朝日新聞2014年9月3日の記事です。
写真:県立五島高校の入学式。母Sさん(右)と記念写真を撮った。
(
写真の掲載は控えさせていただきました。)
長崎県・福江島生まれのCYさんは2歳で小児がんの神経芽腫が見つかった。
1996年1月、100キロ離れた長崎市の長崎大病院に入院。腫瘍(しゅよう)を小さくするために抗がん剤治療を受け、5月21日に右副腎と腎臓の摘出手術を受けた。
手術の3週間前、母Sさん(49)は院内で次女を出産した。Sさんはいったん福江島に戻り、代わりに祖母が病院でCYさんの世話をした。だが7月に始まった抗がん剤治療の副作用で、CYさんの体調が悪化。Sさんは生後2カ月の赤ちゃんを祖母に預け、再び病院で看病した。
父Tさん(51)は毎週末、片道3時間かかるフェリーに乗り、CYさんを見舞った。高速船なら半分の時間で着くが値段が高い。当時の小児科病棟は、男性が泊まれない規則だった。かさむ費用を考え、病院近くの2千円ほどの宿に泊まった。
抗がん剤治療は翌年3月まで続いた。治療が一段落した後、体の細胞の一部をとって、腫瘍がなくなったかどうかを調べた。だが、おなかの周辺にまだがん細胞が残っていた。再度、抗がん剤治療を受けることになり、気がつけば入院生活は2年に及んだ。
98年1月、腫瘍がほぼなくなり退院した。4歳になっていた。福江島に戻り、保育園にまた通えるまでに回復した。病院食はあまり食べなかったが、家ではたくさんご飯を食べた。数カ月に1度の定期検診だけで、薬もなかった。
だが、治療で放射線をおなか周辺に当てた影響で、周辺の骨は成長が止まっていた。激しい運動ができず、ずっとコルセットをはめなければならなかった。
CYさんは、手術や入院生活をまったく覚えていなかった。10歳の時、両親はCYさんに小児がんだったことを伝えた。成長すれば自分で体調管理をしなければいけない。手術の傷を修学旅行で同級生から指摘されるかもしれない。そんな配慮からだった。
再発のリスクが低くなる5年を過ぎ、検診は年1回になった。
中学ではバレー部のマネジャーになった。その後、地元の県立五島高校に進学。ソーシャルワーカーになる夢を抱いた2年生の初夏、右肩に強い痛みを感じた。
(患者さんのお名前は頭文字とし、写真も掲載は控えさせていただきました。)
この癌は抗癌剤と放射線が効く癌なのですね。 私の抗癌剤治療は半年間だけ。2年間の抗癌剤治療はきつかったと思います。
放射線で骨の成長が止まることがあるのですね。
私は粒子線治療で「骨が折れやすくなるかもしれません」と言われましたが、若い人の場合は「骨の成長が止まるかも知れません」ということがあるのかもしれません。
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