★ おさかなてんごく ★

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神さまが先か恩恵が先か



まとまらない考え。






おそらく、何かの危機を救ってくれたからとか、
あるいは、将来において救ってくれるだろうから、
神さまを信じるという人が、宗教を信じている人には多いとは思うのですが、
   人格を持つ、人間を救ったり滅ぼしたりするような
   神さまがいるとするならば、
救われる根拠は、「神さまがいると信じるからこそ救われる」なのであって、
本来は、「救われるからこそ信じる」というのではおかしいと思うのです。


でも、実際に救われたから信じるとか、
そのうち救われるだろうから信じるとか、
神さまの奇跡を見たから信じるとかいうのでは、

他の人には一切メリットがありませんし、

結局、神さまを便利に利用したいだけなのではないか、
そこには己自身を向上させたいとか、
そういう意思もないのではないか、
事実はあっても、真実はないのではないか、
あるいは、救われなかったらあっさりと信仰は捨てるのか、とも思うのです。

単に、救われたいだけならば、
神さま関係以外のオカルトにも色々「救い」はあります。
   病気がなおるとかはなんたらパワーでいくらでも・・・
   あと、気とか魔力とかエーテルとかチャクラとか・・・
   風水だっていいと思いますよ。
あるいは、カウンセリングとかでも十分でしょう。
更に、現金があれば、それなりに心も充足します。


敢えて、宗教を選ぶならば、
「何故に人は、神さまに恩恵を与えられるものなのか」とか、
あるいは、「神さまとは一体何なのか」とか、
「どうして、私たちは救われるのか」とかを、
教義をそのまま一字一句覚えるというのではなく、
自分自身でも考えて欲しいと思うのです。
   でも、一字一句覚えた教義を救いの根拠として繰り返し言う
   マシーンのような宗教信者が多いですね・・・。






ただ、ふなの場合、神さまは、
上記のような、人格的な神さまではないと思うのです。
人格を持つ、人間を救ってくれる神さまは、
「論理」で否定することが出来てしまうからです。
それに、
神さまを信じていない本当に良い人や、
人類全体で初めての宗教が現れる以前にいた人々や、
人でなくても、いいことをした生き物は「救われません」。
   そもそも、「神さまが救ってくれる」と考えるから、
   疎外される存在が出てくるのでしょう・・・
あるいは、宗教の信者さんは、
宇宙に、地球人類以上に、科学や、倫理の面で発達した生き物がいた場合に、
それでも人類は、神さまに似せて作られたとか、
神さまに愛されて・・・とかと言い張るつもりなのでしょうか。


一方、「この世界の全てが神さまの現れである」とする、
あるいは、「この世界の道理こそが神さまみたいなものである」と、
神さまを考えれば、
もちろん、人間がその神さまによって救われることはないのだけれども、
救いから疎外される存在はなくなるわけだし、
人間の思いつく論理では、
なかなかその「神さま」を、否定することは出来ません。
まさに、万能の存在、万物の存在理由として、
全ての上に君臨できると思うのです・・・

・・・では人は「何」によって救われるかと言うと、
結局は心の持ち方とか、そういった所にあるのでしょう・・・
それは人それぞれなので、とやかく言うべきではないかもです。

   そして、祈ったり拝んだりで救われた気分になるなら、
   結局それも 悪くはない のかも知れないです・・・。

   ただ、いくら祈ったって、いくら呪文を唱えたって、
   それだけでは救われない人が、実際にはいくらでもいることを、
   宗教を一方的にいいもの、素晴らしいものだと決めつけて、
   他の人に、布教や救済の名で押しつける人は、
   改めて考えて欲しいと思うのです・・・。

(続くかも)


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