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通販などでものを購入して送られてきた時に梱包に使われている新聞紙、普通なら一生目にしないようなローカルな新聞だったりするので、そんな時はしわを伸ばして読むのがひそかな楽しみなのですが、1ヶ月ぐらい前でしたか、目が悪いし薄暗かったのでよくわからないながら歌舞伎か文楽かもしれないお姫様みたいな写真が載っていたので、あとでメガネをかけて見ようと置いておきました。外出から帰ってふと見ると、「川崎富作先生の死 ショック」という小見出しが目に飛び込みました。読者の投稿欄でした。検索すると、6月に95歳で亡くなられたということです。川崎富作先生とは、川崎病を発見した小児科医で、日赤を定年退職なさってから80過ぎても開業医として現役でお仕事をされていたことは、以前なんとなく思い立って検索したときに知っていました。90歳過ぎて引退されていたそうです。実は先生が川崎病発見で有名になられる前に、子どもの頃たいへんお世話になっておりました。扁桃腺炎と喘息性気管支炎に交互になっていた私は、母におぶわれてよく日赤病院に通いました。(余談ですが、病院の前にあった、当時シュークリームが評判で遠くの人にまで有名だったビクトリアという洋菓子屋さんに帰りに寄るのが楽しみでした。やわらかい皮にはみ出るほどたっぷりカスタードクリームが入っていました。)その後喘息は起きなくなり、おかげさまですっかり丈夫になりましたが、まだ小児科か、それとも普通の内科かという微妙な年齢になった頃、片側の顎下腺がちょっとぐりぐりして痛くなったので行きつけていた小児科に母に連れられて行きました。一時はこぶとりじいさんみたいに腫れましたが、口内炎から最近がはいったのだろうということでした。回復するまで静脈注射に通ったのですが、なんと川崎先生は病院の始業時間前に来てくださって注射をして、ちょうどお子さんが私の学校の系列の幼稚園に通っていらしたので一緒に車に乗せて送ってくださったのです。数日は続いたと思います。お子さんがちょっと遅刻になるので気の毒だなと思ったのですが。その何年まえか、小学校入学のときに、レントゲン写真を各自病院で撮ってもらって学校に提出する必要があって、日赤病院で撮ってもらったら、写真に小さな✖️印がつけてあるところがあって、母が「これはなんですか?」と聞いたら、先生は、「日赤の川崎が大丈夫だと言っていたと言ってください」と朗々とした大きな声で笑いながらおっしゃったのを覚えています。検索して出てくる写真は笑顔のことが多いですが、実際明るくたのもしい先生でした。ずっと前に放送された川崎病のドキュメンタリーで患者さんの母親が、「いちばんベターでしょう」と先生がおっしゃったと日記に書いていましたが、それが口癖でしたね。中学に進学するのに試験があると母が言った時には、私も国家試験がいやでしたとおっしゃって、親しみを感じたものです。たくさんの病気の子供たちを助け、母親たちをはげまして来られた人生でしたでしょう。どうもありがとうございました。ご冥福を御祈りいたします。
September 12, 2020
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「なぜ世界の半分が飢えるのか」「WTO徹底批判」「オルター・グローバリゼーション」などの著作で知られるスーザン・ジョージさんの講演「グローバル化と社会・金融危機―私たちはどんな世界に向かっているのか―」を聴いてまいりました。スーザン・ジョージさんは現在TNIとATTAC FRANCEで活動していらっしゃいます。 現在、私たちが直面しているのは、1)社会的危機 2)金融危機 3)環境(気候・生物の多様性)の危機 結論を言うと、危機という漢字には機会の機がある、金融危機を逆手に取れば、社会的危機、環境の危機を解決するチャンスにできる、ということです。 それぞれの説明はだいたい以下のとおりです。(聞き違いがあるかも) UNDP(国連開発計画)のデータを見ても、この20年間で各国で格差が拡大している。世界の上位10%の人が80%の富を所有し、世界の人口の半分がわずか1%の富しか所有していない。世界で950万人が37兆ドルの流動資産(投機に使える)を持ち、さらにもうけることができる一方で、世界銀行によると世界の半分が1日2ドル以下で生活している。格差が拡大したのは、規制緩和、政府の役割の縮小、市場の自由化、民営化などの政策を選択してきた結果である。市場原理に任せた方がよいものといけないものがあり、水道、穀物、薬の開発などは任せては行けない。 銀行が合併などにより巨大になり、潰れるとドミノ倒しのように影響が大きいため、政府がお金を出して支えるようになった。そのため、銀行のメンタリティーがなにをしても潰れないのだからというよからぬものになり、サブプライムのような問題を引き起こした。住宅バブルがはじけて投機マネーが食糧に向かった。一般の銀行と投資銀行を一緒にできるようにしてしまったのが、終わりの始まり。 経済も人類も地球に存在しているが、経済システムが肥大化して浸食している。本来生物圏の中に経済があるのに、新自由主義経済では、経済圏の中に生物圏がはいっていると考えるので矛盾が生じる。ある人の言葉によると、生物圏の大きさは決まっているのに、無限に経済圏が成長すると考えるのは気が変な人、さもなければ経済学者。 金融市場を野放しにするなら、社会危機、環境危機は大きくなる。この10年でどう対処するかが分かれ目。環境経済への転換が必要だが、政治家はなかなかわからないので、自分たちが動くことが必要。ケインズは時代遅れと思われているが、不況のときほど政府の介入が必要ということを今もう一度見直すべき。 具体的には・政府が貸し付けしている銀行に、政府は、環境によいプロジェクトを持つ企業に融資したり、環境によいかどうかで利息を変えるよう指導すべき。・投機マネーに対して国際的レベルで課税することが必要。通貨取引税を課せば相当な財源となる。1970年代為替取引は1日800億ドル。現在は3,2兆ドル。・タックスヘイブンをなくすこと。(大企業がタックスヘイブンに逃げ、個人の税負担が重くなっている。大企業の利益と税金は反比例している)・最貧国の債務を帳消しにする 政府がお金の流れを変えることで、社会危機、環境危機を解消できるはずとのことでした。 質問の答えの中で、スーザンさんは、「成長」の意味を考え直すべきとおっしゃいました。ガンを増やせば病院のベッド数も増え、経済効果があるでしょうか?戦争、あるいは戦後の復興はもっと経済効果がある?それは、成長ではなく、破壊です。環境経済の成長率はもっと低いけれど、本来の成長ということでした。 来日された日、スーザンさんは空港で4時間止められたそうです。暴力とは無縁で悪しきグローバリゼーションに反対している(もうひとつのグローバリゼーション=オルターグローバリゼーションを提唱している)彼女に対する処遇によって、かえってG8の本質が見えてくる気がします。
July 1, 2008
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大変遅くなりましたが、前回の日記に続き、9条世界会議では、インドから来日したボーンフリーアートスクールのジョン・デバラシさんのお話を聞きました。 ボーンフリーアートスクールはNGOではなく、個人の運動であり、率いるのは子ども達と若者、ということです。児童労働から解放された子どもたちが、苦しんでいる子ども達を解放することをミッションとしています。世界には2億4600万人の児童労働者がいますが、その50パーセント以上がインドにいます。元児童労働をしていた子ども達はこのアートスクールで芸術をとおして失われた子ども時代を取り戻し、学校に戻ります。子ども達はそこで音楽や美術の才能を開花させています。 会場ではドキュメンタリー「歴史の旅 働く子ども達の歴史を探る」の短縮版が上映されました。 元児童労働者の子ども達が手に手にカメラを持って自転車で出発します。写されたのは インドではポピュラーなお米のお菓子マンダキの工場。古チューブを燃やしてお米を炊いているのですが、そこで働いていて、大釜に落ちて大やけどを負ってなくなった子がいます。決して珍しいことではなく、記録に載らない事故が起きているようです。 マンガン採掘場で粉まみれになって石を砕く幼児。ラップトップや携帯に遣われているそうです。 7歳で結婚している子。 1日にバラを1万本切る子ども。日本にも輸出されています。安売りのバラはこれのようです。 カレーに欠かせないターメリックや唐辛子の収穫にも子ども達が働いています。 親がヤギをもらうかわりに年季奉公で山羊番をしている子ども達。 なぜ子どもが使われるかと言えば、おとなより安いからです。5分の1の賃金だったりします。学校に行くことも遊ぶこともできず、長時間労働を黙々とさせられています。デバラシさんは、これらは、欲深いおとながこどもにしかけるテロ、内戦だと言います。 また、児童労働は戦争と直接関わっている、と言います。インドでは軍事費が8300億ルピーであるのに対し、教育費は1830億ルピー、子ども一人につき年間たった277ルピー(748円)ということです。デバラシさんは、軍事費を減らして教育にまわしてほしい、憲法9条をインドの憲法に取り入れるよう働きかける、と話していました。インドにとって、パキスタンとの関係が平和に重要なので、子ども達はパキスタンを訪問する予定とのことでした。 携帯やコンピューターを使うとき、恋人にロマンチックなバラを贈るとき、私たちを思い出して、という働く子ども達が印象に残っています。 関連サイト働く子どもの「遺産と伝説』キャンペーン児童労働ではありませんが、PFCさんが異文化理解とジャーナリストの使命について、「マイティ・ハート」という映画について教えてくださいました。こちら
May 14, 2008
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明日、文楽東京2月公演が初日を迎えます。それに先立ち、文楽を楽しむ会に行ってまいりました。数十年前、清十郎さん(4代目)が東京公演のたびに人形を持参して後援会のかたたちと交流の会を持っていらして、近ごろ襲名が決まった清之助さんも、そこで文楽と出会われたとのこと。清十郎さん(4代目)は1984年に亡くなりましたが、楽しむ会はその後同じような会を続けたいとの意向で始まったそうです。なお、豊松姓は絶えていましたが、襲名により復活することになりました。以前メトロ文楽で駅員さんが「吉田先生のメトロカード」などと売っていましたが、吉田姓のかたはたくさんいらっしゃるので、それでは誰のことやらわかりません。 清十郎さんの会でいつも左を遣っていらしたのが、1月に亡くなった文吾さんだったとのことで、最初に文吾さんを偲んでエピソードを聞かせていただきました。役に入り込むかたで、小道具を壊してしまったことがあったり、悪いお婆さんを箒でたたく役のときには、本気でたたくので、お婆さん役のかたの手が腫れてしまったうえに、ついにはお婆さんの人形のかしらを操作する糸が切れ、大変な思いをされたとか。ご自分の人気ではなく、文楽の人気を高めるために一生懸命だったそうで、言われてみれば、よく、ロビーでご挨拶なさっている姿をお見かけしました。3年くらい患っていらしたけれど、「しんどい」など愚痴を言わず、最後まで目が輝いていらしたので、周囲の人も弱っていく姿を見てつらい、ということがなかったそうです。本当にいつも張り切っていらっしゃるお元気なかたで、まだまだ拝見できると思っていたのに残念です。でも、本当にお好きな道を一途に歩まれたお幸せな人生だったと思います。合掌 今回は三味線を聞かせていただく番、とのことで、お正月に上演された七福神より、三味線と胡弓、琴、細棹三味線の演奏を中心に聞かせていただきました。曲弾き(高く持ち上げて弾いたり、くるっと回してすぐ続きを弾いたり)的な珍しい演奏もありました。最近ちょっと耳が慣れてしまいましたが、文楽の太棹三味線を聴き始めたころは、なんと斬新に響いたことでしょう。前衛音楽より斬新!と思ったものでした。今でも太棹三味線を聴いていると心が高揚します。「一の糸」みたいなのとは違いますけれど。 2月の演目、「中将姫雪責の段」は、歌舞伎のような様式的な嗜虐美ではなく、親子の情を中心に描かれており、「壺坂霊験記」は小さな劇場でもできるため本公演ではかえって珍しい、「義経千本桜」は今回は狐忠信中心とのことでした。日本芸術文化振興会「2月文楽公演」 なんと、5月には37年ぶりの再演という(といっても誰も見たことも聞いたこともないそうですが)北条秀司作「狐と笛吹き」の上演が決まっているそうで、演出はあの植田紳璽氏です。この作品は10年ほど前に歌舞伎座で見たことがありますが、現代語だとちょっと学芸会みたいだな、と思った記憶しかありません。検索してみたところ、今昔物語を題材にしているとわかりました。美空ひばりさんの映画もあるらしいです。中途半端に古臭いのは嫌だな、などと先入観を持たずに、まあ見てみようかと考えております。
February 7, 2008
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掲載が遅くなってしまいましたが、今年も限りなき義理の愛大作戦が繰り広げられています。日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)というところでチョコレートを買うと、4個入りセット2000円のうち、1600円がイラクのこどもたちの薬代になります。イラクでは劣化ウラン弾の放射能の影響と思われる白血病になったこどもたちがたくさんいます。(湾岸戦争に行った兵士たちもかなり発病しているそうですNHKスペシャル 調査報告・劣化ウラン弾 ~米軍関係者の告発~参照)限りなき義理の愛大作戦へのお申し込みはこちらからJIM-NET
January 26, 2008
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エスペラント語に興味が湧いたので、さっそく本を借りてきました。買っても3日坊主で終わる可能性もあることですし、もっと勉強したくなったら買うことにします。大杉栄は3ヶ月でマスターして学校を開いたそうですが、彼は特別頭がよいのだとしても、自然発生の言語と違って文法も発音も規則的で整然としています。 たとえば、不定冠詞はなくて、定冠詞はlaのみ。男性、女性、複数などの違いはありません。名詞の語尾はo、複数はそれにjがつきます。格は主格のほかには対格(「~を」のような目的語)がありますが、nをつけるだけです。形容詞の語尾はa、副詞の語尾はeです。動詞も人称、単数複数関係ありません。 アクセントは後ろから2番目の音節にあり、発音も規則的なので、これなら録音再生機器が普及していなかった時代でも、比較的簡単に教えたり習ったりしやすかったと思われます。単語はフランス語、ドイツ語、イタリア語、英語などに似ています。 ザメンホフは当時ポーランド領だったリトアニアの、リトアニア人、ロシア人、ポーランド人、ドイツ人、ユダヤ人が混在して住んでいた町にユダヤ人として生まれ、ことばが通じないために諍いが起きるのを見て育ち、世界語を作ろうと考えるようになったそうです。一時イスラエル建国のシオニズムに加わったものの、パレスチナ人を苦しめることに気付いて身を引き、宗教間の橋渡しをする宗教運動を起こしたものの、それもまだ民族主義から抜け切れていないと感じて、ついには、人類人主義にたどりついたということです。人類人主義とは、「自分は人類の一員で他民族に偏見も差別も持たない」という思想です。 日本では二葉亭四迷がロシアでエスペラント語と出会って帰国後入門書を発行してベストセラーになり、岡山で教師をしていたガントレットが独学して通信教育を始め(山田耕筰も弟子だった)、新渡戸稲造がエスペラント語の世界大会に出席するなどして、活気づいたそうです。片山潜や吉野作造の名も見られます。 多様性を認めて交流するための道具として作られたエスペラント語ですが、日本では、日本エスペラント協会の中立性に満足しない人たちが日本プロレタリア・エスペランチスト同盟を作ったり(特高の弾圧により壊滅)、宗教の布教活動に利用しようとした人たち(大本教)がいたり、右翼が日本の中国侵略を正当化するエスペラント語のパンフレットを配ったり、と少しきなくさい歴史があったようです。 けれども、ザメンホフの人類人主義、平和主義は現代にますます必要なのではないでしょうか。それに、インド・ヨーロッパ語族を母国語にする人たちに多少有利とはいえ、中立的で、皆がほぼ平等に、ひたすら交流したい一心で勉強する言語なんて、なんだか楽しいです。 「4時間で覚える地球語エスペラント」小林司/萩原洋子著 白水社
November 28, 2007
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高校のクラス会に出席しました。学年会などもこのところ欠席して、久しぶりだったので、ちょっとこわごわ行きました。傍目からはいいおばさんたちの集団なのでしょうけれど、会って話し始めて一瞬で高校生の頃に戻りました。(最近記憶力に自信がないけれど、忘れていなくてよかった…) 仕事で活躍している人、教職にある人、ボランティアをしている人、子供達に英語を教えている人、病気になって思うように動けないけれど多くを学んだという人、親の介護にいそがしい人、やはり基本的には性格ってそう変わらない、と思いました。民生委員をやっている人もいて、頭が下がります。 先生は米寿になられますが、パソコンを買って、ある年の卒業生のブログで交流を楽しんでいらっしゃるとの事。先生の人生論を伺ったり、こんな真面目で深みのあるクラス会ってそうそうないのではないか、と内心思っていました。「あなたたちはまだ『朱夏』よ。」「『玄冬』って真っ暗だと思っていたけれど、そうでもない」のことばに励まされました。 こんなクラス会のあとはいつも啄木の「友が皆…」の歌を思い出します。懐かしくも、みな真面目で心温かい人たちだと再確認して、嬉しい余韻に浸っているところです。
October 27, 2007
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昨日平和省地球会議「東京シンポジウム」に行きました。防衛省は戦争を考える省なので、平和をつくるための平和省を世界中の国でつくるようにしよう、という運動です。ネパール、ソロモン諸島では既に実現しています。 昨日のシンポジウムの第1部は「世界の平和省創設運動の現状」で、各国の人たちが自国の状況を報告しました。申し訳ありませんが、最初のフィリピンは聞き逃してしまいました。 コスタリカでは、法務省の中に平和省ができることになっています。 カナダでは、5つの政党のうち、新民主党(社会民主)とグリーンの支持をとりつけていて、他の政党も動き出しているそうです。カナダは国連の人権宣言採択のとき、中心的役割を果たし、イギリスにエジプト侵攻を要請されたとき断った経験をしています。 オーストラリアのかたは、平和は良心をもってのみ実現する、と述べ、ひとりひとりに価値があることを認め、多様性を認める必要を説きました。オーストラリアで開催されたピースフォーラムは民主党がサポートし、知事も出席し、さまざまな宗教の人たちが集まったとのこと。持続可能で命を大切にする未来を目指します。 南アフリカのかたは、もっとよく知るために参加したということで、今回「平和のためのアフリカ連合」が結成されたという嬉しいニュースが発表されました。 ルワンダからは国会議員が参加していました。ルワンダには内戦がありましたが、やっと平和が戻ってきたので、生まれてきて、殺される心配をしないで天寿を全うできる社会をつくりたいと話しました。 アメリカの20歳の男性と女性も発言しました。自分達の世代は絆が断ち切られて他の国より暴力が多いけれど、教育により暴力をなくし、つながりを回復したい。平和省の運動はまだ小さいけれど支部が30以上になった。だんだんと広げてゆきたい、ということでした。 居合い道とヴァイオリンのコラボレーションをはさんで、第2部は「平和省ができた世界の未来」でした。プログラムにはディスカッションと書いてありましたが、時間がなくて順番に意見を述べる形になりました。 ルワンダのかたは、インフラ整備などで活躍してくれている日本に非戦の伝統ももたらしてほしい、日本人は政府に憲法9条を取り入れるよう要請したほしい、と言い、フィリピンのかたも、日本政府に世界に9条を広めるようにしてほしい、9条を実践してほしいと語りました。フィリピンでは独裁政権が終わったときにDepartment of Peace ができたけれど、小さいのでもっと大きくしたいそうです。 アメリカのかたは「日本は9条がある美しい国」と話し始めました。アメリカでは平和省をつくろうという法案808を提出しようとしており、平和大学ができたそうです。世界の平和省大臣が連体し、紛争が発展する前に解決するようにすれば持続可能な世界になる。暴力の文化から平和の文化へ変えよう、という発言でした。 「不安を解消するために防衛力を増大させれば他の国を脅かす、強さは平和と近隣とのよい関係から生まれる。偽物の国のプライドに国家予算を使うことは国を弱体化させ、ますます不安を煽る。」「歴史の授業で紛争のことばかりでなく、解決できた例も教えるべき」「平和を仕事にする役人がいない」「現状を変えようとしなければ進歩はない」などの意見がありました。 最後に国連の武装解除の現場で仕事をしていた伊勢崎賢司さんがコメンテーターとして発言しました。「日本を平和主義者だと思っているようだが、それは美しい誤解である。日本は憲法違反のイラク特措法とテロ特措法を通した。今アフガニスタンには国連のISAF(国際治安支援部隊)とアメリカ、NATOのOEFがはいっているが、OEFは兵士の戦死を防ぐために強力な爆弾を投下し、子どもを含む市民を巻き添えにしている。日本人が今考えるべきことは、OEFを直接サポートしているということは、市民を殺す作戦に加担していることになる、ということである。」 フィナーレではイスラエルのかたとパレスチナのかたが一緒に「地球会議宣言」を発表しました。平和省プロジェクトきくちゆみさんのブログ ホームレスの仕事をつくる「ビッグ・イッシュー」77号は平和省特集です。販売員はバックナンバーも持っているので、売っているところを通られたら、ぜひ買ってお読みになってみてください。200円です。
September 27, 2007
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四ツ谷で少し時間をつぶさなければいけなくなりました。コーヒーはたくさん飲んだばかり、お菓子も食べたので甘いものは欲しくないし、書店も休み。どうしようかと思ったら、キリスト教専門のお店だけ開いていました。ちょっと苦手な雰囲気かも、と思いながら入りました。ふと手にとったのは「アッシジのフランチェスコ考」(聖母文庫)。著者の鈴木二郎氏は金城女学校、香蘭女学校で教鞭をとり、1954年に63歳でなくなったかただそうです。 最初の方に、聖フランチェスコが15次十字軍の頃シリアに赴いたといわれている旨が書かれていて、注として次のような詩が引用してありました。聖墓地 アーサー・シアリ・クリップス(フランチェスコはシリア旅行中、イスラム国の王に会って、愛の福音とキリストによる平和とをといたと伝えられている)わたしは神の武装せざる戦士(キリスト)がそこに眠り、そこから去りたもうたところの岩をうがってつくられた墓所を夢見るまこと そこはかぐわしい仮の住居―春のそよ風が吹きいり緑の草のしとねには朝露がきらめいていたしかしながら千二百年をへた後数えがたいほど多くの墓を満たすことによってキリストのむなしい墓を奪い返した十字のしるしの戦士達がかずかず犯した罪ゆえにそこは悪臭を放つにいたったしかるにフランチェスコは友愛に生きることを誓い切なる思いで兄弟太陽のありようを示した彼はキリストのごとく祈った「赦したまえ 彼らはその為すところを 知らざればなり」としかしながらフランチェスコは祈り以上のことを実践した彼はキリストのごとく愛のために捨つる生命を貴しとし生命賭けて回教王に愛を説いた―「キリストによる」というところが、回教の人たちには迷惑かもしれませんが、イスラム教徒もキリストのことは預言者として認めているということですし、なにより非暴力で話し合いに行ったのが事実ならすごいことですね。 本の帯には「異色の研究者が、深い尊敬と愛をこめ、英国系資料を駆使した独自の視点から迫る聖フランチェスコの人間像」とあります。「聖フランチェスコの小さき花」として伝わっている伝説などをもとにした動物との関わり方も書かれています。 聖フランチェスコは、人間が万物を支配すると考える人たちと違い、仏教に通じるところがあるような気がして心惹かれます。
September 10, 2007
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「十代の頃のノートより」という題にしましたが、そのノートはどこかにしまいこまれているのか、処分してしまったのかもわかりません。他に何を書いたかもすっかり忘れてしまいました。ただ、学校の図書館で借りたフランスの詩を集めた本から、1篇の詩を書き写しておいたことだけを覚えています。 それはポール・エリュアールの詩でした。あらゆるものをつぎつぎ挙げて、そこに「わたしは書く きみの名を」というのです。「きみの名」とは?最後に答えがあります。それは「自由」。 もう一度読んでみたいと思って、現代の利器、インターネットで検索すると、詩人であり訳詩者であった大島博光さんというかたのサイトに出会いました。息子さんが作っていらっしゃるサイトです。私の記憶にあった翻訳は違う方のだったかもしれませんが、今読むと、自由の意味もろくにわからなかった頃よりさらに輝いて見えます。寄寓にも、この詩は今年5月に全原稿が見つかってアップされたのだそうです。「大島博光の詩と訳詩を読む」「自由」この詩はパリがナチスに占領されていたころに書かれ、市民たちに勇気と希望を与えたのだそうです。エリュアールは他にも「ゲルニカの勝利」という詩も書いていたのですね。「よき正義(法則)」もこのサイトで知りました。その中の一節を引用させていただきます。水を 光に変える夢を 現実に変える敵を 兄弟に変えるそれが 人間の優しい法則だすばらしい詩なのでぜひお読みになってみてください。大島さんご本人の詩も、まだ全部は読んでいませんが、感動的です。「自由」の原語はこちらLiberteエリュアール本人による朗読You TubeLiberte de Paul Eluard生徒たちの朗読がすてきです。音楽も。
June 1, 2007
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代々木公園のアースデイに行ってまいりました。数年ぶりに代々木公園に行くと、あちこちで、音楽を演奏している音が聞こえ、草の匂いがして、たくさんの人がくつろいでいました。アースデイの会場には、さまざまなブースが出ていました。エコロジー、動物愛護などのNPO、オーガニックコットンのお店、フェアトレードの店、自然派化粧品、エコバンク関連、カフェ、等々…アムネスティも紛争ダイヤモンドのキャンペーンをしていました。紛争ダイヤモンドアクション 六ヶ所村のブースでは、映画に登場したチューリップの絵葉書と、丹精込めて作っている姿が映っていたお米を買いました。対応してくれたきれいなおねえさんも、あの場面でせつなくて泣いてしまったと言っていました。といっても、私が再処理工場に反対なのは、感傷からではなく、毎日放射能を排出する工場が、地元のみならず、海も、空も大地も汚し続けることになるからです。そして毒性の強いプルトニウムがたくさん作られてしまい、核廃棄物が子々孫々までどんどん増えて残されていくからです。どこが美しいのでしょう? 八ッ場ダムのブースでは、大き目の風呂敷を買いました。ネパール(記憶があいまい)の誘拐被害にあった少女のつくったビーズのネックレスとか、インドの?練り香水とか、ついつい衝動買いしました。エコ貯金のところにも寄り、ぶらぶら歩いていたら以前ネットで読んだことのある「お金のいらない国」のコーナーがあったので本を1冊買い、著者がちょうどいらしたのでサインしていただきました。 カフェは食器を事前に借り、食後に返すシステムになっていました。 動物実験の写真や毛皮を取るため殴り殺されるアザラシの赤ちゃんの写真などが目に残ってしまってちょっと気が重いです。地球生物会議ALIVEほか。それでも、重いテーマがあっても、全体としてはやはりお祭っぽく、いろいろな分野で頑張っている人たちがいるのだなあ、とちょっと気分がよくなって帰ってきました。若い人たちが多かったのも嬉しいです。 さて、週明け、また気を引き締めて、自分勝手な国民投票法案を押し通そうとする与党に反対の声を届けなくてはいけませんね。
April 22, 2007
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エコロジーには前から関心がありましたが、ディープ・エコロジーという言葉に出会ったのはごく最近のことです。ちょうど「こころの開発(かいほつ)連続講座」に「ディープ・エコロジー」という講座があったので、行ってみました。こころの開発連続講座 講師は星川淳さん。テーマは「自然という私―― Our True Nature」でした。 私たちは電気をこまめに消しましょうとか、エアコンの設定温度を変えようとか、政府に環境保護を働きかけよう、といいますが、それはなぜなのか?実は人がどう生きるか、に関わっていることなのです。「ディープ・エコロジーとはより深い問いを問うこと」とディープ・エコロジーの先駆者アルネ・ネスは言っているそうです。星川さんにとって「自然」と「自分」が対立するのでなく二元論的なものが一元論になっていって、自然というものが自分である、と考えるようになったころに、ちょうど起こったディープ・エコロジーの思想を知って、自分と同じように感じている人たちがいると感じたのだそうです。 星川さんの子ども時代はちょうど冷戦時代で、核戦争になったら地球は滅びてしまう、飛行機が飛んでいると次の瞬間には核爆弾が落ちてくるかもしれない、と考えていたそうです。繰り返し恐怖を感じているうちに、死を共有する対象が広くなってゆき、すべての生命、すべての人々と生きられる世界をつくりたい、人間が環境に迷惑をかけ、それが人間に跳ね返ってこない世界を作りたい、と思うようになったそうです。 星川さんはアメリカの自然の中でパオのようなもので生活したり、インドで瞑想修練したり、アメリカ先住民の伝承を聞いて歩いたりしたのち、屋久島で著作活動をして家族と暮らしていましたが、2005年末、請われてグリーンピース・ジャパン事務局長に就任。(グリーンピースについては文末に書きます) 「インド起源の仏教やヨガなどはこの世はかりそめ、という考えだが、アメリカ先住民の世界では、この世と先祖の魂の世界がくっついている。オウムの『ポア』だの『解脱』だの、インドのカースト制などは、この世を大事にしないことに根っこがあるのではないか?この世界を正念場と考えなかったら、本当に大事にしようと思わないのではないか?」 屋久島ではおとなしく暮らしていたそうですが、ただ、原生林の伐採など、どうしてもひとこと言わなくては、と思う時には黙っていられなかったそうです。(私が思うに、いろいろな市民運動をしている人は運動をするのが好きとか目立ちたいからやっているのではなく、本当はのどかに暮らしていたいのだけれど、でも、ひとこと言わないわけにはいかないからやっているのではないでしょうか) 「2005年以降、皆で共存できる社会が急速に老化しつつあると考え、屋久島から出てきたが、それはスピリチュアルとは矛盾しない、なぜなら、ジョン・シードの言うように、『現代の最大の祈りは行動すること』だから。」 質問コーナーでグリーンピースに対する疑問がいくつか出されました。星川さんのお答えは、グリーンピースは「環境」と「平和」をテーマにしており、絶対非暴力の立場をとっている。ただ、欧米の非暴力と日本人の非暴力はちょっと概念が違い、欧米ではものを壊すことがあっても人を傷つけなければ非暴力と考えている。派手な行動をするのは、マスコミを通して人々の注目を集めるため。(たしかに何万筆の署名を集めてもあまり効果がないのが現状ですね) 日本の捕鯨を批判するのは、クジラを食べてはいけない、といっているのではなく、サンクチュアリと決められた南極で「調査」という名目で年に800頭ものクジラを捕り、実際には商業ベースに乗せていること、その中には絶滅危惧種が含まれていること、を批判しているのだそうです。伝統を護りたいなら、近海のきれいにして、クジラが来られるようにすべきだが、今日本は信用をなくしてしまったので、近海で捕鯨をしたいと言ってもなかなか認められないだろう、信頼を得る道をさぐらなければ、ということでした。(ところでこの前捕鯨船に暴力行為をしたのは、グリーンピースでなく、別の団体です。その団体をつくった人はグリーンピースに在籍したことがあるけれど、飽き足りずに出て行って別の団体を作ったようです 《筆者heliotorope注》) なんとなく、捕鯨反対というと、ヒステリックに聞こえていたのですが(実際そういう人もいないわけではないけれど)、いろいろよく情報を集めてみないとわからないものだとあらためて思いました。 憲法9条をどう考えますか?という問いには「9条は世界の宝。これまでは神棚にあげていたが、これからは使わなくては」ということでした。
March 9, 2007
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母が昔気に入ってカセットで聞いていた長岡輝子さん朗読のホイヴェルス神父様の詩、今も手にはいるのだろうかと検索していて出会ったサイトです。いろいろな人の祈りを集めてあります。ペインクリニックのお医者様のサイトです。祈り ちなみに母がよく聞いていたのは「最上のわざ」です。
January 25, 2007
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一昨日ちょっとふれた山本譲司さんのお話です。金曜日夜のTBSラジオ「アクセス」にゲスト出演なさったのですが、「累犯障害者」(新潮社)という本にきっと詳しく書かれていることと思いますが、自ら服役した折に「今までの人生でここがいちばん暮らしやすかった」という受刑者のつぶやきに衝撃を受け、今は出所後の障害者の受け入れ施設を作って奔走しています。 山本さんは戦々恐々と塀の中にはいったところ、本当に悪事をやろうとしてやった人は多くなく、知的障害者が多いことに気付いたそうです。罪状は詐欺が多い、といっても、無銭飲食。コンビニで150円のおむすびを盗んだ、というとき、裁判官も執行猶予をつけるか悩むのだそうです。初犯で身元引受人がいれば執行猶予になるのだけれど、いなければ実刑とか。その人たちは釈放されても行くところがないからみたいです。 カウンセラーなど専門家の指導もないまま、受け入れ先もなくて出所しても、また同じ事を繰り返すしかない。取調べのとき、外国人なら通訳がつくけれど、知的障害者には誰もつかない。人の言葉をおうむがえしにしてしまう人、意思の疎通がうまくできない、普通と違う人たちが、そういう人の扱いに慣れていない警察官の取調べでは本当のことが伝えられない恐れがあるのだそうです。中には冤罪ではないか、という人もいたそうです。TBS「アクセス」インターネット対談&Podcastingその日は、知的障害者が女児を歩道橋から投げ落とした事件がテーマでした。 一昨日もリンクしましたがこちらのインタビューをご覧ください。manmo tv インタビュー 山本さんは元衆議院議員、秘書給与流用の詐欺罪で実刑になりました。が、このようなかたが実刑で、かたや家賃0なのに事務所経費として計上したり飲食代に流用している人たちがいまだに政権の中枢にいるとは選挙民として納得できません。
January 22, 2007
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歌舞伎チャンネルで今度封切られる映画「筆子・その愛 ―天使のピアノ―」について市川笑也丈にインタビューをしていました。(「筆子・その愛」 公式サイト) 鹿鳴館の華と謳われた筆子さん(1865年~1944年)は皇后の命により留学、女子教育に携わり、高級官吏と結婚しましたが、夫は若くして亡くなり、お子さんは知的障害を持っていました。クリスチャンである石井亮一氏が開いた日本最初の知的障害者のための学校瀧乃川学園に子どもを預け、学園を援助するようになるうちに、石井氏に共鳴、再婚し、知的障害者の教育に献身するようになります。そして障害児者教育の母と呼ばれるようになりました。 筆子役は常盤貴子さん。石井亮一役が笑也さんです。猿之助歌舞伎で抜擢されて女形の主役を演じてきた笑也丈ですが、映画は初めてで、どちらを向いて台詞を言えばよいのか、「演じずに演じてください」と言われたけれどどういうことなのかと、とまどうことも多かったそうです。 インタビューの中で一番印象に残ったのは 「石井亮一の『この子に一番向いている仕事を探してあげるのが自分たちの仕事』のことばに石井亮一氏の人間性を感じ、自分のことを考えずに人のことを考えられるすごい人だと思った。今の時代は強さを勘違いしているが、本当に強い人とは弱い人を守れる人のこと」というような内容のことばです。石井筆子さんについてはウィキペディア 検索結果のウィキペディアの記事を読んで、戦争というつらい時期を瀧乃川学園が乗り越え今まで続いていると知り、ほっとしました。
January 19, 2007
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明日もあさってもずっとその先も、今までどおり暮らしていれば今のような生活が続いていくと思っている人が多いけれど、そうも言っていられないのだと、もう気付かなくては。 うるとびーずさんが引き合わせてくださった押田成人神父の生き方とことば、ぜひご覧になってみてください。うるとび日記 特に「平和への道」の中の「暴力、幻想というものを容認している限り、平和は来ない。非常に深い根、そういう根に生きている人の言うことをよく聞くこと。そういう人と一緒に歩くの。日本が地獄の子になって、未来永劫みんなの恨みをかっていく国になるのか、最後の時点でもう一回生き延びて、日本のいいところを人々に分かち与えるのか、今本当に岐路なんです。だから、神様の手となって働いている人、その人と本当に協力するように。 これ(「いま戦争はこうして作られる」という本)は、現在操作がどういうふうにして行われているか、どういうふうに湾岸戦争が行われていったか、ということを記したもんであって、操作ということは、背後に操作する何かがあるのね。」を肝に銘じたいと思います。 ゆうべ筑紫徹也さんのNEWS23で地球温暖化の特集がありました。日本ではカエルが冬眠しなくなったり、りんごや米など農作物への影響も出てきているそうです。また、富士山の永久凍土が溶けて崩れており形が変わってしまうかもしれないということです。南極の氷が溶けて白熊がおぼれたり、ペンギンのひなが暑さで死んだり、氷河がどんどん小さくなっている、旱魃でアフリカで伝統的な牧畜をして暮らしてきた人が暮らせなくなって町に移り住まなければならなくなったり、オーストラリアでは農家に自殺者が出ている、等々。このまま行くと水位があがって水没するところも出てきます。 現在環境問題に取り組んで警告の講演を各地でしているゴア元副大統領がゲストでした。「あきらめずに闘うのです」「あまり大きな目標を掲げると挫折してあきらめてしまう人も多いので小さなことでもできることから」と呼びかけていました。ブッシュは京都議定書から抜けてしまいましたが、そのとき、学者の報告書には気候に変動が起きていると明言してあったのに、石油業界から官僚になった人が婉曲に書き換えてしまったのだそうです。ブッシュと共和党の選挙妨害やインチキがなくてこの人が米大統領になっていたら、と思わずにいられません。
January 17, 2007
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ゆうべNHK「あの人に会いたい」アーカイブスで沢村貞子さんのインタビューを放送していました。女優を引退して数年後の収録だと思います。早口でぽんぽんとはぎれよく話す様子は80歳越えても変わりませんでした。 女優になることを決意してプロレタリア演劇にはいったところ、治安維持法*ができて捕まったのだそうです。たいしたことないんですよ、とおっしゃっていましたが、通算1年8ヶ月も拘束されたということです。2度とこういうことはしませんと誓約書を書くように言われたけれど、下町の女にはそんなことできないんですよ、とおっしゃっていました。 新聞記者だった大橋恭彦氏と駆け落ち同然で結婚。独立して雑誌を発行した夫を支え、記者仲間に「奥さんが働いているからいいよな」と言われてかわいそうだから、家では亭主関白にさせていたそうです。生前、お年を召されてから、ふたりで新聞を何紙も読んでいると、どこかに書いていらしたように思います。大橋さんがなくなってから、書いたものが出てきて、やさしくて頭のよい貞子がいて幸せだ、と書いてあったので泣いたそうです。今までそんなこと言われたことがなかったから、と目頭を押さえていました。 「働く人がみんな幸せになれるようにしたいと思ったけれど、何もできませんでした。でも、ひとりだけ幸せにできたと閻魔さまに言います」とおっしゃったとき、なんともいえないいいお顔をしていました。 年齢を重ねるにつれ、権力欲や物欲にとりつかれ醜くなっていく人もいるけれど、逆に美しく華やいでくる人もいますね。 *与党は平成の治安維持法と言われる共謀罪の新設を狙っています。こちらをご覧ください。600以上の犯罪に適用されるとする案を、適用される罪の数を減らして通そうと考えてもいるようですが、前に民主党案を丸呑みにしておいて後で変えればよい、と言っていたことがあったので、信用できません。国際条約の締結に共謀罪の新設そのものが必要ないとも考えられます。暴力団やテロなどには共謀罪的な予防のための法律があります。日本の法体系は犯した罪に対して罰を与えるようになっていますが、やっていないことを罰するような法律をつくることはその根幹を変えることであり、大変大きな問題です。
January 2, 2007
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前後しますが、比較的まとめやすい加藤周一さんの講演会のご報告を先にいたしますね。DVDが出るらしく、撮影していましたので、詳細と正確なところは後ほどそちらをご覧になってください。 駒場の東大に行ってみると、長蛇の人。しかも1列でなく、反対側にも同じような列がありました。900番教室といっても小講堂のように独立しているのですね。会場は満席になり、立ち見のかたも。「知の巨人」とどこかに書いてありましたが、本当にそうだなあ、と思えた講演でした。同時に「ごうかん出来るくらいでなければ日本男児たる資格無し」と言った日本教育再生機構のM氏や「フランス語は数も勘定できない言葉だから国際語として失格」「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なる物はババア」等々数々の暴言を吐く某都知事は辺見庸さんいうところの「贋金」の俗物なのだなあ、とつくづく感じたのでした。 どうして「老人の未来と学生の未来」なのか、というと、日本人の人生で自由の山がふたつあり、それは親の干渉から離れ、会社など集団の圧力を受けない学生時代と、定年退職を迎えてからであり、元気な老人と学生が手を組めば、日本が間違った方へ行くのを止める事ができると考えるからなのだそうです。いつも講演をすると、会場は老人ばかりということが多いが今日は若い人がたくさんいて嬉しい、ということでした。(私も同感) 日本国憲法のふたつの柱は「平和」(9条)と「人権の尊重」(11条以下)であり、現教育基本法には「憲法の精神にのっとって」の文言があります。改憲するということは、海外派兵がさらに行われるようになり、次第に最前線に送られるようになるだろう。米国との軍事同盟が強化されるだろう。すべての戦争は国内と派兵先で人権を破壊する。究極の人権は生存すること。 情勢が変わったから憲法を変えよう、という人たちは、どう変わったのか具体的に言っていない。1. 世界的には湾岸戦争、アフガニスタンなど、テロとの戦いといって、戦争が起きてきた。2. 国内では、新ガイドライン、有事法制(有事とは、戦争をやわらかく言ったことば)など戦争関連の法律が次々作られ、集団的自衛権が議論されている。3. 国旗・国歌の強要、教科書問題、靖国参拝などがある。 この3つの流れはひとつの方向を指している。 ギリシャの昔、戦国の昔から、思想的な正当化や民衆の感情をかりたてることをしない戦争はない。戦争しながら豊かになることはない。国民を洗脳し、人権を低くする。一番の人権は生命、もうひとつは自由。戦争は人を殺す。 9条1項は国際的にもパリ条約やジュネーブ条約など平和に向かっているので珍しくないが、2項はほかにはコスタリカにしかない。2項を廃止すると、現在ひとりも殺していないし殺されてもいない自衛隊が発砲するようになり、大きく違ってしまう。 11条では人権を「永遠の犯すことのできない権利」と規定している。憲法には改憲手続きについても規定があり、改憲を考えに入れてはいるが、人権など憲法の精神を変えるのは「革命」である。ドイツやアメリカの改憲は憲法の精神を先に進めて人権を強化するために技術的な細かいことを変えているのである。 カール・クラウスは「戦争とは虚偽の体系」と言った。虚偽を見破ることが必要だが、それには経験が重要。質問に対する答えとして ロンドンで暮らしたことがあるが、意見が違うのはあたりまえ、とイギリス人は考えていた。日本では、少数意見に対しては説得し、それでもだめだと村八分にして追い出す。意見の違うときの処理のしかたが違い、その歴史は長い。 押し付け憲法がいやなら、今の憲法を護るべき。アメリカ一辺倒なのは、いざというとき守ってもらおうなどの見返りを期待しているのだろうが、アジアで孤立してゆくだろう。もし9条が変われば、中国、韓国の反発は靖国どころではないだろう。対外関係はもっと悪くなる。核武装などしたら、さらに悪くなり、悪循環に陥る。 国民は記憶がなければならない。専門的な議論に引き込もうとするのは、反対を封じるための罠なので、それにはのらず、全体のつながりを批判すべきである。外国の新聞と日本の新聞の誤差を見極める、などすべき。 加藤周一さんの学生時代は赤紙がいつ来るがわからないことを除けば医学部は比較的自由だったが、情報の獲得の自由が次第に制限されていくのがわかった。支那事変の議論などが雑誌に載っていたのがどんどん少なくなり、反対の論文を書いた人の記事は映画評論などばかりになり、次にその人の名が現れたのは逮捕されたというニュースだった。海外のニュースも激減した。 隣の席の初対面のかたが「これだけの人は他にいませんよ」とおっしゃっていました。「余人にかえがたい」とは、こういうときに使うことばですよね。
December 9, 2006
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名前はよく見るけれど、あまりポップスは聴かないのでよく知らなかった平原綾香さんですが、木曜日、ラジオを聞いていたら、とてもすてきなことを話していました。 正確なそのままのことばではありませんが、「聞いた人が幸せになれる音楽をつくりたい、幸せになったら、他の人にもやさしくしたくなる。幸せの連鎖を作りたい」 お母様に、話すときは歌うように話しなさい、そうしたら、怒ってどなったり、嫌なことを言ったりしないでしょう?と教えられたそうです。すてきな母子ですね。 よく、子どもを虐待する親は、自分も子供の頃虐待されて育った、とか、いじめっ子はいじめられたことがある、とか聞きます。幸せでないから、人を苛めたくなるのでしょう。いじめをする子を学校に来させるな、とか、厳しく罰しようという声もありますが、それで解決するのでしょうか。もともと暴力で不満やストレスを発散しようとする傾向の子をただ締め出したら、暴力団などにはいるしか、道がなくなってしまうのではないでしょうか。 幸せでないから、ものごとがうまくいかないからと、人にあたってはいけないということと、どうやったら乗り越えていかれるのかを、本人が心から納得するようにわからせるには、どうしたらよいのでしょうね。校長や教師が上ばかり見ているような制度になっては、ますます解決から遠のきそうに思います。現行の教育基本法の方が『改正』案よりずっと子どもに対する慈愛があるのですから、変えずに生かすべきだと思います。
November 25, 2006
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この前BBCのノーベル平和賞受賞者による座談会に出演していた、リゴベルタ・メンチュウさん、受賞当時、書店で「私の名はリゴベルタ・メンチュウ」という本を見かけていましたが、手に取ることがなく、どんな人なのか知りませんでした。書店にちょっと古びて紙がやけていたけれど「先住民族女性リゴベルタ・メンチュウの挑戦」(岩波ブックレットNo.342)があったので、買ってみました。岩波ブックレットは薄くて読みやすく、新聞やテレビなどが表面をかすめるだけの時事問題も掘り下げているのでおすすめです。 リゴベルタ・メンチュウはグアテマラの貧しい先住民族農民の娘として生まれました。グアテマラは、マヤ系先住民族が全人口の60%以上を占めています。スペインから独立しても、先住民族の政治的参加はなく、輸出産業として導入されたコーヒー栽培の労働力として駆り出されました。コーヒー農園に共有地も奪われました。20世紀にはアメリカ資本のバナナ栽培が拡大し、ユナイテッド・フルーツ社が可耕地の半分を所有するまでになります。耕作地の70%以上が2%の人たちの手に集中し、農民の57%は度地を持っていませんでした。 アルベンス政権が発足し、大土地所有制を解体し、小農の創出をめざす農地改革法を成立させました。(1952年)ところが、既得権益を奪われる勢力がCIAの援助でクーデターを起こし、軍部が政治に介入するようになりました。 リゴベルタは子供時代、家族ぐるみで1年の半分以上をコーヒーや綿花のプランテーションで働きました。プランテーションでの労働は低賃金の上、農薬被害や性的虐待の例も多かったそうです。1970年代、マヤ民族主義運動が高揚してきましたが、軍部は弾圧をもって応えました。最初はリーダーを「殺人部隊」が殺し、次第に焦土作戦で440の村が焼き払われ、数万人が殺され、多数の難民を生み出しました。リゴベルタの両親、兄弟も殺されました。 1981年、米国の資金援助で創設された協同組合局の長官に大統領の弟ベネディクト・ルカス・ガルシーアが就任し、反乱鎮圧キャンペーンを行い、掃討作戦を実施、復興計画として「モデル村」をつくって先住民族を土地と共同体から引き離し、自警団を作って男性を強制的に徴用し、同じ先住民族を抑圧させていますが、それは同時に無償なため、農村部の経済を破壊してもいます。それに対し、「抵抗の共同体(CPR)」の人たちは山中に暮らし、非武装市民としての政府の認知を要求していますが、軍により迫害が続いています。(1994年現在)また、暗殺、行方不明、過酷な労働で連れ合いをうばわれた寡婦のグループが生まれました。(コナビグア 連れ合いを奪われた女たちの会) リゴベルタは亡命を余儀なくされますが、各国の抑圧された先住民族と連体し、国連に働きかけまてきました。国連に人権の国際監視機関としての役割を期待するからです。けれども、同時に国連はこれまで先住民族を抑圧してきた政府の集まりでもあるので、先住民どうしの協力と長期戦略が必要だということです。 リゴベルタのことばより「紛争はやめようと多くの人びとがいいます。しかしなぜそういった紛争がおきたのか、そしてなぜ人々が自分の意見を表明するために、要求を明らかにするために武器をとらなければならないのか、あるいはなぜ権力の手に武器が蓄えられているのか、そういった意味を追求しようとする人びとがあまりに少ないのが現状です。今日、先住民族やマイノリティ、弾圧の犠牲者、女性や連れ合いを奪われた女たち、難民、子供たちの完全な参加なしには世界が抱える深刻な問題は一つとして解決されないことを私たちは明確に理解しています」「私たち先住民族は、生命、宇宙、男、女、そして自然について、『西洋』世界とは完全に異なるとらえかたをします。大地は、世界の野心的な人びとが望むような鉱物、石油その他の経済的な資源以上のものです。父なる太陽、母なる大地、祖母なる月は、生活と精神のすべてにかかわる存在です。」「私は、多くの人びとが問題に気付き、人権を求める闘いに参加し、連帯を深めてゆくのでなければ、平和賞も国際先住民族年も意味をもたないと考えます。連帯というのは、今ここで私たちがお互いに知り合うことだけではなくて、これからどんな仕事を将来に向かってしていけるのか、そしてお互いの責任をお互いに認め合う、感じあうこと、これが連帯の一つのあり方だと思っています。どんな小さいところからでも世界hあもっと公平になれるんだと信じつつ仕事を続けていったなら、きっといつの日かその日が訪れるでしょう」 グアテマラのプランテーションでは朝6時から夜7時まで辛い労働をしてたった1ドルしかもらえなかったリゴベルタは100万ドルの平和賞賞金を最大限有効に使おうと平和賞オフィスと、父の名をとったビセンテ・メンチュウ基金を創設しました。 広い視野を持つリゴベルタは先住民族だけでなく、世界のあらゆる人権問題へのかかわりを期待され、ノーベル平和賞受賞の際は、ノルウェー外務省は次のように評価したそうです。「今日、リゴベルタ・メンチュウは、彼女自身の国、アメリカ大陸、そして世界に置いて、民族の違い、文化の違い、社会背景の違いをこえば平和と和解のあざやかなシンボルとして傑出しております」 検索してみたところ、その後もグアテマラの状況はまだよくなっていないようです。反差別国際運動
October 16, 2006
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ノーベル平和賞がバングラデシュのグラミン銀行と総裁に決まったそうです。グラミン銀行のことは知らなかったのですが、女性たちに無担保で少額を貸付け、貧困から脱出する手がかりを与える事業だそうです。貧民銀行「お茶の間から世界を変えよう」のメルマガもさっそく申し込みました。
October 13, 2006
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先週、BBCでノーベル平和賞の受賞者たちによる座談会を放送していました。そんなプログラムがあることを知っていて最初から見ればよかったのですが、またしても、たまたまテレビをつけたらやっていたのでした。メモもしていないので、出席者もリゴベルタ・メンチュウさんとコスタリカのアリアス大統領ぐらいしか分かりません。印象に残ったことばをメモがわりに挙げておきます。「問題を見て何もしないなら、あなたが問題になってしまいます」(耳が痛いことばです)「統治者を選んだ責任 ― 独裁者もたいてい選挙で登場するのだから」(これは、アリアス大統領のことば。たとえば誰?と聞かれヒットラーとか…と答えたところ、だれかが「ブッシュ?」と言い、「それには答えません」と返していました。)「21世紀は物質主義を捨て、20世紀と違う世紀に」「金融資本主義から人道資本主義へ」「一番悪いのは、武器を作って売るひと。戦争理論を作る人も悪い」
October 8, 2006
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20世紀の始め、デンマークに、こんな法律案を作った人がいたそうです。フリッツ・フォルムという陸軍大将で、各国がこの法案を採用すれば戦争がなくなること受け合い、と提案したそうです。一般人ではなく、軍人だったというところに、重みがありますね。「戦争絶滅受合い法案」 戦争行為の開始または宣戦布告の効力の生じたる後10時間以内に次の処置をとるべきこと。即ち下の各項に該当するものを最下級の兵卒として招集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。1.国家の元首。ただし君主たると大統領たるとを問わず、最も男子たること。2.国家の元首の男性の親族にして16歳に達っせる者。3.総理大臣、及び各国務大臣、ならびに次官。4.国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。ただし戦争に反対の投票をなしたるものは之を除く。5.キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。 上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として招集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態を斟酌すべからず。ただし健康状態に就いては招集後軍医官の検査を受けしむべし。以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦または使役婦として招集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。 あわてて入院という抜け道も許さないところもさすがですね。どなたかのブログでも見かけたことがありますが、「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(日本評論社)に載っていました。 ところで、今の日本で良心に従って行動しているキリスト教の牧師さんが逮捕されたというニュースをうるとびーずさんのところで知りました。辺野古の阻止行動を中心的に担ってきただけでなく、一連の不当逮捕事件に対する抗議や救出にもいつも全力で立ち向かってこられたかただそうです。
September 26, 2006
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yohkoさんのところで知った会です。ヨハン・ガルトゥング氏によって設立された平和的手段による紛争転換の方法を研究するNGOだそうです。トランセンド研究会 国内に不満や不安があるとき、国民は勇ましげなことを言う政治家を支持したがります。マスコミは危機を煽ると売り上げが上がるので、煽りたがります。(第2次大戦前、戦争になると新聞が売れるからと新聞社は煽ったそうです。そのうち言論統制が始まり、書きたいことも書けなくなってしまいました)でも外交は自分の主張ばかり声を張り上げていても、成り立ちません。1歩譲って相手から数歩の譲歩を引き出すことを目指すもの、と思っていましたが、もっと双方に不満が残らず、後に紛争が再燃しない方法をさぐることができるなら、それが一番です。
September 9, 2006
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途中から少しだけなのですが、NHK教育テレビ「知るを楽しむ」で京セラ創業者稲盛和夫氏のシリーズから「何のために生きるのか」を見ました。 稲盛さんは、仏教に帰依なさっているそうです。自分も努力をしているが、それでも、自分がお金持ちになる必然性はない、富は社会から預かっているものだ、という言葉に感銘を受けました。そのような考えで、社会に貢献することを考えるようになり、京都賞や稲盛財団など創設したり、若い経営者の悩みに耳を傾ける機会を作ったりなさっているそうです。 ふと思ったのですけれど、ものを買うときには、品質や自分の目的に合うかを見ると同時に、その会社の姿勢、経営者の価値観も考慮に入れて選ぶべきなのではないかしら。今までも、食べ物は真面目に作っている人たちのものを買いたいと思って、なるべく低農薬とか、素性がわかっているものを選んでいましたが、他のものも同じことですよね。 4回のシリーズだったようで、他の回も見ればよかった。
August 31, 2006
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