りぃ-子’s SCRAP BOOK

りぃ-子’s SCRAP BOOK

2023.08.14
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カテゴリ: これからの家族



今TVで都会では火葬待ち2週間になっていると聞きました。

ただし、地方は人口減の為そうでもないというけど。
でも、父の時も火葬場10日待ち位で、葬儀が終わるまでとても長く大変だったので、タイミングに寄るかな。

母の場合は火葬場は空いていたけど僧侶の都合で葬儀が5日後となり、6月でも今年はとても暑かったため、25万円位のエンバーミング(遺体が傷まない処理)をお願いしなくてはならなかった。


墓関係:戒名とお布施、葬儀の交通費と御膳代等、その後の四十九日に初盆で約80~90万(うちの寺では戒名が70~120万だったのが、一般的には30~50万と聞くので、平均では40~70万位かも)

葬儀関係:最も小さなお葬式で、かつ花を最小限に切り詰めても、エンバーミング込みで90万

やはり最低でも150~200万無いと、遺族に負担がかかるという事。

**********

・ 私の時は、小さなお葬式ではなく、小さな火葬式でもいいと思った。(葬儀代が20万以下になりそう)
・ 今TVでもやっているけど、仏教は後々数十年で、墓仕舞いまで数百万円単位で費用が掛かるし、
私は最初っから永代供養で良いと思う。

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にしても、死亡保険金か貯金で200万位は残さないといけないのだなと思いました。
一応死亡保険が200万あるので、かけておいて良かったです。
コツコツ貯金ももう少し頑張ろう(;´・ω・)


ベッドやらシニアカーやら、片付けにも労力と費用が掛かるし、
残ったお金があれば、遺産という程ではないにしても、子や孫にお礼として渡せたらほっとします。




なぜ、人は死ぬと地獄に行きかねないと思うのでしょうね。
生きている時悪い事をしたらイケナイという脅しなのかな???
でも本当に地獄に落ちるようなことをしてきた人を、救う必要などあるのでしょうか。

生き物は全て殺生をしないと生きてはいられない事は、基本なのですから、
多少の罪で地獄に落ちるなど無いと思うのです。

人は皆不器用なので意図せず、又は心が貧しい事で他人を踏みつけたりしてしまうけれど、
この世は修行の場というのだから、まだ未熟な生き方しかできなくても、当たり前という事だと思うのですけど。


仏教も政治の道具であり、お金と結びついた存在でしたよね。
教えでは「心」というけど、実際は「お金」、内心そう感じてる。

宗教法人という特別枠、意味はわかるんですが・・・現実的にはおかしいと思います。

大学の仏教や神道科に 行ってみたら、ずらっと並ぶ通学の車の値段や、学生生活の派手さに驚くと聞きます。




​今後は宗教というより、死後のもろもろを、より公的に市役所などで処理できるものにしてほしいと思いませんか?​


ただ、夫の家の神道は費用も余りかからない(葬儀で20万位。戒名代は無く、誰もが死ぬと等しくみこと(命)になりますし、葬式も時間もかからず簡素でしかも美しくて好きです。

お寺は嫌いでもないけど、関心が無い。
でも、神社は子供の頃から割合御縁もある気がしていて、夫のおかげで仏教から抜け神道となったのはとても嬉しい事です。

ここ数十年で、仏教から神道に替えた家も多いと聞きますよね。



人を供養するのに、宗教の力を借りなくてはできないものでもないような。

お盆やお彼岸を無視するつもりは無いですけどね。
風習を大事にしたいという気持ちもあります。


それに私はどうしても死んだ人があの世の地獄で苦しんでいるという想像ができません。
どちらかと言えば、安らかに見守ってくれているようなイメージ。
ご先祖でも悪い事をした人は居ると思うけど、死んでしまえば終わるようなイメージを持っています。
もうすでに完結しているのだから。
それを救うために供養するという発想が、どうもピンとこないんですよね。

ただ、子孫が時々思い出したり、感謝してくれたら嬉しいでしょうけど、
それだけで十二分ではないかと。

それに、先祖供養というものも経済成長期の日本ならできてきた事でしょうけど、今後貧しい若い世代に負担させられるのかと思います。

昭和以前から、こんなにお布施は高いものだったの?

お寺は今ほど裕福だったのでしょうか?

何か、そうではない気がするんですけど。



老人は今後、できるだけ(数が減る一方の)若い人に負担をかけないようにしなくてはならないのでしょうね。

持っている分は景気を回すため気前よく使い、無いなら無いなりに節約して不満を言わず、その為には宗教関係のような負担の重い支出を減らしていく必要があるなあ・・・と、私は個人的に思います。


なにしろ、我が家は両親の墓仕舞いにきっと200万円程かかるでしょう(最初、墓の区分を寺に借りる時すでに160万位支払っているのに、さらに墓仕舞いでも儲けようとする寺ってどう思います?)し、
最後の年忌法要である弔い上げの33回忌?まで、少なくとも毎年4万円程度の費用が掛かってくる。
4万×33=1320000ですから、大きな出費です。

両方でなんと、3320000円ですよ。
夫と自分の葬儀を合計したら少なくとも500万残さなくてはならないと!?ってこと?

余り考えたくないけど、全く恐ろしい話です。


あっ、今調べたら最近は17年忌で弔い上げをする場合もあるとか。
それなら、なんとか私の生きている間(80歳ですよ(´;ω;`)ウゥゥ)にできるかもだし、4万×17なら68万円で済みます。

墓を継ぐ者がいないので、その方向で計画するしかないかなと思いますけど。

宗教の負担って、今現実を必死で生きている人にとって重すぎではないですか。
その負担を少なくし、お金を世間で旅行や買い物、飲食費でまわせば、もっとみんなが楽で呑気に暮らせる世の中にできるような・・・?


真面目で、先祖思いで心優しい日本人だから、「恥ずかしくないように」という心で、気づかぬうちに少しずつそうなってきたような気がします。


そもそも、京都などのお寺が大好きな人が多いという事は、消費生活より宗教や伝統が大事と思っている人が多いのでしょうし、その価値を簡単に否定できるものではないのでしょうね。







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最終更新日  2023.08.14 13:37:13
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