ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2019/10/15
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テーマ: 京都。(6076)
カテゴリ: 京都歩き
2019年 10月15日(火)】

 ガイド会の研修で知恩院内を歩きました。「徳川家と京」というテーマの中での実施でした。午前9時半から11時半頃まで、ガイド仲間に案内してもらいながら歩きました。

 知恩院の中を、鐘楼を除いてほぼくまなく歩いたと思いますが、知恩院は特別公開も含めて何度か訪問したことがあるので、全部一度は見たことがあるところばかりでした。しかし、新しく知ったこと、再認識したことも色々ありました。


・浄土宗の知恩院門跡は浄土門主(もんす)という。
 浄土真宗本願寺派の本願寺住職は門主(もんしゅ)、
 真宗大谷派の僧侶及び門徒の代表者は門首(もんしゅ)と書く。
・浄土宗末寺は約7300。浄土真宗本願寺派、大谷派の次いで多い。
・法然の弟子である源智が再興した。
・鎮西は浄土宗での第二祖。
・法然上人の大師号は8つ。最初が円光大師(東山天皇)。
 最近では和順大師(昭和天皇)、法爾(ほうに)大師(上皇陛下)
・四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜された。 
・法然は今の勢至堂あたりで往生。
・徳川家康の「厭離穢土 欣求浄土(えんりえどごくらくじょうど)」
・徳川家康は菩提寺よりも、城郭的存在として重要と考えていた。
・三門の額は霊元天皇宸筆
・三門上層に五味金右衛門夫妻像がある。三門の建設費用が予定より
 多額になったので、自刃したと伝わるが、徳川家の秘密を知って
 いたためという説もある。
・御影堂は8年かけて大屋根の吹き替えなどを修復し完成した。
 2020年4月13日から落慶法要が行われ、再公開される。
・御影堂屋根の瓦10万枚の上に2枚の葺き残しの瓦があるが、
 これは未完成の教え。
・御影堂の桟唐戸の落とし金に火災除けの河童、蝉。
・御影堂に「忘れ傘」
 左甚五郎が魔除けのために置いたという説。
 知恩院32世の雄誉上人が御影堂を新築する際に、このあたりに
 住んでいた狐が、自分の居場所がなくなるので、新しい棲家を
 作って欲しいと頼み、それができたお礼にこの傘を置いて末永く
 知恩院を守っていくこと約束したという説。
 その変形版で、棲家を追われた白狐が、その仇を討とうと
 童子に化けて近付いたが、毎夜、人々に上人が説法するのを
 聞いて改心し、上人に誓った。そのとき雨が降っていて傘まで
 貸してもらった。その返した傘がこの傘という説。
・左甚五郎は「飛騨の甚五郎」の誤伝とも。実在の人物ではなく、
 建築彫刻の理想化された人物であるという説もある。
 左利きであったからという説。右腕を切られて左手だけで仕事を
 したおいう説などなど。
・阿弥陀堂の額「大谷寺」は後奈良天皇宸筆。
 大谷寺は知恩院正式名称、「華頂山知恩教院大谷寺」から
・集会(しゅうえ)堂は御影堂工事中は増床して、御影堂と同じ
 広さにを保ち、御影堂の各像を安置している。
 工事期間だけ、「法然上人御堂」と呼ぶ。
・大(おお)方丈。小方丈の障壁画は狩野尚信・信政らによる。
・小(じょ)方丈は、要人参拝の際の「おとき」(食事)の場と
 しても使われた。
・方丈庭園の場所はもとは青蓮院の寺域だった伝える。
・方状庭園の作庭は小堀遠州の縁者の僧・玉淵
・方状庭園には「家光お手植え」の松があるが、
 家光は知恩院に来たことがない。
・方丈庭園の慈鎮石は慈鎮(慈円)和尚(法然上人と同時代に
 青蓮院の門主で4度も天台座主を務めた傑僧)が座禅した石。
・小方丈東の庭は阿弥陀菩薩と二十五菩薩の来迎の姿を表す。
 知恩院には国宝の「早来迎」がある。
・勢至堂は1530年建立の知恩院で最古の建物。
・勢至堂の東脇に善導大師。西脇段に千姫の大きな位牌。
・山亭庭園。建物は霊元天皇の第10皇女吉子内親王の御所客殿を移築。
 吉子内親王は生後1ヵ月で時の江戸幕府将軍徳川家継と婚約する。当
 時夫となる家継もわずか6歳だった。納采の儀の2ヶ月後に家継が薨去。
 史上初の武家への皇女降嫁と関東下向には至らなかった。19歳で出家。
・墓地には千姫の墓、吉子内親王の墓、湯川秀樹の墓、内貴甚三郎の墓がある、
 【ガイド諸活動】§知恩院研修【2019年10月15日(火)】
 今日は夕刻からガイド会の臨時全体会でしたが、その前にガイド会の現地研修会に参加しました。
 私も担当しているシニア講座は全部で20講座あり、一つの地区組で4ずつ担当します。本番の前にその予行も兼ねて当該地区組の研修会が行われることが常となっています。そのときの地区組メンバーも参加できることがあります。今日は南地区組の知恩院での研修でしたが、他の地区組にも参加声掛けがあったので、参加させていただきました。
 「徳川家と京」というテーマの中での実施でした。午前9時半から11時半頃まで、本番を想定して約15人くらいずつの班に分かれて案内していただきました。
 知恩院の中を、鐘楼を除いてほぼくまなく歩いたと思いますが、知恩院は特別公開も含めて何度か訪問したことがあるので、全部一度は見たことがあるところばかりでした。しかし、新しく知ったこと、再認識したことも色々ありました。
・浄土宗の知恩院門跡は浄土門主(もんす)という。
 浄土真宗本願寺派の本願寺住職は門主(もんしゅ)、
 真宗大谷派の僧侶及び門徒の代表者は門首(もんしゅ)と書く。
・浄土宗末寺は約7300。浄土真宗本願寺派、大谷派の次いで多い。
・法然の弟子である源智が再興した。
・鎮西は浄土宗での第二祖。
・法然上人の大師号は8つ。最初が円光大師(東山天皇)。
 最近では和順大師(昭和天皇)、法爾(ほうに)大師(上皇陛下)
・四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜された。 
・法然は今の勢至堂あたりで往生。
・徳川家康の「厭離穢土 欣求浄土(えんりえどごくらくじょうど)」
・徳川家康は菩提寺よりも、城郭的存在として重要と考えていた。
・三門の額は霊元天皇宸筆
・三門上層に五味金右衛門夫妻像がある。三門の建設費用が予定より
 多額になったので、自刃したと伝わるが、徳川家の秘密を知って
 いたためという説もある。
・御影堂は8年かけて大屋根の吹き替えなどを修復し完成した。
 2020年4月13日から落慶法要が行われ、再公開される。
・御影堂屋根の瓦10万枚の上に2枚の葺き残しの瓦があるが、
 これは未完成の教え。
・御影堂の桟唐戸の落とし金に火災除けの河童、蝉。
・御影堂に「忘れ傘」
 左甚五郎が魔除けのために置いたという説。
 知恩院32世の雄誉上人が御影堂を新築する際に、このあたりに
 住んでいた狐が、自分の居場所がなくなるので、新しい棲家を
 作って欲しいと頼み、それができたお礼にこの傘を置いて末永く
 知恩院を守っていくこと約束したという説。
 その変形版で、棲家を追われた白狐が、その仇を討とうと
 童子に化けて近付いたが、毎夜、人々に上人が説法するのを
 聞いて改心し、上人に誓った。そのとき雨が降っていて傘まで
 貸してもらった。その返した傘がこの傘という説。
・左甚五郎は「飛騨の甚五郎」の誤伝とも。実在の人物ではなく、
 建築彫刻の理想化された人物であるという説もある。
 左利きであったからという説。右腕を切られて左手だけで仕事を
 したおいう説などなど。
・阿弥陀堂の額「大谷寺」は後奈良天皇宸筆。
 大谷寺は知恩院正式名称、「華頂山知恩教院大谷寺」から
・集会(しゅうえ)堂は御影堂工事中は増床して、御影堂と同じ
 広さにを保ち、御影堂の各像を安置している。
 工事期間だけ、「法然上人御堂」と呼ぶ。
・大(おお)方丈。小方丈の障壁画は狩野尚信・信政らによる。
・小(じょ)方丈は、要人参拝の際の「おとき」(食事)の場と
 しても使われた。
・方丈庭園の場所はもとは青蓮院の寺域だった伝える。
・方状庭園の作庭は小堀遠州の縁者の僧・玉淵
・方状庭園には「家光お手植え」の松があるが、
 家光は知恩院に来たことがない。
・方丈庭園の慈鎮石は慈鎮(慈円)和尚(法然上人と同時代に
 青蓮院の門主で4度も天台座主を務めた傑僧)が座禅した石。
・小方丈東の庭は阿弥陀菩薩と二十五菩薩の来迎の姿を表す。
 知恩院には国宝の「早来迎」がある。
・勢至堂は1530年建立の知恩院で最古の建物。
・勢至堂の東脇に善導大師。西脇段に千姫の大きな位牌。
・山亭庭園。建物は霊元天皇の第10皇女吉子内親王の御所客殿を移築。
 吉子内親王は生後1ヵ月で時の江戸幕府将軍徳川家継と婚約する。当
 時夫となる家継もわずか6歳だった。納采の儀の2ヶ月後に家継が薨去。
 史上初の武家への皇女降嫁と関東下向には至らなかった。19歳で出家。
・墓地には千姫の墓、吉子内親王の墓、湯川秀樹の墓、内貴甚三郎の墓がある、
 内貴甚三郎は、明治31年初代官選京都市長就任。
・瓜生石(うりゅうせき)
 八坂神社の牛頭天王が降臨して、一夜のうちに瓜が生えて実ったとか、
 この石の下を掘っていくと二条城まで続く抜け道があるなどの伝説が
 ある。
 知恩院のことよく理解できました。修学旅行で三門を下から眺めることはありましたが、坂の上まで行ったことはありません。御影堂の拝観が再開すると、修学旅行ガイドや同行ガイドでの訪問が増えるかもしれません。今回の研修が役に立つと思います。
 夕刻のガイド会臨時の全体会まで時間があるので歴彩館に寄ってから、ガイド会臨時全体会に行きました。
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・瓜生石(うりゅうせき)
 八坂神社の牛頭天王が降臨して、一夜のうちに瓜が生えて実ったとか、
 この石の下を掘っていくと二条城まで続く抜け道があるなどの伝説が
 ある。


 知恩院のことよく理解できました。修学旅行で三門を下から眺めることはありましたが、坂の上まで行ったことはありません。御影堂の拝観が再開すると、修学旅行ガイドや同行ガイドでの訪問が増えるかもしれません。今回の研修が役に立つと思います。


御影堂(みえいどう)





御影堂 左甚五郎の忘れ傘



方丈の鴬張り



方丈庭園





徳川家家紋



墓地から伽藍群を望む



千姫の墓



内貴甚三郎(明治31年初代官選京都市長就任)の墓





宗紋 月影杏葉(つきかげぎょうよう)



御廟への門 門の向こうは勢至堂



黒門




友禅苑









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最終更新日  2020/08/27 10:52:44 AM
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