ひたすら本を読む少年の小説コミュニティ

2006.02.19
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仮定 「宇宙に果てがあるとしたら・・・」


宇宙に果てがあるとしたらそのまた外に宇宙がある。
そして、その外の宇宙の外に果てがあるならばまた宇宙がある。
というように、ぼくらの膨張宇宙は永遠に続いていく。
何かとてつもない大きさのものでも、それを受け入れる容量があるものがなければそれは存在しない。
僕らがここに存在できるのは、ここに存在できるだけの空間があって、存在できるだけの家族があって、家があって、金があって、体があって、精神があるからだ。
どれかが省かれていようと、それは人それぞれだ。
でも、存在するものがすべてその容量の内にあることは確かだ。
僕らの宇宙を受け入れているものがあるならば、やっぱりそれはすごいこと。
人間なんて本当にちっぽけなことでさえ受け入れられないことがあるんだから。
だから戦争は起こるし、人が人を殺すし、物を盗むし、人を騙すし。
それが生きるためならば、僕は完全に否定はしない。
しかし、それが利害によって引き起こされているのならば、やっぱりちっぽけなこと。
宇宙を考えられる人間の精神はそんなにちっぽけなものなら、残念なことだと思わないだろうか。
友達が、彼氏(彼女)が、妻(夫)が、親が、兄弟が。。。
人への責任ばかり探さないで、素直に物事を受け入れることが出来ないか。
簡単には無理だろうねぇ。だって精神には物質が関わってくるんだもの。
(精神は、二種類ある。考える精神と感情の精神だ。感情の精神はおそらく、脳内物質がひどく関連している。だからいくら考えて行動しても、スケジュールってのは上手くいかない。感情と物質がどちらが先か。鶏と卵みたいなものだろう。)

僕らが生きているこの世界。
時間が一定じゃない。
次に話すつもりだけど、例えば時間が止まるとする。
でも時間が止まっても時間が止まった分の時間は動いているんだよね。
宇宙と同じくらい大きなものだけど、時間が動いた瞬間(あるいは動いた瞬間)永遠に一瞬に時間の外にある時間が増えていくんだろう。


話は脱線したけど、要するに僕が言いたい事は、受け入れるって大変なことなんだなぁ、と。
存在することって大変なことなんだなぁ、と。
改めて思い知らされました。
宇宙の事を考えて、まさかここに辿り着くなんて思いもよらなかったです。
だからさっき日記で簡単に書いてしまったわけです。


空想にふけるのだっていい。
しかし、数々の有名なファンタジーの中には、やはりいろいろな生への考えが詰まってる。


僕が思うに、現実に通じない理論は何処までいっても屁理屈でしかない。
だって生きているわけでしょ?
生きていることに通じなければ、だれにもそれは通じない。共感されない。
だから言葉で自分の考えを伝えるって事はとても難しい。
今回の日記も、いろいろな考え省いています。
だって書くの面倒くさいしね。
誤字脱字は直すの面倒だし。


取りあえず、当たり前のことを理解することがとても難しい。
みんなそのこと気付いてる?





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Last updated  2006.02.19 22:59:14
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