狎鴎亭的横濱生活

狎鴎亭的横濱生活

Working in San Diego


カレッジを卒業して、Practical training visaを取得した。これは、アメリカの学校を卒業した留学生に与えられるご褒美みたいなもの。1年間学生ビザのまま働かせてくれるシステム。私も卒業したらぜひとも体験したかったので、ビザを申請。もらって、さぁ就職活動したけど、やってみてそんな簡単に就職できないことを思い知らされた。

考えてみたら、1年の期限付きのビザしか持っていない外国人を誰が雇ってくれるんだろう。

私は日本で正看だったので、アメリカでも病院で働いてみたかった。もちろん資格を持っていたわけじゃないから、アシスタントで。日本で一番興味深かったのは精神科なので、アメリカでも心理学を勉強した。だから、できれば精神科で働いてみたかった。
San Diegoにある大きな病院、UCSD、Sharp、Children's、Scripps全部にApplyした。それから精神科が独立してある病院も調べて直接出向き、募集してるか聞いたり、申し込み用紙をもらってきたりして、ありとあらゆるチャンスにかけた。

ビザをもらってから4ヶ月後、やっとある病院から連絡が来た。Interviewがしたいという。はしゃぎそうな自分を抑えてスケジュールを組んでもらった。何を聞かれるのか分からないので、調べてあらかじめ練習したり色々したけど、緊張はほぐれない。でも、実際面接をしたら自分でも思ったよりすらすら言葉が出てきた。一番良かったのは、何でこの仕事(Mental Health Worker)をやりたいかという質問に、自分の将来の目標のための一つのステップだと言うことを説明したことみたい。

ADON(The Administration of Nursing)からはこの病院は急性期の精神科専門病院だという事、毎日かなり忙しく、患者の滞在期間も長くて2週間だし、私が以前勤めていたような慢性期の病院とはかなり違うだろうという事を説明された。面接の雰囲気としてはいい感じがした。最後にReferenceとして最後に働いていた日本の病院からの推薦状と個人的な知り合いとのコンタクトが必要と言われた。

日本での病院に関しては、電話で婦長さんに頼み込んで何とかメールしてもらった。そしてその時頼れる唯一のアメリカ人の知り合いにPersonal referenceを頼んだ。

そこまでして1週間もあれば連絡が来ると思っていた。ところが来ない。来ないということは、ダメだったということか。アッパは、残念だけど仕方ないよと言うし、あきらめきれないけどあきらめないといけないと思うようになった。こっちから連絡してみようかと思ったけど、アッパに反対された。こういうものは待ってるべきだ、と言われたのだ。でもその後、Referenceを頼んだ人から
「何で連絡してみないの? アジア人はそうやって謙虚に待ってることを美徳と思うけど、アメリカ人はそうじゃないよ。ほしかったら自分からどんどん行かないと。聞いてみることは全然恥ずかしいことでも悪いことでもないんだよ」
と言われた。そこで思い切ってメールを。そうしたら更に1週間後に電話が来た!!

何と夏休みを取っていたとのこと。その面接から採用までは1ヶ月かかった。電話でフルタイムであること、PMシフトであること、成人急性期の病棟であることなどが知らされた。その他保険のこと等簡単に説明されて、「最後に大事な時給の事だけど」と言ってきた。「時給10ドルなんだけど…」と言われて、私は即OKした。10ドルが問題じゃない。働けることが大切なことなのだ。散々無視されたのにこの病院だけ私のことを考えてくれただけでもうれしかった。

そして、ヒューマンリソースの人と面接。数々の書類にサインをしたり、ほとんど本1冊分の書類を渡された。
ここからが本当に大変だった。まず、CPRのCertificateを取得するために1日講習を受ける。そして、それが終わったらコーディネーターの人と連絡を取りながら病院での健康診断、オリエンテーションのスケジュールを組んでもらう。

健康診断ではドラッグテストもあるし、予防接種もあった。一番面倒だったのは結核の検査に引っかかったこと。日本で当たり前にやるBCG。これが問題なのだ。このせいで陽性反応が出てしまう。レントゲンを撮って、結局6ヶ月の内服を指示された。

オリエンテーションは、全部で10日間くらい。毎日続いた。もちろん時給はもらえる。実際に病院に入れるまでに1ヶ月かかった。それから今度は病院のオリエンテーション。各部署、病棟に1週間づつ入る。試験もある。そうやって更に1ヶ月以上かかった。6月に面接をして、7月に採用、そして実際に働けたのは10月に入ってからだった。

ビザが切れるまで、あまり長くは働けなかったけれど、私の人生の中でこんなに中身の濃い経験はなかった。仕事の内容より、私もこのアメリカの社会でやっていくことができるんだという自信をつけることができた事が最大の収穫だった。
やめてからもずっと「いつRN(正看)の資格取れるの?」と電話をくれていた。いつかRNの資格を持ってもう一度訪れたい。


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