朝日新聞朝刊 2015年4月16日の記事です。
木久扇さんは「笑点」を休んで、7週間の放射線治療に臨みます。私が、後腹膜脂肪肉腫で抗癌剤治療の第1クール、第2クールを受けた時期です。
痛くも痒くもない治療で、1回の治療は3分ほど。私が今受けている、重粒子線治療と同じような感じですね。
内視鏡で腫瘍が消えていることが分かりましたが、副作用で声はますます出なくなっていきます。
早期の喉頭(こうとう)がんと診断された林家木久扇(きくおう)さん(77)は2014年7月下旬、7週間の放射線治療を受けることになった。レギュラー番組「笑点」の出演や寄席は休まざるをえなかった。
東京慈恵会医科大病院(東京都港区)に月~金曜の週5日通い始めた。治療に使われたのは、「リニアック」と呼ばれる放射線治療装置。放射線を当てる部位がずれないように目印を付けたマスクを、顔の形に合わせて作った。
どんな治療かと緊張したが、照射は左右からそれぞれ20秒足らずで、痛くも熱くもない。1回の治療は3分ほどで終わった。
治療が午前中に終わると、時間が空いた。治療後に通勤する人も多いというが、思うように声が出ない以上、落語家の商売はできない。予定表にキャンセルのバツ印が並ぶのが情けなかった。
落語家になる前、志したのは漫画家だった。腕前を生かし、カレンダーや年賀状、雑誌の表紙のイラストを描く仕事に励んだ。
小学生にもわかる本「学校寄席入門」の企画も進めた。電話で制作会社とやり取りする際は、長女でマネジャーの豊田佐久子(とよたさくこ)さんに筆談を交えて伝え、代弁してもらった。妻の武津子(むつこ)さん(68)が「お父さん、病気なんだからゆっくりして」と止めるほどだった。
毎週日曜夕方には、笑点のテレビ放送を見た。定位置の座布団は空席のままだったが、「テレビの世界はいくらでも代わりがきく酷な世界」だ。もし代役が出演して定着すれば、出番を失う。45年かけて築いたレギュラーの座。たとえ弟子でも、ほかの人がそこに座るのは嫌だった。「あの空席は僕の席だ」。客席から笑いが起きていても、全然笑えなかった。
8月中旬、内視鏡による検査で目に見える腫瘍(しゅよう)は消えていることがわかった。
一方、肝心の声は治療開始後、ますます出なくなっていた。放射線の副作用で喉頭や咽頭(いんとう)の粘膜炎が起き、声がれがひどくなった。のどの痛みも出る。「声は元に戻るが、いつ戻るかは個人差がある」と医師から言われた。だが、心配だった。「このまま一生出ないことだってあるんじゃないか」。がんの宣告よりも、絶望的な思いに襲われた。
ファンからの手紙が闘病中の支えになった。小さい子どもからの励ましもあった=東京都世田谷区
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