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震度5強 暫く振りで大きく揺れました。 前の映像次の映像..福島・いわき市で震度5強 TBS系(JNN) 9月29日(木)19時36分配信 29日午後7時5分ごろ、福島県いわき市で震度5強を観測する地震がありました。 気象庁によりますと、震源地は福島県沖で震源の深さはごく浅く、地震の規模を示すマグニチュードは5.6と推定されています。この地震による津波の心配はありません。 各地の震度は震度5強が福島県いわき市三和町、震度4がいわき市小名浜錦町、震度3が白河市、茨城県水戸市、日立市、高萩市、栃木県大田原市、埼玉県宮代町などとなっています。 東京電力によりますと、この地震による福島第一原発への影響は現段階ではみられないということです。(29日19:23).
2011.09.29
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まるで 「おままごと」 戦時中の「竹ヤリ訓練の如し」 首都直下型地震を想定 政府が総合防災訓練< 2011年9月1日 11:05 >ブックマーク 「防災の日」の1日、首相官邸では、政府の総合防災訓練が行われた。 今年の政府の防災訓練は、午前8時に首都直下型地震が発生した想定で行われた。官邸で指揮を執る閣僚らは、大規模な交通渋滞などで車が使えない想定の下、徒歩で集まった。野田新首相も水色の防災服を着て、大勢のSPらに囲まれながら歩いて官邸入りした。 閣僚らが集まると、ただちに緊急災害対策本部会議が開かれ、初動体制の確認が行われた後、菅首相が会見を開き、国民への呼びかけを行った。新内閣の発足は2日以降になるため、職務執行内閣として訓練に臨む菅首相にとっては、最後の大きな仕事となった。 なお、政府調査団として菅首相も参加して埼玉・川口市で行われる予定だった9都県市合同防災訓練は、台風12号の接近で大雨が予想されるため、中止された。
2011.09.01
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震災から早4か月になろうとするが、避難所では、許しまじき犯罪が。仮設住宅の事や、避難民自体の自立、避難所の在り方にも再検討すなければならない時期に来ていると思われる。ANN ニュースより宮城県気仙沼市の避難所で、寝ていたボランティアの女性に乱暴しようとしてけがをさせた疑いで、会社員の男が逮捕されました。 逮捕された気仙沼市の会社員・長田和彦容疑者(38)は3日未明、気仙沼市内の避難所で、寝ていた女性に乱暴しようとして頭や首を殴り、さらにカッターナイフのようなもので切りつけてけがをさせた疑いが持たれています。警察の調べに対し、長田容疑者は「知らない」などと供述し、容疑を否認しているということです。女性は神奈川県からボランティアでこの避難所に来ていて、長田容疑者とは面識があったということです。
2011.07.04
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被災地の近くで、被災の現場の現状を目の当たりにし、原発事故の今後の不安と風評被害に苛まれる私自身ではあるけれど、今は何とか元に近い生活を送る事が出来る様になったのは、幸せな事なのだと思う。しかし、家をなくし、家族を亡くしたりと大きな傷の付いた方達の苦痛な思いは、想像を絶するものがある。 以下 コピペ 拒否される心のケア…被災者、質問に辟易読売新聞(ヨミドクター) 6月22日(水)15時44分配信 「心のケアが避難所で拒否されている」。こんな話を被災地の医師から聞いた。 5月半ば、突然の電話に、看護師の阿部幸子さん(53)は耳を疑った。岩手県赤十字こころのケアセンター統括として、避難所に「日赤こころのケアチーム」を派遣しているが、現場の保健師が、「避難所では『心のケア』と名乗らないで」と言ってきたのだ。 「何かご迷惑でも……」。心配して尋ねると、保健師はこう説明してくれた。 「心のケアと掲げる色々なチームが避難所を訪れ、被災者に質問するので、被災者が辟易(へきえき)して、他の避難所に移りたいと言うのです」 確かに5月初めの週末、ある避難所では、精神科医、看護師、心理カウンセラーなど専門職のチーム、市民ボランティアなど、十数のチームが、心のケアと書かれた札や腕章をつけて被災者を訪れ、活動していた。 4月に宮城県南三陸町の避難所で会った79歳の女性を思い出した。津波で娘を失ったつらさを私に、「誰でもいいから聞いて、という思いと、そっとしておいて、という気持ちが行き来するの」と訴えていたのだ。 岩手県内の避難所を歩いた看護師出身の衆議院議員、山崎摩耶さん(64)は「心と言えば、精神科と思う人も多い。でも、何より気になるのは、心のケア『してあげる』というおごった姿勢。ケアは傍らに寄って行うものです」と指摘する。◇ 「心のケア」は、1995年の阪神大震災後、被災者の心理的支援の必要性を叫ぶ言葉として登場した。復興過程では心的外傷後ストレス障害(PTSD)専門施設、「兵庫県こころのケアセンター」ができた。初代所長の精神科医、中井久夫さんを神戸に訪ねた。 避難所の話に中井さんは「心のケアは、そううたって何かするというものではない」という。 「神戸では、被災者の心のケアを、一人にしない、体験を分かち合う、生活再建、の3段階で考えました。今回『寄り添う』という言葉を聞くが、その通りです。震災後、100日くらいで被災者の向き合う相手は自然から人間に移り、苦痛の質も変わってきます。まさに今からです」 隣人として患者に接する医師など、寄り添う姿は今回の取材でも心に残る。被災者の怒りが人に向き始めてきたこともうなずける。 心のケア――その意味は必ずしも明らかにはならなかったが、被災者の苦しみに思いを重ねることから始まるのだと思う。(編集委員 南 砂)
2011.06.22
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東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず コピペ津波浸水図※東北大学防災科学研究拠点事務所の資料・国土地理院航空写真を基に作成 東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津波を想定して道を敷いた可能性は高い」と指摘する。 同平野は明治以降も繰り返し津波に見舞われた三陸海岸と比べ、津波被害の頻度が少ないとされる。慶長津波の浸水域は明らかになっていないが、内陸約4キロの山のふもとまで船が漂流したとの記録がある。東北大の別の研究チームによれば、今回の津波は海岸線から最大5キロ程度に達し、平安時代の貞観地震(869年)の浸水域をやや上回った。 平川教授は「残念ながら明治以降の開発において、津波の経験は失われた。復興のまちづくりは災害の歴史を重視して取り組んでほしい」と話している。【八田浩輔】
2011.05.12
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3月11日の震災と、丁度一ヶ月後の余震のパンチはノックアウトパンチ+ボディー・プロ―の様に強烈でしたが、原発事故の影響と問題は、原発近隣地区の当地に取って今後色々な面で-方向に向かっていくと思われます。しかし、その様な状況を黙って受け入れていたのでは何も始まりません。まずは、復旧、そして復興に向けて前進あるのみです。
2011.05.06
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