「四百字のデッサン」野見山 暁冶 



 パリ留学中に出会った人々。藤田嗣冶、金山康喜、椎名其二、森有正、小川国夫らを、モデルの肉付きやポーズに従ってデッサンを描くように、全て描写しています。

アナキスト椎名其二、森有正はパリでどう過ごしていたか。
 野見山ギョージによると、長身、痩躯(写真によると)の椎名氏は、書籍の造本をして、つつましやかに暮らしていたそうです。

 料理の上手な氏の下には、貧乏でひもじい思いを抱いた留学生・芸術家が三々五々集っていました。

 早稲田大学で安部磯雄教授に薫陶を受け、労農運動に目を向けた氏はカナダに渡りました。そしてパリに。

 野見山ギョウジさんの奥さんに「ベーゼさせてください。」と迫ったのが文学者小川国夫だそうです。(それを小川の全集の月報に書くのが、ギョージのデッサンなのです!)

 「あんたもうここへ来ないで」といわれても食い物に飢えた国夫は通ってきたらしいです。

 もっともギョージも、「ソンナラスルガヨロシウゴザイマスネ。」と細君に言ってどやしつかれたそうです。この言葉遣いは、」国夫がグルノーブルで出会った商人の言葉に影響されたのを揶揄しています。

サン・ゼルマン・デ・プレ近くマピオン通り。
 小川国男のことなどどうでもよい。本題は椎名其二です。

 「サン・シュルピスの教会からサン・ゼエルマン・デ・プレのほうへ通じる細い石畳の道を・・・」

という文を読むと、青春の一時期をパリで過ごしたことのある人は、懐旧の念に胸かきむしられるのではないでしょうか。

 パパ・へミングウエイではないけれど、若者なら必ず、サン・ジエルマン・デ・プレを徘徊するものだからです。

 道路よりずいぶん低い地盤面に立っている建物があるのがパリ旧市内です。

 家賃もその分安いが冬は相当寒いようです。

 椎名氏はそこで本の製本をしていました。希こう本を皮で表装し、小口に金箔ではけ塗りをしたりするのです。


 誰も搾取しなくて生きていく術(すべ)だったのでしょうか。

 前金をもらった日はおいしいものを食べて贅沢した彼。

 贅沢とは貧乏しているものしか味わえない境地だという識者もいます。

 入った金のほとんどをその日のうちに飲みつくし、食べつくし、貧乏留学生たちにふるまうのですから。





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