朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。
≪2015年12月25日の記事≫
シャ乱Q結成25周年ライブで歌うつんく♂さん。このライブがシャ乱Qで歌う最後になった=2013年
米国滞在中に、再び喉頭(こうとう)がんが見つかった音楽プロデューサーのつんく♂さん(47)は2014年10月、家族と急ぎ帰国した。
腫瘍(しゅよう)のはれが大きくなり、呼吸するのも苦しい。飛行機の機内ではほとんど眠れず、一人で今後のことを考えた。「腫瘍がある左の声帯だけでも手術したら、もう、歌えないだろうな」
成田空港から、東京都内の病院へ直行した。
「腫瘍が大きくなり、左の声帯が動かなくなって、呼吸不全を起こしています」。医師にそう説明された。
いったん自宅に戻ったが、翌朝、呼吸がさらに苦しくなり、肩で息をするようになった。再び病院に行くと、入院することに。検査を受ける時も、息苦しくて仰向けになれないほどだった。
診察した医師(64)から告げられた。
「声帯の温存は、困難です」
呼吸をしやすくするために、すぐに気管を切開すると、説明を受けた。切開すると話すことができなくなる。声を発することができないまま、声帯摘出の手術を迎える可能性があった。
「気管を切開する前に、子どもたちとしゃべりたいです」
双子の長男(7)と長女(7)、次女(4)を病室へ呼んで、声をかけた。
「お母さんのこと、助けてね」
「歌の練習をもっとしようね」
「大好きだよ」
二度と会えなくなるような気持ちで、覚悟の言葉を残した。
最後に、病室で加奈子さん(35)と二人だけになった。絞り出すようなかすかな声で、加奈子さんの名前を何度も呼んだ。
加奈子さんは涙を流しながら、その声を心に刻んだ。
「声を聞くのはこれが、最後なんだな……」。加奈子さんは、悲しみに包まれつつも、自分の名前を繰り返し呼んでもらって幸せだった。
「頑張ってくる」。つんく♂さんはそう言い残し、手術室へ向かった。
息苦しさは限界に近づいていた。声を失うことをためらう余裕は、もうなかった。
「助けてください。どうか、生きさせてください」
自分自身もし声を失ったらと思うと、とても耐えられません。つんく♂さんのように声を商売道具にしていなくても、自分の思いを伝える重要な手段がなくなるわけですから。
でも、筆談がある、メールがある、目の動きや触れ合うことでも伝えらることもできる。声帯を使わない発声方法も訓練でできるようになるかもしれない。
私も同じようになれば、声帯切除を選択することになるでしょう。何よりもまず生きたいと思う。
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