トンネル入り口の扁額
井上馨
「 仁似山悦智為水歓歡
(仁者は知識を尊び,知者は水の流れをみて心の糧とする)。
●栗原邸
琵琶湖疏水沿いの道から少し下りたところに、レトロな造りの洋館を発見。よく耳にした国の登録有形文化財「栗原邸」でした。
旧京都工芸繊維大学の校長 鶴巻氏宅
。設計の 本野精吾氏
は同大学の教授でもありました。 DOCOMOMO JAPAN150選に選ばれています。
山科方面にあるのは知っていましたが、こんなところで遭遇するとは思いませんでした。
時々一般公開されているようですので、また訪れたいと思います。
この辺りは、日ノ岡堤谷須恵器窯跡があるところで、何かそれを表す石碑でも見つかるかなと思ってウロウロしましたが、何も見つかりませんでした。
再び、琵琶湖疎水に戻ります。
●琵琶湖疏水第二トンネル出口
扁額は
「 隨山到水源
(やまにしたがいすいげんにいたる)」
西郷従道
筆
山にそって行くと水源にたどりつく
●琵琶湖疏水第三トンネル入口
第三トンネルの長さは850メートル。
扁額は
「 過雨看松色
(かうしょうしょくをみる)」
松方正義
筆
時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる(唐・盧綸の詩)
●日本初の鉄筋コンクリート橋
第11号橋が、第三トンネル入口の手前にあり、「日本初の鉄筋コンクリート橋」と言われています。
ところが「琵琶湖疏水の100年叙述編」という本に、「この橋を造るにあたってはまだ専用の鉄筋はなかったので疏水工事で使ったトロッコのレールを代用した。ところがこの橋自体は国産セメントの試験用というべきもので実用性は乏しかった。ここからさらに東へ行った、翌明治37年に作られた黒岩橋こそ日本最初の本格的な鉄筋コンクリート橋なのである。」とあるそうです。
しかし、「日本初」の石碑や「本邦初鉄筋混凝土橋」の碑もここにあります。
●日本最初の鉄筋コンクリート橋石碑
[南]日本最初の鉄筋コンクリート橋
[北]昭和五十二年八月 京都洛東ライオンズクラブ寄贈
●「本邦初鉄筋混凝土橋」石碑
[南]本邦最初鉄筋混凝土橋
[北]明治三十六年七月 竣工
米蘭式鉄筋混凝土橋桁
工学博士田辺朔郎書之
昭和7年建立。
琵琶湖疏水は850メートルのトンネルに入り、疏水沿いの道もここで途切れますので、三条通に向かいます。
途中、コンビニも食堂もまく、昼食をとってなかったので、三条通沿いのコンビニで、「おにぎり」とお茶を買い、行儀悪いですが、歩きながら食べました。
今日中に山科区を終えるのは不可能なので、旧東海道沿いの石碑を訪ねて終わることにしました。
この辺り、旧東海道は三条通の少し南を走っていますが、山の中腹を走っています。急な道を上がって旧東海道を東に向かいます。
●旧東海道
[南]旧東海道
[北]昭和六十三年五月 京都洛東ライオンズクラブ建之
●古民家
旧東海道沿いの改装された古民家。「150 years house」として、旅行者に一棟貸しされているようです。
地下鉄御陵駅から帰途に就きました。
これで、山科区#12終わりです。
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