ワルディーの京都案内

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2015/07/24
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テーマ: 癌(3513)
カテゴリ: 癌治療情報
 朝日新聞「患者を生きる」2014年10月21日の記事です。

 今日から新シリーズです。膠芽腫(こうがしゅ)と呼ばれる脳腫瘍に罹った医師の闘病記です。


 始まりは、左側頭部の鈍い痛みだった。2012年4月9日、東京・自由が丘のO病院院長だったM.M.さんは朝から気になっていた。当時55歳。午前の外来の診察中に、副院長だったK.I.さん(55)に声をかけた。

 「ちょっと気になるから、CTを撮ってもらってくるよ」

 午前10時すぎ、院内で撮った頭部のCTに写っていたのは、クルミ大の白いかたまりだった。

 「グリブラじゃないといいな」

 グリオブラストマ。日本語で膠芽腫(こうがしゅ)と呼ばれ、脳腫瘍(のうしゅよう)のなかでも悪性度が高い。当時、M.M.さんが調べた記録によると、1年生存率は52%、3年生存率は13%、5年生存率は8%。週単位で症状が悪化するほど進行が速い。

 すぐに、大学の先輩が脳神経外科にいた荏原病院(東京都大田区)に向かい、精密検査を受けた。痛みを感じてから半日後、膠芽腫と診断された。

 「淡々としていることに、びっくりしました。小児外科が専門のM.M.さんはグリブラになった子どもを知っていて、その恐ろしさを知っているということでしたが……」とK.I.さんは振り返る。

 病気は、主治医から妻Nさん(55)に電話で伝えられた。手術しないと余命3カ月と告げられた。告知を受けた日、M.M.さんはブログに書いた。

 〈人生一瞬先は闇だ。ある瞬間から目の前に見える世界がモノトーンになり、様々なシーンがスローモーションでリフレインする。思考停止。それでも心の深く静かな底に、意外なほど冷静な自分がいる。突きつけられた事実は運命なのだが、それがあまりにも現実感がなくて、「笑ってしまう」ようなハリボテ感覚の違和感。夢の中の出来事を反芻(はんすう)する感覚に近いか〉

 その夜、家族5人で近所に夜桜を見に出かけた後、M.M.さんはひとつの決心をしたらしい。手術を受けない方向でいこう。K.I.さんにはこんなことを話していた。

 「手術で、自分が自分でなくなることが怖いな。伝えるべきことが、まだまだいっぱいあるんだ」

 だが翌日、一転して手術を受けることにする。そして主治医に、手術を受ける「三つの条件」を伝えた。


写真:病気を告知された夜、家族と夜桜見物に=2012年4月




(お名前は、頭文字表記に変更させていただきました。写真も掲載を控えさせていただきました。)


 私も治療しなければ余命数週間から数カ月と家族に伝えられました。抗癌剤が効く可能性が少なく、治療しても短命であることを覚悟せざるを得ませんでした。

 まだ60歳になっていませんでした。仕事も年金がもらえるまでは最低限勤めたい、家族のためにまだまだやらねばならないことがある、プライベートにこんなことあんなこと、やりたいことがたくさんある。

 悔しい思いでした。それらは叶わないかもしれない。とにかく一日一日を精いっぱい悔いなく生きようと思いました。



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最終更新日  2018/09/05 07:22:13 AM
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