ワルディーの京都案内

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2015/07/30
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テーマ: 癌(3513)
カテゴリ: 癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」2014年12月2日の記事です。


 政治家の与謝野馨(よさのかおる)の癌闘病記です。私が5クール目の抗癌剤治療を受けている頃の連載です。


 2006年9月、第1次安倍内閣が発足した。衆院議員だった与謝野馨(よさのかおる)さん(76)は、自民党の税制調査会会長に就いた。筋金入りの財政再建論者として、新たな要職に意気込んでいた。

 だが、就任直後に左下の奥歯が痛むようになった。首の左側にしこりも出てきた。診療所を受診すると、医師から国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)の紹介状を手渡された。「すぐに行って下さい」。その足で病院へ向かった。

 がんとの付き合いは長い。初当選から間もない1977年、39歳で悪性リンパ腫が見つかった。2000年に直腸がん、01年に前立腺がんを患った。リンパ腫と前立腺がんはその後再発した。

 「まさか――」。そんな思いで病院に着くと、医師は与謝野さんの首を触り「がんの可能性が高いです」と告げた。病理検査で「下咽頭(かいんとう)」という部分の粘膜表面にがんが広がっていた。すぐに手術を受けるよう勧められた。

 「平均余命は何年ですか」と尋ねると、医師は「2年7カ月です」と告げた。治療に専念しようと決めた。就任したばかりの税調会長を辞し、家族に死後の身辺整理を頼む手紙も書いた。

 下咽頭がんは病変の大きさや深さによるが、声を出す声帯ごと手術で摘出することが少なくない。だが、多くの人に理念や政策を訴えかける政治家にとって、声は欠かせない。与謝野さんは「できれば声を残したい」と希望した。執刀医は、声帯を残したまま首のリンパ節とがんの部分を切り取り、そこに手首の皮膚を移植した。

 手術は成功したが、食道がかなり狭くなった。食べ物がうまくのみ込めず、体重が十数キロ落ちた。食べられないことで、気持ちもずいぶん落ち込んだ。

 食道の粘膜を広げる内視鏡治療やリハビリテーションを続け、07年1月に退院した。間もなく政界に復帰し、8月には第1次安倍改造内閣で官房長官になった。しかし、就任後すぐ、下咽頭がんの近くに新たに別のがんが見つかった。放射線治療をしながら、激務を乗り切った。

 だが、与謝野さんはその後、一度は守った「声」を手放す決断をすることになる。


写真:官房長官だったころの与謝野さん=2007年9月

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 与謝野さん、こんなにたくさんの癌闘病を経験されていたのですね。知りませんでした。



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最終更新日  2016/09/18 07:57:00 AM
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