お太助のブログ

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2014.03.13
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カテゴリ: 話題

先月、安倍首相が衆議院予算委員会での答弁で、憲法解釈変更についての最高責任者は、選挙の審判を受けて成立した内閣の長である自分であり、自身の判断が内閣法制局の考え方に優先するとした。
これは自身の判断を優先させることで内閣の危機管理や機動性を高めようとしたものとも思われるが、これでは何のための憲法か、戦後教育の欠陥か、立憲主義や民主主義について 改めて学習・理解しておくこと が必要と思われる。立憲政治や民主政治の理想や実現を目指した議員たちと違って、地盤・看板やカバンを引き継いだだけの二世議員には理解が難しいことかもしれません。立憲主義とは、辞書によれば「憲法によって支配者の恣意的な権力を制限しようとする思想および制度」とされている。憲法の在り方を説明しようとすればいろいろと難しい語を駆使する必要があるかもしれませんが、知っておかなければばらないのは、憲法は他の法律と違い国や為政者の在り方や国民の権利の保障などを定め、国民にその約束を果たすよう国や為政者を縛るためものです。
東大法学部 の美濃部達吉教授が戦前説いた「天皇機関説」は、今であれば至極当たり前と思われるが、天皇を神聖化しようとするものからは受入れられないことで、2・26事件を起こしついには戦争へと発展してしてしまいます。しかし、その過程はまさに天皇を「機関」として利用した結果であり、実態は「天皇機関説」の学説どおりであったのです。そのような時代の状況で、判断を誤っても仕方ないと思ってはならない、誤りは誤りであり判断の誤りを正当化してはならない。為政者は、つい時々の流れや空気を読んで判断を下すことになり、大局的な説明や判断を欠いてしまうことがある。
専門家でもなければ法的な判断についての理解も十分でない人が多いと思われる。そして、戦後世代の多くがその判断基準の考え方として戦後教育とあわせて映画や劇画などをよりどころとしていることが気になる。映画では人が簡単に 善人とわる者 となり、愛のためや家族を守ることを理由としてまた内なる怒りを爆発させることを正しいと信じている主人公となる善いものが銃など武器を持って、わる者をやっつけることになる。このようなわがままとも思える西部劇やブルース・リーの判断基準が、世の中を席巻している。身近では通り魔などの犯罪理由となり、大きくは戦争理由になっている。世界では武力をもつものが正義であると考えられている。
グローバル化にあわせて、国内法の改定も進めてきたが、どこかで日本が考える法の提案ができること、そして武力による負の連鎖を止めることを期待したい。





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Last updated  2014.05.01 22:12:23
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