りゅうちゃんミストラル

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拉致事件

2005-11-09 14:51:572005-11-09 14:52:072005-11-09 14:51:57ネコ宙返り 拉致事件とは何なのか? ネコ宙返り2005-11-09 14:51:572005-11-09 14:52:072005-11-09 14:51:57

情報は順次更新します。

日本にとっての大きな問題である
拉致事件とは何なのか?
それを私自身が忘れないように整理して考えたい。 

小泉再訪朝についてはここで語っています。  小泉再訪朝の意味

拉致事件の経過
(この表は各新聞を参考にしています)
月日 動き
1990年9月 自民、社会両党訪朝団と三党共同宣言。
国交正常化交渉が行われることが決まる。
91年1月 平壌で初めての日朝国交正常化交渉。
97年11月 森喜朗ら連立三党訪朝。
97年5月 横田めぐみさん行方不明事件など7件10人を北朝鮮による拉致事件と認定する。
98年8月 北朝鮮が「テポドン」を発射。政府は食料支援などを中止する。
99年3月 日本海での不審船事件起こる。
2000年3月 政府は10万トンのコメ支援を決定。
2000年4月 平壌で9回目の国交正常化交渉が行われる。
01年12月 不審船事件起こる。船は銃撃の末沈没。
02年4月 北京で日朝赤十字会談。行方不明者の調査実施で合意。
02年9月 小泉首相が初の訪朝。「8人死亡5人生存」と北は発表。
02年10月 拉致被害者5人が24年ぶりに帰国。
02年12月 拉致被害者支援法が成立する。
03年1月 北朝鮮は核拡散防止条約(NTP)脱退を宣言。
03年4月 北京でアメリカ、北朝鮮、中国による3カ国協議が開かれる。
03年8月 北京で初の6カ国協議。
金永日外務次官「拉致を含む諸問題を平壌宣言にのっとって一つ一つ解決する」
03年12月 平沢氏らが北朝鮮の高官と会談する。
04年2月9日 外国為替及び外国貿易法(外為法)改正が成立。
04年4月 山崎拓氏と平沢勝栄氏が大連で北の高官と会談。
04年5月 北京で初めての日朝実務者協議。
04年5月 小泉再訪朝。拉致被害者家族5人が帰国。
曽我さん一家は海外で再会の予定。
04年6月14日 参議院で特定船舶入港禁止法案が可決、成立。
04年7月 曽我ひとみさん一家は7月9日にジャカルタ(インドネシア)で再会が決まる。
夫のジェンキンスさんについてアメリカは、
「敵前逃亡」などで訴追する姿勢は変わらず。
04年7月9日 曽我ひとみさん一家はインドネシアのジャカルタで再会。
「一家再会は、ひとえにインドネシア政府の協力のおかげ」と語る。
04年7月18日 ジェンキンスさん日本行きを決断。
曽我ひとみさん一家ジャカルタから帰国。 
04年8月 北朝鮮への食糧支援、表明分の半分の実施を政府が決定する。
04年9月 第二回日朝実務者協議(北京)。
04年11月3日 ジェンキンスさんの軍法会議が在日米陸軍のキャンプ座間(神奈川県)で始まる。 
脱走と利敵行為について有罪とされ、禁固30日と不名誉除隊の判決が出る。
判決後すぐ、身柄を在日米海軍横須賀基地に移され、収監された。
04年11月9日 第3回日朝実務者協議が11月9日から、
期間を延長して14日まで北朝鮮(ピョンヤン)で行われた。 
横田めぐみさんのものと北朝鮮側が主張する遺骨など、資料を持ち帰るものの、
日本人拉致被害者に関する新たな事実は北側から示されず。
その後日本側のDNA鑑定でこの骨がめぐみさんのものではないと判明。
04年11月14日 曽我ひとみさんが収監中のジェンキンスさんと米海軍横須賀基地で面会した。
04年11月27日 ジェンキンスさんが釈放される。
04年12月7日 ジェンキンスさん、曽我さん、二人の娘とともに佐渡へ。

最初に言っておきます。
私は多くの国民と同様に拉致事件が北朝鮮の仕業であるということを、
長い間疑っていませんでした。このことについて今は反省しています。

拉致とはテロである
私のとってこの言葉は普通に使えるのだが、そうでない人もいるらしい。
それではテロとは何か?私の定義では、
「政治目的を果たすため、暴力を用いること」 だ。

横田早紀江さん(横田めぐみさんの母親)はこう言っている。
「拉致は日本国の問題、安全保障の問題、国家の根幹に関わる」
(「諸君!」2003年10月号より)

日本人拉致の目的
北朝鮮は日本での工作活動のために日本人を拉致して日本語教師などをさせていたらしい。
私にはこの理由がいまだに納得できていない。
というのも、もし日本語教師が必要であれば在日の人から教わればいいのではないかと考えるからだ。
日本語が上手な在日の人はたくさん要るのに。
また、日本人のパスポートが欲しくて「日本人になりすますために」拉致したという意見もあるが、
これも理解できない。なぜなら、行方不明になった日本人には家族がいるだろうし、
家族は警察などに届け出れば「日本人になりすます」ことは危険が大きいと考えるからだ。
これらのことから、拉致とはなんと幼稚な手段だろうか?
国家がこうしたことを行うというのは、 「ならず者国家」 と判断されても仕方ないだろう。

しかし、日本という国もまた未熟だった。
私を含めて多くの国民と政府は、
この事件に対しては事実上 「無視」 したからだ。


「拉致被害者家族の気持ちになって」
物事を考えることが、多くの日本人にとってはできなかった。 
これは現代日本の大きな問題である 「人命軽視」 の風潮につながるものだ。

そしてかつて朝鮮半島で日本がしたことが「負い目」になっているためか、
「弱腰外交」 が行われてきたのである。
拉致事件を 「行方不明者」 として扱うなどのことが、それを如実に物語っている。
  ただ、当然のことだが 「日本がかつて悪い事をした」から「拉致してもいい」
ということにはならない。 
それでは 「殺人者の家は燃やしてもいい」 ということになってしまうからだ。

とにかく「問題以前のこと」であった拉致事件は、日本と北朝鮮にとって重要な問題となった。
ここまでくるのがとても長かった。

北朝鮮が欲しいのは「金体制の存続」とそのための「食料とエネルギー」だ。
寒く、石油もない北朝鮮は多くの栄養失調者を抱えているらしい。
アメリカからの圧力もあって北の将軍は「金体制の存続」に危機感を持っているだろう。

日本には軍事で相手国に圧力を与えることができない。ならば、「経済制裁」と「世論の力」しかない。
北朝鮮には「世論」というものがない。人は「自分に無い物」には恐怖を感じるものだ。
ここに日本の活路がある。

大切なことは、日本人が「拉致を忘れない」ということだ。
そして、拉致事件に対して怒りをもって解決に向かうよう、
政府に対して圧力をかけることだ。


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