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Ryu-chan6708

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2008.05.30
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カテゴリ: 歴史


私:明治期の靖国神社の側面 に今では考えられない 観光的な要素や、アミューズメントセンター的な側面 があるね。

A氏 :それに 靖国神社には 例大祭 という祭り があるね。

:これは 東京招魂社時代 からあるという。
  しかし、最初は、 人気のない神社 だったようだ。
  それが、 明治4年に九段に近代的な灯明台 ができてから、人気が出てきたという。
  ところで、君は 靖国神社境内が競馬場 でもあったことを知っているかい。

A氏 :まさか、境内を使うとは考えられないね。
  もっとも、神社だから、祭りの要素はあるからね。
相撲 もそうだね。

相撲 は、 明治2年の鎮座祭 から 境内 でやるようになったという。
相撲 は、 両国国技館 ができるまで、 本場所を靖国神社の相撲場でやっていた という。

競馬 の方は、明治4年の5月の例大祭から始まる。
日本人主催による最初の近代的な競馬競技会
だったという。
  これは「 九段競馬 」と言われ、 明治31年に中止 されるまで、 毎年、例大祭、臨時大祭のたびに開催 されたという。
明治20年の例大祭の競馬では皇太子(後の大正天皇)まで見に来ていた という。

A氏 :開かれた靖国神社だね。

明治4年の例大祭 には、 日本最初の博覧会である「物産会」が東京招魂社境内で開かれる。
明治14年には立派な西洋風の「 遊就館 」ができる

  この 設計 はお雇い外国人の イタリア人 がやった。
 もっとも、この「 遊就館 」は 関東大震災で大破 する。
明治21年には大鳥居(現在の第2鳥居) ができる。
明治26年 大村益次郎の大きな像 ができてから、さらに 東京名所としても紹介 される。
九段下 は後に百貨店のもとになるような「 勧工場 かんこうば )」が盛んになる。

A氏 :敗戦後は、 力道山のプロレス もやったね。

:実は、 戦前の大正十年にアメリカのプロレスと日本の柔道との試合 が靖国神社境内であったんだね。
  このような靖国神社の姿があったことは興味あることだね。
  敗戦後、 靖国神社は一時、財政難 で、娯楽センターを考えたことがあるね。

A氏 :その話は「 靖国戦後秘史・A級戦犯を合祀した男 .でふれたね。
 こここでは、靖国神社は 1944年に73万人 1945年が40万人 参拝客 があったが、戦後「 GHQににらまれた神社 」として 46年は3万人程度まで激減 したという。
  その上、 一宗教法人となったので国費も出なくなった。
敗戦後から 筑波宮司 がくる半年くらいの間、占領軍との交渉はナンバー2の 横井権宮司 が当たるが、一時は収入を得るため、 娯楽センターの建設 も考えたとあるね。

:この本は靖国神社が九段にあるという立地から、いろいろな山手、下町の関係や芸術家や作家などの人物に焦点を当てている。
  これが、この本の半分くらいを占めるが、これは、俺は興味がなく、読み飛ばしたね。
  しかし、この「 靖国 」の本は A級戦犯合祀 のことはほとんどふれていないね。
  「 文庫版『靖国』の『あとがき に代えて 」で多少ふれているがね。
  これを明日の話題にしよう。






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Last updated  2008.05.30 06:20:14
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