参道を上っていくと、 頼政道跡碑
があります。
頼政道は鵺退治で知られる 源頼政
に由来します。
頼政は 後白河法皇の皇子、以仁王
とともに 平家打倒
の兵を挙げました。これを 平清盛
に察知され、三井寺から奈良へ逃走の途中、宇治で平家軍に追いつかれます。そのとき、ここを通ったと云われています。
長尾天満宮は、醍醐の氏神さんとも呼ぱれ、醍醐の産土神として信仰を集めました。祭神は菅原道真、大己貴命(おおなむちのみこと)、須佐男命(すさのおのみこと)を祀ります。
平安時代、903年、菅原道真没後、醍醐寺開山・聖宝の弟子一観賢により道真の墓を築いたと云われます。
940年、第60代・醍醐天皇の御願により、菅原道真を祀ったことに始まるといいます。(『山城名勝志』)
安土・桃山時代、1598年、醍醐寺より知行が許されていました。(『醍醐寺文書』)
1600年、豊臣秀吉の命により紀州の満願寺を解体移築し、下醍醐の金堂が建立されました。この時、工事中に怪我人が続出したため、醍醐天皇の御願寺に功徳することへの菅原道真の崇りがあるとして勧請されたともいいます。
参道の石に天保11年と刻まれています。
この地には 菅原道真
死後、道真の衣服と遺物が大宰府から持ち帰られ埋められたと伝えられ、菅公衣裳塚と伝える宝篋印塔があり、ここは道真が、生前墳墓の地に望んでいたところです。
菅公衣装塚
赤間稲荷大神
赤間薬師堂
赤間薬師堂には、京都市指定有形文化財 「木造薬師如来坐像」
が安置されています。平安時代の作と言われています。「赤間」の名前は、赤間関(あかまがせき)に由来します。この仏像は、源平合戦での騒乱を避け、赤間関(あかまがせき)から移されたと言われています。赤間関は現在の下関で、源平合戦の終焉の地、壇ノ浦があるところです。普段は非公開で、この日も外から参拝させていただきました。
薬師如来東半町道標(赤間薬師堂境内)
下の次の写真の場所に元々あったのが、この境内に移され(折れたからでしょうか)、元あった場所には同じ表示の新しい石碑が建てられたのだと思います。
薬師如来東半町道標(醍醐寺北門)
(続きます)
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