SALT OF THE EARTH

SALT OF THE EARTH

オトナが教えられること



コドモの頃からオトナが嫌いだった。
コドモにとっての最初のオトナは「親」である。
たかがコドモである限り親に扶養され(私にとって養われるのは「支配」されることだ)なくてはならない。
親の次は学校、そこに属する教師、そこで教えられる常識やら道徳というような
オトナが与えるさまざまな「建て前」。
そう、オトナの言うことが「建て前」なのではないかと子供心にどこかで
感じたのかも知れない。
支配される鬱しさと建前を言うオトナに対する不信感、
だからそれから逃れるためにも私は早くオトナになりたかった。
矛盾するようだけど、コドモでいる限りはだめなのだ。

... 時が流れ、そんな私もteenageの息子の母親である。
自分のその年頃から数えても20年経っている。
世の中のいろいろなことがこわれている時代。
私の時代の親、オトナは確かに私達に彼等の時代の正しきことを説こうと
するがために摩擦がおきた。
「建て前」というか「はったり」みたいなものだ。
それが今はなくなっている。もうオトナもなんだかわからない時代。
「はったり」だか「建て前」だかも言えなくなっている。
オトナの価値観の危うさがコドモたちの異常としてあらわれてきている。
だけど私は思う。
オトナだってたいしたことないんだ。
親になってこそ思う。学校の道徳で教えられたようなことはなんなのか。
オトナになってわかったこと、
「金を貸すなら返ってこないと思え」例えばこういうことなんだよ。
コドモの頃に教えられたことが正しく良きことであっても、
オトナの中ではちがうのである。
正しいかどうかでなく、「現実」ってものだ。
しかし私だってジレンマに陥る気分にもなる。
こんなのが現実だと味気ないことばかり教えたくはない、正直...

私がずっと思ってきたこと、「自分が嫌だと思っていた類いのオトナには
なりたくない」ってこと。それは自分にとっての「正しさ」でもある。

自分は自分の思う正しさを実現できているだろうか...


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