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満中陰 おはようございます この頃さくらの記事がないのでどうしているのかと心配してくださっている方も多いと思います 今年の2月10日私の愛犬さくらはお浄土へ往生いたしました 今日はちょうど49日、満中陰ですので皆さんに報告とお礼を申し上げたいと思います さくらは平成13年3月に我が家にやってきました 以来17年間僕たちの家族として時間を共にしてきました 最後の1年間は痴呆も進み、歩くこともままならず食事も排泄も介助が必要でしたが最後まで一生懸命生きてくれました ラストの半月間は私が抱っこして寝ていました 最後は、妻子と看取りましたが、本当に安らかで一生懸命生きたものの最後はかくも美しいものかと感動を覚えました 今年も桜の季節となりました あいつの名前となったこの美しい花は変わらず私を慰めてくれます その姿は見えなくなり寂しい思いはしますがあいつは消えてなくなったのではなくお浄土へ往生したのだと信じています 今も昔も私の心は桜が満開ですFacebookを通じて親しくしてくださっている方々に、またブログを通じ10数年来の付き合いのある方々にさくらの報告と、御礼を申し上げます ありがとうございました🌸 #さくら #柴犬 #満中陰
2018年03月31日
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今日は、法話に出会えた縁についてお話したいと思います昨日は、仕事を定時に切り上げることにしましたさて、何をしようかと思案していると、同僚の女性に「このごろは法話を聴きに行っているのですか?」と尋ねられ、そういえばここのところ行ってないなと思い、お寺によったのでした法話を聴いた時は、深く納得して、そうだそのとおりだと思って帰ったのですが、一晩寝るとどんな話だったか、更には法話を聴いたことすら忘れかけて今朝の仕事にかかりましたしばらくしての、昨日の同僚に「昨日はお寺に行かれたのですか?どんなお話でしたか?」と尋ねられ、そうだ、行ったんだと(^^)そこで、思い出しながら、昨日のお話をしました初めは、盂蘭盆のお話お釈迦様の十大弟子の一人で神通第一の目蓮尊者が、亡くなった母がどうしているかと、神通力で覗いてみると、なんと母は餓鬼道に落ちて苦しんでいた立派な尊者を産み育てた立派なはずの母がどうして餓鬼道に落ちたのかそれは、我が子がかわいい我が子がかわいいと、自分の子にのみ愛情をかけ、他を忘れてしまったからそこまで話して「ほんまに、そのとおりですね」と、同僚と深く納得いつの間にか、自分さえ良ければ、我が子さえ良ければという生き方をしてしまっていますねと、うなずき合いました結局尊者の母は、仏法の力で救われますそして、次は二つ目のお話江戸時代頃、学者でもある僧侶が遠くまで出かけ、日が落ちてしまったそうだ、この近くに学者である友人が住んでいるはずだ、一晩泊めてもらおう行くと、友人は歓待してくれた僧侶は、「この家の仏様にご挨拶したいので、お仏壇に参らせて下さい」と頼むと、友人は「あなたは、仏法など本気で信じているのか。私はそんなものは信じない。人は死んだら灰になり、土になるんですよ。仏壇なんてうちにはありませんよ」とまるで小馬鹿にするように言った翌朝、僧侶は残念な思いで、友人宅を後にした数年後、僧侶は、またその近くに用があったので、気乗りはしなかったが、挨拶にだけと思って友人宅に立ち寄ったすると、友人は「ようこそ来て下さった、さあさあ、うちのお仏壇にお参り下さい」と、僧侶を仏間に案内した一体この友人は、数年で何故こんなにも変わったのだろうすると、友人は、その訳を話してくれた実は、大事な一人娘をわずか6歳で亡くしたのです娘は、直らない重病にかかったのです可愛がって大事に育ててきた娘がもうすぐ死んでしまうそんな時、娘が「お父さん、死んだらどこへ行くの?」と尋ねたのです私には答えがありませんでしたまさか「お前は、まもなく死んで焼かれて灰になり、土になってしまうんだよ」なんて、言えなかったのです何とか、娘を死の不安から救ってやりたいとっさに、私の口からは、あなたから聞いた言葉が出ました「人は死んだらね。阿弥陀様という仏様が迎えに来て下さって、極楽という所へ行くのだよ。そこは楽しいこと、うれしいことしか起こらない所なんだよ」「お父さん、どうしたら、そこへ行けるの?」「それはね、なむあみだぶつという、お念仏を唱えるだけなんだよ。たったそれだけで極楽へ往生することができるんだよ」「そうなの。ああ、うれしい。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」そう言って、娘は往生しました私が話したあの言葉は、私が話したんじゃない、阿弥陀様が私の口を使って話して下さったんだと信じていますそして、私は娘が極楽に往生したことを信じて疑いません友人はそんな話をしたということですここまで話すと、僕の同僚は「きっと娘さんは、お父さんにそのことを伝えるために生まれ、亡くなったのでしょうね」と言い、更に「この世に起こることは全て大事な意味があるんでしょうね」と言いました同僚に言われて聴聞に行き、内容を忘れかけていたのに、同僚に尋ねられて、鮮明に思い出したそして、それを話すうちに、聞いた時の感動がよみがえるほんまに、不思議な縁で出会った昨晩の法話忘れられない法話になりました
2016年07月28日
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平成26年5月4日(みどりの日)橿原観光ホテルにおいて、昭和50年3月卒業、下市中学校同窓会を開催しました五月晴れとは、よく言ったもので、雲一つ無いいいお天気となりました当日は、恩師の3先生と58人の同級生が参加しました中学生当時、とても優しかった、また時にはおっかなかった先生方も、現職を離れなれ、とても素敵な人生の大先輩になっておられました先生は、挨拶で「下市出身の女性は美人が多い」と、仰っていましたが、僕も全くそのとおりだと思いました卒業から40年を経て、人生の様々な喜びや悲しみを重ねてきた人というのは、実にいい顔をしています女性がとても素敵だったことは言うまでもなく、男共も、なかなか凛としたいい顔をしていました昨日の挨拶でも言ったことですが、私は故郷とは生まれた土地のことだけではないと感じています自分というものの基盤となった、場所、人、思い出、そしてそれらの人が集う場所がすべからく故郷そのものであると強く感じました卒業以来ほとんどあっていなかった仲間在学中、口をきいたこともなかった女子素直になれず、自ら教えを請うこともなかった先生そのような人たちが、長い年月を経ても、まるで昨日まで一緒に校舎にいたような親しみ、暖かさ、懐の深さ本当に同窓会を開いて良かったと感じていますご臨席下さった先生、帰ってきてくれた同窓生のみんな、本当にありがとうございました
2014年05月05日
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4月1日 ふと死んだ父を思い出した 私が小学校低学年の頃だったと思う 実家は、僕が生まれる前に農業を辞めて、父が大阪でサラリーマンをしていた 山奥の集落に他にその様な家は無く、母は毎朝4時半に起きて父を会社に送り出し、日中は独りで農作業 男手が無かったので、どんな力仕事もした 子供ながらに、母の男っぷりに感動したこともある ある日、会社の父から電話がかかった どうやら、名古屋に転勤になるという内容らしかった 母は顔色を失っていた それで無くとも、山奥で野良仕事に子供や姑の世話 夫の帰りを毎日待ちわびていたに違いない その頼りの夫が名古屋に転勤 ついて行けないのは、自明だった 母は、魂が抜けたみたいにしばらく座り込んでいた 15分位した時、また電話が鳴った 「ええ加減にしてよ!」 母は、怒って電話を切った 母が父に声を荒げたのは、後にも先にもこの時だけだった様に思う どうやら、父から、さっきの転勤話はドッキリのいたずらだとの電話だった様だ 母はしばらく泣いていた この冗談には、決して笑わなかった 父は、時々人を担いで、笑わせる事があった でも、いつも相手が驚いた瞬間に 「嘘や嘘や!」 とネタばらしをして、周囲を大笑いさせて終わりだった 多分この時も、すぐにネタばらしするつもりが、別の電話か用事が舞い込み出来なかったのだろう ドッキリをフォロー出来なかった時には、人を本気で傷つけてしまう だから、私はそれ以降ドッキリの類いは、不愉快さを感じてしまうのだ 父のいたずらが、エープリルフールだったかどうか記憶はさだかではない 父が死んで間も無く30年になる 母は今もあのことを憶えているだろうか? 今度顔を見る時、確かめてみよう
2014年04月02日
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すっかり遅くなりましたが、4月初めに会社帰りに撮った写真をアップします!
2013年04月27日
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仕事帰りにふらっと立ち寄りました どうぞ写真をご覧下さいm(_ _)m 昨日は、三女の誕生日でした もう、19年にもなるんだなあ
2013年03月30日
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僕が新採用て配置された支店に用があって随分久しぶりに行って来た 東寺のすぐ近くで、住んでいたのも会社のそばだった 当時は、毎日が精一杯で、とてもお寺を見て歩くなんて事も無かった この歳になって、それがどんなにもったいない事だったか、よく分かる 行ったのは、土曜日だったので、用が済んでから、東寺さん始め、近くを歩き回って来た 東寺さん、 時間がたっぷりあったので、五重の塔の内部も拝観した 実に沢山の仏様を拝む事が出来て、幸せな気分に満たされた その後に行ったのは、一度も行った事のなかった六孫王神社 同じアングルで撮られた明治の写真がこれ! 本殿の右側には今は新幹線の高架橋が通っているが、昔は寺のお堂が建っていたんだ そのお寺はどうなったのかと、「大通寺」という名前の寺を探そうと歩いていたら、偶然も偶然 九条大宮下がるで見つけた! 現在の大通寺 元の場所から1キロも離れ、すっかり小さくなっているけど、塀には皇室ゆかりの5本の白線が 気を良くした僕は、更に歩く 平安の昔、朱雀大路を、挟んで東寺と対称をなしていた西寺 今は西寺跡は公園になっている 公園中央は小高い丘になっていて石碑だけがひっそり建っている 地元の人は、この丘を「こんど山」と呼び、元々ここに西寺金堂が建っていたとこと その朱雀大路の南端に建っていた羅城門 ここも公園になっていた
2013年03月03日
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建国記念の日、かつての紀元節。母に、昔の思い出を聞いた、紀元節には、朝から小学校に登校し、校長先生から、教育勅語を恭しく聞き、紀元節の歌を歌って帰宅したと。いつの間に、この国は、国の成り立ちを捨てたのか史実を辿り確かなものだけを選択しても、1500年以上も連綿とつながる我が国の歴史それを喜ばす、感謝せず、支那の春節のニュースは報じても国の成り立ちを報じぬ公共放送我々は、国家という鎖をバラバラにしてしまっても良いのか!いい訳が無い僕は先人が愛し、護り、遺して下さったこの国を護らないではいられないのだ
2013年02月11日
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八坂神社仕事帰りに、祇園に行って見たお酒を飲みにではありません(*^^*)この頃京都の面白さや美しさを再認識して、会社の行き帰りや休みに、ぶらぶらしているのです四条花見小路の一力
2013年02月08日
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1月31日は、僕の誕生日でしたこの日、僕は1日休みをいただき、1人で好きなことをして過ごすことにしました朝から楽器の練習をしっかりした後、電車に乗りましたまず、JR桃山駅で降りました この駅は、今でこそ各停しか停まりませんが、すぐ近くに明治天皇が鎮まる桃山御陵があります なんでも、戦前は全国から来た修学旅行生は、必ず御陵に参拝したそうで、駅構内は、各停駅とは思えない位の広さがあります この写真は、昭和30年前後に同じ場所から撮られたものです 駅を北側の大手筋通踏切から撮ったもの 同じく、昔の写真です その後、てくてくと歩いて、御陵へ向かいます 御陵のふもとに、明治の元勲、乃木希典を祀った乃木神社があります 乃木希典は、明治天皇の教育係として勤め、日清・日露戦争で海戦の指揮を執った人物で、天皇の崩御とともに自ら命を絶ったまさに明治のために生き、明治とともに殉じた方です 境内には、戦没者を追悼する記念碑などが祀られています 錨は、日露戦争で活躍した巡洋艦「吾妻」の現物です 乃木神社を出て、明治天皇陵に向かうと、ものすごく高い階段が見えてきます ピラミッドを彷彿とさせます 階段を上りきると、大きな白木の鳥居があります その奥に天皇を祀ったドームのような御陵が見えます 開国、帝国憲法・議会、日清・日露戦争と大変な国難を乗り越えた明治 明治帝は常に国民のことをご心配されたといいます なんだか、実家のお墓参りしたような気分でした その後、別の道から駅に戻ろうと歩いていると「桓武天皇陵」の案内が… 平安京を開いた桓武天皇陵が京都にあるのは当たり前なんだけど、桃山にあることを知らなかった無知な自分でした 1200年も前の天皇の墓が実在し、その子孫が脈々と続き、今上天皇陛下がおられます 日本は、歴史のしっかりした世界に誇るべき国ですね その後は、桃山駅を通り越して大手筋通りを西へ… 維新期、鳥羽伏見の戦いの舞台となった御香宮神社です 更に西に行くと、献血ルームを見つけたので成分献血をしてもらいました 1時間位かかりました 大手筋通りから少し南へ行くと、坂本龍馬が襲われたり(命を落としたのはここではありません)、薩摩藩粛正事件の舞台となった旅籠「寺田屋」がありました その後、寺田屋のすぐそばにある、酒造会社の昔ながらの酒蔵を見ながら帰りました中学3年の時、担任をして下さったN先生このブログを見て下さっていますか?あの、どうしようもなくやる気のない生徒だった私も、この歳になりました中学のあの頃をたまらなく懐かしく感じるこの頃です体罰や、いじめについて毎日のように記事が出ています先生の暖かいご指導を、懐かしく思い出します次の同窓会は私が幹事を指名されました必ずやりますので、きっと来て下さいね
2013年02月03日
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ネットで見つけた四条東大路の八坂神社石段上から撮ったらしい写真 四条通は細くて、遠くに火の見櫓のようなものが見えます 昨日僕が同じ場所同じアングルで撮った写真です 見比べて見てください
2013年01月27日
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今日もネットから見つけた明治期の二条城 二条通堀川にかかる橋を北東から撮影したもののようです こういうのを見ると、同じアングルで撮りたくていても立ってもいられず、昨日撮ったのが下の写真 石橋もかけ代わっていて、信号柱や、昔はなかった樹木などでなかなか同様の写真にはなりませんでしたが、時代の流れが分かると思います
2013年01月27日
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今朝会社へ行く途中に、新京極錦小路の、錦天満宮に寄って来ました ずいぶん遠回りなんだけど、行った理由は… ネットで100年くらい前のこの場所と思われる写真を見つけ、是非対象させてみたいと思ったからです 行ってみると、昔の面影はほとんどありませんでしたが、この歴史ある街に関わっている自分を誇らしく思いました
2013年01月26日
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昨晩ネットを見てたら明治期に撮られたらしい日本の写真を見つけた 二条城 現在前を走る堀川通の広さは全く気配すらない 僕は、今の姿と比べたくてたまらなくなった で、今日は会社へ行く途中、同じようなアングルで撮ってみたのが、下の写真 他にも撮り比べをしてみたいな
2013年01月20日
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妻から、娘の携帯(d○○○yphone)の調子が悪く、変えたがっていると、聞いた 今日の夕方、娘から機種変に 行きたいとメール で、残業を切り上げ、ヨドバシで娘と落ち合った 娘によると、今使っているのは、途中でフリーズしたり、アプリが落ちたりするみたいで 娘は、どうやらiPhone5が欲しいようだ softbankの店員の話を聞いて、たまげた 娘の携帯の機種変には、まず、携帯の分割残額を清算してからでないと出来ない その額、7万2000円 何でも娘が今の携帯を買ったのは、それが人気絶頂だった時で、価格も天だった 今なら、福沢諭吉一人で買えるとのこと 今なら諭吉一人で買えるものの解約に、何で7万もいるねん! 父娘とも、機種変を諦めかけたが、娘の携帯の分割払いは、あと1年半 その間、我慢して使って行けるか 今後就活の最中に携帯トラブったら困るだろう 娘『変えたい』 父『ええけど、お金は全部自分で払え』 結局、7万余りは一旦僕が払い、娘が三回の分割払いで僕に返済する事になった そこで、softbankの店員さんのこぼしたひと言 僕は額にいれて飾っておきたいとさえ思う 『そうですね。携帯を選ぶ時は、その時の流行りや、一時的なお気に入りで選ぶと後悔しますね。1年先、5年先でも気に入って使えるか、恋愛と一緒ですよね』 うーむ、深い そのとおりや! 聞いたか娘よ! 携帯にせよ、男にせよ、一時的な好みや格好良さで選択すると、後でとんでもない後悔をする事になる 一時的なのぼせ上がりが冷めた後、果たしてその相手で後悔はないか? 冷静に考えて選択して欲しい 恋愛の過程では、反対すればするほど燃え上がる でも、その火はいつか消える その時、機種変するのか、それとも、それも縁と心得て愛せるか そういう事なのだろう たかだか、機種変 でも、父は大いに学んだ 高い授業料である 娘よ 学生のお前にはかわいそうだが、父はお前からお金を取り立てる 一切妥協しない それは、一時的なのぼせ上がりで選択すると、後でとんでもない代償を支払わなければならない事を、身を持って知って欲しいからだ
2012年12月03日
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11月10日と11日の土日京田辺市中部住民センターにおいて恒例の「せせらぎ祭り」が開かれ、僕たちグリストブラスバンドは◎10日は午後1時半から演奏住民センター前の広場で、6曲ブラス曲やポップスを演奏しました曲目は1 マーチ「スターレイク」2 また君に恋してる3 トロンボーンフューチャー(トロンボーントリオ)4 アメージンググレース5 愛燦々6 CanCan(天国と地獄) の6曲でした◎そして本日11日は、なんと、メンバーで焼き鳥の出店を出してきました雨の中、朝9時にメンバーは集合こういうことは、段取りよしお君こと、代表の福ちゃんが、材料や道具などの仕込みをしっかりしてくれて、リーダーシップを発揮します焼き鳥は、塩味とねぎポン酢味の二種類他に福ちゃんは宇治茶の生産地、宇治田原の若者らしく、本場の宇治抹茶をふんだんに使った抹茶ラテをこしらえましたでも、ただの焼き鳥屋ではなく、あくまでブラスバンドが営業する焼き鳥屋だと分かるように↑こんな看板を掲げました(ポスターの写真は、先日の宇治田原町文化祭のステージです)雨のため、お客さんは出店の前ではあまり立ち止まらず、足早に建物に入っていこうとします「炭火焼きの本格焼き鳥、おいしいですよ、いかがですか!」「本場の宇治抹茶を使った抹茶ラテ、いかがですか」お昼前では、予定の3分の1も売れず、やややや不安でも、代表のまかない飯(ホットドッグやナポリタンスパゲティ)を食べた団員は、めげずに売り続けますお昼ご飯の時間から、次第に売れ始め、午後3時過ぎには予定していた20キロの焼き鳥は完売団員一同煙まみれになって、眼鏡は油でギトギトでも、皆が力を合わせてやり遂げた達成感は、爽快でした焼き鳥を買って下さったお客様、ありがとうございました僕は帰宅早々、あまりの煙臭さに、妻から強制的に入浴を命ぜられました
2012年11月11日
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骨髄バンクに登録したいと思いながら、してなかった 去年、原発事故が起こった時、放射能が原因の白血病が多発するだろうから、登録しなければとも思った でも、幸いにも原発事故により白血病になった方はおらず、いつの間にかドナー登録の事も忘れて過ごしていた 2~3日前、偶然にもこの動画を見た http://m.youtube.com/watch?v=H7W0CtsgE1c この方のCMは見た事がある 21歳で亡くなられたのか もし、型が合致する骨髄さえあれば助かったかも知れない もしかしたら、それは僕の骨髄の型では無かったか… もし、この方が亡くなるまでに僕が登録していれば助かったのでは無かったか? そして毎日の様に亡くなる白血病の方の型に、もしかしたら僕の骨髄が合致するのではないか 僕は気管支ぜんそくで投薬を受けている 骨髄バンクのホームページで、気管支ぜんそくの方はドナーになれないと書かれている ああ、やれやれ どうせ俺はドナーになれないんだから、仕方が無い 誰かが亡くなってもそれは俺の責任では無い でも、もしかしたら登録出来たのではないか 逡巡した 結論 それは俺が決める事や無い けんさして貰って、ダメだと言われて、初めて諦めたらええやないか そんな気持ちで、今回、献血ルームに行った すると、何と、登録出来たのだ! ありがとう、ありがとうございます! 僕は、ドナーカードを渡してくれた係りの方に深く頭を下げていた いつも好き勝手に生きてきたこの俺 そんな俺を、誰かの命を救う一助に加えてくれるのか! 本当に嬉しい! この上は、一日も早く適合する患者さんが見つかり健康な身体を取り戻していただきたい 年齢制限まで、あと2年しかない 今まで何もしなかった自分が本当に申し訳ない これが最後のチャンスかも知れない どうか、どうか、どうか患者さんと適合しますように!!
2012年11月04日
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今日11月3日は、一般的に文化の日と呼ばれているその趣旨は、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とされているが、そんなのわざわざ祝日にするような意味合いが無いでしょ僕が子どもの頃は、亡くなった祖母が「今日は明治節だ」と言っていたのを思い出すそう、今日は明治天皇のお生まれになった日である明治は、言うまでもなく日本が開国から国内の動乱、帝国憲法・議会、富国強兵、急速な近代化・国際化、日清・日露戦争と数え切れない位の国難や大変革を乗り越えた時代である今年は明治天皇が崩御されて100年とのことだが、その天皇がお生まれになった日が11月3日であるだから、僕は今日はあくまで「明治節」、百歩譲って「明治の日」と呼ぶべきものであると思っている明治期、万一国策を誤っておれば、我が国とアジア諸国は、ロシアか欧米の植民地となっていたはずだ明治は、日本人にとって大いに誇るべき時代であるその後、大正期には関東大震災昭和期には、初めての敗戦という国難があったが、国民は生来の勤勉性、不屈の大和魂で力を合わせて苦難を乗り越えてきたのだ今、我が国は、これまでの軟弱外交のツケで、困った近隣国の恫喝を受けている我々は今こそ、明治の先人の苦難を思い起こして、力を合わせ、子孫に誇れる国にしていかなければならないと思う少し堅い日記になってごめんなさいでも、今日はあくまで「明治節」なのです
2012年11月03日
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こないだの本番があった日は、僕の父の命日でした あれから、早いもので28年が経ちました 当時の、自分がつぶれてしまいそうな喪失感は、すっかり忘れてしまいました 自分には、たった1人の父親 でも、妻子は会ったことも無いので、オヤジの昔話に過ぎない 少し寂しい気持ちがします でも、前回の日記に書いた祖父には、僕も会ったことはなく、命日がいつだか過去帳をめくってみないと分かりません 祖父がいて祖母がいて、父がいて母がいて、初めて自分がいる 妻にもその祖父母が、両親がいて、初めて僕と一緒になる そして僕がいて、妻がいて、初めて子どもたちがいる 縦糸と、横糸があって初めて、自分の人生がある ありがたいと、感じます 自分の人生の先行きを見ると、何だか父の死んだ58歳という年齢の先は考えられません そこで死んでしまうのか、それともそこで何かに深く気づきを得るのか、分かりませんが、いずれにしても自分の人生 大切に生きていきたいと思っています
2012年10月29日
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先日、故郷のお寺から、秋の法要の案内が来ました 僕の故郷、奈良県吉野郡下市町は、典型的な寺社会でした 何事も困った時はお寺に相談 大事な取り決めはお寺で行う 小さい頃からお寺が遊び場 ものごころついた頃からお念仏が普通にそこにあるという環境でした そんな故郷を離れて34年 一度、法要に帰って、昔お世話になった人に会ってみたい そんな気持ちで車を走らせました 会った人も、はじめは誰だか分かりません 何しろ30年以上も会っていないんですから でも、話していくうち記憶の糸が繋がってきます その昔、若奥さんだった人が、お婆さんになって目の前に現れます 相手もはじめは僕のことが分かりません でも 「あっ!!!ほんまに正夫ちゃんやんか!」 って思い出してくれます 今回、特に心に残ったことは…冒頭の写真のことです この写真は、今回寄せてもらったお寺で撮られたもので、昔祖母から 「戦時中お寺の梵鐘が供出に出される時の写真だ」とだけ聞いたことがありました 僕は今回この写真を、ご住職の兄弟に見せました すると、その方は 「ここに写ってる僧侶は○○です。私の叔父で28歳で亡くなりました。今は叔父の写真が亡く、とても貴重な写真です」 と、言われました また、向かって左はしの老人は、 「この人は、あなたのお祖父さん『ロンジンさん』です」 と教えられました 祖父は僕が生まれる10年も前に亡くなっていて会ったことがありませんが、かなりの変人であったと聞いたことがあります 「ロンジンさんには、かわいがってもらいました。器用な方で家の時計が壊れたりした時にすぐに修理してくれたので『ロンジンさん』と親しみを込めて読んでいました。日当たりのいい家で遊ばせてもらったのも憶えていますよ」 祖父ってただの変人なだけでは無かったんだ 少しうれしくなりました ロンジンさん、会ってみたいなその他にも、昔うちの近くに住んでいて親戚同様のつきあいをしていたおばちゃん(実はこのおばちゃんは、マイミクのヌクヌクさんの義母さんです)にも久しぶりに出会いねおばちゃんは、なかなか僕の手を離してくれませんでした みんな、見かけはすっかり老人になってしまっていましたが、少し話すとすぐに昔の気持ちがよみがえり、本当にタイムマシンに乗ったような一日でした
2012年10月22日
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随分久しぶりの日記ですこのところ、少し疲れ気味の毎日今日は夕方から大雨こんな日は、残業するのをやめて早く帰ることにまっすぐ帰ろうかなと思ったんだけど、ふと思い立ち、本山西本願寺へ常例布教、夜の法話を聴きに寄って来ました今夜は広島から来られたご住職の法話でした素人の僕は、上手く伝える事は出来ませんが、今日のお話は、個について…個が大事というと、それぞれ好き勝手すれば良いと解釈する人がいるしかし、自分にプライバシーがあるのと同様に、隣の人にもプライバシーがあるだから、個を大切にするという事は、そのまま隣の人や、他の全ての人の人格を認め合うということ世の中には、誰一人同じ人はいないそれぞれに大事な一人であるそのような事を仏説阿弥陀経をひもときながら、お話下さいました聴きながら、何だか音楽の世界と同じだなと感じました高い音、低い音、大きな音、小さな音自分の音が重要であるのと同様に、他の全ての音も、どれ一つとして欠けてはならないもの大事な他人の音を壊さぬよう、自分の音を磨かなければならないそんな風に感じながら本山を後にしました外は激しい雨が降っていて、車に思いっきり水をかけられましたが、不思議と腹が立たず、いい法話に出会えた縁に感謝しながら、今帰りの電車に乗っています疲れた時は、本山は優しく迎えてくれます西本願寺。僕の大好きな京都です
2012年10月17日
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9/17敬老の日 グリストブラスバンドは、初めて奈良市の近鉄高の原駅周辺でライブを行いましたこの場所は、イオン高の原やサンタウン高の原などのショッピングセンターがあります15:30に高の原駅の改札に集合したメンバーまず、イオン高の原前にて16時から1回目の本番ここは、場所も広く、演奏しても通行の邪魔や交通の危険も無いことから落ち着いて演奏することが出来ますただ、台風が来ていることが予想外で、かなりの風も吹いていて、楽譜がクリップから飛んでいったりといったハプニングもあり、最初の演奏の出来は、今ひとつモード用意していった曲は全部で6曲一通り演奏を終えて、15分休憩し、更に同じ場所で1テイクさすがに2回目は、調子が乗ってきて、音も良くなってきました次にサンタウン高の原前に場所移動ここは、演奏にちょうどいい広場がありましたそこで1テイク通行の方も足を止めて聴いて下さり、団についての問い合わせなども何件かありました新たな場所の開拓に、団員一同とても気分よく初高の原ライブを終えましたそこから、メンバーは近鉄電車に乗り、前回開拓した京都府宇治市の近鉄大久保駅に移動18:30から改札前広場で1テイクそこでは「さっき高の原で演奏してた方ですか?さっきは遠くから聴きました」と声をかけてくれる方が。大久保では、真ん前の特等席でお聞きいただきました今回のライブは移動には車ではなく電車を使いました大きな楽器の運搬は、結構しんどかったけど、時間は正確で全員一緒に行動できることから、電車移動の利便性を痛感しました反省事項は、前夜に練習があったのに、1テイクめの演奏はバラバラで、エンジンがかかるのに時間を要してしまったことです次からは第一音から最良の音が出るようにしたいと思いました19時頃にすべてのライブが終わりましたその後は、20時から大久保の居酒屋で打ち上げ演奏している時とは、全く違う、すっ飛んだ団員の会話に、店は異様な熱気に包まれましたライブをお聴き下さった皆様、ありがとうございました今回のライブをきっかけに、ブラスバンドを知っていただき、新たなメンバーが増えることを楽しみにしています
2012年09月19日
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⇧東大路通、田中大久保町電停先日、実家の整理をしてたら出て来た写真僕が京都に来た昭和53年に廃止になった京都市電親父に無理言って借りた、でかくて重い一眼レフで撮ったものです東寺南門前、21日の弘法さんのお店が九条通に出ています運転席です車内の様子夕暮れ時、車内灯が点っています京都駅と烏丸車庫を結んでいた6号系統冷房などなかったので、運転席の窓まで開けてあります東大路通、叡電元田中で京福電鉄叡山線と交差します赤旗を持った踏切警守が車両を停めますこれは、市電ではなく、京福電鉄叡山(現叡山電鉄)茶山駅駅前に下宿していました今から思えばレトロな電車だなあ
2012年08月25日
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8月16日は、京都のお盆の終わりを告げる「大文字五山送り火」が焚かれました今年は、拝むことはありませんでしたが、翌日のお昼休み、大文字をありがたく味わうことは出来ましたそれは、かつての同僚のパワフル女史が、大文字の消し炭のお裾分けに来てくれたのです今年で3年目です大文字の消し炭は、懐紙にくるみ、玄関に掲げておけば、一年間無病息災で過ごせるといわれています我が家も、消し炭もご利益で、この一年元気に過ごす事が出来ましたパワフル女史は、今年は送り火が消えてすぐに山に登り拾ってくれたそうですなるほど、今年は墨が大きい昨日は、同僚にもお裾分けしました実は、このパワフルさん、今年2月の醍醐寺の五大力尊仁王会の餅上げ大会女性の部で、「横綱」になった方ですパワフルさん、ありがとう!これで、また一年間、元気に過ごします
2012年08月18日
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今日、8月6日は米軍によって広島市に原子爆弾が投下された日です 平和公園には「過ちは繰り返しませぬから」と刻まれた碑が建っている 僕は、「過ち」とは、誰のどの過ちなのかと考えてしまう この文章の主語が「米国」または「全世界」で過ちとは「無辜の市民に核爆弾を投下した事」あるいは「非戦闘員を爆撃で殺戮した事」ならば、理解出来る しかし、主語が「日本国」あるいは「日本軍」となれば、一体過ちとは何ぞや? 欧米列強に対して武力で立ち向かった事か? 軍事力の勝る米国に牙を向いた事か? それならはっきりこう書くがいい 「安らかにお眠り下さい。力の弱い日本が、いくら全世界からいじめられようとも、アジア諸国が、いくら欧米に理不尽な植民地支配をされようとも、強大なアメリカ様には、決してタテつきませんから」 それって、原爆で命を落とした方々や、祖国のために戦って下さった英霊に余りにも失礼では無いですか? 日本は国策を誤ったから戦争に負けたのではない 連合国は、正しかったから勝ったのではない 国力、武力の勝る国が勝ったに過ぎないのだ その様な当たり前の事を言わず、近隣諸国に頭を下げ続けるこの国 戦争だけは何としても回避しなければならない しかし、そのためには、他国が恫喝する気を無くす位の、国力、武力が必要だと思う 昨今、国内では、子どものいじめが問題となっているが、その背景にはいじめる側と、いじめられる側の体格、体力、腕力の差があると僕は思う いじめられた非力な子どもには、何の罪も落ち度もない しかし、本人が非力なら、周囲に力の強い正義漢はいなかったのか 開戦直前の東南アジアにとって、日本こそその正義漢であった しかし、列強との間には、圧倒的な物量の差があり、敗戦となったのだ 敗戦祈念の日に、国をあげて「私が悪うございました」というのを止め、世界平和のためには何が必要なのか、真摯に考えたいものだ 戦争で命を落とされた英霊の皆様 爆撃で亡くなった皆様 どうか安らかにお眠り下さい 相手が強いからと恫喝に屈する様な国には、いたしませんから ※これは私の気持ちの覚え書きです これに対する誹謗中傷は、どうかご自分のブログでお願いします
2012年08月06日
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昨日の土曜は久々に仕事 ここのところ、平日の仕事の密度を詰めて来たので、毎土日は休めていましたが、昨日は相手のある仕事のため出勤、ついでにしっかり考えたい業務の推敲が出来ました 今日は、朝は6時前に普段通りにさくらが、散歩に連れて行けと起こしに来ました 涼しいうちに散歩を済ませました で、午前中は妻と一週間分の買い物に行き、早めのお昼ご飯を食べて、いつも練習に使わせてもらっている京田辺市の公民館へ 今日はそこで「スポーツフェスタ」が開かれていました 【年配の女性から聴いた戦争の話】 練習の場所代がタダな代わりに、年に何度かの公民館の行事には、参加したり、お手伝いをしたりしなければなりません 今日は体育館で会場整理係 そこで、同じく整理係のお手伝いに来ていた方と友達になりました と言っても、その方は80歳の女性 よくしゃべる方で、何でも話してくれます 僕はこの年代の方と話す時は、聴きたいことがあるのです それは、その方の戦争体験です 女性が終戦を迎えたのは、12歳の夏でした 二人の兄は、一人は赤紙で、もう一人は予科練に志願して出征していました 戦争が終わって、ずいぶん月日が経ってから二人とも無事に帰ってこられました この方のお婆さんという人は、なかなか厳しい方で、二人を玄関の敷居をまたぐまでに、衣服を全部脱がせました 服についたシラミが家に入ることを嫌ったのです 妹である女性は、その大きな布を兄に渡し、衣服をすべて鍋で煮て消毒したのだそうです お婆さんは、兄が無傷で帰還したことを手放しでは喜ばず 「鉄砲の弾の一つでも当たって来ないか!無傷では、傷痍軍人の恩給がもらえないではないか!」 と叱ったと言うことです 今では考えられませんね 中国大陸から復員した上の兄は、その後婿養子に行ったそうです その人は晩年、死の床に伏し、妹である女性は久しぶりに駆けつけて対面したそうです 会うと、兄は危篤と言われていたのに、中国大陸でどのような任務についていたのか、どのように復員したのか、また前述したような祖母の厳しさなどを話したそうです 妹さんの言うには、兄は婿養子なので結婚後はこんな話はする相手がおらず、子どもたちにもそんな話は通じず、苦しんでいたのでは無いか、それを妹さんが「そうか、そうか」と聴いてくれたことがよっぽとうれしかったのか、大きな声ではっきりと何時間も話し続けたそうです その間、さっきまで死にかけていた人が元気に話す様子を看護婦さんが何度も見に来たと言うことです やはり、人に話を聞いてもらえる、分かってもらえるとと言うことは、生きる喜びを生じさせるものなのでしょう そんな話をしているうちに、僕の任務も終わりました 【城陽市音楽団コンサート】 時計を見ると午後2時 実は、今日は午後1時半から、昔僕が音楽を再開するきっかけとなった楽団「城陽市音楽団」のコンサートがあると案内をいただいていたのです 大急ぎで駆けつけて撮ったのが冒頭の写真です この楽団は、半数くらいは楽器未経験者ですが、みんな本当に音楽が好きな方ばかりです お客さんは、だいたい僕より年代が上の人が多く、今日の曲目も演歌あり、ジャズあり、マーチあり、AKBありとバラエティに富んでいて楽しかったです
2012年07月22日
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7/16(祝)グリストブラスバンドは、久々の街頭ライブを敢行しました まず、午後4時から新田辺駅前 非常に日差しが強く、暑い中、演奏しました はじめはあまりの暑さに、足を止めて下さる方は少なかったんですが、徐々にお客様も増え、終わり頃にはわざわざ感想を大きな声で伝えて下さる方もいて、非常にためになった本番でした その後、団員は近鉄大久保駅前に移動 大久保駅の改札を出たところにセッティングしました 折しもその日は、京都祇園祭の宵山 浴衣姿の方や、ビデオ片手にお出かけの方々 午後6時半、二度目の本番開始 ここでは、改札前という絶好のロケーションが幸いし、大勢のお客様が足を止めて聞き入って下さいました 中にはカメラやビデオを向けてくれる方も 演奏する側も当然に力が入ります ソロ曲も何曲かありました テナーホーンソロ、コルネットソロ、ユーフォニアムソロ、トロンボーンソロ、フリューゲルホルンソロ それぞれ聴かせどころをばっちりときめ、大きな拍手をいただきました また、団員の奥様か応援に来てくれたり、かつて一緒に吹いていた仲間が駆けつけてくれたり、本当に感謝感動の本番となりました また、個人的には、バスのニューフェイスのRちゃんが、とても楽しんでくれたのが、大きな喜びでした ブラスを聴いたことのない方の前で音を出すことは、緊張もしますし、聴いた人のブラスの認識を左右することから、大きな責任を伴います そのような重圧はありましたが、大勢の人に私たちの音を聞いていただけたことは本当にうれしいことです お聞き下さった皆様、本当にありがとうございました 演奏後は、とおりかかりの中学生の奏者が、プリンシパルに演奏についての質問に来られました プリンシパルは疲れも見せず、実際に音を出して指導していました このような活動を通して、京都にブリティッシュブラスが根付いていくことになればこんなにうれしいことはありません 解散後は、各自楽器を置きに帰り、新田辺駅前の居酒屋さんに集合して打ち上げです もちろん、応援してくれた団員の奥様も参加 例によってあることないこと、馬鹿話で大盛り上がりでした これだから、本番はやみつきになりますね このブログをお読み下さっている皆さん 私たちと、次の本番に乗りませんか? はっきり言って、練習はなかなか厳しく、妥協は許されません でも、それで結束した仲間の絆の強さや、ブラス本来のサウンドは、よそには決して負けないと自負しています では、皆さん、今週も元気に過ごしましょう(^_-)
2012年07月22日
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土日とゆっくり休み、妻と京都の臨済宗妙心寺派総本山妙心寺の塔頭、東林院へ沙羅双樹を愛でに行って来ました 平家物語の冒頭にも出てくるこの花は、朝に咲いてその日には散ってしまう事から、もののあはれ、無常を表していると言われます 東林院では、まず抹茶をいただき、その案内の僧侶から説明を聞きました この花は、種が落ちても一年めには芽が出ません それでいて種は常に水を必要とします ですから、種をまいた後、全く芽の出る気配のない土くれに向かって、朝晩水をやるのだそうです 落ちた花は、じきに色が変わってしまうので、早めに片付けるそうです 僕たちは、お寺の縁側に腰掛けて、静かに沙羅双樹に向き合いました 芽の出る気配のない土くれに水をやり続ける そうやなあ 俺もそろそろ芽を出さないと妻に申し訳ないなあ そんな風に感じました その後、広い広い妙心寺を来たに抜けて、仁和寺へ行きました ここの五重塔は、東寺、醍醐寺、八坂の塔と並んで有名ですか、行ったことがなかったのです 立派な山門 新緑に建つ堂々とした五重塔 国宝の金堂 久しぶりに京都を満喫しました
2012年06月26日
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おはようございます昨日、5月21日は日本各地で金環日食が見られました僕も、朝一本早い電車で出勤しましたどうしても京都の景色の中で見たかったのです京都駅の地下から出ると、外は曇り空?こんな暗かったら、見られないじゃん、と思ったら大間違い曇り空なんかじゃなく、晴れている太陽も高く昇っているのに、スモークがきつい車の中みたいに薄暗がりになっている始まってるんだ!お東さんの境内に入ると、本堂の階段には、修学旅行生らしき制服がびっしり腰掛けてグラスで空を見上げています 僕は、グラスを用意できなかったので、家を出る時持ってきた、針で穴を開けたはがきをかざしますスクリーンは白くないとよく分かりません僕が選んだスクリーンは、御影堂の床の漆喰かざしてみると、三日月型から、リングになりかけの太陽の輪郭欲張って、3つも穴を開けたので、3つの太陽が投影されます足下を見ると、木漏れ日まで三日月型になっていますこれは僕の手の影指で作った輪っかの影も三日月型です不思議で、何だかそこだけ時間が止まったような、静かな静かな時間でした次に見るのは、何百年後世界のどこかに生まれ変わった時だろうか?
2012年05月22日
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我が家がデジカメを使うようになったのは12~3年前からです デジカメ以降の写真はPCに入っていて、いつでも見る事が出来ますが、それ以前の写真はどこにあるのかさえ忘れていました 昨日、古い写真をデジタル化して残しておこうと、思い立ちました 妻にしまってある場所を聞き、出してくると、あるわあるわ、ポケットアルバム40冊余り 長女が生まれて、てんてこ舞いしながら、子育て 人見知りで、甘えた(甘えん坊)だった娘 初めて親子三人で行った旅行 僕らも、ほんまに若い やがて次女、三女が生まれて、歓声が聴こえて来そうな賑やかな写真 三人の誕生日にお雛さまXマス、パーティをしょっちゅうしてたんだ 嫁さん、準備が大変だったろうな 三人の娘の保育園時代、小学校時代 同じように育てたつもりでも、全く個性が異なる娘たち 家族旅行、毎年行ってたんだ スキャンが終わる頃、僕は胸が一杯になっていました 素晴らしい家族じゃないか? 特に、妻には人生で一番輝いていたあの季節、相方は本当に僕で良かったのか? 聞いてみたいが、怖くて聞けません(泣) 妻よ、子よ! こんな僕と家族になってくれて、本当にありがとう! ブログを読んで下さった皆さんも、古いアルバムをもう一度、開いて見る事をお勧めします きっと大切な事を思い出させてくれるはずです
2012年05月04日
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先週の木曜日4月19日は夫婦で奈良県吉野町の吉野山へ桜を見に行ってきました近鉄電車に乗って1時間半余り、吉野駅に到着です何を隠そう、私めは吉野町の隣の下市町出身なのですが、桜のシーズンに吉野山に行くのは生まれて初めてでした8時過ぎに到着すると、駅はまだそんなに人は多くありませんそこからケーブルに乗り、下千本へその後はバスで山の上へ行くという手もあるんですが、せっかく来たんだから、歩いて上ることにしました世界遺産・金峯山寺山門、その奥がこれまた世界遺産金峯山寺蔵王堂です自分の周りも桜、向こうの山も桜、桜、桜です!上千本の世界遺産・水分(みくまり)神社ですこの辺まで歩くと、かなり足がしんどくなってきます(笑)このショットは、吉野山の紹介に使われるので、見覚えのある方も多いかも知れません花矢倉展望台から臨む蔵王堂ですこのあたりまでが上千本僕たちは、奥千本を目指して更に歩きます(意地でもバスなど乗るものか(^^)/)日差しはそんなに強くありませんが、ほんまに暑い、汗ばみながら上ります少し平らになって楽になったかと思うと、また急な上り坂にかかります「なんか、私らの人生みたいやね…」ワイフの言葉が、あながちジョークには聞こえません奥千本、西行庵ですこのあたりまで来ると、まだ桜は咲いていません足を滑らせば、谷底に落ちてしまいそうな険しい道ですさっきのワイフの言葉を思い出し、苦笑しながら歩きましたそのあとまた、数時間の復路計8時間位歩きに歩きました吉野駅まで帰ってくると、ものすごい数の人・人、人そこにさあ~っと風が吹くと、桜吹雪とはよく言ったもので、本物の吹雪の中にいるような花びらのシャワーです厳しい人生を歩ききったら、きっとこのような花吹雪に包まれるのでしょうか?いや、きっとそうでしょういつか行きたい行きたいと思いながら、行ったことの無かった吉野山「どちらの出身ですか?」「吉野です」「吉野山の桜が有名ですね」「はあ、でも見たことがないんです」こんな会話を30年余り繰り返してきました(多分何千回も)今日からは、吉野の桜のダイナミックさや世界遺産について、少しはしゃべられそうな気がしました
2012年04月22日
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ふと、表題のようなことを考えた 生まれなければ、この世に対する自分という存在は、無である プラスでもマイナスでも無い 生まれて来たということは、限りない可能性を秘め、喜びに満ちていると同時に、一生の間、数えきれないくらいの、苦難、別れ、挫折を味わうという事であり、それらに遭遇しない人生なんてあり得ない こんな苦しい思いをするなら、生まれて来ない方が良かったのではないかと思うときもある しかし、苦難にあってこそ、自分の小ささや、醜さ、家族や他人の暖かさを教えられるのだ 50年ばかり生きて来て、確信している事がある 人は、生まれるべくして生まれて来る どうしても、この時代、この場所に、この境遇で生まれる必要があって、今ここにいる それは、会うべき人に会うためであり、遭うべき苦難に遭う為である それらの人に会い、苦難に逢い、やがて気付く 自分は「愛する為に生まれて来たのだ」と 自分は「許す為に生まれて来たのだ」と 自分は「愛されて今ここにいるのだ」と 自分は「許されてここにいるのだ」と 人生って、深い これらの事を気付かせる為に、我々には様々な苦難が準備されている そうであるならば、「よし、かかって来い!」という気持ちで、今日も生きて行きたいものである
2012年04月06日
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おはようございます 昨日は、大震災後初めての3月11日でした 追悼式典には、天皇陛下が御病気を押して御臨席され、お言葉を述べられました お言葉では、生命を落とされた方々、遺された遺族に対する哀悼、被災された方々への御見舞の気持ち、自衛隊警察消防医療機関、自治体やボランティアに対するねぎらい、全国や諸外国からの支援に対する感謝のお気持ち、今後、いかなる困難があろうとも必ず復興し、世界に恩返し出来る国になって欲しいという願いが込められており、テレビで見ていて、涙がこぼれました しかしながら、復興への道程は険しく、被災地には がれきがうず高く積まれたまま、処理の目処さえ立たない状態です 被災者の一人は 「東京や大阪ならこんな状態で1年も放っておきますか!」 と憤っておられたけど、本当にそのとおりだと思います たまたま、府県は違っても、同じ日本で起こった災難じゃないですか? 自分だけ安全ならいいのかな? 僕が首長なら 「うちへ持って来い!同じ日本人じゃないか」 というだろう それに、原発を無くす方向で国は動いているが、代わりの電源はどうするのか、火力火力というが、ついこないだまでは、CO2の悪影響を喧伝してたのではなかったか 国民も、本気で自分のやっていることに矛盾がないか、確かめる必要があるのではないでしょうか? 娘は、3月11日を被災地で迎えたようです と、ここまで書いたら電車が、京都駅に着いてしまいました どうか、被災地、被災者の心に一日も早く春が来ますように
2012年03月12日
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今日は、電車で琵琶湖を一周してきました湖北は、雪国でした国境の長いトンネルを抜けると…近江塩津駅でした
2012年02月11日
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久しぶりに、不思議な夢を見ました 夢の中は、多分自分がまだ独身の頃なんだと思います 姉に子供が生まれたと、喜んだのも束の間 その子は、すぐ死んでしまったと悲しんでいます 翌日、家族(姉と僕と母)でその子を棺に入れることなりました 姉は、最期にこの子にお乳を飲ませてやりたいと言い、母は赤ちゃんを姉の乳房に持って行きました 姉は赤ちゃんに乳首を含ませようとします 僕は、一度も泣く事も無かった赤ちゃんを哀れに思い、赤ちゃんの小さな手に自分の人差し指を握らせて見ました ??…?? 何だか微かに力を感じる 驚きながら赤ちゃんを見ると、まぶたが微かに震えている 姉も母も気付かずに悲しんでいます 赤ちゃんが僕の指を握る力は、だんだん強くなります 手はだんだん温かくなります そのうち、ぱっちりと目を開きました 生きている!! 今度はその子は、姉の目を見てニコニコし始めました 皆んな狂喜乱舞です そんなところで目が覚めました
2012年02月06日
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おはようございます本日無事に52回目の誕生日を迎えました元気に年齢を重ねる事が出来るのは、産み育ててくれた両親、いつも支えてくれる家族はもとより、周りの全ての方々のお陰ですありがとうございますこれからも、楽しく年を取って行きたいと思っていますどうかよろしくお願いしますね(^O^☆♪
2012年01月31日
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皆さん、こんばんは 今年も、残すところ数時間になりました では、恒例の一年の総集編の日記を書きます 例年なら、1月から順番に振り返るんだけど今年はあまりにも東北大震災という大きな出来事があったことから、自分の周囲の出来事など、いかに小さなことかと感じさせられ、震災から感じたことなどを中心に振り返ってみたいと思います ★3月11日、予想もしていなかった東北地方で大震災が起こりました 3月の日記です 震災だけども大災害なのに、そのすぐ後に、今までの防災で予想していなかった大津波が発生し、海沿いの街を、街ごと呑み込んで行きました ヘリコプターや高台から撮影された津波の猛威に対し、なすすべもない人間の無力さに、僕たちは、ただただ恐懼するしかありませんでした 更には、福島県で原発が電源を喪失し、放射能が拡散するという最悪のシナリオが展開しました 家族を亡くし、家を無くし、大事にしていたペットや家畜を見捨てて避難せざるを得なかった人たち 数年前、全国民の期待を背負って出てきた政権与党は迷走を繰り返し、対策は後手後手に回りました その一方で、地震発生直後から、地元の役場や消防、警察の方々が、自分の身の危険を顧みず、住民の避難誘導や水門の閉鎖に奔走し、多数の方々が尊い命を落とされました また、自衛隊、全国の警察や消防、米軍など平和なときは一顧だにされなかたった勇者が駆けつけ、黙々と救出、復旧に尽力されました 僕は、自分が何も出来ないことに一時期落ち込みましたが、今京都ですべきことを黙々とこなすこともまた重要であると気を取り直しました ★4月、次女が一人暮らしを始めました いつまでも子供だと思っていた娘も、知らぬ間に大きくなり旅経ちました ★5月 その次女は、震災のボランティアとして街の復興のイメージを絵にするため、東北に向かいました ★6月 その様子は、後日テレビで紹介され、貴重な学びをしている娘を誇らしく思いました ★7月 女子サッカー日本代表「なでしこJapan」がワールドカップを制しました 試合前、監督さんは選手に大震災のビデオを見せ、自分たちが元気を与えなくてどうすると諭されたと言います この小さな選手たちの大きな勝利は、被災地のみならず、日本の全国民をどれくらい元気づけたかは、計り知れません グレイト、なでしこ!! グリストブラスバンドライブ「世界でいちばん熱い夜」 ★8月 思い出すのも、胸くそ悪い事件ですが、この情けない出来事もまた京都で起きた真実でした 陸前高田市矢作町の高田松原の被災した松に、被災者の皆さんが亡くなった方々への思いを書き込み、京都の大文字五山送り火で焚くという、思いの込められた行事が、京都人の「放射能の拡散」という懸念で中止でなりました 大多数の京都人はこの出来事を深く恥じ、世間に顔向けが出来ない気持ちでした(今もそうです) 京都は、1200年に渡り、日本中の方々に支えられてきた街です それが、こんな時にささやかな恩返しさえ出来ないのか! 自分たちだけでなく、世の中のすべてを愛し感謝することが出来ること そういう意味で、京都はまだまた発展途上であると認めざるを得ません ★9月 今年のもう一つの大きな自然災害「台風12号」 僕の故郷の奈良県吉野郡や和歌山県に大きな被害をもたらし、多くの死者や行方不明者が出ました ここでも、自衛隊、警察、消防の皆さんの献身的な働きが目立ちました 東北でもそうでしたが、台風でも家族を亡くされた首長さんが、自分が悲しむのは後回しにして、住民の救出、救難に尽力されたことは感動的でした(永田町のお偉いさんも見習いなさい!) ★10月 グリストブラスバンドでは今年2度目の街頭ライブを行いました ライブの度に新たな仲間が増えました ★11月 ブラスのレパートリーに加えるまでは、興味がなかったAKB48 YOUTUBEで見てみると、心の底から元気が出てきます 恥ずかしながら、いい歳こいて、ファンになりました ★★九死に一笑的結婚披露宴★★ 友人の披露宴の日取りを勘違いしていて、気付いたときは開宴時間 大急ぎで駆けつけました あ~、間に合ってよかった ★12月 亡き父が、生前一緒に仕事をしていた方が亡くなったとの報せ お礼かたがた訪ねて来ました 私たちは、一人一人不思議な縁で結ばれている 深く信頼しあって仕事が出来た父がうらやましく感じました 老人福祉施設依頼演奏 戦後、ゼロからこの日本を作ってくださった先輩方に感謝を込めて精一杯演奏しました クリスマス本番 そして、もう少しで、この大変な一年が終わろうとしています 楽器を吹いていてもいいのかと、真剣に葛藤した一時期もありました しかし、この家族がいて、音楽があったお陰で、何とか自分が壊れることもなく年を越します 今朝、職場に向かう途中に、西本願寺に参拝してきました 本山には今も、大震災の義援金箱が置かれていました 御影堂、阿弥陀堂と2つの大きな本堂は僕の貸し切り状態で(多分元旦は満員でしょうね)ゆっくりと手を合わせてきました マイミクの皆さん、またいつも応援してくださった皆さん 今年一年、お世話になりました 新しい年が、被災地の復興復旧に拍車がかかり、一人でも多くの方の笑顔につながるように祈ります では、皆さん、よいお年をお迎えください。
2011年12月31日
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今週の土日も気合いを入れて休んでいます( ̄▽ ̄) 昨日の土曜日は、楽しいこと盛りだくさんでした まず、朝から宇治田原町で開かれた「ズーラシアンブラス」のコンサートへ、ワイフと出かけました このバンドは、ご存知の方も多いと思いますが、横浜動物園ズーラシアのバンドで、その名のとおり、指揮者も奏者も全員が動物のかぶり物で演奏するのです プロだけあって、演奏が素晴らしいのは勿論ですが、子どもを惹きつけるショートコントや、笑わせる動きなどパフォーマンスもま素晴らしい ワイフも大笑いで、良い時間を堪能しました 演奏会が終わればお昼、二人でイタ飯食べて、ふと気づいた 12月にコストコが開店するってことだったけど、もしかしてもう開店しているかしらん 行ってみると、車の列 早速探検に 店内はとても広くて、客は大きなカートを押して買い物をします 品物は販売単位が全て大きく、例えば玉子は30個パック、食用油4リットルまたは一斗缶 と言った具合です 商品は、日本の製品も多く、ただユニットがでかいのは同じ ポテトチップスは、ランドセル位の大きさ お味噌も2kg入り だから、日頃気に入って使っているブランドを、ここで箱買いするのが正解でしょう 僕は、自宅のプリンタが調子悪いのと、スキャナードライバが、Windows7用が提供されてなくて使えないことから、Canonの複合機MP493を、たったの3700円で買いました はっきり言って、インクカートリッジよりも安い! いい買い物をしました そうしていると、京都で一人暮らししている次女からメール 「明日バイト先までアコースティックギターを持って来てもらえませんか?」 また、急なことを! 明日(つまり今日)は、僕は近所の老人福祉施設で本番があるので動けません よおし、それなら京都で持ってってやるわい 帰宅してから、でかいギターケース背負って自転車に乗り、5時半の電車に飛び乗った 娘は改札まで来ていて無事に渡し完了! 「夕飯でも食べるかい?」 「バイト先に戻らなあかんから、またにしとく」 「風邪ひくなよ、また、帰って来い」 「うん」 娘はバンドをやるみたいで、アコースティックは友人に貸すのだと 楽器は音を出すために生まれて来たんだから、家で寝かせておくのは、楽器に失礼なことです でも、手元にギターがなくなるのはちょっと寂しい 帰りの電車から娘にメール 「ギターはいつになってもいいから、返すように」 「うん、私も帰った時に弾くものないと寂しいから、友達には早く自分の買えって言っとく(^O^)/」 こんな風に休み一日目が終わりました コンサートチケットをくれた楽団の仲間、楽しんでくれたワイフ、楽しい食事をさせてくれたイタ飯店さん 愉快な買い物させてくれたお店 元気な顔を見せてくれた次女 娘の友達にバンドの面白さを教えるであろうギター 全てに感謝します
2011年12月11日
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27年前に死んだ父 その当時の会社の人とは、今でも年賀状のやりとりがあります その中の一人Oさんの奥様から、11月にご本人が亡くなったと年賀状欠礼の挨拶状が来ました Oさんは、父の部下であった方ですが、父は生前とても彼を信頼してた様子で、よくOさんの話を聞かされたものです 僕がOさんと初めて会ったのは、父の訃報に急遽駆けつけてくださった時でした それから、彼は、一人残された母のために時間を割いては、いろいろな行政的な手続きをしてくださったり、親身に面倒をみてくださったと聞きました 挨拶状を受け取り、僕としても、ひとつのけじめとして、お礼のご挨拶に行きたいと思い、先週の土曜日、母と一緒に奈良市内のご自宅まで訪ねて来ました 奥様は、車のところまで迎えに来てくださり、家に案内されました その後、部屋に案内され、遺影と対面しました 最後にお会いしたのは、父の49日が過ぎて父の会社にお礼の挨拶に出向いたときでした 父は、この方を心から信頼して仕事をしていたんだ… そんなことを思うと、心の中から熱い物があふれてきました そのあと、奥様とゆっくりと話をすることができました ご主人は、去年にがんと診断され、入退院をくりかえされました なくなる前は、ほとんど意識のない状態が2週間くらい続き、その後突然、正気が戻り、見舞いに来てくれた一人一人に 「ありがとう、本当にありがとう」 と、相手の頭髪がくしゃくしゃになるくらい抱きしめてお礼を言われたそうです その後、静かに息を引き取られたとのことでした 父が死んだときはそんなに泣かなかった僕の両眼から涙が溢れました 「実は、主人ばかりでなく、私もあなたのお父様の部下だったんですよ」 と、父のことを話す奥様 「厳しい方でした、周りにも自分にも。今は、上司にはへこへこして、部下には偉そうな人が多いでしょ?でも、あなたのお父様は、上が間違っていれば身体を張ってでも修正させる、素晴らしい人でしたよ」 まさか、生前の父のことを聞けるとは思っていませんでした 奥様とは、まるで昔からの知り合いのように、心を開いて話をすることができました その場には、きっと姿こそ見えないけど、無くなった父もOさんも同席して笑っていたのではないかと思いました お別れに車の窓から僕は奥様の手を両手でしっかり握りました きゃしゃだけど、暖かい手でした こういう方に囲まれて、死んで27年経っても思い出してもらえる父は幸せだなと、少しうらやましく感じました 帰宅して、果たして自分は、会社の同僚に対して、愛情を持って接しているかと深く考えました 考えれば考えるほど、答えは「×」でした こうして、Oさんのご自宅を訪ねたのも、深い縁があったのだと思います 感謝を忘れず、明日から生きていきたいと、思いました
2011年12月08日
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出席者による即興演奏「風になりたい」 僕は、披露宴は26日だと勝手に思い込んでいました 朝起きて、会社へ残った仕事を片付けに行こうかと思いましたが、「そうや、カッキーのパーティに着ていく服、どうしよう?(黒服やろか、スーツやろか)」と気になり、ラッパ吹きNさんにメール まもなくNさんから「スーツですよ」と返信 そうか、それならせめてネクタイだけでもいいものしていかないとと、女房と車で買い物に でも、気に入った物が無く、女房は「26日までに選んで買っといてあげるわよ」と言うので、そのまま買わずに帰宅 そこにNさんからメール ★このメールをみて僕はいすに腰掛けたまま、5センチくらいは飛び上がった★ 「そろそろ、始まりますよ」 何~~っ?始まります~っ? もしかして 僕はずっと前にカッキーから来たパーティ招待メールを確認した 「11月23日午後1時半受付、2時開宴」 「え~~~っ?えらいこっちゃ~っ!!」 僕は携帯を女房に押しつけて 「おいっ、披露宴、今日やった。すぐにNさんにメール打ってくれ。すぐ行くって!」 僕は2階へ駆け上がり、ジーパンからスーツに大急ぎで着替えた 「いっ、行ってくる!!」 「電車あるの?」 「分からん!!けど、すぐ行く!!!」 女房は、両手で顔を覆って次に両手を叩きまくって大笑い ~お前、亭主の一大事によう笑うてられるなあ~ それからは、自転車のペダルを扇風機のように漕ぎ、駅に着くと、電車は遅れている ★ええ加減にせい!今日だけはすぐに電車を寄越せっ!!★ って怒鳴りたい気持ちを抑えて電車に乗り会場に着いたのは、披露宴開始から1時間半も経った頃でした 到着したときは、出席者による演奏の真っ最中 はっきり言って、結婚披露パーティーでこの規模の演奏は聞いたことがありません しっかりした、吹奏楽編成が出来上がり、いきなり本番であわせたとは思えないノリの良さ これだけでも来た甲斐がありました 招待客の半数くらいが演奏しているのでテーブルの席はまばら、自分の席はどこかなんて分かりません すると、「パパさ~ん」と声をかけてくれたのはマイミクで某楽団団長のうえにっちゃん ふう~っ、救われた うえにっちゃんは、すでに出来上がっていて、ほかに同じテーブルには、のみ仲間の姉やん、たまちゃんもいて、僕の遅刻ネタでまずは大盛り上がり 演奏が終わって席に戻ってきたえりちゃんや、久しぶりに顔をみたばくさんとさらにもりあがり 披露宴の後は、そのまま二次会 そして先ほど帰りました この日初めて知り合った人とも友達になれたし、マイミクさんもできました しっかりとした日記を書きたいんだけど、今日は疲労困憊 精根尽き果てたならぬ、「毛根尽き果てた」ので、早めに寝ることとします カッキー、本当におめでとう
2011年11月23日
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今から帰りの電車です 明日、11月12日は、僕ら夫婦の結婚記念日です ついこの間のような気がするのに、もう23年になります 一人だった自分が、二人になり、何時の間にか子供も3人 やっぱり色々あったなあ 妻と時々、「よく持ったなあ」などと冗談を言いますが、本当によく持ったものだと思います 女房はきっと「こんなはずじゃなかった」と、思っているんじゃないかな 確かに、世の中は、僕よりも背が高くて、ルックスも良く、社会的な地位もあり、性格も良い男の人はごまんといると思います 女房には、貧乏くじを引かせてしまったなあ でも、きっと、よっぽどの縁があって、こうして家族になれたんだろうと思います 夫婦って、不思議なもので、これが夫婦でなくて、単に付き合っている男女だったら、とうの昔に思い出に変わっていると思います それが、夫婦だというだけで、一緒にいるのが当たり前で、その当たり前の延長で23年もの歳月が経ってしまいました 近い将来、子供達は巣立って行くだろう そのさきには、どの様な夫婦のあり様が残っているのだろう? 楽しみなようでもあり、不安でもある 母さん、これからもよろしく頼むよ!
2011年11月11日
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バスの中でも、 ストレス無くサクサク動きます 難点は、日本語JISキーボードが無いことと、画面がフラットなのでミスタッチが多いことかな 良い点は、iPhoneで使っているアプリがほとんどそのまま使えること ただiPhoneでは無料だった産経新聞がiPadでは1500円かかります でも、iPhoneにしてから1年間タダで読ませて貰ったんだから、そろそろお金を払うのは当然といえば当然ですね では、今日も良い一日でありますように(^O^)/
2011年11月09日
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京都ヨドバシで、僕はiPad2を、妻はiPhone4sを予約していました 休み前日の一昨日は、夕方から「私のiPhoneは渡せるって連絡来たよ」と、メール 手続きや、何やら、ややこしいといけないので、引き渡しは僕がついて行く事になっていました 片付けたい仕事は残っていたけど、妻と待ち合わせて店へ 長女と三女も一緒に夕ご飯食べて、iPhone受け取って帰宅 帰ってから「iPhoneの設定してやろうか」と言っても妻は「自分でやる」と、なかなか苦戦してる お風呂に入り、ビール飲みかけると、妻が降参して、設定の続きを僕がやる事に(^-^)/ 電話帳の移行、iTunesの設定と、なかなかややこしい ソフトバンク(僕)とau(妻)では、微妙に異なる点もある 自分の設定をしたのは1年も前だから、忘れている事も多い ようやく終わったのは夜中の1時 妻とこんなにワイワイガヤガヤと騒いだのも久しぶりでした 昨日は文化の日 夜更かしがたたって、起きたのは9時前 妻が「メールの受信は出来るが、送信出来ない」と アカウント設定をやり直して解決 次は、iPodの曲を入れ直して、全部終わったのは11時 昨日は、宇治田原で依頼演奏 12時集合なので大急ぎで準備して出発 町の商工祭で、屋外で5曲を演奏させていただきました 地元の皆さん、ありがとうございました 帰宅すると、妻のiPhoneはサクサク動いており、ご機嫌でした こんな風に休みが終わりました ところで、妻のiPhoneより数日早く予約した僕のiPad2はまだ届いた連絡がありません 早く来ないかなあ
2011年11月04日
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昨晩、妻から、一人暮らし中の次女が久しぶりに帰ってくるとメールが来ました 次女は11月に、また被災地へ行くと聞いていたので何か冬物の衣類を取りに帰ったのだろうか? 僕が帰宅すると、娘はもう休んだ後でした 妻によれば、今日から、東北へ行くのだそうです 朝刊に、京都上七軒の舞妓さんが、被災地で舞を披露した後、地元の人とふれあったとの記事 笑顔で高齢女性の手を取る舞妓さん、その隣て目頭を抑える舞妓さんの写真 また、かつて被災地の小学校で、世界陸上で必ず金メダルを取ると約束した、ハンマー投げの室伏広治さんが、約束どおり金メダルと、以前小学生が寄せ書きをし、室伏さんが世界陸上てウイニングランで広げた日の丸を持って再びその小学校を訪問した記事がありました 舞妓さんは伝統芸能で、室伏さんはスポーツで、娘は絵で被災地に寄り添おうとしている 僕も何か出来る事は無いかと思っています 今朝、僕が出かける時は、娘はまだよく寝ていました 顔を見て一言でも話がしたかったけど、起こすのはかわいそうなので、布団の中の寝息に向かって「気をつけて行けよ」と、心の中で話しかけて出て来ました 駅前の駐輪場で係りの小父さんが、 「娘さん、帰って来はりましたな。久しぶりに顔見ました」 と、声をかけてくれました これから寒くなりますが、元気で行って来て欲しいと思います 父も、頑張ります
2011年11月01日
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昨晩の練習に、見学者が見えました 若い女性で、希望パートはなんとバス! 初めからバスを希望する人は、非常に少なく、女性では皆無と言っていいと思います 学校と一般のオーケストラでトロンボーンを吹いているとの事 大学のクラブかと思いきや、また中学三年だと!? 話し方や受け答え、敬語の使い方など、とてもしっかりしていて、その辺の大学生のりずっとしっかりしていました 昨日は、団の楽器で、でかいバスの扱い方、構え方、楽譜の読み方などを説明しながら、一緒に吹いて来ました 彼女の感想 「めっちゃ楽しい。吹きたいです」 との事 早速来月半ばの本番に出てもらう事になりました 何でも、金管の出番の少ないオーケストラに比べて、ブラスはほとんど休み無しに吹きまくりなのが楽しかったみたいです この様な若い人にブラスの魅力を感じて貰えた事が非常に嬉しく、新しい仲間が増えそうな予感がしました さて、今週は、3日は宇治田原で商工祭での演奏があります 週末は、親戚と法事の為、1年ぶりに吉野に帰ります 仕事は仕事で今週から忙しくなりそうです どれもこれも、こんな小さな自分を必要としてくれています ありがたい事です 感謝を忘れず、生きて行きたいと思います
2011年10月31日
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今日は、父の27回目の命日ですあの日も今朝のように寒い朝であったように記憶しています吉野の山奥から毎日大阪の会社に通っていたまだ暗いうちに家を出て、遅くに帰ってくるいわゆる、モーレツ社員でした日曜日は、一日中寝ていた子どもの頃は、父親と遊びたかった母には、疲れた父が寝ている時は、物音を立てぬよう、よく叱られ、その度に、不満に感じていた僕でしたしかし、父の年齢にだんだん近づき、自分もまた、モーレツ社員になりかけている家にいると、安心して、少しでも寝ていたいと感じる父もまた、本当に疲れていたんだろうな、不満に思って申し訳なかったなと、今頃になって思います頭に「くそ」がつく位、真面目で勤勉で「超」がつく位、モーレツ社員てあった父僕は、好きな音楽もやり、気ままな男であるけど、この頃、何だか父に似て来たなと気づき、ハッとする事があります父は、本当は、どんな生き方をしたかったんだろう一度、確かめてみたい、この頃ですお父さん、貴方の息子は、何時の間にか50を越えました見かけは、だんだん貴方に似て来て、髪の薄いところなんか、怖い位そっくりですよ一方、達筆な貴方とは似ても似つかぬ悪筆で、もっぱらパソコンに頼る毎日ですよお父さん、俺の生き方は、これでいいですか?
2011年10月28日
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iPhoneのアプリで 松下幸之助~道をひらくをダウンロードして通勤の車内で読んでいる書籍版は10年位前に買って読んだことがあるその時は、まだまだ修行が足りなかったせいか、心に切り込むという事は無かった今回、電子書籍版はなんと700円と、本で買うよりずっと安かったことと、もう一度松下幸之助を学んでみたいという気持ちにかられて、買ってみた 本来、人は成長を続けており、毎日の生活も単なる繰り返しなどというものはあり得ない毎年季節が巡ってきても、それは繰り返しでなく木々は確実に年輪を重ねている山登りをして同じような景色が繰り返されても確実に高みに登っていると松下翁はいう感想もしかしたら、これは僕の一生ものの座右の書になるんではないかと思っている偉大な経営者でありながら、私利私欲を廃し、この国のため、世界のために自分をどう高めていけばよいかが書かれている読み始めてすぐに、「続・道をひらく」もダウンロードした若い時にしっかり読んで身につけておれば、人生が変わっていたかも知れないと感じた皆さんに是非お勧めしたい一冊です
2011年10月02日
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そう、昔はパチンコ屋の定番であった「軍艦マーチ」です中学の時は、軍国主義につながると言って演奏してはならないリストに入っていました大人になってからは、パチンコ店でかかっているという認識こないだ、YouTubeで、日本にも良いマーチがあったはずだと探すと、一番にヒットしたのがこの曲よく聴いてみると、すごい迫力ある、勇壮で美しい曲だと感じました出勤電車で聴くと、やる気が沸々と湧いてくる荒波の中を突き進む軍艦がイメージされる吹いて見たい多分団員からはブーイングだろうが、この美しく勇壮なマーチを吹きたいと感じました\(^o^)/余談ですが、何事に限らず、長い間の固定観念というものは、厄介なものです歴史物のテレビで、太平洋戦争開戦のシーンでは、決まって軍艦マーチが流されますまるでこの曲が日本を不幸に追い込んだような錯覚を感じ、いい曲だと言おうものなら軍国主義者の様に言われるそうしているうちに、名曲は忘れ去られて行くのかも知れませんさて、今日頑張れば連休\(^o^)/張り切って行きましょう
2011年09月22日
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夢の中で、僕宛に郵便物が届いた封筒の中から、空の現金書留の封筒が何枚も出てきたそれぞれに宛先が書かれていて、差出人は僕の氏名のスタンプだ押されている宛先は、昔お世話になった人、すっかり御無沙汰してしまった人、現在苦労をしていると聞いている人や、故郷やこれまで過ごしたの学校や役場などになっている一体誰が送って来たのかは分からないが、これに幾ばくかのお金を入れて送れという事なのだろう自分は、おかげさまで健康で、家族や仕事、仲間に恵まれ、過ごしているそれを感謝する事もなく当たり前の様に過ごしている感謝の思いをなんらかの形で、返して行くようにと、夢は教えてくれたのだろうか?
2011年09月13日
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さくらが、しきりに癒し顔でこっちを見てくれます元気が出て来ます 台風も直撃せず、すごい風だけでした
2011年09月04日
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