ひたすら本を読む少年の小説コミュニティ

2006.01.08
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カテゴリ: 春夏秋冬



「時間があるならハワイのビーチでも行ってきな。」

「じつに面倒くさいんだけど。」

とハルは言った。

「残念なことに、ハワイの知り合いにシアトル行きのチケットを取ってもらったんだ。その知り合いが現地を案内してくれる。」

男は得意そうな笑みを浮かべてそう言った。

「やれやれ。」

男はハルに押し付けるようにチケットを渡すと、仕事がある、と言ってどこかへ行ってしまった。

ハルは見送ろうとして外に出たが、その時既に男の影は無かった。

外は思っていたより暗かった。

冬に比べ日は長くなったが、それほどではない。

薄氷を踏むことを楽しむ子供も既に家路についている。

ハルがふと眼下に広がる街を眺めると、春の生暖かい夜風が悲壮感を漂わせていた。




ハルは郵便受けをチェックし、数枚の手紙を確認して家に戻った。

野沢敦。

御手洗彰子。

七原美佐。

四谷カエコ。

ハルは仕事に取り掛かった。

ペンマスターという仕事をしていた。

ペンマスターというのは、一定の期間ごとに担当している生徒から手紙が届き、添えられている文章をチェックするという仕事。

月額2000円を払えば自分にペンマスターが一人つき、文章の向上を手助けしてくれる。

勿論、これを受講しているのは作家の卵とかそういった者たちではなく、家で日中暇をもてあましている主婦達だった。

ほとんどの生徒は文章、というより日頃の愚痴や、世間話で文章の向上など頭には入っていない。

隣に誰が住んでいるのかもわからないこの東京で、話し相手を彼らは探していたのだ。

人さえも、ハルの家を囲むビルの様に見えてくる。

その気持ちはハルにも幾分理解できた。

「先日のお手紙どうもありがとうございました。
私にとって文章と言うものは遠くはなれた存在だと感じておりましたが、先生に出会ってそれが単なる誤解だとはっきり理解できました。これからの私の人生に良い刺激となるよう、これからもご指導ご鞭撻の程宜しくお願いします。
ところで、先日・・・」

受講したものは皆、まるで偉大な指導者でも見つけたかのように、えらくハルの事を気に入っていた。

しかし、実際はその中のほとんどがハルより年上だった。

そのためハルは不思議に思ったのだ。

この人達は渇いている。

しかしハルにその渇きを潤すほどの力は無かった。

渇いた砂を手ですくっても、指の間から落ちてしまう。

ハルはそのことを理解していた。



ハルはこの仕事で月3,4万程貰っていた。

毎月手紙の量でその額は変わる。

もちろん、それだけで生活は出来ない。

ペンマスターの仕事はハルにとっても暇つぶしの気分転換くらいのものだった。

受講者になるなら金を貰って文章を書いたほうが得なことに何故彼らは気付かないのだろう。

その疑問は手紙が郵便受けに届く度に浮かんだ。



ハルはコールガールだった。

電話を事務所から貰い、指定されたホテルに行き、セックスをする。

誰かからのプレゼントであれば、右の手首に赤いリボンを結んで行った。

「キュートだね。」

彼らはそう言った。

ハルは指名されれば誰とでも寝た。

その中でもハルの人気は高かった。

ハルと一度でも寝れば、彼らは何度もハルを指名した。

ハルの登録している事務所は、一般の人を相手にしたものではなかった。

ある一定の地位と財産を気付いたものにしかその番号は知られない。

昨夜ハルと寝た男が数年前ハルをその事務所に紹介してくれた。

ハルはその時のことをよく憶えていない。

記憶なんていつ消えるかわからないもの、だから別に何を忘れようが忘れたものを忘れているのだから悲しくはない。

とハルは思っていた。

寝た相手の顔も一週間経てば憶えていなかった。

その仕事でハルは月に百万単位の給料を貰っていた。

ハルは金で困ったことは一度も無かったし、欲しいものも特に無かった。

貰った金のほとんどを銀行に預けていた。






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Last updated  2006.01.08 17:51:06
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