合言葉の奴隷になるな!


合言葉の奴隷になるな!(ホイジンガ『朝(あした)の影の中に』)


『いたるところに妄想と妄語がはびこる。かってないまでに、人々は、ことばの、合言葉の奴隷となって、たがいに殺し合う、相手を議論で屈服させるのである。』

 現代のネット社会の一部を述べたような文章だが、これはホイジンガの『朝(あした)の影の中に』(堀越孝一訳 中公文庫)から引用した、ナチスによる汎ゲルマン主義復活を批判した文章である。書かれた時期は一九三五年。六十七年経った今も――本来の意味であってもなくても――我々の耳に痛い言葉だ。
 批判はさらにこう続く。

『世界は憎しみと誤解を負わされている。愚かものがどのくらいおおぜいいるか、過去にくらべて、どのくらい多いか、その比率を測ろうにも尺度はない。だが、愚かさは、以前にもまして旺盛に害毒を流し、高く君臨している。生半可な教養を身につけた、にぶい精神に対しては、伝統、形式、礼拝といったことへの敬意も、しだいに歯止めとして働かなくなってきた。』

 灼熱の「幻想が理解を闇に包む」状況は、いたるところで繰り返されている。
 素朴な疑問を抱く者、安易に靡くことを嫌う者には数をたのんだ恫喝が押し寄せ、見知らぬ者へのいたわりや純粋な真理への欲求が、野蛮なスローガンの連呼によって蹂躙される。
‘よってたかって’の集団に、他者のかなしみを慮る思考力はない。もはや彼らは「狂える野獣」と呼ぶべき存在だ。

『いかに人びとは人類の救済をめざしてはたらいていることか。建て、作り、考え、詩を書き、指導し、従い、世話し、守ることによって。あるいは、また、文化にかかわる闘争についてはなんら知ることなく、ただつつましく生きることによって。時代の生のほとんどを占める善意の人びとは、愚かさや暴力に心わずらわされることなく、黙って静かに生きつづけ、それぞれに、与えられるがままの未来に対して立つ。』

 できれば自分も、こうした人々のひとりに数えられたい。
 群れることなく、誘い誘われることなく、友はしぜんに増えていき、類ではなく、あくまでも個を貫いて生きる人間の穏やかな言葉が地に充ちるとき、この世界はもっとまともな像をあらわすはずだ。
 そんな日の到来を待ちのぞむ。


ZOUSHOHYOU


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