいとは思わない。オゾン層破壊の主要原因は地球上のありとあらゆる場所から出る水蒸気だと一般向けのフランスの科学雑誌で読んだことがある。その時はとても驚いたのでよく覚えている。水蒸気なんて海からどんどん出ちゃえば太刀打ちできないじゃない、と。しかし、人為的なフロンガス、二酸化炭素を制限することでオゾン層破壊を少しでも食い止めることができるはずだ、というのが主旨で、これまでに人間の手で破壊された環境を思えば決して無駄ではないとは思う。今、日本国内で福島県民、またその他、放射能汚染被害区域の住民を長期的に守ろうとする何か具体的な対策がとられているのだろうか。特に細胞分裂の激しい子供たちや妊婦を抱える家族を守る何か対策が取られているのだろうか。日本に行きたいけれど、行き損なってしまったフランス人たちのためにも美しい日本、美しい東北に戻りますように。イタリア出身テノール歌手ボッチェリの歌声を聴いて勇気をだしてください。 Canto Della Terra ボッチェリの歌声を聴いてください。 彼女のために生きる マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏Artiste Peintre E.M.
January 13, 2012
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クリスマスの時に主人のご両親からいただいたノルマンディの焼き菓子の箱を開けるのをすっかり忘れていたが、夕べ思い出して早速開封。すこぶるおいしかった。なんでも1903年以来の老舗のクッキーとか。La maison du biscuit という「ビスケットの家」というそのまんまの名前。http://www.maisondubiscuit.fr/クッキーというよりスポンジとクッキーの中間くらいの感じ。材料は、たまごの白身、バター、アーモンドペースト、りんごのコンポート、蜂蜜、砂糖、小麦粉とか。アーモンドペーストとりんごのコンポートを普通のクッキーに入れたら果たしてあの味になるのだろうか。そういえば、最近、タルト作ってないなあ。リンゴタルト、家庭科3の腕前でもできます。タルト生地は250グラムの小麦粉に食塩を抜いたバター125グラムでできます。量は目安ですから、適当です。小麦粉にバターを手でしつこく練り合わせてタルト生地を作ります。固すぎず柔らかすぎずくらいの塊を冷蔵庫に入れて一時間ほど休ませます。で、一時間後、タルト生地のかたまりを平たいテーブルの上に清潔な布など敷いて、その上に小麦粉を少し巻いて、そして塊を乗せ、ケーキめん棒とかクッキングめん棒と呼ばれる棒で伸ばします。棒がなければ、別に手で伸ばしていっても大丈夫です。タルト型にバターを少し塗り、その上に伸ばしたタルト生地を入れます。タルト生地があまるようであれば、また冷蔵庫に保存して別のタルトを作ればいいのです。そして、タルト生地にフォークで全体的につついて星空のような小さな穴をあけます。で、切ったリンゴをタルト生地にドミノ式に並べていきます。私は砂糖は使いません。リンゴの甘味で十分です。これをそのままオーブンに入れればいいのです。オーブンがなければ、土鍋とか鉄なべでもいいと思います。30分くらい焼いてみて様子をみてください。圧力鍋なら15分くらい。圧力なべだと、タルトの上に蓋をかぶせないと水滴ですごいことになるかもしれません。タルトじゃないみたいな。フランスではマーケットですでにできあがったタルト生地も売っています。日本はどうでしょう。需要が少なければないかもしれませんね。りんごのかわりに洋梨もおいしいです。なかほら牧場グラスフェッド・バター【93g:紙製容器】自然放牧 バターコーヒー 防弾コーヒー ブレットプルーフコーヒー バレットプルーフコーヒー Bulletproof Coffee グラスフィニッシュフランス/ブルターニュ産:ボルディエ氏の手作りフレッシュバター無塩発酵バター | 冷蔵空輸品 |【125g】【※当店は高価な冷蔵のフレッシュバターをお届け致します】【冷蔵/冷凍可】【ご予約販売】送料無料【パリ直送便】グラスフェッドバター グランフェルマージュ 【250gx3個セット】Grand Fermage DOUX グラスフェッド フレッシュバター冷蔵空輸品(無塩)バターコーヒーに!ギーはバターで手作り出来る! ※当店でご注文頂いた商品は現地パリから直接お届け!ル・コルドン・ブルー ガレットブルトンヌ3種アソート缶入り300g フランス製クッキーの詰合せ川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏
January 10, 2012
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南仏にいるとパリから北フランスは寒い、という印象がある。が、最近の南仏の朝晩は冷え切って薄っすらと草などが白く凍ってしまったりするのに、パリから80kmほど離れたノルマンディはそういうことがなかったという。しかも、午後は比較的空気が暖かったりした。ま、そうは言ってもパリの早朝はどんと冷えまくっていた。さて、パリ市内のと、ある大通りで見かけたオープンカー。立派な車だった。スモークグレーの上品そうななコートを羽織った金髪の青年が助手席に運転席にはどうやら女性が乗っていた。真冬の風に吹かれてなにゆえオープンカーに。何しろパリ市内、結構すごいスピードで飛ばしたりする。想像しただけで寒気がする。時々パリではこのように理解できない光景をみることがあるので楽しい。
December 31, 2011
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明日は早朝に南仏から800kmくらい離れたパリに行きパリで友人たちと食事し、さらに85km北上の予定。果たしてほんとうにパリに夕方着くんだろうか。皆様、メリークリスマス。Joyeux Noel!イタリア出身テノール歌手ボッチェリの歌声を聴いて勇気をだしてください。 Canto Della Terra ボッチェリの歌声を聴いてください。 彼女のために生きる マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏
December 22, 2011
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何日か前の暗くなりかけた夕方、私は南仏の小さな町からさらに小さな村に向かって車を走らせ、途中である忘れ物をし、ユーターンをしようと小さな道路に入った。そして町に戻ろうとしたら、一台の車がしっかり道路のど真ん中にとまり、なかなか発進せずに堂々と居座っている。仕様がなく、その車の横まで自分の車を進ませ、身振り手振りでどっちに曲がるのと聞くが、むこうも身振り手振りで何か話しているがわからない。窓を開けると、車の中の男性が英語でDo you speak English ? と叫んでいた。あ、カップルでクリスマスの休日を南仏で過ごそうとしている人たちか。イギリス人かなあ。それともオランダ人かなあ。とっさに私は元気よくYes. と答えてから A little と付け加える。男性は寒そうな表情で叫んだ。確かにとっても寒い夜だった。We're looking for a hotel.あ、ホテル探しているんだ。この冬の南仏の田舎で。たいがいの民宿は閉まっている。町の中に結構素敵なホテルがあったなあ。そう、思った時、もう一台の車が私たちの車の後ろにきてクラクションを鳴らした。せかされて、思わず、Please follow me.と、叫んで私は車を発進させた。気持ち007?あはは。町まではほんの2kmほどの距離。カップルの車はしっかり私の後をつけてきた。さて、ホテルの前のパーキングまで誘導したものの肝心のホテルは真っ暗。仕様がないので、その日訪れた素敵な民宿の話をしたが、その民宿もやっているかどうか定かではない。しかも葡萄畑のど真ん中に一軒立つばかりでほかには家はない。カップルは大丈夫、ほかの大きな町まで走らせるつもりだから、ありがとう、と。お互いに笑顔で メリークリスマスと言い合ってさようなら。今朝はかすかな雪に覆われていた。昼近くには消えかけていた。そして山に向かって20kmほど進むと薄っすらと積もる雪の合間に広大なラベンダー畑が広がりさらに60km進むと雄大な山が見えてきた。自然はなんて美しい。最終的にディニュレバン Dignes les Bains という所にたどり着いた。雪が結構積もったようで雪をかくブルドーザーが道路の雪をダイナミックにすくいながら走っていた。スノータイヤの準備もしていなかったので、これは助かった。そういえば、途中の小さな田舎のレストランで食事した。主人はイノシシの肉料理を食べていたが、ちょっと匂いがきついなあ、と。いや、マトンなら私も大丈夫だけれど。羊さん、ごめんなさい。そういえば、ラベンダー畑のど真ん中にミツバチを飼う箱がたくさん並んでいる場所があり、やがて MIEL と書いた板があったので、そのミツバチ農家に行って主人は蜂蜜を購入していた。農家の若い奥さんという感じの女性は、蜂蜜の香りで何の蜂蜜かわかるそうだ。ラベンダーかローズマリーかタイムとの混合か、アカシア、いろいろ。彼女のご先祖さまはノルマンディだそうで、ご主人も同じらしい。彼女はしかし、太陽と青い空を一週間見れない場所には住めない、と話していた。確かに南仏は恐ろしく真っ青に晴れわたった日を見るのが当たり前。確かに気持ちまで晴れる。とはいいつつ、私はノルマンディのグレーな空の下に青々となだらかに広がる風景もなんとなく優雅で静かな印象で好き。それにしても今日見た風景は美しかったなあ。美しい犬や、雄大な風景の中に馬もいて。皆さんにも美しいクリスマスが訪れますように。イタリア出身テノール歌手ボッチェリの歌声を聴いて勇気をだしてください。 Canto Della Terra ボッチェリの歌声を聴いてください。 彼女のために生きる マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われるハープ演奏
December 20, 2011
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