A建材社長三郎氏を悼む。


 三重県鈴鹿市のA建材の前社長宅が取り壊されて更地になっていると、イブのパーティ客から聞きました。

 翌日行って見ますと、大通りに面した四百坪近くはありそうな敷地が寒風に吹かれて残っています。

 すでに自動車会社が買収したとの噂でした。

 一千坪以上はあった、会社と駐車場はパチンコ屋となっていました。

 門だけで、欅(けやき)つくりの山門風で、十五年ほど前の当時一千万円かかったと言われていました。

A社長は門を取り壊す前日、亡くなられたそうです。

 A社長は倒産したE工務店のダンプカーの運手手から身を起こしました。

 文字通り徒手空拳(白手挙家と中国では言うらしい)から一代で、土木工事業、砂利採取業・生コンクリート製造業と企業を拡大されました。

 豪快かつ俊敏で頭脳の切れ味も抜群でした。

 今IT産業をまかせたら、瞬く間に一千億円企業ぐらいつくり上げたでしょう。

 二箇所のゴルフ場建設に失敗したのが蹉跌の原因の一つだったのでしょうか。

 前回のダイエー・中内功氏と規模の違いこそあれ、進むと引くの決断。

 時代・情勢と自分の信念の齟齬(そご)が生じたときの身の処し方に感慨があります。

 しかし、小市民的な諦念に陥らず、この閉塞を乗り越えるのがリーダーではないでしょうか。



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