朝日新聞朝刊 2015年4月28日の記事です。
「子どもを産めなくなるんですか」。2005年3月、初期の子宮頸(けい)がんと診断されたタレントの原千晶さん(41)は、思わず問い返した。
がんの再発・転移を防ぐために子宮摘出手術を受けるよう勧めた、東京慈恵会医科大病院(東京都港区)の主治医、落合和徳さん(66)は一瞬の間をおいて、「そうだね」と答えた。
「今なら子宮を取るだけで、卵巣・卵管の切除、抗がん剤や放射線の追加治療もいらないから。1週間考えて決めてください」
この場からいなくなりたい。逃げるように診察室を出た。帰りの車中、付き添っていた母親の多恵子さん(65)が言った。
「ショックなのはわかるけど、お母さんは、あなたがいてくれないと困るのよ」。それまで見たことの
ない、悲痛な表情だった。
札幌にいる父親竹男(たけお)さん(67)とも、電話で話した。その5年ほど前に大腸がんの手術を経験していた。竹男さんは「俺は手術を受けてほしいと思う」と言った。
いつも厳しかった父が、電話の向こうで泣いていた。
「俺とお母さんに、孫の顔を見せなくちゃとか、考えなくていいから。お前が生きててくれ」
両親や友人、主治医の言葉に「とにかく手術を受けよう」と決めた。「結婚して赤ちゃんを産めなくても、しっかりと仕事をしていけば人生を切り開いていける。仕事に生きるのも一つの選択肢のはず」。いつ子どもを産んで、その間の仕事はどうするのか。それまでの漠然とした不安から、解き放たれるような気もした。
手術は約1カ月後。いまの自分の姿を残したいと、写真家の篠山紀信さんに頼んで、写真を撮ってもらった。
だが、その後、心が揺れ始める。がんが再発したり、転移したりするかどうかは誰にもわからない。
「なのに、どうして子宮をとらなければいけないんだろう」「仕事も恋愛もうまくいかない。この上、子宮まで失ってしまうなんて」。子どもを産める可能性を少しでも残しておきたかった。
入院前日、落合さんに電話をかけた。「先生、どうしても手術を受けられません。子宮をとりたくないです」
手術すると決めてからも、「気持ちが振り子のように揺れ続けた」
子供を産めなくなるのは何とか納得した。でも、「再発したり、転移したりするかどうかは誰にもわからない。なのに、どうして子宮をとらなけれいけないんだろう」
この気持ち分かります。
私の場合、透析を準備しておいて、残っている腎臓ごと切除する方法を推奨されました。透析をすることは覚悟ができました。でも、そうしても再発リスクが10~50%程度あると言われました。健康な腎臓を切除して透析するとういう犠牲を強いてでもです。
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