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2012.08.01
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カテゴリ: 生活



では、前回の続きからです。



※「保育園での集団生活に於ける、園児の世界と、その世界観に付いて」-1

二つの滑り台。
私やK田の通う保育園は、保育期間が異なる園児を含め保育園全体では100人を超える位の園児がおりました。運動場を兼ねた園庭には、砂場と鉄棒、そして、滑り台を兼ねたジャングルジムが一つずつありましたが、私の入園後にもう一つ滑り台が園庭の反対側に増設されました。

その理由は分かりませんでしたが、今その理由を考えれば、当時の保育園児の目からは、高く聳え立ち、その頂上に登って滑ってくる為には、大変な勇気と根性が必要だったジャングルジム兼用滑り台は年長保育園児用とし、年少保育児が怖がらずに使用出来るようにという配慮があったのではないかと思われます。

私の入園時には、3年保育の最年少組ですが、どういう訳か2年保育の園児と一緒のクラスでした。
この年代の4.5.6歳の差は当然ながら心身ともに大きいのは当然ですが、一つ上の園児と一緒という環境には慣れたものの、2つ上になるクラスの園児の行う行動には驚異的なものがありました。

その驚異的と思われた行動の一つが、ジャングルジム兼滑り台への登頂及び滑走であり、年長組の中には何とそのジャングルジムから飛び降りてみせるという荒業を行う剛の者までが存在したのです。

ジャングルジムは何段かになっていて、その何段目から飛び降りられるかというのが、その保育園の男子園児の間での勇気度の誇示といいますか、当然ですがその段数が高ければ高い程、周囲の園児からの羨望が得られる?と思われていました。

そして、私も年長組の真似をしてチャレンジを試みた一人でしたか、最初はせいぜい下から2段目か3段目が限界であり、年長者の中にいた、最上段というか頂上のプラットフォームから飛び降りる雄姿を目撃した時には、世の中には凄い奴がいるものだと感心したのと同時に、自分が年長組になった時それが果たして出来る様になるのであろうかという
心配の気持がありました。

最上段から飛び降りる事の出来た数少ない2歳上の年長園児達は、周囲に自身の勇気と他を圧倒する能力を誇示するのが目的だったと思われますが、それを大人の目から見れば、幼児の単なる危険な「遊び」としてしか認識されないと思います。

しかし、ブランコを立ちこぎして、そこから手を離して、どれだけ遠くに飛べるかとか、鉄棒でも、低い鉄棒の上に立つとかといった「危険な行為」は、それは保育園児特に男児に取っては大変大きな意味合いがあったのです。


それは、周囲に対して、自分のそうした能力と勇気を示す事によって、保育園という社会の中での自分の地位を確立したいという立派な目的があったからに他なりません。

子供は子供、幼児は幼児なりに、その世界の中での、周囲との縦と横の関係を本能的に確立しようとしていた様に思われます。


※「保育園での集団生活に於ける、園児の世界と、その世界観に付いて」-2

勿論ですが、そんな危険な遊びによってではなく、折り紙の上手な女の子や、楽器の得意な子も存在していました。

周囲の子供に比べて発育が良く、体力だけが取り柄の私にとっては、その様な成績の良い子の事は、特別な存在であり、自分の世界や自分の生活空間とは違った世界の事と捉えていました。

保育園のカリキュラムには、集団で行う、お遊戯の他、お絵描きや簡単な楽器の演奏とかも含まれておりましたが、本来が不器用で呑み込みの悪い私に取っては、それらの全てが無理難題な難行苦行の修行場であり、保育園の時のカリキュラムは、何一つとして上手くできなかった事を記憶しています。

出来る子と出来ない子との違い、そして、1.2歳の極めて近い年齢でありながらも、そこには大きな体力や知能、能力の差があるという事実を目の当たりにして、そういう自分とは違う能力を持つ人間を知り、それらの人間と自分の間でどの様な関係を構築していくかという一番最初で一番重要な時期であったのではないかと思います。


※「年齢の違う園児との混合クラス教育の問題点」

「註釈 私の通った市営の保育園は、3クラス制でしたが、最初に出来た時は1年保育が基本であった様で、私が入園した時の1年保育の園児の数が一番多く、その為に、遅生れの「松組」と早生まれの「竹組」の2クラスががありました。2年保育の園児は「梅組」でしたが、3年保育の園児用のクラスは設けられてはおらず、保育園側の判断で2年保育クラスと一緒にしても問題が無いと思われる?発育の良好な? 3年保育の園児を少数だけ入園させていた様です」


3年保育であった私は、2年保育である1つ年上の園児と1年間同じ年少組のクラスだった訳ですが、一つ上の園児と比べても、体格と体力に勝る私も、2歳上の園児には一目を置いており、逆にそれらの上級園児の私に対する対応も弟の面倒を見る兄貴という感じの極めて友好的なものであった為に、私はこの時期はとても恵まれていたと思いますが、3年保育の園児と、2年保育の園児を同じクラスでというのは、今考えても、とてもおかしなものですが、この保育園のシステムに対する問題だけではなく、その様なシステムの保育園に入園させた私の両親も、一体何を考えてそうしたのかと思います。1年間一緒に過ごしたクラスメートが年長クラスに進級した時、年少クラスに留年?させられたと思った園児が受けた精神的ストレスがいかほどのものであったかに付いては、後で記します。


今、思い出すと、同じ幼少クラスで過ごす事になった、2年間という期間は、3.4歳の園児にとっては、本当に気が遠くなる程の長い期間に感じられたものでした。

今回は、「いじめ」に付いての御話をしている途中ですが、それに付いて、何故、私の保育園時代の御話をしているかに付いてですが、これを御覧になっている皆さんは、保育園や幼稚園時代の事をどれ位記憶しているでしょうか?

子供の頃の記憶に付いて、定説では、3歳前の記憶は殆どの人で残っていないと云われるのですが、私の場合は、その記憶している時期がいつであったかを確定する事の出来る一番古い記憶は、2歳児の時の事です。

何故、時間が確定出来たのかというと、それは、2歳10ヵ月違いの妹の出産時の事を起点とする、それ以前の事を鮮明に覚えている事から来ているのです。

私の母も記憶力が良いのですが、母の弟である叔父は、驚異的な記憶力の持ち主です。私はその叔父程ではないにしても、保育園児時代の記憶がしっかり残っている者として、その頃の保育園児がどのような考えを持っていたか? そして、人間形成の中で一番大切な時期と思われるこの時期に、周囲の大人や周囲の園児との関係をどの様に捉え、そしてどの様して行ったのかを検証しようと考えたからです。


誰でも、幼児や子供時代を過ごしてきたはずなのに、その時の記憶が無かったり、例えあったとしても、それが不確実な夢の世界の出来事の様な曖昧な記憶であれば、その人間が大人になった時に、自分の幼児や子供自体にどの様な考えをしていたかを思い出す事は極めて困難になり、結果的に幼児や子供の気持を理解する事が出来ないという事になるのだと思います。

しかし、大人が幼児や子供の事を、大人の考えに比べてずっと単純であろうと考えているのに反して、いえいえどうして、幼児は確かに経験値が低い為に、その対応の仕方に付いては未熟であるというだけの事で、基本的な物事に対する感じ方は、大人に成長してからのそれと殆ど差がないのです。


今回の御話はここまでですが、実際どの様な事があったのかは第3話をご覧ください。

続く






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最終更新日  2012.08.01 15:36:43
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