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A氏: 俺は当日見たね。
私
:教育再生会議の民間委員である ワタミ社長
が出ていたね。
それと「 ゆとり教育
」を進めた頃の文部科学省の担当であった 寺脇氏
も出ていたね。
例の通りのワイワイガヤガヤだったが、面白かったね。
ここで俺が知的興味をひいたのは、2つある。
1つは、寺脇氏の「ゆとり教育」を推進したときの考えだね。
もう一つは、ワタミ氏の発言だ。
A氏
:寺脇氏は、学校にだけ子どもの教育を押しつけるのでなく、 親や地域がもっと子どもの教育に関心を持つように週5日制にしたりして「ゆとり教育」を進めたと言っていたね。
その考えの方向は今でも正しいとね。
私:
それに対して、三宅氏が子どもは詰め込みでもいいから、必要な基礎は教えるべきだといったら、寺脇氏が「では、なんで『ゆとり教育』を計画しているときに、意見を言ってくれなかったのか」と三宅氏らに反論していたね。
精神科医の和田氏
は、必要な最低カリキュラムを決めて、それから授業時間、週5日制とすべきだったのが逆であったと批判していたね。
A氏
:三宅氏やコラムストの勝谷氏は、当時からさかんに反論していたと言ったが、これは「 反論してくれたら『ゆとり教育』は企画しなかった
」というように聞こえたね。
要するに、 企画段階で基本的な欠陥を持っていたわけだ
。
私:
寺脇氏は理想論を言っていたんだが、現実に「ゆとり教育」の失敗は本人も認めているんだね。
問題は、 何故、失敗したのかの原因追求がまた甘いね。
なんでこんないいかげんな企画が通ってしまったのかだね。
これが再生会議でも議論されていないようだね。
また、過去は忘れて心機一転かね。
ワタミ社長が今の教育は崩壊したから、再生だというが、 何故、崩壊し、誰の責任かを明確にしないかぎり本当の再生はないのではないの
?
人を責めるという意味でなく、失敗から学ぶという姿勢がまったくないね。
このとき、勝谷氏がいいことを言っていたね。
A氏 :どういうこと?
私
:「ゆとり教育」の趣旨が親や地域社会がもっと教育に関心を持つようにという趣旨なら、 同時にそういうシステムを作ってから「ゆとり教育」をすべきで、親や地域社会に子供は放置されてしまったというわけだ。
金はあっても給食費は払わなかったり、子どもは虐待するという親のもとにね。
A氏
:子どもに悪影響を与えるとそれはその家庭の自己責任かね。
国家の運命を決める教育が、個々の自己責任論で放置される。
だから、ここで親の意識が高く、地域社会が対応できるところの子どもは対応できるがそうでないところは、 学力は低下して格差になる。
要するに 、「ゆとり教育」は不公平な押付けシステムだったんだね。
それが国家的な問題になってしまった。
日本では掛け算は九九でやるが、インドは二桁どうしの掛け算まで小学生がすらすらできる。
それはインドの親の個々の選択ではないはずだ。
だから、インドの数学力が今、国力になっているね。
私
:それでもう一つ、知的興味をひいたのはワタミ社長の発言だね。
彼は詰め込み教育がよいか、ゆとり教育がいいかは学校が教育の特色を打ち出せばいいので、それを親が選択すればいいという。
A氏
: 教育の市場化
だね。
教育の商品化
だね。
また、 商品を選ぶ親の自己責任という点は「ゆとり教育」と同じ発想だね。
それに気がついていない。
私
:市場の公平とは、売るほうも買うほうも同じレベルの知識をもっているということだよ。
問題は買うほうだよ。
買うほうの親に格差があるとき、その市場は公平でないね。
公正取引委員会では反対するだろうね。
ワタミ社長は、教育の市場化に賛成だから、 教育バウチャー制
で親が学校を選べば、ダメな学校は良くしようと努力する。
あるいは、ダメな学校は淘汰されると考える。
A氏 :問題はダメな学校に残るしかない子どもはどうするんだね。
私
:大竹まことがいいことを言っていたよ。
そういう学校の子供は切れる子どもばかりになる。
A氏 :暴力学校になるかもね。
私: たけしが最後にうまいことを言っていたね。
たけしが子ども時代には、できる子どももできない子どもも同じクラスで勉強するから、自然にできる子とできない子が生まれる。
そうすると、自然に子どもはできる子を認めるし、自分の位置を覚る。 それで 力の差を納得する。
ところがその場をなくすと、「あいつらなんだ」となるだろうという。
A氏:
社会不安の問題となるね。
これは君が所得格差問題で扱っているのと、状況が似ているね。
労働力が市場での商品となる。
労働者と経営者が市場で労働力を売買する。
労働者は自分な好きな働き方を選択できるはずだ。
経営者は自分の好きな労働者を選択できる。
だめな労働者や経営者は淘汰される。
それは個人の自己責任だ。
だから、努力せねばならない。
それによって社会的な効率は上がる。
今度は労働力でなく、教育が市場で売買される。
私
:しかし、実は 市場での労働者と経営者は同じ力関係にない。
だから、 政府が労働者保護として経営者を規制して公平を保とうとする。
労働基準法と基準監督署の設置だね。
この規制を緩和して、市場を自由化する話は前提からして不公平だね。
教育も商品化し市場化して、親の自己責任で選択できるという考えも似ているね。
教育の失敗も自己責任だね。
しかし、買い手は正しい選択をする力も経済力も公平に持っていない。
しかも、教育の選択に失敗したら親の問題でなく、責任のない子どもの一生に影響与える。
それどころか 国家のレベルにまで影響を与える。
国全体としてレベルが低下する。
藤原国彦氏が「 国家の堕落 」で教育の商品化に反対していることも理解できるね。
ワタミ社長という人はよく知らないが、このテレビでの発言を聞いていてガッカリしたね。
教育再生会議は、 教育商品化会議
なのかね。
どうしても 教育バウチャー制
をやりたいのかね。
これも ホワイトカラー・エグゼンプション
同様、なれない英語が使われているね。
とにかく親や地域の自己責任にするというのは「ゆとり教育」と同じだね。
「ゆとり教育」同様、失敗は明らかだね。
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