~★ 気まぐれ冴のページ ★~

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嫁 vs 嫁 vol.3




旦那様が子供を欲しいと思っていたのは やはり一緒に暮らしている以上
一番身近に居る以上 それなりに感じ取ってはいた。 でも 体調が何かと
優れず 仕事に気が向いている私に ハッキリと表に出して言えないようで
そのまま 予定をしていた 間をあける期間 が リミットに差しかかる頃、
私の残りの右卵巣が 切除した卵巣と 同じ状態になりつつあるのが 発覚した。

残ったたった1つの卵巣 もう 失くすわけにはいかない・・・ その結果
仕事を断念し 安静に暮らすようになった。 表面は何事もないように振舞う
私も 実の所 色々な不安がよぎり ノイローゼに陥っていた。 

そんなこんなで 時間が半年ほど過ぎ去り 自分なりに気持ちも落ち着いて
ツテに頼んで 口コミで動き始めた 休養片手間の仕事も 何とか軌道に乗り
それなりに自信を持ち始めた頃・・・ 旦那様のお母さん(義母)が 友達の
車に同乗していて事故にあい 左手が動かない状態に陥ってしまった。

入院先は 我家からはそれなりに遠く 電車やバスを乗り継ぎ 単独で週に数度
行くのは 初夏に入りかけた季節 体力的にしんどいものもあった。 でも 
義父がきつい仕事を終え 実家からでも距離のあるその病院に行く回数を 
少しでも減らしてあげたかった。 

状態は変わらぬまま 大部屋に移り 友達もちらほら増え 私が足げに通わな
くてもいいようになって来た 今度は義父が一人で暮らす家に 週に一度
掃除 食事の用意をしに通うようになった。 季節は夏・・・ 義父の体力も
ほぼ限界に近く 夏バテ と言う状況下になりつつあり このままだと 両親
揃って こけてしまうのは 目に見えていた。

土日 旦那様と家族で出向き 週の中の水曜日に単独で訪問・・・ そんな事が
数ヶ月続き 義母の退院 でも 家事が出来ぬ以上 しばらくはその状態が続く

この間・・・ 義弟は?? 一緒に実家に暮らしてました。 でも 実母の病院
に通うよりも 当時付き合っていた義妹の病院に 足げに通う事の方が多かった。

義妹は腎臓が悪く その時 その病名が発覚し 丁度 入院をしていた。 
私的には納得がいかなかった。 まだ 結婚するとも決まっておらず 
お付き合いをしている状態で 何故にそこまでするのか? 同居している実の親
よりも大切なのか? 

毎日 仕事先から病院に見舞い帰宅し 旦那様とは違い食事の用意が出来る腕を
持っているのに 逆に義父が【夕食はどうする?】と 電話で聞く状態。。。
何か違う? おかしくない?? 外から嫁いだ 赤の他人のおいらから見れば
おかしすぎる・・・ その思いが だんだん でかくなっていった。

義妹は義母よりも早くに退院した。 でも 夫になろうであろう人の家が 
女手を必要とする状況下でも 何も 手を貸そうとしなかった。 それよりも 
「寄り付かなかった」の方が正解だと思う。

そして 事故から1年が過ぎ去り 義母の手の状態も 依然変わらず・・・
毎月出てくる市大病院への通院時 ちょっとした買い物 相変わらず義母にお供
するのは かわらないまま。

私はその秋 35歳の誕生日を迎えた。 この年齢は 自分で決めた【出産】に
対する【タイムリミット】の年齢であった。

自分の体調上 体力上 もう この年を境目に 出産も育児もきついものが
あるのは 自分自身が 一番よく解っていた。 もう一人欲しいと思っていた
旦那様の期待を 真っ向から潰す結果になってしまうが でも この事は 残った
卵巣が悪くなった時に 夫婦での話し合いの中で 切った期限であった。

数年前の あの予測もしていなかった【余分な1年】 あの期間すらなければ・・・
その想いを潰さずにすんだのだと やるせない気持ちと 自分への不甲斐なさで
情けなかった。

「もう一人」と言う 思いを断ち切る為にも 息子の時に使い 綺麗に保存して
おいたベビーグッズは フリマや近所のリサイクルセンターへと手放し。
夫婦お互いに【今の生活】を 堪能するように気持ちを切り替えた。

そうした中 義弟は結婚し 数ヵ月後に妊娠がわかった。 残念ながら すべて
ベビーグッズは処分したので 何のお役にも立てなかったが それはそれなりに
あちらも あてにはしていなかったようなので こちらも それだけしか
思わなかった。

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