★人生はホラー映画★ただいま労災で休職中★投稿すると抹殺人生★人生は運が全て★

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2012.03.31
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 人は私どもを、聖人君子のオシドリ夫婦と呼びます。息子はミステリー新人賞を受賞後、新ミステリーXP賞を受賞した天才ミステリー作家。私は某専門職として、若い頃からずっと現場で働いておりました。主人はもうすぐ定年退職ですが、老後は発展途上国でシルバーボランティアとして、工作機械の開発加工の指導をしたいと言っております。
 主人も確かにいい人です。真面目な善人です。ゴキブリも殺せないような優しい人です。そして確かに私たちはオシドリ夫婦です。しかしあのオシドリも専門家の研究により、実は「オシドリ夫婦」ではなかったと判明しております。つまり繁殖期以外は夫婦が別行動で、相手をよく交換、つまりスワッピングのようなことを当たり前のようにするのでございます。もちろんこれは、より強い子孫を残すための野性の知恵のようなものでございましょう。そのように、野性動物のみならず、哺乳類の上位に君臨する人間たちも、「聖人君子」ではなかったり、「オシドリ夫婦」ではなかったりするのであります。
 私どもには二人の息子がおりました。八年前には長男は二十二歳になっておりました。そして弟の方は、遅い子でしたので十二歳でした。その長男の事ですが、大学在学中はアルバイトに熱中しており、就職活動に出遅れ、そして卒業間近でやっと活動を始めた頃には、すでに目当ての企業さまのエントリーも終わっておりました。元々のんきな子でありましたので、企業説明会に出席するも(サクラは散る)ばかり。大した大学ではないうえに、履歴書に一行増やせるほどの資格も第一種運転免許と、小学生の折りに習わせておりました、珠算二級や書道くらいしかありませんでした。せめてコンピューターの資格ミニアドストレーターや、マイクロソフトオフィススペシャリスト、簿記二、三級などでも取得していればよかったのですが、長男は貴重な四年間を単位取得のために学校へ通い、アルバイトに勤しむために毎日せっせと外出していただけでございました。あれでは予備校にまでやり二流大学へと入れたかいが何もございません。全く長男ときたら全く呑気者で、いつも行き当たりばったりの人生でございました。これでは折からの不況に加え、ライバルの学生たちがしのぎを削っている中、貴重な内定がもらえるはずがございません。国立大学の女子学生でさえ、パイが少ないということで、気象予報士や行政書士の資格を取得して就職活動に臨むというのに、うちの息子はどんな資格取得にも動きませんでした。「アシタがあるさ、アスがある」「ケセラセラなるようになる」などと古い歌を歌い、気を楽にしてのんきに生きるように育てた私も悪かったのでありますが、まさか一年以上も就職活動をして、ただ一社の内定も頂けないとは思いませんでした。息子の大学は一流の私立大学でないまでも二流の私立大学、どこかには引っ掛かるだろうと私どもも内心思っておりました。しかし実際はことごとく不合格となったのでありました。本人は大企業ばかり狙いすぎた、だから就職浪人になったのだと言っておりますが、それだけではございますまい。適当なところでランクを落とせば良かったのでありますが、秀才でもないのに結構プライドの高いうちの長男、浪人までして、三流ではなく二流大学を卒業見込みなのだからと、名の通った、つまり誰もが知っている知名度の高い企業ばかりを狙い、そして足蹴にされたようなのでございます。まったく自分というものを知らないと申しましょうか、分を弁えなかったと申しましょうか、これも親ゆずりの呑気さがもたらした悲劇であったのでしょうか。就職さえしてくれれば、知名度はなくても堅実な企業、中堅クラスの製造業などでも親は感激したことでしょう。同じレベルの大学の学生たちが次々と内定を頂いていたというのに、あの長男にはたった一つも来なかったのでした。
 そうした呑気者のくせに、少しプライドの高い長男が行き着く先は決まっております。大学を卒業後次第に無気力になり、就職活動も二、三ヵ月で中止、約半年でハローワークへも大学の就職課へも行かなくなり、毎日テレビの前でゴロゴロをする日々を送るようになったのです。それでも、求人を掲載している新聞の折り込み広告には目を通しておりましたが、一つ二つ三つと不合格通知が来るうちに、求人広告にさえ目を通さなくなりました。レンタルしてきたDVDをゆったりと鑑賞しながら、ポテトチップスを食べ続けるのが日課となってゆきました。あの大学四年間でのアルバイト料は、このヒキコモリの日々のために貯金されていたのではないかと思えたほど、長男は二百万円ほどもあった貯金を消化してゆきました。
 そんな長男でございましたが、ある日突然立ち上がり、オレにはすごいアイディアがあると言いました。ただの一度も内定ももらえず、役に立つ大した資格もないくせにと私は思いました。しかしそれでも大事な長男です。ヒキコモリでも無職でも、彼のアイディアを訊いてみました。
 すると長男は、これまで見たこともないような自信に満ちた顔で、オレは高校の頃から同人誌を作り、雑誌に投稿していたというのです。だからきっとミステリーの新人賞を取り、その後新ミステリーXP賞を受賞するというのです。私は腰を抜かしました。ヒキコモリの無職が、小説の賞を取るというのです。しかも自信満々で、自分の才能を全く疑うことなくです。
 私は呆れ返りました。あんたが取れるなら誰でも取れる。あんたが取れるなら小学生でも取れると言ってしまいました。買い言葉に売り言葉ですが、長男は子供の頃からずっとそうだった。いつもオフクロはお前にはできない、なれない、ダメだ、それしか言わない、一度たりとも励ましたことなどないだろう、だからこんなダメ人間ができたんだと、長男は大声で叫んだのでありました。私はまたまた腰を抜かしました。あの大人しくて呑気者の長男が、ずっとそう思っていたなんてと。
 たしかに私は誉め上手ではありません。仕事を持つ忙しさもあってか、子供たちの趣味にも才能にも無関心であったように思います。顔を合わせる貴重な休日でも、叱咤するも激励した覚えが余りありませんでした。抱きついてくる子供たちを、疲れているからと何度も突放したこともございました。あんたは勉強しない、あんたは落ち着きがない、あんたはお気楽すぎる、あんたはお兄ちゃんだから、あんたはあんたはといつも口喧しく言っておりました。確かに仕事に忙しく、家事育児は亡くなった実母に任せ、たまの休みの子育ても、口喧しく怒鳴ってばかりだったように思います。子育てに関しては、ほとんど放任に近かったような感じでございました。私も口喧しい母親に育てられたので、そういう風になったのだと思います。
 私の子育て論はさておきまして、あの長男のことですが、新ミステリーXP賞を絶対に取る、だから三年間は投稿生活三昧をさせてくれと言ったのです。私はそんな彼を馬鹿にしながら、いつものように大反対をしました。私は長男の作品を読んだことも、小説というものを教科書以外で満足に読んだことなどありません。そんな私の長男が、私の遺伝子を引き継いだムスコが、そういう有名な小説の賞を受賞できるとは全く思えません。うちは代々そういうインテリの家系ではなく、平凡に目立たずに生きることしか能のない一族なのです。そして五十歳を越えて生きた先祖未だにたった一人しかいないという、幸の薄い家系なのでした。そういう無駄な時間を過ごすくらいなら、何度でも落ちてもいいから、就職活動を再開するようにと、主人ともどもきつく言ったのでありました。私もムスコの覚悟を聞き、こっそりとミステリー雑誌の立ち読みもいたしましたが、短篇賞でも投稿が五百を越え、その中から年に一作しか受賞できないようで、とうていうちのムスコなどが受賞できるとは思えませんでした。高学歴だけでなれるのなら、東京大学出身者ばかりになります。しかし実際は小学校卒業の方さえおられる世界です。そのようにプロの小説家とは、神さまに選ばれた者だけしかデビューできないという超難関。あの東京大学でさえ年に三千人も入学できます。ですから小説新人賞の受賞は、進学高校の生徒が東京大学に合格するよりも狭き門であると、私は考えました。
 そうです皆様、プロの小説家とはそういう選ばれた血族が目指すものなのです。あのアクタガワさんの息子さんたちでも、後に芸術分野で目覚ましい活動をされたではありませんか。そういう名を残す家系は、そういう風に(神仏)に選ばれるものなのです。祈ったり拝んだりしたからといって、そう簡単になれるものではありません。ですから、うちのような幸の薄い、ブルジョワでもインテリではない家系の長男がプロの作家を目指す事など、大企業ばかりを狙い失敗した就職活動と同じように思えました。
 それなら、すぐに華々しく出版してもらえるようなゲーノウ人になった方がマシです。ゲーノウ人は大した芸がなくても、タレント性がある間はすぐに本を出版してもらえますが、庶民はそうはまいりません。出版する側にとっては爆発的に売れる事は少なく、全く旨味がないからです。世間を見渡すと、作家になりたければまず先に、タレント芸人か演劇人から始めるのがよろしいと思われます。面白くなくても才能がなくても構いません。テレビに出ていればそれだけでいいのです。そうすれば一冊くらいは出版して頂けます。一発芸人でも芸がなくとも一発必中で、一瞬だけでも作家気分が味わえます。一冊出版されれば、次の日からはタレントという肩書きに加えて、作家という肩書きが付きます。映画化やドラマ化がされて、すぐにでも立派な作家になれます。その方が、何年投稿しても最終選考にさえ残らない無名の庶民よりも、数倍も作家への可能性があると思われました。
 主人と私が猛然と反対すると、長男はもういいよと語気を強めて、二階へと駈け上がりました。私たちはまだつまらない冗談を聞いたように思っていましたが、本人はどうも本気のようでした。
 それからでした。長男と私たちとの戦いが始まったのは。どんなに主人がきつく就職活動をするように怒鳴っても、本人はひたすら部屋から出てきません。私は仕方なく食事だけを部屋の前に置くようになりました。部屋の中からはワープロを叩く音だけがしてきます。本気で小説なるものを書いているようでした。それでも私はそういう音を聞いても、絶対にうちのコには無理だという確信に似た思いがありました。うちのコは最年少美少女でも、天才秀才青年でもありませんでした。能天気な上に、プライドが少々高いという、どうしようもない二十二歳だったのです。
 無職の二十二歳が昼夜ずっと家にいるという現実。私は毎日地獄のような日々を送っておりました。もちろん私は専門職として仕事に出ます。可哀想なのは当時十二歳でありました弟のアツシでした。十歳も違う兄が学校から帰ると家に必ずいるのです。しかも次第に狂犬病の闘犬のようになってゆく寄生虫のような兄が。
 私の予想していた通り、長男は約束の三年間、最終選考にさえ入りませんでした。
そして次第にサブロウは荒れ始め、弟のバットを持っては家中を破壊し始めました。階段、壁、下駄箱、ドア、まったく手加減なしに家を殴り続けたのです。私はますます恐怖を感じ、仕事を辞めることができませんでした。一人、弟のアツシだけが耐え続けていました。
 私は何とかしたかったのですが、次第に狂っていくサブロウをどうすることもできず、夫と二人で震えていたのでした。一緒の仕事とした勤めもありましたし、恥を人様に相談することもできませんでした。今なら冷静に警察か福祉課にでも相談できたでしょうに。しかし当時は神経が疲弊しており、正常な判断力がありませんでした。そしてこのまま待ち続けていても、サブロウがミステリーの新人賞を獲ることはないだろうと思っていました。そして二十五才を過ぎても、きっと就職活動を始めることはないだろうと。
 そこで私に悪魔が囁きました。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」です。





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最終更新日  2013.05.04 11:01:25
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