大阪市の会社員、K.M.さん(62)は2009年1月、声のかすれをきっかけに、受診した市内のNTT西日本大阪病院で、医師から「喉頭(こうとう)がん」と診断された。
喉頭は、舌の付け根から気管につながる部分のことで、声を出すのに必要な「声帯」がある。
「がんは早期。摘出手術ではなく、放射線を当てて治療する」。担当医から、そう説明を受け、K.M.さんは「それで治るなら」とほっとした。声のかすれに気づき、K.M.さんに強く受診を勧めたソフトボールチームのマネジャー、Nさん(58)の「好プレー」に、救われる思いだった。
月末から放射線治療が始まった。仕事を休み、土・日曜日を除いて毎日、33回病院に通った。ベッドで首を固定され、30分間ほど放射線の照射を受けた。
がんは放射線治療で抑えられたが、再発を警戒して定期検査が続いた。たばこもやめた。
2年半が過ぎた2011年7月。のどを内視鏡で診た医師は「のどが荒れている。PET―CT検査をすぐにします」と言った。目印となる放射性物質を体内に入れ、がんの場所や大きさなどを調べる方法だ。その結果「再発しています」と伝えられた。
ショックだった。すでに限度いっぱいの放射線を浴びており、再発すれば切除手術しかない。そうなれば声帯を失い、声が出なくなると聞いていた。でも、友人から声帯を失った患者向けのリハビリ教室があると聞いて落ち着いた。
通院先の医師に、大阪市で手術実績の多い大阪府立成人病センターで「セカンドオピニオンを頼みたい」と伝えると、「若いが、経験は豊富」と鈴木基之(すずきもとゆき)医師(37)を紹介してくれた。
しかし、鈴木さんの見立ても「切除手術しかない」だった。ただ、がんが小さく、切除範囲も抑えられそうなので、食道の入り口を震わせて声を出す「食道発声」ができる可能性はあると考えた。
再発がわかって1週間後に、K.M.さんは切除手術を受けた。全身麻酔から目が覚めると、病室に付き添いの妻(61)がいた。話しかけたつもりだったが、やはり声は出ない。筆談に必要なノートほどの大きさの白板とフェルトペンが、ベッドから見えた。
写真:筆談に必要だろうと、K.M.さんの妻が購入してきた白板と黒いペン
(患者さんのお名前は頭文字とさせていただきました。)
私は日本で症例の少ない後腹膜脂肪肉腫でした。病名が分かって抗癌剤治療を推奨されたとき、症例の多い東京の国立がんセンターと大阪府立成人病センターにセカンドオピニオンを聞きにいきました。両方とも同じように抗癌剤の治療を推奨されました。薬剤名までいっしょでした。2種類を同時に使うのか、まずは1種類でスタートするかの違いはありましたが。これで迷いなく抗癌剤治療に臨むことができました。
抗癌剤治療で腫瘍が半分くらいまで小さくなりましたが、それ以上は小さくならず、透析の準備をしたうえでの残った腎臓ごとの切除手術(すでに腎盂がんで片腎しか残っていませんでしたので)を勧められました。
また東京国立がんセンターと大阪府立成人病センターにセカンドオピニオンを聞きにいきました。他の治療法を聞き出すというより、同じように切除が推奨と言ってもらって、迷いなく切除手術に臨みたかったからです。
でも大阪府立成人病センターから、粒子線治療の可能性があると言われました。これなら残った腎臓を温存できます。そこで兵庫県立粒子線医療センターで診てもらい、再発リスクや結局腎不全になるリスクはあるものの、粒子線治療が可能との診断で、粒子線治療を受けました。
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