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私:明治期の靖国神社の側面 に今では考えられない 観光的な要素や、アミューズメントセンター的な側面 があるね。
A氏 :それに 靖国神社には 例大祭 という祭り があるね。
私
:これは 東京招魂社時代
からあるという。
しかし、最初は、 人気のない神社
だったようだ。
それが、 明治4年に九段に近代的な灯明台
ができてから、人気が出てきたという。
ところで、君は 靖国神社境内が競馬場
でもあったことを知っているかい。
A氏
:まさか、境内を使うとは考えられないね。
もっとも、神社だから、祭りの要素はあるからね。
相撲
もそうだね。
私
: 相撲
は、 明治2年の鎮座祭
から 境内
でやるようになったという。
相撲
は、 両国国技館
ができるまで、 本場所を靖国神社の相撲場でやっていた
という。
競馬
の方は、明治4年の5月の例大祭から始まる。
日本人主催による最初の近代的な競馬競技会
だったという。
これは「 九段競馬
」と言われ、 明治31年に中止
されるまで、 毎年、例大祭、臨時大祭のたびに開催
されたという。
明治20年の例大祭の競馬では皇太子(後の大正天皇)まで見に来ていた
という。
A氏 :開かれた靖国神社だね。
私
: 明治4年の例大祭
には、 日本最初の博覧会である「物産会」が東京招魂社境内で開かれる。
明治14年には立派な西洋風の「 遊就館
」ができる
。
この 設計
はお雇い外国人の イタリア人
がやった。
もっとも、この「 遊就館
」は 関東大震災で大破
する。
明治21年には大鳥居(現在の第2鳥居)
ができる。
明治26年
に 大村益次郎の大きな像
ができてから、さらに 東京名所としても紹介
される。
九段下
は後に百貨店のもとになるような「 勧工場
( かんこうば
)」が盛んになる。
A氏 :敗戦後は、 力道山のプロレス もやったね。
私
:実は、 戦前の大正十年にアメリカのプロレスと日本の柔道との試合
が靖国神社境内であったんだね。
このような靖国神社の姿があったことは興味あることだね。
敗戦後、 靖国神社は一時、財政難
で、娯楽センターを考えたことがあるね。
A氏
:その話は「 靖国戦後秘史・A級戦犯を合祀した男
」 2
.でふれたね。
こここでは、靖国神社は 1944年に73万人
、 1945年が40万人
の 参拝客
があったが、戦後「 GHQににらまれた神社
」として 46年は3万人程度まで激減
したという。
その上、 一宗教法人となったので国費も出なくなった。
敗戦後から 筑波宮司
がくる半年くらいの間、占領軍との交渉はナンバー2の 横井権宮司
が当たるが、一時は収入を得るため、 娯楽センターの建設
も考えたとあるね。
私
:この本は靖国神社が九段にあるという立地から、いろいろな山手、下町の関係や芸術家や作家などの人物に焦点を当てている。
これが、この本の半分くらいを占めるが、これは、俺は興味がなく、読み飛ばしたね。
しかし、この「 靖国
」の本は A級戦犯合祀
のことはほとんどふれていないね。
「 文庫版『靖国』の『あとがき
』 に代えて
」で多少ふれているがね。
これを明日の話題にしよう。
「ポスト戦後社会」吉見俊哉著・シリーズ… 2009.09.01
「イスラムの怒り」内藤正典著・集英社新… 2009.08.24