月日 | 動き |
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1990年9月 | 自民、社会両党訪朝団と三党共同宣言。 国交正常化交渉が行われることが決まる。 |
91年1月 | 平壌で初めての日朝国交正常化交渉。 |
97年11月 | 森喜朗ら連立三党訪朝。 |
97年5月 | 横田めぐみさん行方不明事件など7件10人を北朝鮮による拉致事件と認定する。 |
98年8月 | 北朝鮮が「テポドン」を発射。政府は食料支援などを中止する。 |
99年3月 | 日本海での不審船事件起こる。 |
2000年3月 | 政府は10万トンのコメ支援を決定。 |
2000年4月 | 平壌で9回目の国交正常化交渉が行われる。 |
01年12月 | 不審船事件起こる。船は銃撃の末沈没。 |
02年4月 | 北京で日朝赤十字会談。行方不明者の調査実施で合意。 |
02年9月 | 小泉首相が初の訪朝。「8人死亡5人生存」と北は発表。 |
02年10月 | 拉致被害者5人が24年ぶりに帰国。 |
02年12月 | 拉致被害者支援法が成立する。 |
03年1月 | 北朝鮮は核拡散防止条約(NTP)脱退を宣言。 |
03年4月 | 北京でアメリカ、北朝鮮、中国による3カ国協議が開かれる。 |
03年8月 | 北京で初の6カ国協議。 金永日外務次官「拉致を含む諸問題を平壌宣言にのっとって一つ一つ解決する」 |
03年12月 | 平沢氏らが北朝鮮の高官と会談する。 |
04年2月9日 | 外国為替及び外国貿易法(外為法)改正が成立。 |
04年4月 | 山崎拓氏と平沢勝栄氏が大連で北の高官と会談。 |
04年5月 | 北京で初めての日朝実務者協議。 |
04年5月 | 小泉再訪朝。拉致被害者家族5人が帰国。 曽我さん一家は海外で再会の予定。 |
04年6月14日 | 参議院で特定船舶入港禁止法案が可決、成立。 |
04年7月 | 曽我ひとみさん一家は7月9日にジャカルタ(インドネシア)で再会が決まる。 夫のジェンキンスさんについてアメリカは、 「敵前逃亡」などで訴追する姿勢は変わらず。 |
04年7月9日 | 曽我ひとみさん一家はインドネシアのジャカルタで再会。 「一家再会は、ひとえにインドネシア政府の協力のおかげ」と語る。 |
04年7月18日 | ジェンキンスさん日本行きを決断。 曽我ひとみさん一家ジャカルタから帰国。 |
04年8月 | 北朝鮮への食糧支援、表明分の半分の実施を政府が決定する。 |
04年9月 | 第二回日朝実務者協議(北京)。 |
04年11月3日 | ジェンキンスさんの軍法会議が在日米陸軍のキャンプ座間(神奈川県)で始まる。 脱走と利敵行為について有罪とされ、禁固30日と不名誉除隊の判決が出る。 判決後すぐ、身柄を在日米海軍横須賀基地に移され、収監された。 |
04年11月9日 | 第3回日朝実務者協議が11月9日から、 期間を延長して14日まで北朝鮮(ピョンヤン)で行われた。 横田めぐみさんのものと北朝鮮側が主張する遺骨など、資料を持ち帰るものの、 日本人拉致被害者に関する新たな事実は北側から示されず。 その後日本側のDNA鑑定でこの骨がめぐみさんのものではないと判明。 |
04年11月14日 | 曽我ひとみさんが収監中のジェンキンスさんと米海軍横須賀基地で面会した。 |
04年11月27日 | ジェンキンスさんが釈放される。 |
04年12月7日 | ジェンキンスさん、曽我さん、二人の娘とともに佐渡へ。 |