ワルディーの京都案内

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2015/08/01
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テーマ: 癌(3513)
カテゴリ: 癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」2014年12月4日の記事です。


 食道が狭まって肺炎を起こすようになった与謝野馨さん(76)は2012年6月、のどの器官を全部取る手術を受けると決めた。

 その月の下旬、消費増税の関連法案が衆院を通った。法案の道筋をつけた与謝野さんだったが、採決に出られず、国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)の病室でニュースを聞いた。

 7月下旬、手術を受けた。口や鼻から入った空気を気管に、食べ物を食道に仕分ける「喉頭(こうとう)」と呼ばれる器官を切り取った。手術で食べ物と空気の出入り口を完全に分けたため、肺炎は心配せずに済むようになった。だが、声帯も一緒にとるので声を失った。

 手術前、主治医の浅井昌大さん(59)は「本当にいいですか」と念を押したが、与謝野さんの気持ちは変わらなかった。「食道が狭くなったせいで食べられなかったり肺炎を起こしたり、苦労されてきた。それが相当つらかったのだと思います」と浅井さんはいう。

 与謝野さんは肺炎とは別に、がんも心配していた。「声帯を残すと、がんの取り残しや再発の恐れも残る。喉頭を全部切れば、大丈夫と思ったんです」と振り返る。

 全く迷わなかったわけではない。「声を失うと、政治家の『武器』を7割くらい捨てたことになる」と与謝野さんはいう。「意見を言って人を説得するのが政治家の仕事。声を失うのは残念だった。でも、その後も様々な形で政治活動はできると考えました」

 声帯をとった後、「声を作る」方法は三つある。げっぷの要領で声を出す食道発声法、機器を首に当てて振動で声を出す電気喉頭法、食道と気管を短い管でつないで食道に呼気を取り込み粘膜を震わせる気管食道シャント法だ。

 与謝野さんはまず、食道発声を習った。だが、音は出ても言葉にならない。電気喉頭も試したが、首に当てる場所で、声が出たり出なかったりした。独特の機械音に「孫に怖いと言われましたよ」。

 筆談に頼るほかなかった。消費増税関連法案が成立した8月、首相官邸に招かれた。将来の課題をメモにし、野田佳彦首相(当時)と筆談した。だが、込み入った話ができない。もどかしかった。

 声を取り戻したい。シャント法に託そうと決めた。


取材を受ける与謝野さん。この後まもなく入院した=2012年6月

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 私は抗がん剤治療後、残っている腎臓ごとの切除を勧められました。透析が前提ですので、2日に一度5時間くらい病院で過ごさないといけません。退職したらいろいろやりたいと思っていたことが、かなり制限されます。

 でも、これはできなくても、こちらはできる。生きていれさえすれば、まだまだできることはたくさんあるとポジティブに考えることにしました。

 その後、粒子線治療と出会い腎臓を温存する治療をしました。退院して3カ月、現在のところ普通の人となんら変わらない生活をしています。


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最終更新日  2016/09/18 08:04:56 AM
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