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Youtubeで無料でご視聴いただけます。フランス語で「Froid って日本語で何て言うの?」はComment dit-on "froid" en japonais ? と書きます。フランス語の froid のいろんな使い方を載せた例文を音読しています。大体の目安として、書かれた文字のどのアルファベットの文字が読まれ、単語の末尾のどのアルファベットが読まれていないか、を理解するための教材として提供しています。ささやかながら、ご参考になれば幸いです。フランス人の小中高校生に家庭教師としてフランス語で英語を教えたこともあり、日仏後で通訳をした経験もあり、フランス語独特の軽やかな美しい発音に憧れておりますがフランス語は母国語ではないので、完璧とは言えません。発音はどうにか通じる、というレベルです。一つだけ、自分でもこれは怪しいだろう、と思いつつ、どうしてもリエゾンできなかった箇所があります。d'autres expressions です。s と e がくっついて、z の音になるはずなのですが、読んでいる時にどうしても、そのままの s の発音になってしまいました。その点はどうかご勘弁くださいませ。
March 6, 2020
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Avez-vous déjà mangé le butternut?Have you alreday tasted a butternut ?バターナッツを食べたことがありますか。名前がバターナッツなので、おつまみか何かと思っていたら、野菜で、かぼちゃの仲間でした。皮の色は色褪せた感じのベージュで、ひょうたん型、最初見た時は、なんか変、おいしくなさそう、味気なさそう、という印象でした。しかも、最初に見た時は、やたら大きなバターナッツで、両手に収まる愛らしいものではなく、印象はさらに悪かったのです。ところがどっこい、従来のかぼちゃより、調理がしやすく、味もいい。保存期間も長い。すっかりはまりました。バターナッツのスープもおいしいです。サツマイモや栗カボチャのポタージュに匹敵する甘さです。マッシュルーム、ブロッコリー、たまねぎに薄切りのバターナッツを入れて炒めると、甘味のある野菜炒めになります。おススメの野菜です。ぜひ、お試しあれ。バターナッツの焼き菓子とか蒸しケーキもいけそう。しかもカロティンが豊富だから、身体の免疫力もつきますよね。今が種の薪時みたいですが。水やりがそんなに必要ではないそうなので、南仏でも種を蒔けば実るのかなあ。そう言えば、南仏は、2019年の10月11月はよく雨が降りましたが、2020年の3月の今日まで雪は降っていません。朝は真っ白な霜に覆われはしますが。今はスミレの花、水仙の花が咲き誇っています。挿し木の薔薇も赤い葉をたくさん出し、ミラベルの果実の花が白い梅の花のようにたくさん咲いています。鉢植えのレモンも白い花がたくさん。実も7個くらい。春ですねえ。
March 5, 2020
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着物はフランス語で、そのまま kimono です。イントネーションで quimotno と聞こえないこともありません。そして、kimono と言うと、フランスでみんなが想像するのは、空手着、柔道着。Oui, je m'habille en kimono. うん、着物着るよ。それって柔道着。ウ~ん。着物、ああ、着物を着る生活がしてみたい。優雅に。いしだあゆみさんみたいに。
March 4, 2020
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モネが愛したヴェルノンの聖堂 写真散策 動画 クリックしてご覧ください。動画では、パリのサンラザール駅 La Gare Saint-Lazare から列車で約一時間、ノルマンディの町ヴェルノン Vernon の町の写真を載せています。2017年のクリスマスの時期です。以前、いつでしたか、記憶にないのですが、ブログでもすでにご紹介したかと思う写真です。ヴェルノンは、画家モネ Claude Monet のアトリエと庭で有名なジヴェルニィ Giverny の村の入口にある町です。もともとモネはヴェルノンにアトリエを構えるつもりでいたそうですが、さらに風景の美しい場所を探しながら、奥地へと、そうこうするうちにセーヌ河を越え、ジヴェルニィの美しい村に辿り着いだそうです。ほんとうに美しい村です。Monet モネと言えば、それまでのアカデミックなやや暗い色彩から抜け出した印象派主義の画家として当時の若い画家たちから今日に至るまで多大な影響を与えた画家です。「日の出」Impression, le Soleil levant という小作品が印象派主義の誕生になり、最初は風刺雑誌などで笑いの対象にもされ、印象派の展覧会にわざわざ妊婦を連れて笑わせようとした夫たちもいたそうですが、徐々にこれらの作品に魅了された批評家たち、画家たち、愛好家たちが増えていきます。特にアメリカの美術評論家の高い評価も得て、あらためて真の魅力が見直されることにもなったようです。絵はこのように描かれなくてはいけない、というそれまでの既成概念を払拭した一つの静かなきっかけをもたらしたのです。まあ、でも、苦悩と陶酔の合間を揺れ動くことなしに生まれる絵画はなく、その模索そのものに没頭することもまた幸福なことで、当然ながら、既成概念が崩れたから、それで創作が楽になるとかいうものでもなく、画家には自分の力で描ける絵画の方向性は常についてまわるもので、果てしなき模索の旅は続くもの、と思います。ただチューブ絵具の普及は画家業をかなり楽にした、とは思います。オランダ絵画など古い絵画様式のように、鮮明な色彩、堅牢な色彩にこだわりまくる画家は自ら絵具を練ってつくることもあります。Paul S.Brown という緻密で秀逸な油彩画作品を創作する現代作家はそのような画材を自ら練っているようです。「日の出」Impression, le Soleil levant は日本の版画に感銘を受けたモネが瞬間瞬間の海と空の光をとらえるかのように描いた絵です。フランスの専門家も日本画のように一筆でさらっと描かれ、瞬時を捉えようとしたした作品と紹介していました。風景を描くことはモネにとって光と陰を描くことでした。モネは北フランスの光も南仏地中海の光も描いています。さて、この「日の出」Impression, le Soleil levant を私は1984年頃パリ市内のマルモッタン美術館 Musée Marmottan で観ました。マルモッタン美術館は王妃マルゴが所有した時期もあるミュエット城の一部で、本部は現在、経済開発機構となっている大変美しい建築物です。アートオタクやパリ観光をされる方には絶対訪れてほしい場所の一つです。「日の出」の作品がマルモッタン美術館から消え、日本で発見され、再びフランスに戻ってくる、という事件がパリ第四大学の大講堂で語られたことがあります。1991年頃でしょうか。たまたまその大講堂で聴講していた私は、その時だけ中国人のふりをしようかと困惑したものでした。1985年10月27日、5人の泥棒がマルモッタン美術館に忍び入り、小作品「日の出」やモネ4作品、ルノワールの2作品を含む9枚ほどの作品をかっさらっていったのだそうです。しばらくして日本で写真カタログが出回り、これには闇世界が絡んでいたそうです。コルシカ島の密売から文化財を保護する機関が1990年に見つけ、「日の出」は戻りますが、他の作品の一部がポルト・ヴェッキオの闇世界の一人のアパートで幸い無傷で見つけられた時は日本の闇世界に売却を試みていた最中だったとか。日本は当時世界経済大国第二位、バブル時代。まるで名探偵コナンか刑事コロンボの世界のような話です。2017年12月の写真です。この建物がパリ・ソルボンヌ・リシュリュー大講堂になります。Amphithéâtre Richeliu. Sorbonne もとは La chapelle Sainte Ursule de la Sorbonne、チャペルです。別の日だったかと思いますが、上記の写真のパリ第四大学の大講堂では、クセジュ文庫の「印象主義」の著者 Maurice Sérullaz モーリス・セリュラーズ氏(1914-1997)も来ていらしたので、講義の最後に思い切って話しかける幸運に恵まれました。拝読させていただきました、とつたないフランス語で伝えると、セリュラーズ氏はシャイな感じで顔をくしゃくしゃにして喜んでくださいました。とても嬉しかったものです。セリュラーズ氏はフランスの美術史の教授としてルーブル美術館やパリ大で講義をとられたこともあり、ルーブル美術館のデッサン部門の館長も務められた方でした。2017年12月撮影 ルーブル美術館"Vue de l'église de Vernon" 1883モネは、家族と共に1883年4月29日にジヴェルニィにアトリエを構え、それから間もなくして動画の写真に載せたヴェルノンの聖堂をセーヌ河の向こうから何点か描きました。その作品は、今どこにあると思いますか。なんと、山形県立美術館に常設されているそうです。モネは日本の版画が大好きでしたから、彼も天国で喜んでいるでしょう。晩年、モネがジヴェルニィの庭で何人かの人々と写っている写真があり、その中に着物姿の日本女性が一人いました。19世紀の白黒写真。一体、誰だったのでしょう。パリ市のサンラザール駅 La gare Saint-Lazare からヴェルノン経由でル・アーヴル Le Havre を初めて列車が走行したのは1843年5月9日でした。 現在も緑豊かなVernon ヴェルノンの町のある場所は、845年、856年、885年と北欧ヴァイキングが渡り歩いたそうです。カロリング朝の西フランク王であったシャルル三世(単純王)とヴァイキングの代表とされた大男ロロ Rollon の間でサン・クレール・スュール・エプト Saint-Claire-sur-Epte の条約を結び、911年に初めてノルマンディ Normandie という地域が生まれます。ヴェルノンの領主ギヨーム は、先祖を辿ると、アングロ・ノルマン、つまり、イングランドのノルマン人の家系になるそうです。フランス語読みでGuillaume、William は英語読みです。イングランドは1017年から1042年の25年間、デンマーク人が王となり統治されました。と、読みましたが、北欧ヴァイキングがイングランドやイタリアまで遠征したことはよく知られていて、中にはアラスカあたりまで行き、イヌイットと子孫を残した人たちもいたそうですが、このデンマーク人の王も北欧ヴァイキングなのだろうか。と、いう疑問を抱えつつ。たぶん、そうですよね。1204年まで、108年間、イングランドとノルマンディは少なくとも道徳概念と政治面で同じ一つの国だったそうです。ヴェルノンのノートルダム聖堂が建てられたのはこの頃です。1160年にヴェルノンの君主ギヨームが聖堂参事会員 (chanoines) のために建てた、と町役場の案内には記述されています。北欧ヴァイキングの歴史もヨーロッパ史を語る上で大事な要素ですね。ヴェルノンの君主ギヨームも北欧ヴァイキングの末裔なのか。という疑問も抱えつつ。The Vikings: Conquering England, France, and Ireland【電子書籍】[ Robert Wernick ]北欧ヴァイキング関連の本を探してみたら、最後の上記のような本を見つけてしまった。富山県は、雪国として同じスエーデンの雪対策を参考にした歴史があるようにかなり昔に聞いたことがあります。
February 14, 2020
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「複合過去」Le passé composé は、名前からして初めての方はちょっと面食らってしまう文法用語ですね。実は、フランス語で、「夕べ、クレープを食べました」Hier soir, j'ai mangé des crêpes. や、「今日の午後、買い物に行ってきました」Je suis allé(e) faire les courses cet après-midi.など、過去の話しをする際に会話にはほぼかかせない大事な項目です。一方、「単純過去」Le passé simple は小説など書き言葉として使われ、会話で使われることはありません。ナレーションで使用される場合はあります。英語では「過去形」を英語で past simple と呼ばれるので混乱しないでね。「半過去」L'imparfait だと「昔はよく~したものだ」や一つの文章の中で、背景的な動作を示すので、「複合過去」Le passé composéとはまたその点で異なってきます。● 複合過去 Le passé composé は、avoir動詞が助動詞の役割をし、別の動詞の過去分詞とくっついた形になります。J'ai bu un jus d'orange. (オレンジジュースを飲んだ)ai avoir動詞bu boire動詞「飲む」の過去分詞 (le participe passé)● 一年前、昨日、今朝、など過去のどの時点か割にはっきりしている場合Je me suis levé(e) à six heures ce matin. 今朝、私は6時に起床した。● 繰り返し行ったこと(これが「常に~した」の習慣になると、半過去形になります) J'ai lu et relu ces lignes plusieurs fois.これらの行を何度も読み返した。例えば、「子供の頃、本を読んだものだった」という文章だと半過去になります。Quand j'étais enfant, je lisais des livres.そして、何かをしていた(背景描写⇒半過去)時に、それまでの行為を中断するように別のことが起こった(複合過去)場合夕べ、本を読んでいた時、唐突にあることが閃いた。Hier soir je lisais un livre et soudain une idée m'est venue.lisais 半過去(l'imparfait) m'est venue 複合過去 (le passé composé)面白いですね。ちょっとロマンチックな例文もご紹介。Albert Cohen という著者の Belle du Seigneur (1968) という作品の中のセリフだそうです。Aimé, hier soir je lisais un livre et soudain je me suis aperçu que je ne comprenais rien et que je pensais à vous.エメ、夕べ、一冊の本を読みながら、ふと自分が何も理解していないことに気がついた。あなたのことを考えていたことに。何となくありそうなことですね。文字を追いかけているだけで、全然別のことに思いをはせていたり。● 過去の一つ一つの動作、行為が連なる時J'ai essayé de manger léger, je me suis couchée tôt et j'ai mis le réveil à six heures.食事は軽く食べるようにし、早い時間に就寝し、目覚ましを6時に設定した。フランス語の複合過去形は、助動詞となる "être" もしくは "avoir" の現在形と動詞の過去分詞 le participe passé で作ります。● 助動詞(l'auxiliaire) "être" + 過去分詞(le participe passé) je suis né (e) 生まれた naîtreje suis arrivé (e) 到着した arriverje suis parti(e) 去った partirje me suis levé(e) 起床した se lever (代名動詞)le cheval s'est échappé. 馬が脱走した s'échapper (代名動詞)● "être" は通常 「être動詞」として、最初に覚えますが、複合過去形では「助動詞」つまり、動詞のヘルパー、動詞を助ける言葉として扱われます。たとえば、je suis arrivé (e) なら、suis が être助動詞そして arrivé (e) が、動詞です。arrivé (e) は 動詞 arriver の過去分詞 le participe passé です。過去分詞 participe passé は略して p.p. とも書きます。● 助動詞(l'auxiliaire) "avoir" + 過去分詞(le participe passé)たとえば、j'ai lu なら、ai が avoir 助動詞そして lu が、動詞(過去分詞 le participe passé) です。lu は 動詞 lire の過去分詞 le participe passé です。j'ai lu 読んだ lirej'ai chanté 歌った chanterj'ai écrit 書いた écrire● 助動詞 "être" なのか、それとも "avoir" なのかですが、 "être" は結構限られた動詞がきますから、パニックに陥ることもありません。● 複合過去 le passé composé 例文昨日は二人でフランス料理店に行ってきました。Hier, je suis allée au restaurant français en couple.病気になりました。Je suis tombé(e) malade.レオナルド・ダ・ヴィンチ・は1452年4月15日に生まれました。Léonard de Vinci est né le 15 avril 1452. 今朝は早く起きました。Je me suis levé tôt ce matin.免許証を取りました。J'ai passé le permis de conduire.今朝は雨がたくさん降りました。Il a beaucoup plu ce matin.みなさんは、どんな例文が思いつきますか。
February 13, 2020
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日仏対訳ショートストーリーの4分35秒の読む動画をUPしました。宜しかったら、ご視聴くださいませ。フランス語の音は入りません。動画画面を大きくしてご覧になりたい方は、動画の画面の右下の端の四角い記号をクリックしてください。今回の動画では、発音記号を少し載せました。さて、フランス語の鼻母音 LES VOYELLES NASALES ですが4つあります。[œ̃] [ɔ̃] [ɛ̃] [ɑ̃] un bon vin blancアルファベットの上に [~]がちゃんとのっかったものが正しいのですが、どうもこの画面上では左にずれてしまいます。ユーチューブの動画で LES VOYELLES NASALES と検索して正しい発音を確認することをお勧めします。 [œ̃] [ɔ̃] [ɛ̃] [ã] un bon vin blanc le chien [ʃjɛ̃] オス犬l’hérisson [eʀisɔ̃] ハリネズミ le mouton [mutɔ̃] 羊 le paon [ã] クジャク[ã] (la bouche est grande ouverte) [œ̃] 口は小さく閉まり、上下の唇のあたりの筋肉に少し力がこもる感じです。[ɔ̃] 口は丸く突き出すような感じです。日本語のオより唇は突き出しています。[ɛ̃] 上下の唇は横にあき、やや笑っている顔つきになります。[ã] 口は大きくあいています。 le chien [ʃjɛ̃] 犬 ですが、発音記号でみると、en と書いた部分が [ɛ̃] のように発音されます。そこで、ちょっと注意を払いたいのが、子音nの音についでです。子音nの音は通常、舌先が口蓋(口の中の上部部分の壁)にくっついて出る音です。ところが、この chien の 子音n は発音されません。たとえば、Bonjour も カタカナでよく ボンジュール などと書いたりしますが、実際は、ン nの音 も発生していないんですね。[bɔ̃ ʒu:ʀ]考えてみたら、面白いことですね。
February 13, 2020
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フランス語「後から振り返ってみれば」「後ろを振り返ってみれば」「過去を振り返ってみれば」とも訳せますが、Quand je regarde en arrière,.....と、いうのを検索してみると、いろいろ出てきます。Les choses déforment facilement quand on regarde en arrière. -Helman Hesseヘルマン・ヘッセの言葉がフランス語に訳されたもので、「振り返ってみれば、物事はその形を変えやすい(デフォルメされる)」直訳すると、こうなってしまうのですが、過去の思い出を振り返れば、簡単にその内容は変容をきたすもの、でしょうか。もっと自然なうまい翻訳ができる人もいると思います。これは何となくわかります。過去に結構、個人的に辛いことがあっても、何年もして振り返ると、まあ、あんなこともあったなあ、という他人事のように思えることもあり、すっかり忘れて、いい思い出だけが残っていることもあります。こういう私的レベルなら、問題はありませんが、これが歴史の捏造につながると怖いものはあります。さて、次の例文を見てください。ちょっと横に外れてしまう感もありますが。Quand je regarde en arrière, il me semble, que toute ma vie n'a été qu'un long Printems, et que les moments ténébreux, fermés dans fon cours, ont été de ces orages paffagers, qui rafraîchiffent les compagnes et raniment les plantes. - Oeuvres de M. S. Gesnertrad. de l'allemand par M. Huber何だか変な文だと思いませんか。変だと思う部分を赤文字にしました。活字の間違い?Printems って、あの「春」printemps ですね、文脈から見ても、「春」があてはまります。Printems は、ラテン語 prinum temps, première saison 最初の季節 から来ている言葉で、やはり「春」の意味でした。1806年のフランス語辞典に載っていました。そして、赤文字の f これは s のことでした。上記の例文は18世紀のものです。s は昔は長いf, " f long" で書かれていました。ただ、まだ私の素人知識ではわからないのは、s も、ちゃんと使われているのですね。どうも、18世紀ごろまでは使用されていたようです。厳密には f の真ん中の線は、右側にはないそうです。今なら、こう書かれるところですね。Quand je regarde en arrière, il me semble, que toute ma vie n'a été qu'un long Printemps, et que les moments ténébreux, fermés dans son cours, ont été de ces orages passagers, qui rafraîchissent les compagnes et raniment les plantes. 昔を振り返ってみると、どうやら私が歩んできた人生は、長い春に過ぎないようなもので、闇のような瞬間瞬間は、その流れの中に封じ込められ、一時の嵐のように田舎を蘇らせ、植物に活気を与えるようなものだった。Quand je regarde en arrière, je vois qu'il y avait des moments où je voulais faire ceci et cela. Je sais que je ne peux pas revenir en arrière, le temps a tout emporté tous ces moments et en ce moment même qu'on le veuille ou non.昔を振り返ってみると、こうしたい、ああしたい、いろいろありました。その時々の自分はもう戻ってこない。時がすべて持っていった。否応なく、今、この瞬間も。と、書いてみると、実はまだまだやりたいことがありすぎて困っている感じ。体力だけがついていかない、みたいな。
February 7, 2020
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フランス語表現や単語など、のんびり覚える約6分の動画です。もうご存知の単語や熟語はおありでしょうか。 動画の左端の下の四角いものをクリックすると、動画を画面一杯にしてご覧できると思います。発音は入っていませんので、それが残念ですが、それはしっかり別の動画やCDで学んでほしい、と思います。何故か、今回も音楽が時々飛んでしまいます。読むフランス語と思って、のんびり見てくださいませ。さて、「のんびり」という日本語、フランス語でどうなるでしょうか。じっくり時間をとりながら、なら、Tout en prenant son tempsいそぐこともなく、なら、sans se presser やんわりと en douceurそんな感じでしょうか。
February 7, 2020
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動物(たち)はわけもなく噛んでこない。Les animaux ne mordent pas sans raison.否定文 ne pas ~もなく sans理由 raisonLes animaux 動物を複数形で表しています。レ ザニモ リエゾンをしますので、レ アニモ ではなく、レ ザニモです。最後のX は発音しません。mordre 噛みつく 飼い猫に噛みつかれた。Mon chat m'a mordu. 犬でもオオカミでも人間を襲ってくる時は、狂犬病 rage にかかっている時くらいだ、と時々動物に携わる人々が話すのを見聞します。私は、幸い、自分の飼い犬に噛まれたことはなく、よその犬に噛まれたことは一度しかないのですが、猫はたまにあります。昔、飼っていた柴犬も人懐こい犬で、獣医さんの顔もぺろぺろ舐めていました。獣医さんいはく、笑う犬だったことは昔のブログに書いたような気がします。最近、ポチパパさんという大阪のドッグトレーナーの方の動画を観ました。犬が好きなので、ポチパパさんの言葉がすごくわかります。柴犬はもともと猟犬だった、と聞いて驚きました。昔飼っていた柴犬は疲れを知らない犬でした。一度、28キロ散歩したことがあります。途中で、私はへたり、カフェで一休みしながら、のたのたと一日歩き、日暮れて家路に着くころは私はボロボロでしたが、犬は、まだ行けるよ、ねえ、まだ行けるよ、と言うくらい元気でした。なるほど、猟犬かあ。ところで、犬はオオカミ科ですが、ショーン・エリス Shaun Ellis と言う「オオカミと暮らす男」は、(本人は研究者ではないので、とか)オオカミは愛情表現で口のはしを噛んでくることがあるので、注意が必要、と本に書いていました。犬はオオカミ科だから、似ているところがある、と。吠える犬は番犬役。吠える犬は噛み付いてこない。攻撃を担当する犬は比較的吠えないが、噛み付いてくる。一番偉いアルファは観察している。吠えない。噛み付かない。いろいろオオカミでも役割を持っているようで、犬にもそれが結構当てはまるそうです。と、なると、吠えない犬、黙って噛み付いてくる犬に一番注意しなくちゃいけないんだな、と思います。散歩の途中で放し飼いの犬に遭遇し、一度だけ吠えながら、やってきて、ちょっとだけ噛み付かれたことがあります。自分は犬は好きなので、恐怖心はゼロです。幸い、相手が中型の犬だったので、ただ、その時は、両手を上にあげて、自分を大きくみせ、追い払ったら、去っていきました。あとで、その犬が道路のちょっと向こう側の家の犬であり、彼にとっては縄張りだったことが判明。ああ、それで噛み付いてきたのか、と納得。嘘か真かわかりませんが、海軍にいた亡き父が船が爆撃を受けて、仮にそこがサメのいる場所だったら、ふんどしを広げてサメよりも大きく自分を見せれば襲ってこない、と習った話しをしていました。まあ、それで、自分も中型の犬にさらに自分を大きく見せようと、両手を上にあげたわけですが、二回ほどこれで放し飼いの犬を追い払ったことがあるので、結構ほんとうかもしれません。まあ、でも、ポチパパさんの動画に出てきたような大型犬がよだれを垂らしながら吠えまくってきたら、命はないでしょう。フランスで2019年の11月中旬に小山ですか、森を散歩中に、犬に襲われて命を奪われた女性がいました。あまりにも惨いことにしかも女性は妊婦でした。彼女は5頭の飼い犬を連れて散歩をしていたそうです。最初は、猟犬に襲われたというニュースが流れました。まだはっきりとはしてはいませんが、彼女の飼い犬の中にすでにいろんな人に襲い掛かる習性のある犬がいたそうです。ですから、どの犬が襲ったのかは現在はまだ調査中だそうです。 昔、ノルマンディの森の中を恋人と二人で散歩した時に猟犬に囲まれたことがありました。犬が三頭ほど吠えながら走ってくるのですが、迫力ありました。幸い、すぐに銃を持った猟師がやってきました。ま、猟師にとっては嬉しくない散歩者で、にこりともせず、ここは私有地だから、早く森を出ろ、と。私有地ですが、結構、地元の散歩コースの森のようではあるようでした。ま、でも、危険でした。この場合、犬より銃です。獲物と間違い、人が撃たれることもあるからです。Shaun Ellis ショーン・エリスさんの「オオカミと暮らす男」日本語版 こちらは電子図書ではないので、やや高めです。狼の群れと暮らした男 [ ショーン・エリス ]【著者情報】(「BOOK」データベースより)エリス,ショーン(Ellis,Shaun)英国イングランド、ノーフォーク州の農場で生まれる。様々な肉体労働や厳しい軍隊生活の後、米国アイダホ州のネイティブ・アメリカン、ネズパース族が管理するオオカミの群れに交じり、仲間として受け入れられた後、野生オオカミとの接触を求めてロッキー山脈に単身、探検に出かける。野生の群れとの接触に成功し、人間として初めて2年に及ぶオオカミとの共棲を経験した。英国帰国後は自然動物園を本拠にして、飼育オオカミの養育に没頭しながら、ヨーロッパ大陸の野生オオカミの保護にも尽力する小牟田康彦(コムタヤスヒコ)翻訳家。1940年宮崎県生まれ。同県立高鍋高等学校、東京外国語大学卒業。東燃(株)中途退職後アルスター大学留学(MBA)。元広島国際大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)関連特集狼の群れと暮らした男 [ ショーン・エリス ]の本は、自分はフランス版で読みましたが、上記のように日本語にも訳されています。自分は冒頭から引き込まれるように読んでしまいました。英国はオオカミが人間の手によって絶滅した国ですが、そこでどうしてもオオカミが欲しくて、育て一緒に暮らし始めた人の実体験を描いたものです。Shaun Ellis ショーン・エリスさんの「オオカミと暮らす男」英語版 冒頭部分を立ち読みできます。The Man Who Lives with Wolves【電子書籍】[ Shaun Ellis ]こちらは、電子図書でフランス語版の「白い牙」ジャック・ロンドンの小説ですが、犬やオオカミの美しさに魅かれてゆく本です。フランスの子供向けのおススメ図書の一冊です。立ち読みも最初だけできるのが便利です。Croc-Blanc【電子書籍】[ Jack London ]ポチパパさんという大阪のドッグトレーナーの方の動画👇襲いかかるコルソドッグ リハビリ Dog Rescue A&R
February 2, 2020
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夫の仕事関係の女性から電話があった。仕事関係なので、割と夫は近距離にいるのではないか、と思うが、全く別の場所にいることもあるので、こうして、たまに電話がくる。○○さんとお話ししたいのですが。Je voudrais parler à .........今、不在です。○○にいます。Ah, il n'est pas là. Il est à .......○○さんの携帯とかは~? Il a un portable.....? ああ、彼は21世紀に抵抗して生きる人間でして...Ah, c'est quelqu'un qui vit à contre courant du vingt-et-unième siècle.....と、ここまで言ったら、電話の向こうの女性は大爆笑がしばらく止まらず。たぶん、電話の主も夫のことは何となく想像がついたから、余計笑えたのかも知れない。夫が帰宅したら、お電話があったことを伝えます。A son retour, je lui dirai que vous avez appelé.それには及びません。私もメールを送っておきます。Oh, ce n'est pas la peine. Je l'enverrai un mail.ありがとうございました。失礼します。Merci beaucoup. Au revoir, Madame.失礼します。Au revoir, Madame. 私としては本気で思っていることで、もう、何というか、ほんとうに。でも、笑い声っていいものね。あはは。
January 31, 2020
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フランス語を学ぶ理由は何?そんなものは実はない、と内心思う人のために書きます。ずいぶん昔の話しですが、ふと思い出したのです。もしかしたら、過去のブログでこの人のことをすでに書いている可能性もあります。パリ市内に住んでいた時です。たぶん、自分もそんなにまだフランス語を話せていない時期です。どちらかと言うと、パリ市内にいても、カフェでわざわざ英語で会話する人たちのそばに何気なく座り、英語を懐かしんでいた時期だったと思います。そんな時期に、知人の友人で最近パリに来たばかりだと言うオーストラリア人と知り合いになりました。彼はパリに来たばかりで、フランス語は皆無話せない人でした。本人は彫刻家を目指していましたが、パリに来たのは、長身のせいもあり、ファッションモデルでお小遣い稼ぎをするためだったようです。アートが好きなので、美術館に一緒に行ったりした記憶があります。ちょっと天然気味で、ちょっとお堅い感じで、割と自然に友達になれました。変な人で、あの女性が顔にはたくコンパクトパウダーを顔にはたいていました。デートではないのですが、美術館に行くために迎えに行くと、待たされる理由が、それだったり。逆でしょ、普通?私は当時は化粧は嫌いでしていなかったので、余計驚きました。前置きが長くなりましたが、そのオーストラリア人の青年が割と早くにフランス語で話し始めたのです。彫刻家を目指していたので、彫刻に関する単語を紙に書いて壁に貼っていました。画材の単語や、自分の身に必要そうな単語ばかりでした。つまり、自分の言いたいことは何か、にまつわる単語や表現を中心に覚えていったのです。文法は二の次だったでしょう。たとえば「今、行かなくちゃ」Il faut que je parte. これなんかは文法的に「接続詞」subjonctif なるものが出てきて、文法を最初から学ぶと、すぐには出てこない項目です。動詞も活用変化します。とりあえず、自分が人に何を伝えたいか、という表現を少しづつ覚えていったことを優先させていました。たぶん、文法から入っていないので、「○○しなくてはいけない」Il faut que ~ に続く動詞の活用も応用が利かず、まちがった動詞の活用をしてしまうリスクはありますが、思うに、それもいつかは人に直されたり、自分で文法書を読むうちに改善していくことはできると思います。とりあえず、一か月ほどでフランス語難民から解放された感じでした。フランス語の勉強をされる方には明確な目的を持つ人たちもいます。菓子、料理の分野を目指す方たちは、目的がはっきりしているので、優先して覚える単語も出しやすい。問題は、フランス語を漠然と勉強しよう、と思う場合です。どこから始めていいのかわからない、そんな時に、おまけに単語で愕然とします。空 le ciel 雲 le nuage ドア la porte 窓 la fenêtre 顔 le visageあああ。幼稚園児に戻ってやり直さないといけないんだあ。ドイツ人の多い語学学校で、周囲のドイツ人がいろんな単語を知っていたので、何故と聞いたら、ドイツ語に似た単語が特に上級レベルの段階でたくさんある、と知り、正直、不公平だ、とすら思えたものでした。長い関越トンネルの前で気が遠くなっている感じでした。でも、あのオーストラリア人の青年は、自分の興味を中心に単語を覚え、表現を覚えていきました。あなたの好きなことは何?読書? DIY? 映画鑑賞? コンピューター? 編み物?動物? ポエム?フランス語を学ぶ理由は何?そんなものは実はない、けれど、自分は庭の奥に現れる野良猫が最近、気になる、と思えば、それをフランス語で何て言うかな、と考えるだけでもいいのです。暖炉に火をくべる時、枯れ葉を置いて、その上に小枝をたくさん置きます。空気が湿っている時は、なかなか火がついてくれません。勢いよく燃えた、と思っても、枯れ葉だけ燃えておしまい、ということもあります。しかし、再度、枯れ葉を小枝の下に置いて燃やすと、今度は少し、空気があったまったのか、わりとすぐに火はつきました。(一回目はダメでも、二回目は少し前進)そこに夫がやってきて、いきなり、大きな薪を置いてしまい、小枝が燃え尽きた頃、大きな薪までは火が届かず、火が消えてしまいました。(火種を消してしまった。基礎編がゆるかったか。甘かった。 早すぎた。早計とはこのこと。いきなり消化しきれないものに挑戦しても無駄。 でも、ここで諦めたら、いつまでも暖をとれない)そこで大きな薪を取り出し、再び、枯れ葉を置き、たくさんの小枝を載せ、火をつけます。空気はあったまったので、火はすぐにつきます。(基礎をやり直し。三回目のやり直しはスタートが速い)小枝が元気よく燃えた時点で、小さな薪を少しづつ足していきます。大きな薪は最後に載せます。学びも人生も暖炉の火と似たようなものかな、と思います。
January 30, 2020
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高校?中学?で習う世界史の一遍がよみがえる地中海世界のマルセイユ豆知識を動画にまとめて見ました。時々、簡単な英語やフランス語も散りばめています。調べていって、自分でも、えええ?と思う発見もありました。自分で選んだオーディオラィブラリーの曲もとても美しいのですが、何故か、たまに微妙に飛んでいることがあります。ご了承ください。宜しかったら、ご覧くださいませ。
January 24, 2020
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南仏で見る野生の花や蝶の写真をまとめてみました。花や蝶はおもに南仏ですが、青い矢車菊は、フランスのやや中央あたりの写真です。楽しんで、ご覧いただければ幸いです。
January 24, 2020
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南仏の滝です。この滝は、緑のプロヴォンスと呼ばれる地域の町バージョルから徒歩で行ける場所にあります。滝はフランス語で cascade です。結構、滝の音がすごいです。水は澄んでいて、夏なら飛び込んでいたかもしれません。夏場は泳ぐ子供の姿があったりします。もう少し、下の方に降りてゆくと、また別の滝とこういう湖があり、私も泳いでみたことがありますが、ものすごく冷たい水でした。ここに流れる水の水源の一部は水道会社が管理し、家庭の水道にも流れてきます。南仏の命の水です。この町はヴァール県の中にありますが、ヴァール県は時々、とんでもない豪雨に見舞われ、大洪水の被害が出たりします。2019年も浸水した家々に嘆く住民の姿がテレビで放映されていました。川沿いの地域だったと思います。2019年は9月、10月、11月と集中的に降ることがありました。一日で一か月分が降ったこともあります。
January 24, 2020
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2020年1月19日の日曜日でした。南仏の民族舞踊を見る機会がありました。動画でクリックしてぜひご覧ください。画質があまり良くないのがちょっと残念ですが音楽や雰囲気は伝わるかと思います。La Gavotte provençale とフランス語では呼ばれている民衆に伝わる南仏のダンスです。 南仏の緑のプロヴォンスと呼ばれる地方の町バージョル Barjols のお祭りでした。聖マルセルを祭り、牛の丸焼きも行われ、写真の右側に見えるのは、その丸焼きの牛です。圧倒されます。この町では、一頭の牛のお蔭で何世紀か前に村人、町民が餓死せずに済んだ、ということから毎年、お祭りがありますが、それと聖マルセルとの関係が何だったのか忘れました。ただ、聖マルセルが去った後、美しいスミレの香りにあたりは包まれていた、という話はおぼろげに覚えています。地元の作家アラン・ビリー氏 Alain Billy の著書に確かそう書いてありました。アラン・ビリー氏は、17歳の時に、近くの小山、プチ・ベシヨン Petit Bessillon にあやめの球根を何個か植えたそうです。あれから、あやめ、増えたんですね、きっと。ビリー氏は何年か前に定年退職されたお年の方ですが、17歳のアラン君のお蔭で、春夏のプチ・ベシヨンを散策すると、紫色の小さなあやめの花が薄紫のタイムの花の間で咲き誇り、大変美しい風景をかもし出しています。さて、南仏のフォークダンスが披露された広場は普段は駐車場に使用されている広場でした。お祭りの広場には太鼓や笛を演奏する音楽隊もいました。16世紀頃から民衆に伝わるという民族舞踊、なかなか素敵でした。若いダンサーの方たちは、バレリーナではないか、と思いました。皆さん、この町の人たちばかりでなく、サントロぺやサンマクシムの街から招待されてこられていたようです。なんだか見ていて楽しくなりました。
January 23, 2020
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ゴーン氏の話しを動画で聞きました。全部ではありませんが。動画で、もう日本語の同時通訳でも聞けますね。動画ライブで、発言が始まった時に出てきたコメントの「マフィア」の書き込みが続き、カルロスは、日本で忍術を習ったんだよ、とフランス語で書いているコメントもあり、不謹慎ながら笑ってしまいました。ゴーン氏は、これまで溜めていたものをすべて出し切るような勢いでした。告発をしろ、とばかり言われ続けた話をしています。「私は17年も日産に貢献したのに、日本も日本人も大好きで、子供たちも日本で育ち、(保釈中に)レストランや映画に行くと、人々は親切にしてくれました。私は日本人が好きです。私は日本が大好きなのに、メディアは何故私を冷酷で貪欲で独裁者のイメージばかり貼り付けるのですか。何故、私はまるで誰かを傷つけようとするテロリストのように扱かわれなくてはいけないのですか」と熱く語った時は、彼が映画の孤島のキングコングにすら見えてきました。あの映画はすごく悲しいのです。誰にも理解されないキングコング。ゴーン氏は、日本の独房で、自分は命を落とした人間のようだった、と。「裁判はいつ始まるのか、と弁護士に聞けば、下手すると5年かかることもある、と言われました。その間、自分はこうして家族からも離れて独房でずっと孤立し、毎日、自白をしろ、と言われ続けるのか、これは私をそうして徐々に抜け殻にしていくためか、と」ほんとうに裁判まで5年も待たされる可能性はあったのでしょうか。ゴーン氏はおそらく日本語は話さないのでしょうか。言葉のわからない国、法律的な文書の読み書きができない国にいると、独房に入れられなくても、不安に駆られる孤独な瞬間はあります。それは結構奥深い不安感です。ま、人にもよると思いますが。「私は日産ルノーの社長を辞任したとメディアは言ったが、私は自ら辞任をしたことはない、私は独房に入れられたので、辞職し、退職をすることになりました。ルノー日産に対して、日産に対して、訴訟をする予定です。それは誰かを攻撃したりするためではなく、自分の尊厳を守るためです」日本の報道陣にも質問をさせ、できるだけ様々な国の報道陣にマイクを向けるようにしていました。「私が日本を抜け出したのは、日本では発言の機会を与えてもらえず、9ヵ月かかっても裁判が行われず、容疑者と言う立場でまだ犯罪者というわけではないのに、なぜ家族や友人にも会えないのか、まるで自分は拘置所の中で孤立した人として魂のないモノのように扱われた気がしました」「私も一人の人間です」と一番伝えたかったのではないか、と思います。フランスの報道者は彼の劇的な発表にワンクッションを置いて割に冷静な印象です。フランスもやや懐疑的にゴーン氏の報酬額に疑問を投げかけてきたからでしょう。フランス24 の報道者がレバノンで数週間に及びレバノンの国の腐敗に反対し、デモを行ってきた二人の男性にインタビューをしていました。レバノン人の男性は、ゴーン氏はマフィアがやるように日本を逃亡した、と語り、ゴーン氏がここにいることはレバノン人にとって侮辱であり、ゴーン氏は日本の権限下で、日本で裁かれるべきです、と答えていました。もう一人の男性は、我々はレバノンの腐敗と闘ってきた。泥棒行為をした者は全員裁きを受けなくてはいけない。もし、彼(ゴーン氏)が罪を犯したのなら、裁かれなくてはいけない。もしかすると、彼はすべての人間から見放されてしまうこともあるかも知れない。しかし、無実とわかったなら、彼は受け入れられるだろう。 さて、すべてはまたこれからなのでしょう。
January 9, 2020
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いろいろ、脱線しながら書いていきます。日本国内で1年3カ月以来拘束されていたゴーン容疑者(2020年3月9日で66歳になる)がレバノンに逃亡したのが2019年12月30日。保釈料の15億円を没収されることになった。15億円を没収されても平気だったのだろうか。 しかも逃亡にかけた金額は50億円?16億円?とも推定される。2020年1月4日付けのフランスの番組 C dans l'Air と言う番組でpôle Asie à la Fondation pour la recherche stratégiqueというアジア戦略調査団体の責任者で、日本や中国の経済に関する本の著者でもあるフランスのヴァレリー・ニケ女史は、フランスの番組で、日本と言う国についてこう語った。「日本は約束を守る国なので、日本側としては、今回の逃亡に非常に驚き、また屈辱すら覚えているだろう。約束したら守る、ということを当然のこととしているのが日本人だ」約束を破るなんてありえない、まさに、フランス語で ça ne se fait pas. そんなことしないよ、と。Le Japon est un pays où on ne se méfie pas. 「日本は、(相手を)疑わない国です」他人を疑ってかかる、という感覚が薄い、ということだろうか。自分がやはり日本人だからかも知れないけれど、数年前に日本に行った時、都内でも田舎でも、不思議な安心感、もうほぼ恍惚とするような安心感を感じたものだった。あれは何だったんだろう、と今でも思う。都内の電車の中で、一人の青年がほかの青年に「俺、先月の収入300万だった」みたいな内容の会話をしていて、うわあ、フランスでこんな会話を大風呂敷ひろげるみたいに話したら、悪い人に後をつけられるか、違う人からそんな話しをしてはいけないよ、と注意されるかも知れない、と思った。ニケ氏は、「何故なら、日本は決まり事を守る国だから。日本は地球上でおそらく最も治安がいい国だと言える」と言った。Le Japon, c'est un pays le plus sûr de la planet.「多分、そのために逆に日本では監視するということがフランスに較べて未発達である」と説明していた。技術の先進国のはずの日本の意外な盲点だと思う。ニケ氏もこのままの日本でオリンピックに対処できるのか、と。ただ、日本にも監視カメラは結構あるのではないの?治安の良さ世界一。日本のニュースを読むと、そうとも思えない事件も起こっているが、確かに犯罪率はなんだかんだ言ってもかなり低いようだ。フランスではみんなが気をつけている限りにおいて安全だが、電車に乗って爆睡なんて絶対無理。寝たふりすら止めたほうがいい。あれはオリンピックの時期は絶対やらない方がいい。とは言え、全指定席のマルセイユ-パリ間の列車に乗ったりすると、疲れ果てて寝込むことはあるし、他の人も爆睡はしている。長距離列車だから、スリなんかは逆に逃げ場がないためもあるかも。うちのフランス人の夫も昔、最終列車で寝込んで二つ先の駅で気づいて深夜、車で迎えに行くはめになったこともある。診療室の待合室にバッグを置いてゆく人は2020年でもいるのだろうか。あれは、1990年代にパリに数年住んだ後、東京の歯医者さんで、目撃して、え?うっそ。あり得ない。フランスでこれやったら、お財布盗めって言ってるのと同じ、と驚いたものだった。が、確かに日本での若い時を思い出せば、自分も確実にしていたことだった。住む国でそういう感覚が変わるというのは面白いと我ながら思う。また、日本では、誰かが玄関ドアをノックすれば、何のためらいもなく「はあい」と開けてしまう。これもオリンピックの時期は避けたほうがいい。フランスでは、何者が来るかわからないから、パッとは開けない。どなたですか、Qui est ce ? キエース と、必ず確認する。ま、そのくらい懐疑的であったほうがいい。ニケ女史は、ほかの番組でも、「自白するまでは拘束する」という世界的には日本のイメージダウンにつながるため、ゴーン氏にたいして緩和した方法を日本がとったが、日本国内でも自白強要のやり方を批判的な人たちはいる、と話していた。司会者の男性は、まあ、中国もそうだし、フランスだって昔はねえ、と、やんわりと言っていた。とにもかくも、ゴーン氏はその隙をついて大晦日に逃亡をした。フランスの専門家が、こういう逃亡は半年前か数カ月前に用意しないとまず無理だろう、とも語っていた。そのゴーン容疑者は基本的にレバノンの人。レバノンではブドウ園に出資している。1920年にシリアと共にフランスの委任統治下に入り、1943年にフランスから独立したレバノンは15年に及ぶ内戦などのために経済的には発展を阻まれた。ローマ遺跡も残されているというレバノンは岐阜県くらいの面積があり、天然資源は乏しく、人口も610万人程度だそうだ。ドイツ、米国、英国、欧州諸国、ノルウエィ、フランス、カナダはレバノンの援助国だそうだ。ゴーン氏は奨学金をフランスから得て勉強した。義務教育は小学校のみだそうだ。2017年末までに日本からは有償資金協力として130,22億円がレバノンに送られてきたそうである。さて、ゴーン氏の話しに戻る。2005年からルノーの代表取締役社長だったゴーン氏は2009年からルノー日産の代表取締役社長として、年間最低11億円以上は報酬を得ていた。フランスのキャピタル誌によると、2016年は15,6millions euros 日本円で約18億8千7百万円の収入額がわかっている。ほかの自動車会社の社長もそれくらいか、それ以上の給与を手にしているので、日産を救ったゴーン氏にしてみれば、まだ少ない方だ、という思いもあったかも知れない。2009年、前アメリカ大統領のオバマ氏が二度に渡ってゴーン氏に面会し、ぜひジェネラル・モータースの社長になってくれ、と当時のゴーン氏の倍の給料を提示した、という。ゴーン氏は申し出を断り、ルノー日産に残った。多分、そのあたりから、自分の資金をうまく残そうという方向に拍車がかかった。それらしきことをゴーン氏自身も日本の裁判官の前で話したそうであることがフランスの経済紙レゼコーに書いてある。彼はフランス政府がルノー株を買うことを阻止したかった。それが原因で、故仏前大統領シラク氏を怒らせ、サルコジー氏とも決して良い関係ではなかった。2014年夏から2016年夏まで、オランダ政権下で経済相だったマクロン氏(現仏大統領)はすでにゴーン氏の独断とも思える収入額に怒りを隠せなかったそうである。なにしろ、株主総会でゴーン氏の給与額に賛成できない、と結論が出たにも係わらず、高額な収入額を認めてしまったのだ。ゴーン氏の給与の半額以上は株として計上される。フランス政府は株にかかる税金を軽くしている。よって、マクロン経済相は給与額を低くするように頼んだ、というフィガロ紙の記事がある。当時、政府はすでに20パーセントのルノー日産株を持っていたので、発言権があったようである。最初、ゴーン氏に容疑がかけられ、日本で起訴された、と聞いた時は、ゴーン氏を懲らしめるために、フランス政府が日本の日産か日本政府に協力を頼んで逮捕したのか、と思ったくらいだった。だから、すぐ釈放されると。が、その世界一安全な国と定評があり、アジアの中でも最も欧米化していると思われた日本が自白強要で長引く拘束をする国だということがわかり、ゴーン容疑者が人質司法だと叫び始めたため、これでは日本のイメージダウンにつながり、日仏関係が悪化し、ルノー日産も危うくなると、もう、ゴーン氏を逃がそう、社長でもなくなったし、もうよい、となったのでは、とちょっぴり想像してしまった。 実際はもっと深刻でそんなものなどではないだろう。この事件を扱う当事者の困惑は想像もできない。日産でも確かそうだった、と思うが、フランスのルノー社でも、ゴーン氏のワンマンぶりと威圧感と彼に好かれたいと思わせる何かと、同時にまともなミーティングができない極めて重い雰囲気はあったそうだ、とフランスの番組で語られていた。また彼に意見する者は解雇されていった、とも。フランスのジャーナリストも彼のやや独裁者的な面は否めないでしょう、と語る。コストキラーとして工場閉鎖を断行した人物でもあるし、明日は我が身と思う部下がいても不思議ではない。ま、それはしかし、現ルノー社社長のスナール氏も工場閉鎖をしたことはある人なので、それは、ゴーン氏に限ったことではない。 もう一つはルノー社内で社長に意見を仰ぎたい、相談をしたい、と思っても、本人がなかなか捕まらない状況だった。え?いま、どこの国にいるの?ニューヨーク?リオデジャネイロ?日本?オランダ?どこ?ゴーン氏の脳裏にはおじいちゃんかな、外国を駆け抜けて仕事をしている祖父の姿が焼き付いていたようで、成功するにはああでないとダメなんだ、と思っていた節もある。子供時代のそのような思い込みと言うのは意外に根強く残ったりする。フランスのSudOuest誌は、2018年のルノーからの収入は1,000,000ユーロは確定している、と報じている。100万ユーロは約1億2千93万円相当。ゴーン氏は2012年からオランダに本籍を置いていた。収入税はオランダに収めることになる。一方で、ゴーン氏がオランダに183日以上滞在する証明が必要になる。フランス側としては、この点を追及するとのことだった。2019年6月24日のキャピタル誌の記事で、La Direction National des Vérifications de situations fiscales (DNVSF) という政府機関が財政調査の一環としてゴーン氏の飛行機の使用頻度、電話の発信位置で場所を確認したり、移動の内容などを細かく調査し、オランダでの滞在期間が183日に達しているかを見ることになる、と。2012年から約8年分を調査することになる。そのことはゴーン夫妻に前もってメールで知らされており、調査期間は約一年かかる、と記載されていた。フランスのル・クオティディング誌が伝えるところによると、Mazars 会計事務所の監査報告で次のことがわかっている。ルノー日産のオランダのホールディングBN社を通じて、アリアンスの代表取締役社長の権限とは関係なく、約13億3千75万円相当をゴーン元社長が個人的に使用した。この内容はすでにルノーの取締役会で2019年6月4日に開示された。この中には一部、ルノーからの費用として、2016年10月のヴェルサイユ宮殿でのゴーン夫妻の結婚式費用が含まれていた。この約13億3千75万円相当が、ルノー社からの現物支給もしくは benefits in kind あるいは les avantages en nature として認められるものであるならば、給料の一部として記載されるべきものであり、40パーセントは税金として納めなくてはいけない。ともかく収入額面でいろいろあったようだ。21年来、ゴーン氏を知るというフランス語を話すレバノンのジャーナリストはヨーロッパ1 のインタビューで、ゴーン氏の逮捕は確実に陰謀だと語っていた。ゴーン氏は近日中に声明をあげるそうだ。もしもゴーン氏が日本ではなく、ヨーロッパで逃亡していたら、フランスに引き渡される可能性はあったそうだが、日本に引き渡されることはないそうだ。一体、この事件どこに向かうのだろう。まったく想像がつかない。
January 8, 2020
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Bonne Année! Bonne Santé! フランスは只今夜の7時半くらい。日本はすでに3時間前に2020年に突入。どんな一年になるかはわかりませんが、とりあえず健康でいること、夢がひとつでも叶う一年になりますように。今の時期は薔薇の挿し木どきで、一か月ぐらい前からぽんと水にさした挿し木から白い根が生え、中には小さな葉をつけたものもあります。こんなささやかなことですが、とっても嬉しい。すでに2年ぐらい前の挿し木からは美しい薔薇の花も二度咲いてくれました。夏場を除いて2014年晩秋から2016年夏にフランス国外にいたため、まったく手入れも水やりもできなかったシクラメンも二個、もうだめかと思いつつ、土を変え、水をやり続けたお蔭で生き延びて、以来、毎年、この季節に花をたくさんつけてくれます。球根の生命力ですねえ。フランス語で シクラメンは Cyclamen です。今年も花咲く美しい一年になりますように。
January 1, 2020
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南仏ヴァール県 2019年12月24日18時半ごろ庭に出て、夜空の満天の星を眺めていた。すると、やけに規則正しく星々が一列に並んでいた。不思議だなあ。じっと眺める。すると、一列に綺麗に並んだ星々が動いている。自分が眺めた段階で15個以上。これがその前からあったとすれば、無数であっても不思議ではない。音もなく移動している。飛行機ではない。人工衛星なら音はない。が、15個以上の人工衛星が飛ぶわけはない。これはクリスマスイヴのイヴェントね、とあわてて夫を呼びに行く。ただ、それだけのことだが、綺麗に並んだ星々は西南から東北に向かいながら、地平線に辿り着く前の空の高い場所で一つ一つ消えていく。一体、何だったんだろうか。これから夕食の支度なのでネット検索すらできないがまあ、フランス空軍のイヴェントだろうとは思う。でも、都会にいる人はまず見れないだろうし。飛行機とも思えない。ヴァール県のために?皆さん、Joyeux Noël !12月25日追記ネット検索の結果、夕べ見た現象に近い写真が一枚出てきた。ただ、写真は Gettyimage にあった写真を使ったもので、ロワレ地方の空に現れたとあるが。いつの写真かは不明。 自分は宇宙円盤は信じていない。昔、間違えてフランス語の専門的な飛行機の雑誌を購読してしまい、キャンセルするまでの間に届いた雑誌に掲載されていた米軍の最新型の軍用機が、宇宙円盤と騒がれる物体とそっくりだった。あれをそっと実験的に飛ばしたものを宇宙円盤だと信じた人がいたのでは、と思う。姉は昔何度も宇宙円盤を見た、と話し、うち一つは木曜スペシャルで話題になったものだった。山の頂上辺りに現れたのを何度か見たそうである。視力はいいほうだったので、何か見たことは信じている。宇宙円盤不信論者を決定的にしたのは、昔、隣のおばあちゃんが、母に毎日夜明けに宇宙円盤を見る、と話し、それは面白い、と早く起きて母と二人で空を眺めた時の失望感。「おかあさん、あれはね、ただの金星」Les ovnis aperçus dans le ciel du Loiret結局、自分が夕べ見たのはやはり宇宙円盤ではなく、フランス語で タイの提灯 lanterne thailandaise と呼ばれるものだった。と、断言できる。一つ一つ一定の距離を持たせて飛ばしそれほど風がなければ、夕べのようにきれいに一列に並ぶ。音もなく、すうっと飛び、音もなく消えてゆく。実は内心ちょっとまた軽く失望感を味わっている。それにしても、南仏の夕べの夜空の星々は美しかった。空に少し浮かんでいつまでも眺めていたいくらいだった。
December 25, 2019
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「メリークリスマス」ってフランス語でなあに?Joyeux Noël! ノエル Noël [nɔ εl] が クリスマス のことです。昔のフランス語では Noel と書いていたようです。この Noël という単語は、1170年頃から1250年頃の間に書かれた寓話集Roman de Renart 「きつね物語り」ですでに使用されていました。この中でも Noel と書かれています。Roman de Renart は ルナー Renart という名前のきつねを主人公とし、中世の騎士道世界を風刺した八音節(octosyllabique)からなる約26話が集められた寓話です。それぞれの詩は誰が書いたのかは不明だそうです。Renard ou Renart ? のサイトでこのポエムを載せています。12世紀のフランス語と現代のフランス語の対訳になったものを載せているので助かります。さて、ちょっと余談ですが、クロード・モネのアトリエを訪れる時に、観光客を乗せた大型バスが駐車する場所があります。その広大な駐車場の一角に、かつてモネが風景を眺めた場所に、帽子を被ったモネの胸像があります。その胸像を制作した彫刻家 Daniel Goupil 氏はかつて若い彫刻家の時代に廃墟と化したモネのアトリエで黙々と仕事をしていました。彼はモネのアトリエを世界に広めようとした活動家の一人で、胸像も寄付です。さて、彼の名前 Goupil ですが、中世では「きつね」の意味でした。「キツネ物語り」の定着とともに徐々にきつねを Renart と呼ぶようになり、現在の Renard になった、と考えられています。ちょっと長くなりましたが、Les origines du mot Noël によると、Noël はゴロワ(ガリア人)から由来するという説もあるそうです。夜が一番長い冬至を祭るゴロワの「新しい」 "noio" 「太陽」"hel" に由来する、と言う説です。Pourtant pour d'autres les origines du mot Noël sont gauloises, le mot Noël viendrait de deux mots gaulois "noio" (nouveau) et "hel" (soleil). Cette origine fait référence au caractère profane de la fête et notamment à la fête du solstice d'hiver fêtée par les Gaulois.「メリークリスマス」は Bon Noël も使われます。特に12月24日や25日に町中を歩きながら、通りすがりの知人に挨拶がわりにいう時は Bon Noël! が多いです。サンタクロースは le père Noël です。サンタクロースは聖ニコラとする説もあります。16世紀にプロテスタンが聖ニコラのお祭りを排除したものの、オランダでは子供たちにお菓子を分け与えるお祭りとして維持されたそうです。白いひげを蓄え、赤いコスチュームのサンタクロースのイメージはアメリカのイラストレーター Thomas NAST が1863年からNY紙に掲載したのが始まりだそうです。サンタクロースは北極を拠点として活動というお話は1885年に始まったそうです。皆さん、楽しいクリスマスを。Joyeux Noël!
December 22, 2019
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フランス人が、特に若い世代が使う言語で、辞書をいくら開いても出てこないものがあります。たとえば、chelou です。これは louche を半分前後に置き換えたものです。louche とフランス人が口にする時の表情は、片目を細めた刑事のよう。「いや、怪しい。実に怪しい。実に不可解。実にまずい」怪しい、という意味の形容詞が louche です。「怪しげでしょう、変だよ」 C'est chelou.で、何故、これをわざわざ音節を置き換えて chelou にしたのか、これはフランスで流行ってしまった若者の言葉遊び "verlan" が原因です。もともとは、1940年代に生じたものらしいです。音節を反転させたり、単語の最後で普通は発音されない音を先に持ってきて、わざと発音させたりして、いよいよ何を指しているのか想像もつかないものもあります。「妻」「女」「彼女」を指す une femme も une meuf 「兄弟」frére が reuf「父」pére が reup「苛立って」énervé が vénère ほかにもたくさんあります。暗号ですね。ほとんど解読されてはいますが。一種の緩和表現と言えないこともないではありません。フランス語の基礎編を真面目に勉強し、中級レベルも達成したのに、フランス人の話すフランス語がわからないのは、こういうものが原因である場合もありますが、ほかにも、男言葉がはびこっていて、女性としては聞くに堪えがたき?表現もわからない、と会話についていけないことがあります。たとえば、男性器の testicule ですが、あれは couille です。これがわからないと、どうも、ガリガンチュアも原文で読めないようです。苛々した時に男性が「おまえ、うざい」Tu me casses les couilles.あああ、なんて下品な、とショックを受ける女性を想定し、わざと使う輩もいます。まさか、と思われるでしょうが、お笑いで女性がわざと使うことはあります。女性の品位を疑われることは確実ですが。T'a pas de couilles. これは、「(おまえ)勇気がないな」「びびってどうする」「男らしくない」的なニュアンスで使われます。頼むわよ。
December 19, 2019
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フランス語で「お腹が空いた」はJ'ai faim. です。これ、どう発音すればよいでしょうか。ジェッ ファ~ ぽいです。● J'ai これを「ジェッ」と書きましたが、シェッ との中間くらいの音を出すようにしてみてください。 ● faim の ai は、voyelles nasales 鼻母音の一つで、発音記号では [ɛ̃] faim [fε ̃] 発音記号の~がなぜかちゃんと ɛ の上に乗ってくれないのですが、ご了承ください。faim の 最後の m が発音記号にありません。 [ɛ̃]と、いうことは m という子音、口を閉じて出す子音がない、ということです。J'ai faim. と言ったあとで、わざと口を閉じる必要はないわけです。さて、とってもお腹が空いた、と言いたい時は、オオカミになったくらいお腹が空いているよ、という表現があります。J'ai une faim de loup.さて、単に「お腹が空いた」だと、J'ai faim. と、冠詞がついていません。オオカミの空腹と形容された空腹には、不定冠詞がついています。J'ai une faim de loup.また、英語では「お腹が空いた」は be 動詞で I'm hungry. ですが、フランス語では avoir 動詞を使っています。通常、avoir は「持つ」と言う意味なので、英語の have と同じ意味になりますが、こういうところで違いが出てきますので、英語 have とフランス語 avoir の同一視は避けたほうが無難です。英語もフランス語もラテン語を父としているところで共通点はあります。フランスの小中高では任意で選べる科目としてラテン語の授業があります。 「喉が渇いた」はJ'ai soif.On va manger quelque chose. 何か食べよう。va は 動詞「行く」aller の三人称単数形です。ここでは、助動詞的に「食べに行く」の「行く」ですね。on va + 動詞 verbe 「~しよう」オムレツでも食べましょうか。Si nous allions manger des omelettes ?いいね。Bonne idée!Si nous allions + 動詞 verbe 「~しましょう」と誘っています。武士は食わねど高楊枝?いやあ、腹が減っては戦はできぬ。余談ですが。お腹が猛烈に空いている時は、実は脂肪がとけている時だそうです。なので、30分くらい我慢すれば、少しは痩せているのかな。たいがい、我慢している内にお腹が空いた感覚は自然消滅しますが。
December 18, 2019
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Yahoo France en panne"Ce site est inaccessible"フランスのヤフーが全く開かなくなっています。OUTAGE.REPORT によると、アメリカ、フランス、モルドヴァ、英国、オーストラリアなど12カ国でヤフー画面が出てこない問題が発生しているそうです。En temps réel 上記のサイトでは実況で報告しています。2019年の9月にも同じような問題が発生していたようです。フランス側から開けたDowndetector のサイトではではヤフーに障害が生じていると、その土地に赤色を置くのですが、パリ、南仏、イタリアの一部などが赤くなっています。あれ?日本も東京やその他の都市部が赤くなっています。日本語版のDowndetectorでは問題がないことになっています。フランスの場合は、ヤフーメールを開くことはおろか、ヤフーそのものを開くこともできないようです。フランス語のコメントで、本人のコンピューターが壊れたと思ったのか、買い替えなきゃ、とコメントしている人がいて、ああ、違うんだよお、と思いましたが。それほど困った状況だったのかも知れませんね。2019年の9月や10月でもフランス、ドイツ、イギリスなどヨーロッパ全土でメールが開けない人が続出していたんですね。いつ、もとに戻るのかはヤフーにもわからない。ネット社会に頼っている人たちにとっては困ったことですよね。列車予約をして電子切符をぎりぎりで受け取る人もいるわけだから。サイバーポリスの出番って感じです。
December 9, 2019
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日本で、初代の歌舞伎役者 市川團十郎が江戸で荒事を演じたとされる年に、フランスの劇作家モリエール Molière (1622 - 1673)は亡くなっています。今では、モリエールの家とも呼ばれるコメディ・フランセーズ Comédie française はルイ14世の指示で1680年に創立された王立の劇団です。日本では徳川綱吉が5代将軍になった年。当時、最初の役者はルイ14世自ら、選んだそうです。もちろん、モリエールの劇団からも選ばれます。300年続くコメディ・フランセーズ Comédie française はルーブル美術館から徒歩で5分ほどの場所にあります。すぐそばに中庭があり、素敵な場所です。モリエールはペンネームです。本名は Jean-Baptiste Poquelin ですが、何故、モリエールというペンネームを思いついたのかは謎だそうです。
December 8, 2019
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前回のブログで、フランス語で「お笑いコント」はスケッチと呼ばれ、中世の時代ではコント conte と呼ばれていた時代があることを短く書きました。17世紀の劇作家 モリエール Molière (1622 - 1673) は結構笑わせる内容の戯曲を書いていますが、farce とは一線を引いていたそうです。彼はもともと役者でした。その頃は、farce のイメージは低俗なものに落ちていたからでしょうか。さて、モリエールの生涯を描いた映画はたくさんありますが、2018年の映画で、モリエールが作品のセリフを言う時に、17世紀のフランス語で滔々と言ってみせたものがありました。Brûlez Molière! というタイトルの映画です。モリエールを演じる役者は、Storoge Dimitri という俳優でした。残念ながら、フランスでもネットで観るのは難しいようです。また、1978年の映画では、大きな舞台が草原の中を強風に煽られて勝手に移動し、それを役者たちが必死になって追いかけて行くというとんでもないシーンを載せた映画がありました。最初、自分は何をみているんだ、と思いました。Molière (Mnouchkine 1978) - le théâtre volant車のない時代ですからね。あちこちを巡業する時に、舞台と一緒に移動していたんですね。想像もしていなかったシーンでした。モリエールと言えば、フランスの有名な劇作家ですから、ずっと建物の中の舞台で演じていた、と思っていました。昔、パリの語学学校の先生に勧められて、コメディ・フランセーズで「守銭奴」L'avare を観に行きましたが、あんな感じだと思っていましたから、ほんとうに驚きました。
December 8, 2019
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フランス語でお笑いとしてのコントは、スケッチと呼ばれています。sketch スケッチって、あのスケッチじゃないの、と思いますよね。風景画スケッチ、人物スケッチと言いますね。何故か、割と20世紀に入ってからフランスでは sketch がお笑いコントとして使われています。一方、フランス語には、ちゃんと conte という言葉はあります。conte も récit d'aventures imaginaire à instruire en amusantと、説明があるように、面白おかしく導入する想像上の物語りの意味があります。conte de fées しかし、フランス語のコントには、妖精の物語り、フェアリーティル、童話としてのイメージが強いです。さて、パリ第三大学で、演劇は教会から生まれた、と話した先生がいました。フランス語で、面白おかしく話し、笑わせる人を farceur と言います。中世の時代に、教会の外で、余興という形で演じられた farce (la farce) というものがありました。しかし、それ以前は、割と真面目な意味で使われていたようです。教会の典礼 liturgie で、注釈などを添えたものを farce と呼んでいました。この farce は徐々に一般市民の間で笑わせる目的の演劇という意味を強く帯びていきます。farce が、教会とは関係なく独自のものとして大きく定着していくのは15世紀だそうです。La farce はもともと混ぜたもの mélange という意味があり、料理用語でもひき肉や刻んだ野菜を混ぜてトマトやピーマンに詰め込んだものもfarce と呼ばれます。
December 7, 2019
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Salut à tous!ユーチューブで見つけたフランス語のコントをご紹介します。コントはコントなのですが、実はイル・ド・フランス地方で若者が就職先で注意する点について助言を与える目的で制作された動画シリーズの一作品です。ご紹介する動画の中で、はっきりと発音するための筋肉運動でしょうか、舞台役者が鉛筆を口に挟んで話してみる練習をしています。はっきりと発音するという動詞は articuler です。登場する少年は、親戚の男の子にも少し雰囲気の似た感じの子がいて、笑ってしまいます。お笑いを見る感覚でお楽しみください。フランス人向けなので、メチャ早口の部分もありますが、形容詞などがいくつかわかれば、聞き取れる箇所はたくさんあると思いますよ。たとえば、あまり速過ぎず pas trop viteあまり遅すぎず pas trop lentementあまり低すぎず pas trop basあまり強すぎず(大声ではなく)pas trop fortt'es lourd ← tu es lourd 君、重いよ。「うざい」みたいな感じですね。Quoi ? 何?Qu’est-ce que vous dites, なんておっしゃいましたか。articulez, はっきり言ってparlez lentement, ゆっくり話してje vous laisse tomber. 放置しますワ 「だめだ、こりゃ」って感じです。ほかにも、聞き取れる箇所があると、嬉しいですね。Savoir s’exprimer, bien articuler, parler plus fort et distinctement – Les tutos de Baptiste #9途中までですが、字起こしをしてみました。ご参考になれば、幸いです。Avec les tutos de Baptiste, cartoon en entrepriseBonjour, je suis metteur en scène.…..Pardon ? Qu’est-ce que tu dis ?Je ne comprends rien.…, c’est du Grommelot, une langageOui, je sais que c’est un langage, un langage imaginaire, grommelot, On en utilise ça pour faire des impros, alors je vois pas pourquoi tu présentes le grommelot,Eh , bah, c’est parce que ça présente bien le sujet, je trouve ça marrant, non ? On va bien parler des locutions aujourd’hui, non ? Voilà, une impro(visation), un grommelot. Enguise intro, bah, moi, ça me met dans l’ambiance, ça présente bien le sujet, tu vois,Non, pas vraimentBien s’exprimer, parler distinctement, pas trop vitePas trop lentementPas trop basPas trop fortBah quoi les différents cas figures, hein, C’est très important en entrepriseEt puis, …..Là, t’es lourd, t’es vraiment lourd, làPardonAu travail, comme dans la vie de tous les jours, bah, c’est fondamental de bien se faire comprendre, d’articuler, parce que ça deviendra un réel handicap, Et ça peut être une question de vie ou de mortQuoi ? Qu’est-ce que vous dites, articulez, parlez lentement, je vous laisse tomber.On va donc faire un exercice du diction, bien connu par des apprentis comédiensと、ここまで書き起こしましたが。あとですね、同じシリーズのこれもとても楽しい動画です。効率よく仕事をするには、という内容なのですが。Gérer son temps, prioriser et planifier ses activités professionnelles – Les tutos de Baptiste #11
December 6, 2019
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Bonjour à toutes et à tous.Comment allez-vous ? J'espère que vous allez bien.さて、簡単な文について考えてみたいと思います。フランス語で「私は高校で教えています」は、どう言うのでしょうか。Comment dit-on en français ?「私は高校で教えています」「教える」 enseigner です。「先生」は professeur です。あるいは、男性なら、enseignant 女性なら enseignante 「高校」は lycée 男性名詞です。学校の先生たちは、次の三つの言い方で書いていました。① J'enseigne dans un lycée.② J'enseigne au lycée.③ J'enseigne en lycée.さあ、ここで、気になるのは、③ J'enseigne en lycée.「高校」は le lycée 男性名詞です。と、書きました。男性名詞なら、lycée 「高校」の前に来る前置詞は au となるのはわかるが、en lycée は間違いじゃないの?と思う方も結構いらっしゃると思います。ところが、学校の先生ともあろう人たちがかなりの数でJ'enseigne en lycée. と、書いているのです。いくつか例文を見ていきましょう。J'enseigne dans un lycée de banlieue parisienne.J'enseigne l'histoire-géographie au lycée Emile Zora.J'enseigne au Lycée depuis quatre ansJ'enseigne en lycée professionnel. J'enseigne depuis plus de 10 ans en lycée professionnel j'enseigne le français depuis trois ans au lycée Wordreference.com のチャット欄では、③ J'enseigne en lycée. について、自分ならそんなふうには書かない、と答える人がいます。そうは言っても、学校の先生が文法的なミスを犯すのは想像しがたい。すると、同じチャット欄で、ある人が、実は、J'enseigne en lycée. という表現はありうる、と答えていました。つまり、一般的に「高校」と言う組織を意識し、その組織の中に位置づけられた自分の立場を表現している場合だと。したがって、en lycée と、言う場合は、どこの高校であるかは特に伝達事項として意識せず、どの場所にあるかも意識しない、と言う場合です。J'enseigne l'histoire-géographie au lycée Emile Zora. のように、ナントカ町のナントカ高校と、特定しない。よって、定冠詞の le は不要になってくる。また、J'enseigne dans un lycée de banlieue parisienne. のように、話し相手に、(君は知らないかも知れないが)ナントカ町のある高校で教えているんだよ、と伝えることを意図しているわけでもない。不定冠詞の un というのは、(君は知らないかも知れないが)と仄めかしている。よって、不定冠詞の un も不要になってくる。冠詞は不要なので、lycée という単語だけを持ってくる、その違いを表現するために前置詞に en を持ってくる、ということなんですね。同じ感覚で、次のような表現が使われます。en centre-ville, en supermarché, en collège日本語にはない冠詞、日本語で育った人間にはなかなか難しい冠詞です。私もフランス語で話している時はおそらく間違いだらけだろう、と思います。恐らく人生の終わりまで正しくフランス語を話すことはありません。 しかし、最近は日本語だって完璧なわけではないな、言葉って一生の勉強だ、と思っています。そんなわけで、今この一歩をちょっとまた踏み出してみる、くらいの気持ちで続けていくのみです。生徒 先生の限界を感じたレッスンでした。先生 バイリンガルでもないしね。フランス語は美しい、と思うけれど。生徒 前置詞も冠詞をわかってないと、機械的に覚えちゃいけないんだな。先生 ただね、話し始めるとね、もう文法なんか考えてないですよ。 だから、そこが怖い。時々、こうして、文法を確かめにこないとね。 さて、最後にお願いがあります。フランス語の上達を目指す方は、できるだけ音を聴く教材を利用してください。ネットがつながる環境であれば、Youtube を利用しない手はありません。過去におすすめしたサイトも健在のようです。あるいは、ユーチューブで、Home Language とFrançais Authentique もおススメですが、フランス語だけの説明ですので、初級者にはいきなり難しく感じて挫折してしまう可能性はあります。この二つの動画を検索する内、別のフランス語レッスンの動画が映し出されるので、そちらも見てみるのが良いかもしれません。初級者の方であれば、Apprendre le français フランス語を習うDébutant 初心者と、いう言葉をたどり、検索すれば、お気に入りが見つかるかもしれません。できるだけ、ネィティヴの先生の動画を見つけてください。日本人にもアメリカ人にもなかなか難しいフランス語の発音です。特に、R の音も大事ですが、母音、鼻母音もなかなか曲者です。母音は口の開け方で決まる音です。日本語なら、あいうえお の5音しかありませんが、フランス語は16個。この口を16通りにちょっと開けたり、閉めたり、なんて考えたら、面白いですね。英語を話せる人がフランス語で発音している動画がありました。充分、通じる、とは思いますが、母音と鼻母音がどうかな、少し重い発音だなあ、と思う動画もあり、最初はやはり、できるだけネィティヴの発音を聴いて、できれば、何度も繰り返し、練習をしてほしいです。イントネーションも真似て発音すると、上達します。Répétez, s'il vous plaît.Bon courage et bonne continuation!A bientôt!
December 6, 2019
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「重曹」はフランス語で biocarbonate de soude です。 クエン酸 acid citrique 過炭酸ナトリウム percarbonate de sodiumレモン citronホワイトヴィネガー vinaigre blanc(スーパーで最安価で売られている無色透明なお酢)最近、vinaigre blanc と biocarbonate de soude でジュワっと泡立てて陶器の流し台やバスタブを洗うことにはまっています。ホワイトヴィネガー vinaigre blanc はフランスでは自然派の間で急に人気が高まったのか、最近、スーパーにもタンク入り5㎏が販売されるようになりました。衣類用の洗剤にも、オリーブマルセイユ石鹸入り、とか重曹入りとかをうたい文句に販売されているものが出ています。昔、どこかの記事で、犬の歯を檸檬の皮で磨くと白くなる、と書いてありまして、人間の歯も白くなるんじゃないか、と思い、一度試したことがありましたが、すぐに効果が出るものでもなさそうで、その後忘れてしまいましたが、たまにやるといいのかもしれません。煤で真っ黒になる暖炉のガラス窓が灰と水のみで、まあまあキレイになります。薪として切られてから、2年くらい乾燥し、よく燃えるものはより暖かく、ガラス窓の煤も割と簡単に落ちますが、水分を微量でも含んだ薪だと、ガラス窓の煤はなかなか落ちません。面白いですね。夫が、灰で歯磨きをしたらいいかもしれない、と実行していますが、灰は粉だから、歯のエナメル質を削るので、一週間に一回くらいにしないとだめじゃない、と言っています。研磨剤ですよねえ。薪の木は、ナラの木で、その灰ですね。夫は庭の一部に捨てています。微量の灰は植物にいいのですが、大量に置くと、植物や木の根っこが窒息してしまう、と読んだのでこれも長期的に見て、ちょっと不安です。彼は知っているはずなのだけど。この灰から衣類用の洗剤も作れるみたいですが、結構、時間がかかりそうです。環境には優しい洗剤だろうとは思います。一度ですが、あの絡まるツタの葉にはサポニン成分があるとのことで、煮込んだ汁が洗剤になると読んで、それは試してみました。でも、煮込むためにガスを使うのもちょっとばかばかしく止めました。あと、どのくらい、その液体が持つのか、というと、3日くらいで使い切らないといけないらしく。できるだけ、環境に還元する成分のものを使いたい、と思いつつ、洗剤は皮膚に優しい無香料のもの、でも、柔軟剤にはアレルギー肌にも優しいものとはいえ、香りのあるものを使い、食器洗い機は水の制限にはなるとはいえ、洗剤タブレットは使っているわけで100パーセントエコロジーはまだまだ到達していない。重曹とお酢(クエン酸)などで、身体から衣類まで何でも割とほんとうは綺麗に洗えるのじゃないか、と最近思いつつも。香りは、ラベンダーの精油を微量、柔軟剤としてお酢に加えると、衣類の場合、虫よけにもなります。
November 28, 2019
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フランス語で「悪天候」は intempérie です。jaillir 吹き出す、噴出するl'inondation 浸水la pluie 雨le resutaurant situé au bord de la rivière 川沿いのレストランla sirène d'alerte 警告のサイレンêtre à l'affût ~に注意して、目を光らせてpompier 消防車la rivière est montée à plus de ... mêtres. 川が~メートル以上増水した。 INTEMPERIES: Var et Alpes Maritimes en alerte rouge_23/11/19_JT 20H FRANCE 2 をコピコレでYoutube検索すると、ニュースで状況を見ることができます。南仏は大雨を伴う嵐で少なくともこの二日間降りまくりました。いやあ、この降り方は何年か前にもあったなあ、と思いましたが。2015だったのかな。ニュースでは南仏ヴァール県、アルプ=マリティーム県など地中海側でも警告がだされたようでした。映像では浸水の被害があったようで、水に浸かった数台の車、川沿いのレストランも店内まで浸水し、交通の面でもトラブルがあったようです。避難勧告が出された地域もありました。道路沿いの木が倒れていたりする映像もありました。マルセイユの観光名所にもなっている旧港も道路が浸水していました。場所によっては鉄道の線路の下の土まで水にえぐられてしまった映像がありました。そして最悪の死亡者二名、行方不明者三名も出てしまいました。とにかく増水して流れる川の水量がすごい。日本の台風の状況に似ています。結構、激しい風も吹いていました。金曜日の午前中かな、ちょうど、洗濯をしようと思ったけれど、停電していたので、嵐のせいだろう、と思っていました。午後には電気が戻りましたが。久しぶりに電源が切れ、やっぱり、不便だなあ、と思いました。うちは停電になると、固定電話もインターネットも使用できなくなり、夫の方針で携帯を持たない生活です。周囲からは、ええ?!ってもう数年前から驚かれてしまうのですが、不便です。生き残っていますが。それにしても、南仏、夏が滅茶苦茶乾いていて、太陽が地面を焦がしかねないほど乾燥したかと思うと、11月中期で出鱈目に雨が降る。あれだけの雨を大きなタンクに入れれば、半年分は庭の水まきに使えたんじゃないか、と思います。いつも、敷地の奥に現れる筋金入りのグレーと白の野良猫もこの二日間はさすがに姿を見せませんでした。どこに避難していたのだろう。ま、夏場も結構、あちこち歩く姿を見たので、いろいろ避難所は確保しているのか。でも、可哀そうだな、なんだか。今日の午後、ようやくいつもの場所に座っていて、ちょっと安心しました。うちは敷地がほぼ林で地面も少し斜面になっているので、雨は流れていくので基本的には浸水はしません。とは、いえ、今回は結構、あちこちに水たまりができていました。北イタリアも被害が出ていたそうです。à la décrue 水が引くとintempérie 悪天候jaillir 吹き出す、噴出するl'inondation 浸水la pluie 雨le resutaurant situé au bord de la rivière 川沿いのレストランla sirène d'alerte 警告のサイレンêtre à l'affût ~に注意して、目を光らせて
November 25, 2019
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皆さん、今、避難勧告指定地域にお住まいですか。懐中電灯、長靴、水、お弁当を用意して、いつでもパッと避難所に出掛けるようにしていますか。窓ガラスのそばには寄らないように。ペットの犬は玄関に入れましょう。安全な場所でお過ごしください。土砂災害もあるそうですので、外出は避けてください。LIVEウエザーニュースで確認しましょう。
October 12, 2019
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今日は10月4日、南仏の田舎です。ナラ林のような荒れ地の庭を歩いたら、オレンジの傘と黄色い脚をしたキノコを発見。9月末に一度雨が降り、その後はボレというおいしいキノコも見つけました。その後、またしばらく晴天続きでした。が、二日ほど前に夜中に大雨の嵐。その後に生えたきのこではないか。まさに雨の恵みがもたらしたもの。ああ、なんだか写真ぶれていますね。もう日が暮れかけて自動フラッシュで撮った写真です。さて、傘がオレンジ色のきのこ。ぱっと見ると、断然、毒キノコっぽいです。写真ではわかりにくいですが、脚も見事に黄色っぽい。去年見つけたものは傘が直径12センチほどの大きなもので、遠くから鮮やかなオレンジ色がまるで「見つけて」と催促しているようでした。食べたかどうかの記憶が曖昧で家に戻り、ネットで調べました。ああ、そうでした、フランス語で、Oronge, もしくは シーザーのテングタケ l'amanite des César などと呼ばれているきのこでした。César シーザーもしくはジュリアス・シーザーのことですね。キノコの中でも特に美しくおいしい種類だそうです。フランスではキノコの中の王さまとか、le roi des champignons神秘のキノコとかいろいろ形容されているようです。l'amanite はテングタケのことですが、中には毒性の高いものもあるので、必ず再確認が必要です。特にこの西洋タマゴタケに似たもので、傘に白いイボがあり、脚の部分が白いものは命にかかわります。よく、子供の絵本にかわいらしく描かれるベニテングタケですね、なんと犯罪の匂いがする強力な毒キノコだったんですね。今回見つけた西洋タマゴタケは一番大きいものは傘の直径が約8センチくらい。中を開いてみましたが、虫一つ食わず、きれいな状態。フランスでも、結構珍しいのだそうで、地中海地域などで見つかる、とあるので、まあ、南仏のナラ林などで見つかる可能性が高いようです。さっそく、キノコの傘についていた土などを払うと、キレイなものです。全く虫にも食われていませんでした。水洗いなしそのまま細かくちぎって、オリーブオイルとニンニクを合わせて、茹でたジャガイモなどと炒めて食しました。香り豊かで美味しかったです。そんなわけで、つい、セイヨウタマゴタケを見つけて食べたわ、南仏で。なんて自慢したい気分になった次第です。日本でもどの地域かわかりませんが、行くところに行けば、採れるみたいですね。南仏のように日照時間の多い場所で、雨が降ったあとなんかが狙いかも知れません。また石灰を多く含む土壌も大事な要素なのだそうです。フランスの料理の記事には、なんと、あのユズとも味が合う、などと書いてありました。ほかの記事では、小さな若い oronge きのこは、生で食べても大丈夫だと書いてありました。生で食べて美味なキノコとしても通には知られていたようです。oronge の名前は、プロヴォンス語の方言 ouronjo が由来だそうです。Oronge ou l'manite des césar 2019年10月4日 南仏
October 5, 2019
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今日2019年9月26日、元フランス大統領ジャック・シラク氏がお亡くなりになった、と知った。86歳だったそうだ。1932年生まれ。1962年はまだ30歳。大統領期間は1995年から2007年まで。元ミッテラン大統領政権では首相を務めた後、大統領になっている。シラク氏の次に大統領になったのはサルコジー氏。力士の名前はすべて覚えたというシラク氏が大の相撲好きの親日家だったので、その反動か、サルコジー氏は日本に対して冷めた印象で相撲のことも皮肉るようなことを言ったらしい、と記事で読んだことがある。それでも原発派のサルコジー氏は東北大地震の際は現地まで行かれた。これはでも、日本に原発の技術を販売する目的もあったのかも知れない、とつい思ってしまう。報道で見る限り、政治家特有の親近感を抱かせる人柄はあるものの、日本人としては、気持ち的にシラク氏の方がどうしても、日本の文化にも関心を示し、日本とのつながりは温かいものがあったような気がする。シラク氏が初めて日本に訪れたのは21歳の時だったそうだ。1953年の日本。以降、40回か50回は日本を訪れていたらしい。文学、歴史、刀や茶道にも詳しく、日本のことなら何でも僕に聞いて、というくらいだったのだろう。フランスのスポーツ番組で相撲が放映されたのもシラク氏のお蔭だったそうである。さて、シラク氏は若い時、コミュ二スムに傾倒していた時代に核実験反対運動に署名もしている。1960年から1996年まで、フランスは210の核実験を行っている。ドゴール大統領(1959年-1969年)ポンピドー大統領(1969年ー1974年)ジスカールデスタン大統領(1974年-1971年)ミッテラン大統領(1981年ー1995年)シラク大統領(1995年ー2007年)核実験はフランス国内ではなく、フランス領で行われた。アルジェリアのサハラ砂漠Reganneレッガンヌ南西部で空中爆発、Reganneレッガンヌ南部で地下爆発実験など、またタヒチから1200㎞先かつニュージーランドから4750㎞先の Mururoa ムルロアやFangatafua ファンガタウファや、イネケールなどの環礁で、ポリネシアでは193回に及ぶ実験が行われた。しかも英国もポリネシアで1958年まで核実験を行っていたのではないだろうか。1200㎞かあ。南仏からパリまで1000㎞くらいだから、そんなに遠くはない。遠いけれども、車で行ける距離。これが原因でニュージーランドを旅行中のベルギー人が現地の人たちからボコボコにされたそうである。フランス人と間違われて大迷惑だった。2019年5月23日にフランスの国会は、核実験のせいでポリネシアに特に衛生面での被害を及ぼしたことを認めた。ポリネシアでは奇形児の出生数が25年で5倍に増えたそうである。南仏も時にはパリまでもサハラ砂漠から熱風が届くこともあることを思うと、やはり当時の政治家たちは核実験を軽く見すぎてていたのかも知れない。核保有国にならないと、ソ連から何をされるかわからない、という焦燥感からか。フランス人の夫は、子供の時にテレビに、あるクリームの宣伝が入り、それが、放射能クリームで美人になる、というようなものだった、と話してくれたことがあった。それほど認識が低かった、ということなのだろう。世界の核実験数 米国 1050回 主にネヴァダ州で。ソ連 715回 中国 75回 英国 75回 北朝鮮、インド、パキスタン 6回世界の空中核実験年代米国 (1945-1962)ソ連 (1949-1962)中国 (1964-1980)英国 (1952‐1958)ポリネシアはフランス領になったばかりに核実験の現場にされてしまった、と思うとなんだかね、しかも核実験の被害というのはすぐにわかることでもなく、実際に被害者が出て、各地で放射線量を測定されてから、と時間もかかる。核実験とは関係は直接ないけれども、原子力を平和利用しようと、電力に還元する方向に発展した原発。その原発大国フランスは、2005年前後の原発由来の電力は請求書には90パーセントだと書かれていた記憶がある。今は75パーセントに減少しているそうだ。ちなみに何年か前に、うちは原発由来はゼロの電力会社に登録している。さて、核実験という深刻な負の遺産の話になってしまった後で、このあとを続けるのは不謹慎な気がしないわけではないけれども、シラク氏の個人的な回想に戻ります。シラク氏は若い時、アメリカに留学し、アメリカ人のガールフレンドもいたそうで、当時のジャック青年は相当なイケメンだった。後に若い政治家として登場した時は、「みんな、シラクがハンサムだから投票しているだけでしょう?」と冷ややかにコメントする女性もいたくらいだ。確かに政治家としてメディアに出た当初は、特にその感は否めない感じはする。しかも口を開けば、飄々とした気さくさがある。シラク氏がアフリカを訪れた時だろうか、現地の正装として花の飾りを頭から胸に被るようなものがあるが、その恰好で写真に写っていた。あ、いつからアフリカ部族の酋長に、とまた親近感が増した。(アフリカじゃなくて、太平洋の島だった!爆)Libération Mardi 2 septembre 1986 リベラシオン紙のFlorence Decamp記者の記事と一緒に載った当時、首相のシラク氏の写真。1961年からフランスの海外準県として統治される太平洋のワリス・フテュナ島を1986年9月1日に訪問した際の写真。記事の中では、シラク氏訪問とともに初めて飛行機がやって来ること、病院の再建、電話の改善、テレビ番組の選択肢が増えること、フテュナ島には電気が供給されること、などが書かれてある。島の人々にとってはシラク氏を伝統の衣装に包み迎えることが最大の敬意だったのだろう。夫は、昔の大統領選挙のさい、テレビ対決で見せたミッテラン氏とシラク氏の話し方の品格の高さに驚いていた。もう今は誰もあんな大人の品格で話す政治家はいないよ、と。確かに二人とも落ち着いていて、低い声で談話し、皮肉にもゆっくりとしなやかな話し方で対応している。が、話している内容は、若いシラク氏(当時、首相)が過去のミッテラン氏の能力のなさなどを攻撃し続け、最後にミッテラン氏(当時、大統領)がそろそろ未来を見据えた話題にしましょう、と言って一本勝ちのような内容。シラク氏夫妻は二人のお嬢さんに恵まれた。が、長女は病弱で自殺未遂もおこした。次女クロードさんは俳優のヴァンソン・リンドンと10年間の交際をしたそうだが、初婚相手は大学講師兼フィガロ紙の経済研究部のディレクターだった。26年前である。が、新郎は結婚からわずか7か月後に自殺。34歳。この男性の母親は自殺説を否定している。一人息子だった。クロードさんはその後、ベルギー生まれの柔道家と交際し、息子が生まれたがその後、別れ、2011年に再婚をしたそうだ。クロードさんは父親の政治活動のサポートに徹した時期があり、よくテレビに映っていた。さて、1987年か1986年か忘れたけれども、パリのはずれの高級住宅地区Neuilly sur Seineに広大な草地があり、普段は時々馬が走っていそうなその場所に大きなテントを張り、多くの人が集まり、ワイワイ何かやっていた。たまたま通りがかっただけだが、雰囲気として誰でも参加できそうだったので、好奇心に駆られ、ワイドオープンなテントの中に入って見た。テントの下にはたくさんのテーブルと飲食物があり、主にスーツ姿の多くの若い男性たちが座り、時々、大声をあげて甲高く笑っていたり、恐ろしく賑わっていた。酒の勢いもあるのか、やたらエネルギッシュだった。宴会会場のような感じ。ややドン引き。意外なフランス人像?奥には大きなステージが設けられ、そこでいろんな人が次から次に壇上に上がり、その中にテレビでよく見かけたシラク氏もいた。と、言うより、それはシラク氏の演説のために設けられた会場だった。と、言うわけで初めてフランスの政治家の演説を見聞。当時はシラク氏は首相だったはず。シラク氏の演説は少しづつテンションがあがり、実に情熱的だった。よく考えてみれば、シラク氏も当時は54歳くらいだった。さて、シラク氏が壇上から去ると、大きなスクリーンにマドンナが映り、マドンナの歌で会場がまた盛り上がっていた。確か、当時、マドンナはエイズ基金としてフランスに多額の寄付をしたと思う。何を話されたのかは当時の自分のフランス語能力でわからない部分もあっただろうし、覚えているのは、シラク氏を応援する男性が、「シラク氏は何も言わないけれど、アジア人の孤児を家族に迎えた人です」と言った部分はよく覚えている。ふっと頭の中でアジア人の小さな女の子を長年思い描いていたが、実はベトナムのボート難民のすでに21歳の若い女性だった。実際は彼女はシラク家に2年間住み、養女となったわけではないが、フランス語教育などを受けさせてもらったそうだ。彼女の中では、シラク氏夫妻は、パパ、ママと呼ぶほどの存在だとインタビューに答える様子が映っていたのを最近になって観た。シラク家の家庭に関するドキュメントの中には彼女は登場しない。家族として認識はされていない印象。ひょっとしたら、シラク大統領夫人と次女のクロードさんの検問が入ったものだったかも知れない、と自分は想像していた。このドキュメントに関して視聴者からの批判的なコメントなどもあったらしく、後日、当のベトナム人女性もどことなく残念そうにしているイメージが映っていた。が、実際はどうなんだろう。むしろ、ベトナム難民を救った優しいシラク大統領夫妻だった、のような良い話を政治利用したのではないか、と思われる方がいやだ、と思われたのかも知れない。実際、私が偶然遭遇したシラク首相時代の会場でも、シラク氏はその話を自ら明かしてはいない。ベトナム人難民女性に大きなチャンスを与えたかっただけで、そのほかのことは彼女を静かにしておいてほしい、決して政治利用ではない、という思いだったのかも知れない。シラク氏が大統領を退き、サルコジー氏に譲ってから、ある映像を見た。それが大変ユーモラスだった。しっかり、おじいちゃんになったシラク氏。シラク氏の夫人ベルナデットさんがこれから何やら演説をしようとしていた。夫人の後ろにはたくさんの人が座り、中に少し若い時のオランド元大統領もいる。夫人のほぼ真後ろにシラク氏が座っていた。と、金髪の長い髪の女性が現れたが、彼女の席がない。シラク氏は彼女に話しかけ、その内、手を取り、Vous ne restez pas debout. 立ったままなんてだめですよ。そして、ほかの人たちに話しかける。 Apportez la chaise. 椅子を持ってきてください。傍目には堂々とナンパしているように見えないではない。その光景を呆然と眺めるシラク夫人ベルナデットさん。椅子はどうやらちゃんと運ばれたようで、夫人は Bien. 「良かろう」とばかりに演説をする方向に身体を戻し、演説を始めた。が、その真後ろでニコニコ顔のおじいちゃんシラク氏は親し気に金髪の女性にVous savez. Les Femmes. Il faut se méfier. 女の人たちはね。わかるでしょ。警戒してかからないとだめなんですよ。(このセリフ、夫が妻のことを指してあきらめがちにモノローグでよく使う)なんてセリフをニコニコしながら話しかけ、金髪の女性もシラク氏の耳に何やらひそひそ話をしている。シラク氏はご機嫌そうに愛くるしい笑顔を見せている。 夫人がいたって生真面目に演説を続ける後ろで二人はひそひそ話が止まらない。が、ハっと気がついたかのように真面目な顔で夫人を見上げるシラク氏。それは後ろでいつまでもお喋りが止まらないシラク氏に注意せんばかりの厳しい眼差しで夫人が唐突に無言で振り向いたからである。学校の先生に睨まれた感のシラク氏の、あ、やっちゃった、みたいな表情。黙りこくったシラク氏を一瞥してデスクに顔を戻し、演説を再開する夫人。シラク氏が11歳の時に母親に書いた手紙の中に、「僕は自分でもなかなか直すのが難しいと思うけれど、この性格を直すように努力します」と言うのがあったけれど、ああ、変わってないのでしょう。と、ふと思ってしまった。(笑)演説を終えてシラク氏の横に無言で座るベルナデット夫人。シラク氏は口を堅く閉じたいたずらっ子のように神妙な顔つきで夫人を一瞬眺め、横に座った金髪の女性に、にこっとしてみせる。なんともお茶目なシラク氏だった。上記のお茶目なお話しは、Youtube で "Jacques Chirac gaulé par Bernadette" を検索すると閲覧できます。金髪の女性は何者か、愛人か、などと後日報道されたが、彼女はシラク夫人もよく知る人で、この説はすぐに消えた。いろいろ書いてしまった。一つの時代が終わったんだなあ、と思ってしまう。シラク氏のご冥福をお祈りいたします。
September 27, 2019
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「鮮明なオレンジ色のシャツ」をフランス語で何て言うの?シャツは chemise です。さて、質問です。男性名詞ですか。それとも女性名詞ですか。une chemise 女性名詞です。鮮明な vifオレンジ色 orangeUne chemise orange vif え?「鮮明な」は vif じゃなくて、vive になるんじゃないの、と思われたあなた、お気持ちはわかります。フランス語の場合、形容詞は名詞が女性名詞なら、形容詞も女性形になりますよ。と習いました。実は、色彩を表す単語、(この場合、orange) が、別の単語、(この場合、vif) とくっつくと、変化しないルールなのです。orange vif 「鮮明なオレンジ色」は、そのままです。しかし、例えば、「一枚の青いシャツ」はUne chemise bleueと、また女性名詞を形容する「青」bleu は一つだけなので、女性名詞を受けて変化し、最後に e がつきます。Règle d'accord des adjectifs de couleur composées Quand un adjectif de couleur est composé de deux mots, aucun ne varie.興味のある方は次のサイト Projet Voltaire で練習問題 Exercices (cherchez les erreurs) に挑戦してみてください。解答 Réponses でチェックもできます。des tuniques « bleu foncé » ou « bleues foncées » ?
September 26, 2019
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今日の午後、銀行とスーパーに行きました。銀行では受付に一人の女性が長々と質問していました。ちょっと待ちくたびれ。で、いよいよ自分の番が回ってきた時に、と、あることを突然思い出し、それをメモしようと受付から離れ、同時に二人の女性が入ってきて、二人は受付に直行。自分は特に急いでいるわけでもなく、メモを終えて、少し距離を置いて、すでに受付にいた女性二人の後ろの方に立っていました。こちらは普通の顔をして待っていました。(←本当に)2人の女性は60代か70代で、とにかく恰幅が良くて背も高くスーツ姿で、薄いサングラスもかけていて、顔立ちもちょっぴり険しいイメージで、いわゆるコワオモテの方たち。女のベテランCIAみたいな(映画のみすぎ)。その内、女性の一人はたぶん付き添いで来ていたのか、時々、後ろのほうにいる私の方を向いたりします。内心、え?何か警戒でもされている?なんて思ったりして。怪しい東洋人がうしろに...?そのうち、お二人は用が済み、受付を離れた時に、私のほうを時々振り向いていた人がさっと私に話しかけ、なんとなく申し訳なさそうな表情で、ほんとうに小さな声で、Vous n'étiez pas avant nous ?あなたは私たちの前にいらしたんじゃありませんか?自分たちが順番を横取りしちゃったのではないか、と気にされて何度も振り向かれていたのでした。Ah, non, non, pas du tout. あ、いえ、全然そんなことはないですよ。そう答えると、優しい笑顔で去っていかれた。気遣いから、こちらを時々見ていたんですね。この後、スーパーで買い物をし、駐車場で、隣の車の人の後ろのドアを開けたままにしていた年配のご婦人。すました表情で、やっぱりどことなく険しい顔つき。が、私が車でバックしようとしながら、気長に待っていたのに気がつき、急に、あら、ごめんなさい、とまたとても申し訳なさそうな表情。大丈夫ですよ、と笑顔で答えると、安心したようにご婦人も笑顔に。今日はなんだか、年配のご婦人の意外な気遣いに出遭った日でした。実はスーパーのレジで小切手で支払う際も、こんなことが。小切手は一旦、機械に飲み込まれ、支払金額などをプリントして、でてきますが、それにサインをしなくちゃいけません。ところが、うっかりですね、 レジの店員さんが、私がサインをしない先に、小切手をレジにしまおうとしたので、私も焦って、あ、サインさせてください、と言ったら、レジの綺麗なおばさん、何度も、(綺麗な人でした)Merci beaucoup. C'est vraiment gentil.ああ、ありがとうございます、ご親切に。ほんとうに安堵したような自分を責めているような表情でした。南仏の田舎の小さなお話しです。でも、ちょっぴり日本にいた時のような気持になりました。
September 26, 2019
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フランス語を学び始めてから、2年後も3年後もなかなかフランス語会話が理解できずにいた頃、偶然、あるフランス映画を観た。もうタイトルは忘れたし、ストーリーも忘れてしまったけれど。その映画で言っていることが大体理解できたのが恐ろしく嬉しかった。それは特に当時まだ若い役者ファブリス・ルッキーニのフランス語の発音がおそろしくはっきりしていたお蔭である。Fabrice Luchini映画となれば、特にわかりにくい発音をわざとする役者が多い時代である。確かにそのほうが格好良くも聞こえたりするし、自然であったりもする。が、ファブリス・ルッキーニはまったく違う。彼はコメディー・フランセーズの役者ではないが、たまに映画でコメディー・フランセーズの役者が演じていると、そこだけセリフがやけにはっきりと聞き取れたりする。舞台俳優の発声はやはりどこか違うのだろうか。フランス語を理解したいわ、という人にはほんとうにありがたい役者である。彼が登場する映画はぜひともフランス語で聞いてほしいです。「ボヴァリー夫人とパン屋」は特におすすめの映画である。できれば、フローベールの「ボヴァリー夫人」を先に読んでからのほうがより楽しめると思う。ファブリス・ルッキーニ演じる文学好きのパン屋が面白い。 Les Femmes du Sixième étage 「屋根裏部屋のマリアたち」は2011年に日本でフランス映画祭の時に紹介されたそうである。ファブリス・ルッキーニ、1951年生まれ、パリジャン、ご先祖様はイタリア人だそうである。
September 19, 2019
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2019年7月17日、南仏は晴れ。外は乾いています。今日は小さな水色の蝶の写真を撮りましたが、すべてピンボケ。羽を開くと、羽の内側がもっと美しい空色をしているのです。ほんとうに青い花びらがひらひらと舞っているようです。L'Azuré bleu céleste prise le 17 juillet 2019 en Provence Verte 83 dans le Var.Petit papillon bleu ciel とか Azuré bleu céleste とか検索すると、もっと立派なプロの写真が出てきます。あ、リンクをしておきました。このリンク先の写真は、2002年の5月末くらいにロワール地方の Le Pé de Jojo, à Loudun というところで撮影されたそうです。グーグル検索だと、一緒に青い蝶ネクタイも出てくるので、あれ?って感じです。Azuré bleu céleste という表現はものすごく美しい。céleste は「天の」という意味があるので、神秘さが増します。確かに天から舞い降りた小さな青い宝石みたいです。青が目立つのはオスの蝶だそうです。私が2018年の6月に撮ったわずかに青い色が入った蝶はメスだそうです。しかし、L’argus bleu nacré と呼ばれる少し異なる種類の蝶かもしれませんが、ほかにも、また異なる名前でほぼ同じ蝶もいるようで、専門家でもない限り、違いを見分けるのは困難だそうです。お前はダイヤモンドとこの青い蝶とどちらがほしいか、と聞かれたら、迷わず青い蝶とこれらが育つ環境が欲しい、と答えるでしょう。Azuré bleu céleste と呼ばれるこの小さな青い蝶は幼虫の時に蟻の保護を受けて育つ時期があるそうです。青い小さな蝶はアリがいないとだめなんですね。 フランスならほぼどこにでも見かけるそうですが、コルシカ島、北部、ブルターニュ地方にはいないそうです。ノルマンディは北部ですから、ノルマンディに住んでいた時は見たことはやはりなかったです。太陽の好きな蝶で乾燥地帯が好きだそうです。 L'Azuré bleu céleste prise 17 juillet 2019 en Provence Verte 83 dans le Var.似たような蝶でエメラルド色の蝶もいますが、今年はまだ見ていません。Argus vert と呼ばれていると思います。そして、よく見かけるこんな蝶の写真も撮りました。もろ、ピンぼけ。あと、何年かぶりに見かけた珍しいバッタも撮りたかったのですが、もう薄暗くなっていたので眺めただけ。いやあ、もう遭遇しないのか、と思ったのですが。生きていてくれて良かった。脚の部分が黒と白で、背中に青い色が入ったバッタで、飛ぶ時に青いものが飛んでいる印象を与えるバッタです。南仏生まれで畑仕事をずっとしてきて、ブドウ園で働く知人は特に珍しくもなさそうに、ああ、あのバッタね、と軽く言われましたが、私にはとても珍しいバッタです。バッタ、と書きましたが、Oedipoda caerulescens に似てないでもない。うーん、ちょっと違う気がする。何だろう、日本語で。あと、南仏の草が生い茂る場所では見事な鈴虫の合唱が聞けたものですが。今はまだ蝉の大合唱がすごいです。ほかには鮮やかな黄色と黄緑の蝶も割と頻繁に見ます。 シトロンですね、いつか写真に収めたいです。ほかには、白と黒のすじが入り、尾に小さく青が入った珍しい蝶もたまあにみかけます。こちらはもしかすると絶滅の危機にある蝶だそうです。Papillon flambé と呼ばれる優雅な蝶です。アゲハ蝶ほど大きい蝶です。Les carnets nature de Jessicaのサイトも良くできています。まだ20歳くらいの時かな、日本のテレビドキュメントで、中年のおじさんが「蛾」にはまっていて、もう笑顔一杯にその蛾の種類の多さと美しさを語っていました。実は、その頃は、なんで蛾にはまるんだろうか、と不思議でした。興味がない時はないものなんですね。
July 18, 2019
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6月末当たりから、南仏の奥地では蝉が鳴き始めました。南仏の海岸沿いに古びた車で行き、少し泳ぎました。すでに海水浴の人たちはいました。風のある暑い日でした。海水温度は適温。酷暑の南仏です。先週 エックスオンプロヴォンス市にいましたが、コンクリートとアスファルト、石壁、石畳みのせいか、自然の豊かな奥地と違い、暑さは、もわああっと全身を襲うサウナの熱気。さすがにプールに入ったら、オレンジと茶色のヒョウ柄の蝶々が水面にピタッと張り付き、何やらもがいている様子だったので、両手ですくってプールの外に出してあげました。本人、蝶を救った気分。が、しばらくすると、また蝶はプールの水面に張り付きました。あ、また、溺れるじゃない、と思っていたら、生まれて初めてみました、蝶泳ぎ。まさか、蝶が泳ぐのを見れるなんて。正真正銘のバタフライでした。二枚の羽を震わせて前進するのですね。5センチ前後でおしまいですが。で、あとはピタッと水面に張り付いています。もがいていると思っていたけど、泳いでいたんですね、きっと。蝶も泳ぐ南仏の酷暑。オレンジと茶色のヒョウ柄の蝶が南仏の奥地の敷地にもいました。2019年6月末南仏の奥地にて撮影 蝶 この蝶は、名前何て言うんでしょうね。ほんとうにヒョウ柄ですね。身体部分は写真に写っていませんが、茶色にやや薄く緑がかかっていました。日本語では「ミドリヒョウモン」と呼ばれていて、結構、あちこちで見ることができるようです。フランス語では、Tabac d'Espagne (argyniss paphia)「スペインたばこ」だそうです。18世紀のスペインのセヴィーュ SEVILLEのたばこに似ているのでそんな名前になったそうです。幼虫はスミレの花しか食べないそうです。自分たちがこの南仏の奥地にきた時はスミレはほんの一部に少し咲いていましたが、その後、川沿いで見つけたスミレを採取して敷地に植え、結構増えてくれました。きっと、そのお蔭もあって、この蝶を見ることができるのかも知れません。英語では silver-washed fritillary だそうです。南仏の奥地には数少ない花を求めていろんな蝶がやってきます。シトロンと呼ばれる黄色と薄い緑の色の蝶や、白と黒の縞模様で扇形の羽の先に小さな青い色をつけた恐ろしくお洒落な蝶、小さな小さな薄い青い蝶や緑の蝶。南仏には群青色や深緑の光沢のあるトンボもいます。蝉は、日本で見た蝉より若干小さく、ほんとうに中々その姿を見ることはありません。2011年頃には飛ぶと背中に青い色が見えるバッタもいました。草刈りをするようになってから消えました。ほんとうは草刈りしたくないんですが、村役場からの火事防止のための要請で義務的にしないとだめです。バッタも生き残るの大変だな。背中の青いバッタなんて生まれて初めて見たのに。それでも近くに雑草が生い茂った場所もあり、そこで生き残っているのかな。雑草が生い茂った場所からは、なんと鈴虫が鳴いていたこともあります。ちょっぴりフランス語蝉 (une) cigale 女性名詞蝶 un papillon 男性名詞プール (la) piscine 女性名詞暑いです。Il fait chaud.とっても暑いです。Il fait très chaud.泳げません。 金づちです。 Je ne sais pas nager.
July 3, 2019
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古くて重い暖炉の掃除はフランスでは年に一回か二回は掃除をしたほうが良い、とある。仮に火事になった場合、煙突掃除屋さんがお掃除をした、という証明書がない、と火災保険がおりないそうです。とりあえず、もうそろそろ掃除をしておいたほうが良いだろうと、昔、お世話になった掃除屋さんに連絡を入れたら、もう引退したとのことで、別の掃除屋さんの電話番号をもらいました。その新しい煙突掃除屋さんに電話をしたら、じゃあ、来週の月曜日の午後4時に行きます、ということだった。が、月曜日の午後2時半ごろに、今日は行けなくなったが、水曜日の午後4時は大丈夫ですか、と連絡が。いいですよ、水曜日ですね。さああ、やってきた水曜日。もうすぐ午後4時だなあ、と思っていたら、その時、電話が。「あの、今日も行けそうにありません。木曜日の午後4時は大丈夫ですか」内心、うっそう、と思いつつ 「大丈夫です」と答える私。会社じゃないしね。切羽詰まっているわけでもないから、別にいいけれど。予定時間の寸前にことわりの電話。まあ、事務職じゃないしね、現場の仕事って思いがけないこともあるわよね、きっと、と自分に言い聞かせつつも、日本で同じようなことがあったら、平謝り攻めにあうシチュエーションかも、と思いつつ、電話を切った。夫は、ランチでワインでも飲んで眠くなったんじゃないか、と言っていた。いやあ、それにしても、何故だろうか、何しろ、電話の向こうの声はいたって「いい人」「なぜか妙に憎めないほど素朴で明るい」感じ。全然リラックスしている。日本では絶対あり得ないのでは、と思ってしまう。そして…その木曜日、午後4時を過ぎても煙突掃除屋さんはとうとうこなかった。しかも、何の連絡もない。なぜ、なぜだ。体調でも崩したのかな。ぎっくり腰になったとか。こういう仕事だし。古い暖炉は中身を少し出して掃除機をいれるのだけど、その中身がやたら重い。ああ、そろそろ、別の業者を探そうか。もしかしたら、電話番号の主も悪ふざけで答えていたのかも知れない。いや、いくら南仏とて、薪の業者はもっときちんとしていたし。と、いろいろ考えたが、一応、もう一度電話をしてみることにした。「ああ、僕、すっかり忘れてしまって」へ!? わ す れ た ...あまりにもあっけらかんとして言われると思わず笑いすらこみあげてくる。「明日、金曜日の午後4時行きますが、大丈夫ですか」ほんとうにくるんですかね、この時は半分以上もう信じてはいない。「大丈夫です」そう、我慢強い客は私だ。この電話の後で、自分はもうほとんど信じていなかったので、ネットですでに別の業者を探していた。もはや、来てくれたら奇跡。今回で最後にしよう、と思っていたので、念のため、予定の金曜日、午後4時ちょっと前に電話をしてみたが、固定電話番号しかなかったので、外出中なら、通じるわけがない。で、当然、留守電だった。その電話をして間もなく今度は煙突掃除屋さんが電話をしてきた。「お家、どの辺りでしょうか」と、電話をしてきた主の白い車が見えてきた。もう笑顔満面で出迎える私。昔、塾生が難解英語問題が解けた時のようにハッピーな気分に匹敵するものすらあった。で、その煙突掃除屋さん曰はく、まったく謝りの言葉はないが、もう半分マジ、半分ニコニコ顔で、「僕、昨日、3軒の家を回って、違う村に行ったあと、この近くまで来ていたんですよ。で、その後、すこーんと忘れてしまって」なんと近くまで来ていたのに忘れられたとは。面白い。半分マジ顔をしたのは、そこで暗に謝り、しかし、しでかしてしまったことだから、今更、時間を巻き戻せるわけではない、と思ったのかな、といろいろ考えてしまった。「僕は煙突掃除のほかに左官職人もやっています」「屋根の修理なんかもされているんですか」「それもやります」さて、以前、煙突掃除屋さんがきた時は二人組だったが、彼は一人だった。しかも意外に小柄。が、台などいろいろ道具を持ってきて、重い暖炉の中身も一人で何とか取り出して、すべて一人できれいにやってこなした。スコーンと抜けたけど、いろいろ知恵を駆使してる感じ。賢い人なんだ、と思ってしまった。夫も家で書き物をしていたが、時々、手助けがいるのでは、と聞いていたが、「大丈夫です」「ほんとうに全然大丈夫です」と言って断り、丁寧に仕事をこなしていた。兄弟で起業しているようで、ちゃんと会社名を手書きで入れて火災保険対象の煙突掃除終了証明書をくれた。思うに、実際に火事になったら、そういう証明書も燃えちゃうんだろうなあ、とは思ったけれど。その証明書を手渡してくれた時に、「僕がお掃除した家が火事になったことはないです」と一言。フランス式にチップを渡そうとしたら、滅茶苦茶、笑顔で拒否しまくっていた。ほんとうはコーヒーの一杯でも出してあげたかったが、あの非人間的に重い暖炉でぎっくり腰にでもなられたら困るなあ、と思い、いろいろソファの位置を変えたりして仕事がしやすいように動いていたので、お茶を入れるのをすっかり忘れていた。思うに正直な人だった。約束は2回敗れ、3回目はすっかり忘れられ、4回目でどうにか来てもらった南仏の煙突掃除屋さんだったが。
May 9, 2019
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最近、ユーチューブの動画で日仏カップルや日本在住のフランス人たちによる興味深く面白い動画がたくさん出てくるようになりました。Le Japon fou fou fou, Ichiban Japon, le Japon365, le Japon noir et blanc, Tev -Ici Japon, Japamania, Le Pandaman, Lost in Japan...Tevさんが美しい富山県の相倉合掌造り集落や桜吹雪の菅沼を撮影した動画は圧巻です。富山県の刺し身をつつく場面はたまりません。Tev さんの「日本で誰もいかないあそこ」観光シーズンでもない時期に行かれたので、もう満喫されていますね。 Là où personne ne va au JaponTevさんは富山県のホタルイカ釣りに参加した動画を発信したり、立山の3月くらいの雪の壁も地元の特別許可を得てドローンを飛ばして見事な映像を公開しています。結構、貴重な映像だと思います。夫に立山の雪の壁の動画を見せたら、動画内でちょこっと説明をする除雪車のベテランドライバーの話しぶりを聞いて、日本語のわからない夫は、すごく驚いていました。話し方が落ち着いていて、なにかちゃんと説明をしている雰囲気が知的だ、と。自分には普通に思えたのですが、いや、フランスは違うのか、と聞いたら、フランスのドライバーだったら、もっとひどいもんだと思うよ、と言うのです。どうだろうか。心理学を大学で専攻して卒業したスイス人が自国に戻り、長距離トラックの運転手になったと聞いたこともあるし。ドライバーにもいろんな人がいると思います。Lost in Japan さんの動画では美しい東北の映像も見れます。Vivre au Japon mes raisons文法と熟語は一通りやってみたかも、という中級レベルの人にはおすすめです。でも、そうでなくても、別にいいんですけどね。フランス語を聞きながら、美しい日本の景色をあらためて感じてみるだけでも中々の価値があります。フランス語入門編の方に、あるいはフランス語の壁にぶちあたってかたまった頭を解凍する効果バツグンの動画は、何と言っても、Louis san というイケメン青年の動画です。特に大爆笑したのが、LA LANGUE FRANÇAISE (フランス語) vue par un JAPONAIS - Louis-Sanです。2:40でフランス人にハ行の早口言葉を言わせようと得意満面なルイ青年、まるで漫画からそのまま出てきた人のよう。ええ、実はフランス語の罵り言葉、罵詈雑言が出てきたりします。お願いです。そこだけ覚えるのはどうかお控えください。日本人で特におしとやかな女性がフランス語の壮絶な罵り言葉を直撃でくらったりでもしたら、その場で倒れて病院に運ばれてもおかしくはないものがありますが、ま、みんな言い合っている、気にするだけあほらしい、相手にせず素通りする、もしくは、ついに、言い返してやる、くらいの根性?!が要るかもしれませぬ!負けるな、日本女子。しかし、フランスの家庭では親が子供に悪い言葉は言っちゃだめ、と口うるさく教育はしています。が、その親も壁にぶち当たると、車の運転中などに、思わず発してしまうので、子供もやっぱり使ってしまうのでしょうか。学校で、それだけ習ってくるんでしょうか。と、いろいろ考えてしまうほど普及してます。そんな教育にうるさい親を前にして、そちらのご子息にある日本の歌を歌うと子供にはバカウケだが、親は硬直するものがあります。あの「ゆうきやあ、こんこん、あられやあ、こんこん」です。自分は夫に八つ当たりを不当に受けた時に思い切り歌ってうさを晴らしますが。コンはバカ、間抜け、という意味の罵り言葉だからです。あ~、わたしってなんかバカなんだ、と自虐する時にもフッと使います。フランスの哲学者で世の中に哲学を広めようとして小説も書いたサルトルも実は罵り言葉を使ったタイトルをつけてみたかったのですが、教養が邪魔をして、そこだけはテンテンテンとなっています。それから映画化されたある小説ですが、これも当時若かった小説家は日常で聞き慣れた罵詈雑言を臆面もなく活字にしたので、もの書きとして大先輩のミシェル・トゥルニエから辛辣な批判を受けました。他人に放った悪口はブーメランのように自分に戻ってくる、とどこかで信じる自分です。あまり使いたくないですね。
April 26, 2019
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フランス語で小銭は何と言うでしょう。いろいろありますが、小銭といえば、「一銭もないよ」 Je n'ai pas un sous みたいな表現はフランス人の口から半分冗談ぽく、実はかなり本当だったりして時々聞こえてくることもあります。まったく冒頭から、これだから。ほかにも「丸いもの」un rond も使いますね、この辺の感覚は日仏国境越えてますね。あはは。 ● la monnaie「小銭」「お釣り」の意味で日常的に使いますが、「貨幣、通貨」としての意味がもともとあります。「細かいお金を持ち合わせていない」別の似たような文章では「小銭を持ち合わせていない」これをフランス語で言うと、こうなります。Je n'ai pas de monnaie sur moi.● ポケットに少しお金があります。J'ai un peu de monnaie dans ma poche.● 店員さんが「お釣りですよ」と言う時、英語の Here's your change. をフランス語ではVoici votre monnaie.● 現金は l'argent liquide Je n'ai pas d'argent liquide sur moi. 現金を持ち合わせていません。pièce 貨幣、10円玉のようなコインを意味します。billet お札、紙幣 (ビエと発音し、最後のtの音は発音しません)billet d'avion 飛行機の切符、チケット (ビエダヴィヨン)● さて、sur moi に特別注目してほしいのです。sur moi の表現があるお陰で、「持ち合わせている」という意味合いが出ているからです。 sur moi は、「私の上に」という意味です。 mon chat dort sur moi. 猫は私に乗っかって眠る。sur moi は、「私について」という意味合いもあります。ce qu'on dit sur moi 私について人が言っていることsavoir un peu plus sur moi 自分のことをもう少し知る意外とこの sur という前置詞、うっかり別の前置詞を入れてしまうことがありますが、注意いたしましょう。
April 26, 2019
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最近、日本の「サバイバルファミリー」を動画で観た。いい映画だな。カンヌ映画祭にこないのかな。電気がなくなると水道もとまる。最悪。南仏の田舎に住んでいて、たまに停電や断水があるので、あの不便さはわかる。ただ、冬場に停電しても、暖炉と薪、ろうそくがあるのでなんとかなる。断水は一番困る。手を洗う水も用意していなかった時はほんとうにぞっとした。あれから、水はタンクに入れて準備するようになった。ま、いざと言う時は、近くに水が湧き出る場所がある。ほんとうにいざという時だけれども。昔から水のないところに文明はない、と言うが、今まで文明が衰えたところは単純に水が消えたからじゃないのか、と思う。日本は山も多いので、山にはたいがい湧き水があると思う。岩清水はおいしい。近くに工場とか原子力発電所がなければ、大丈夫じゃないか、と思う。あの「サバイバルファミリー」に出てきた素敵な日本庭園を設置した一軒家と畑があるところがいい。何故、あの家族は都会に戻っちゃったんだろう。やっぱり、仕事のためか。確かに税金はどこにいても払っていかなくちゃいけないし。家と土地があれば、固定資産税も発生する。もっとも、年をとれば、よろよろと歩いて行けるところに図書館とツタヤとカフェとパンオショコラのパン屋のある場所に住めたらいいなあ、とも思うけれど。つまり、田舎で畑もあって、近くに図書館もあって、いろいろすべて揃っているのがいい。と、コンビニすらない南仏の田舎で夢見るのである。意外に自転車屋さんもない。タイヤがパンクしたら、ホームセンターかスポーツ店みたいなところで部品を買ってきて、自分で修理するしかない。そういうところは不便な国だな、と思う。修理屋さんにできるだけお金を払わず自分で修理するのが普通の国だからそうなのかな。
March 17, 2019
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トラックの運転手を直撃した燃料税から発したジレジョーヌのデモ騒動。フランスは過去から何かとストライキの多い国で、いきなり終電がなくなったり、パリ市内でタクシーに乗ったが、まるで前に進まない、とかそんな経験はある。いつのことだったかも何のためだったかも忘れたけれども、南仏マルセイユの路上に延々と連なるトラックの群れがあり、報道では聞いていたが、さすがに目前にしてその迫力には圧倒された。だが、今回、報道記事から見る今回の暴動はもはやテロだろうか、と思うほど。あとは、それに参加した暴徒もいるんじゃないか、という疑いも個人的には持っている。だって、他人の車を倒して炎上させる?生活に困る人達が?その辺の感覚がわからない。フランスは街だと住まいにお金がかかる。パリ市内のアパートや南仏もすごく高い。パリ7区の住宅街だと小さな7メートル平米をN万円で貸すアパートも広告に出されていたり、南仏も一軒家を購入する際は北フランスの田舎で城が購入できる価格。しかも、仮に2千万代の家でも、修理ししてようやく住めるとか土台の基礎工事がちゃちなものもあったりする。南仏を舞台にしたフランス映画、日照時間の多い南仏に憧れる北フランス人やヨーロッパのお金持ちが値段を高騰させたのは否めない。パリで企業相手に法律顧問を担当していた人はパリ市内に広くて城の一角のようなアパートに住みながら、南仏の山の中にプール付きの大きな一軒家を持っていた。日本にとって日本風の庭園が割と普通であるように、フランスにとってプール付きの家は必ずしも珍しいことではない。自分で5年かけて仕事の合間にプールを作った人もいる。 うちの近所にもベルギーやオランダ、スエーデンからの移住者や、中にはプール付きの別荘を持ち、夏場に集中してくる。なので、夏場のゴミ捨場は尋常でない状態になる。さて仮に月収40万円近くの収入があれば田舎では快適な生活ができるだろうが、都会では子供の乗馬クラブや空手、柔道、ピアノ、テニスなどにお金がかかるので意外に大変だろう。日本は学校の先生が自腹切ってクラブの顧問をしているが、これはこれで問題があるのではないか、と思う。フランスには日本のような進学塾はない。高額な進学学校はある。家庭教師には相応の余裕があるか、国や自治体から何らかの援助金を得た家庭だけが払える。長期バカンスに子供をどこに連れて行くかもフランスの親には実は苦しい話。制服のない学校も多いので、スポーツ形ブランド物に散財させられる親。日本では小学校から高校まで立派な新しい教科書は確か無料で配布された。フランスは使い古された教科書で、ページも剥がれやすく、重く、大きくて、日本の教科書のほうが質が高い、と何度も思ったものだった。一日の授業分の教科書をもたせると小さな子にはとんでもない重さになることもある。日本の教科書のページは薄くて、しかもはがれない。しかも学校に返さなくていい。フランスも一応、無料だったが、学校に教科書を返す時に教科書があまりにもひどい状態になると有料になった。教科書をとっておけないので、数年後に読み返すことは当然できない。これは確かにほんとうに必要なら本屋で参考書を買え、ということになるし、教科書を不要だと捨てちゃう人もいるかもしれないことを考えれば無駄を省くことにもなる。どちらがいいのだろうか。収入税に関しては、日本と同じで、ある一定の収入を超えるといきなり税金が発生する。これもうっかりすると、働ければ働くほどお金が持って行かれる話になる。あるフランス人家族は都会暮らしをやめ、田舎の広い一軒家に越した。そこで妻は専業主婦になった。彼女は言う。都会にいた時は家政婦さんに支払うために一生懸命働いていたけど、今は自分が仕切っていて、良質な料理にかける時間も子供と過ごす時間も増えた。思うに、収入税も減ったはずである。夫も畑や狩りを趣味にし、友人たちが遠方からきても宿泊する部屋もあり、人生は充実しているかのようだ。農業国フランスは食費は安い。スペインやモロッコからも安く野菜が来るので、確かにフランスの農民の生活は大変そうではある。野菜も肉も日本のほうが断然高い。農業国フランスだが、毎年、農民の自殺者が出る、と言う話をしていた人がいた。 フランスは社会保障税が高い。会社なら法人税もある。個人起業でもそれは同じ。今、流行りの起業家も4年目から収入がなくても社会保障税とかが取られてゆくシステムなので注意しないとあっという間に借金地獄。で、政府が起業家を勧める時にこの点をほんとうに隠すようにしか記載していない。税務局が間違えて請求書を送ったりする。その手間に時間が奪われる人も多い。すぐに対応せず、泣く泣く追徴金まで払う人もいる。すぐに税務局に連絡を取り、間違いを指摘し、ことなきを得る人もいる。基本的にフランスは銀行も会計事務所も税務局も受け身と鵜呑みは禁物です。書類やレターをじっくり読んで対処すべきことにはしっかり連絡をとることが必要です。フランスは、そのかわり、失業手当や低収入家庭への医療費が相互保険でほとんど支払いがない。これはすごい、と思う。思うままに書いたけれど、やっぱりサヴァイバル魂は必要、と思う次第。
March 17, 2019
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フランスの Envoyé Spécial という番組で木々間の会話伝達が話題になっていた。番組は2017年10月26日の話である。木々を神聖なものとして愛し、森林浴をする日本も話題になっていた。ドイツの Ingénieur forestier 森林技師が母木の根っ子から糖分を自分の子供の木や同じ仲間の木の根っこに栄養がわたるように助けているというのである。また木々はインターネット網のように距離を置いても会話していると。フランスのクレルモン・フェロンという場所にある国立研究所でも強風などのストレスを受けた木は長く伸びるのを止め、幹を太くしていくという研究結果を話していた。そしてフランス、パリ市内の木のお医者さんが一見腐った老木を計測器のようなものを使って中身を図り、意外に健康体である、という診断を下し、伐採から救っている。 Ingénieur forestier というフランス語を直訳して森林技師としたが、別の日本語のブログでは森林管理管と訳されていた。まったく番組とは関係ないが、誰だったろう、あるフランス人が芝生を定期的に刈り取っていると、草は理解し、ある一定の長さを超えないようになると話していた。草は周囲の草に伝達して、それ以上伸びても切られるからね、と。実は南仏で不思議な幹を見つけた。楢の木であるが、太い枝が一旦幹から出て、また幹と一体化している。そんなにしょっちゅう木々を眺めているわけでもないので自分には珍しく思えたが、こういうことはよく起こっているんだろうか。
March 9, 2019
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1977年にフランスの歌手イヴ・シモンが作詞作曲した歌「ディアボロ・マントゥ」を久しぶりに聴いていました。曲の美しさは時代を感じさせません。見た目、山男みたいですが。目、きれいですね。聴かせる歌です。Diabolo menthe par Yves SimonDans tes classeurs de lycéeY'a tes rêves et tes secretsTous ces mots que tu n'dis jamaisDes mots d'amour et de tendresseDes mots de femmeQue tu caches et qu'on condamneQue tu caches, petite AnneDans tes classeurs de lycéeY'a du sang et y'a des pleursLes premières blessures de ton coeurLes premières blessuresLes premières déchiruresQui font des bleus à ton âmeQui font des bleus petite AnneDans les cafés du lycéeFaut que tu bluffes, que tu mentesAutour des diabolos mentheQuand tu racontes les nuitsDu dernier étéDe tous ces premiers amantsQue tu n'as eus qu'en rêvantDans…【メール便送料無料】Yves Simon / Diabolo Menthe (輸入盤CD)【K2018/3/2発売】ディアボロ・マントゥそのものははアルコール抜きのリモナードとミントのシロップなどのカクテルです。1977年の映画の主題歌として使われていました。映画は観たことはありませんが、1963年の高校生の女の子たちを主人公にした映画のようです。女学校ですかね。映画の予告編はこちらです。→ bande annonce diabolo mentheあるインタビューで、この歌に関するエピソードを話しています。最初、映画監督がイヴ・シモンに主題歌を依頼した時は、彼は断ったそうです。依頼されて歌を作るのは、それ自体が何か不自然だ、と感じたからそうです。ところが、ある日、高校生の女の子から一枚のファンレターを受け取ります。そのレターはノート用紙の一枚に書かれていました。ノート用紙と訳しましたが、 classeurs はバインダーと言うか、フォルダーのことで、それに挟む穴あきのノート用紙のことです。これにイヴ・シモンはインスピレーションを受け、約30分で歌ができてしまったそうです。インタビューの時はすでに年老いていましたが、イヴ・シモンはそのレターを大事にとっていました。1944年生まれのイヴ・シモンは1980年初期に来日もしていて東京、広島も訪れています。当時はどこかの日本の記事に、「日本の人にも現代のフランスを知ってほしい」と書いていました。また「何かに抵抗して生きる、というのは大切なことだ」とも書いていた記憶があります。それと、能面が好きなのだと聞いたことがあります。彼の Amnésie sur le Lac de Constance も好きな歌です。歌、と言うより、ポエムですね。とってもロマンチックです。いや、いわゆるロマンチックというのとは少し違うかも知れませんが。幻想的な物語の一部のようです。Je n't'oublierai jamais なんて好きな人から言われたら気絶ですね。え?どんな意味かって?n' は ne のことです。ne ... jamais がわかれば、もうあなたのものよ。J't'ai cherchée sur le vent Sur la mer aussi J't'ai cherchée à Pékin Mais t'étais partie Quelques milliards de gens Ne savent pas, ne savent rienQuelques milliards d'humains N'sont pas, n'sont rien Des micro-processeurs Au silicium Remplaceront un jour La mémoire des hommes Je n't'oublierai jamais Les mots d'amour, mots de guerre Et d'indifférence Seront noyés dans les eaux Du lac de Constance Amnésie amnésie J'ai tout oublié Les cauchemars et les beautés Des valeurs passées Entre le Nord et le Sud La partie se joue mal, c'est mal Les gagnants ont des torts Les perdants sont morts Puisqu'on parle d'avant-guerre Et qu'on la dit jolie Sur un cheval de fer イヴ・シモンはフランスでは小説家としても知られています。フランスの若いアーチストから愛されている人だと思います。
March 1, 2019
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ついに見つけました。フランスの鉄腕主婦のお掃除を紹介する動画。Mon grand ménage hebdomadaire というタイトルです。一週間に一度の私のお掃除、という意味ですね。次のタイトルをクリックすると動画を閲覧できます。フランス語の中級向け 「フランスの鉄腕主婦のお掃除」COOK WITH ME のイザベルさんです。二人のお子さんを持つ専業主婦の方です。上のお子さんはすでに家を離れたばかりで、下のお子さんは5歳だそうです。実を言うとフランスで専業主婦を見つけるのは中々難しい感じでしたので驚きましたが、いえいえユーチューブで何らかの収入は得ていらっしゃるかも知れませんね。フランス語で話しています。日本語訳はありません。早口に聞こえるかもしれませんが、文法的には難しくはないので中級にこれから向かう人にはちょうどいいかもしれません。いや、関係代名詞 の dont なども攻略してないといけませんね。これと donc 「したがって」の違いも聞き分けてください。彼女はこれをよく使っています。文脈でわかると思います。え?家事業に専念するためにフランス語勉強してないって?ま、フランスの家の中を見るだけでも中々楽しいですよ。90秒ほどは喋りしか聞こえませんので、しばし我慢。中々素敵なお家です。羨ましいくらいです。掃除のしがいもあるでしょうね。フランスは日本に比べて湿度が低いので、ホコリは溜まりやすいです。夏も日陰に入れば汗だくになることはありません。フランスは石灰も多いですね。思うに、断捨離とは全く縁のないお家です。彼女自身、ミニマリストではないと話しています。ça manque de joie 楽しさがない、喜びに欠ける、と。確かにイザベルさん、家を楽しい場所にするためにいろいろやっていますね。ミニマリスムは日本的には侘び寂びの世界につながるものがあるので、この辺の感覚の差かも知れません。フランス人は10着しか持たないって嘘だわ、とあなたは思うでしょう。パリ市内のアパートに住んでいるなど場所がなければ、あながち嘘ではない、とも思いますよ。それにしても、やっぱり、主婦はすごいね。家の中、ここまで掃除するか、というくらいピカピカにしていきます。私だけじゃないのね、と励まされる主婦もいるかもしれません。そうは言っても、彼女も決して家事が好きなわけではありません。ここで質問です。彼女は家事の中で何が大嫌い、と言ってるでしょうか。Je déteste..... 彼女の家には食器洗い機はあるので、うちにもありますが、ほんと、これは助かる。便利だわね。C'est pratique! 役立っているわ。C'est utile!ま、タライにお湯張って洗い物を全部入れて、さっと洗ってすすいでそれで終わりですけど。でもね、疲れている時はね。電気は使うけど、水の節約にはなる。とにかく彼女はエネルギッシュ。動画は高速度で回っているので余計かもしれない。一週間毎にやるお掃除とか、いろいろ紹介しています。彼女は市販の化学薬品をよく使っていますね。私は蒸留のお酢 vinaigre blanc (= white vinegar) を使うようになりました。日本語でホワイトヴィネガーですね。石灰を溶けさせ、抗菌にもなると読みました。フランスではスーパーで一番安いお酢として安く手に入ります。個人的に食用には使いませんが、一応、食品コーナーには売っています。あとは、自然派が好む サボンノワール savon noir で床を水拭きします。サボンノワールは床だけではなく、万能の自然派洗剤としてフランスに昔から定着しています。彼女は水洗いをする時にラベンダーの精油を少しいれて床をふくそうです。すると室内が爽やかな香りに。ラベンダーの香りは虫避けになりますしね。あとはポプリをトイレにも置くそうです。ちょっと贅沢ですね。私はラベンダーのオー・ド・コローニュのスプレーを置いています。でも、ポプリもいいですね。ラベンダー精油や柚子の精油を含ませたポプリは本棚の一角や玄関に置いてもいいですね。さあ、フランス語単語の質問です。辞書を引いて調べてみてくださいね。le filtre à cafénettoyerenleverla tracebrillerroutinebasiquela serviettela pièce propreéquilibrela cuisinerangéejoietolérancepersonnellepanierhuile essentielsentirpartoutfoisfatiguantoccupertremperlaisser tremperl'intérieurparfumertâchel'arrosagepapiertrierfacturepayerbesoinavoir besoin demensuellave-lingeterminercôcherprintempsfleurircontentoubliermériterune tasse de café
February 27, 2019
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英語で「趣味」は hobby フランス語では何と言うだろう。hobby, loisir, passe-temps といろいろある。いろいろあるけれど、普通に会話の中で出てくる質問にこんなのがある。Quel est votre passe-temps favori ?Quel est votre passe-temps préféré ?暇な時、何をして過ごしますか。時間がある時、どんな事をして過ごすのが好きですか。favori も préféré もそれぞれ「気に入った」「好みの」という意味でpasse-temps は「時間の過ごし方」にニュアンスが近い。これは英語でも似たような単語を使うので、英語の得意な人はなんとなくピンとくるものがあるだろう。One of my favorite songs 「私の好きな歌の一つ」Which would you prefer option A or option B ? 「オプションA と B、どちらがよろしいですか」フランス語の上達法の一つは、自分が普段から好きでやっていることに関する単語とセリフを覚えること。例えば、花やハーブを育てるのが好きなら、どんな花とか、季節、天気、土の種類、道具など、いろいろな単語を覚え、そこから、花を育てる、ってフランス語で何て言うんだろう、と覚えたい動詞がたくさん出てくる。好きこそものの上手なれ、でも、下手の横好きでもいいのである。一歩前進したら、それはすごいこと。
February 20, 2019
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2018年の晩秋から現在にいたるまで雪が降っていない。今年は雪なしかな。朝は凍り、あたり一面真っ白。昼間は太陽で暖かいが、空気は割にひんやりしている。動き始めるとTシャツ一枚でも大丈夫そう。夜はまた冷え込むので暖炉に薪を入れ、石油ストーブもつける。最近はずっといいお天気が続いている。南仏は枯れ切っている感じ。それでも小川に澄んだ水が流れ、水草のある場所には小さな魚も泳ぐ。チューリップの葉が少し出ている。その前にどこかでナルシスや水仙が咲くはず。すみれの花は小さく咲いた。鉢植えの小さなシクラメンは花を咲かせている。このシクラメンはたぶん2014年に買ったものだと思う。一時期、鉢から出して地植えをしていたが、葉っぱもなくなり、もう、枯れ果ててしまった、と思い、球根を取りだした。が、ネットでシクラメンは結構生き延びると知り、再度、球根を鉢植えにした。たまに水をやっていた。そのうち、葉っぱが出た。そして時間をかけて花の準備に入る。我が家にやってきてから、5年目のシクラメン。鉢植えの薔薇のさしきからも葉っぱが出ている。今年、花を咲かせてくれるかなあ。
February 20, 2019
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うちの飼い猫のトラのは2005年か2004年生まれなので、2019年には15歳か14歳である。最近、2018年のいつだったか、自分が小さなコンクリートのテーブルに頭をぶつけ、たんこぶを作った同じ時期にトラも右目の上のひたいにこぶを作っていた。なので、状況を軽く見ていた。やがてトラのたんこぶは右頬にずり落ち、右頬の内部に膿がたまり、皮膚は壊死し、クリニックで一晩過ごし、その後10日間ほど、獣医さんの指示に従って自宅で介護壊死部分の手当をした。その後、壊死した部分に皮膚が蘇り、やがて過ごしずつ産毛が生え、皮膚で引っ張られた右目がおかしな状態になりながらも、自己治癒力でどうにかなっている。が、今年に入ってから、左目が白内障になっている。猫の平均寿命は13歳とも聞く。以前、日本で亡くなったパリ生まれの猫は18年生きた。できればトラもそれくらいは生きてほしい。トラは日向ぼっこが好きで、南仏の太陽の下では落ち葉の上で寛いでいることもあるが、空気の冷たい日はやはりクッションを入れた箱の中で寝ていることが好きだ。人間の膝の上が一番好きなトラでもある。2016年の夏に半年くらいの大きさだった赤猫は今が元気な時。一昨日の夜は月夜の散歩をした時は一緒についてきた。散歩にでた時は気が塞いでいたので、赤猫がついてきていたことには気がつかなかった。自宅に戻る途中で気がついた。赤猫がキョトンとした顔でこちらを見ている。なんとなく嬉しく思えた。2019年の夏には3歳半になる猫。赤猫は割とどこへでもついてくる。もともと隣人宅の猫だった赤猫。すっかり我が家が彼のテリトリー。隣人宅の別の猫がうちに遊びに来ると追い出し、彼も隣人宅で別の飼い猫に追われる。猫はそんなにどこにでも勝手に行けるものじゃないなあ、とよく思う。隣町のスーパーには猫の写真を置いた場所に猫のカリカリが置いてある。それは野良猫を保護する団体への寄付として客が自発的に買い、置いてゆくものである。中々いいアイデアだと思う。
February 20, 2019
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ニームの美大出身、1982年七夕生まれ、36歳のジュリアン・ドレという歌手のクリップに移る大自然が最高です。歌の題名は「湖」です。結構落ち着いた渋い曲です。どこで撮影したのか、そちらも気になってしまう。Vercors ヴェルコールの山脈を思わせる雄大な景色が映っている。一部はアルプス・マリティムで撮影したとか。はい、南仏です。カンヌもこのアルプ・マリティム県にあります。フランスの大自然を満喫してください。空からのイメージはニースの会社のドローンを使用した、とか。Julien Doré "Le Lac"Julien Doré の「アフリカ」もクリップも素晴らしく、音楽はこちらの方が好きです。彼のクリップは、どれもさすが美大出身とおもわず思ってしまうほど映像が美しい。大自然の美しさが散りばめられて。小鳥のさえずりもそのまま入っているものもあって、美しい限りです。 ただ歌がね、昔、ロックの曲をものすごい歌い方してましたけど、たまたま見かけるクリップにはそういう歌がないのがちょっと残念。彼はもともと2007年にテレビの歌のオーディションに応募して才能が認められて歌手になった人。そのオーディションでも、もう一歩で何かが理由であっさり諦めて帰ろうとしたところを番組の女性が言い聞かせて、いや、とりあえず挑戦だけしてみたら、と促されて、あの時、あのまま帰っていたら、また違った展開になっていたことでしょう。
February 15, 2019
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