投資逍遥

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2006/10/01
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カテゴリ: 聖書に親しむ
聖書を通読中ですが、今回は『民数記』の感想文を書きます。
私の聖書通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。
今のところは順調ですが、まだ16巻目にすぎません。
なお、 前回の『レビ記』 は旧約聖書のモーセ5書に分類されていますが、今回の『民数記』もモーセ5書のうちの1巻になります。

以下に、 【この本からの引用】 【上記の感想】 という形で、少々書いてみます。


【この本からの引用】

自分たちのために幾つかの町を選んで逃れの町とし、過って人を殺した者が逃げ込むことができるようにしなさい。
町は、復讐する者からの逃れのために、あなたたちに用いられるであろう。
人を殺した者が共同体の前に立って裁きを受ける前に、殺されることのないためである。(35章11-12節)

【上記の感想】

北方謙三の小説に『逃れの街』がありますが、私はこの作品を読んだことがあります。
残念ながら内容はすっかり忘れてしまいましたが、なぜかタイトルはよく覚えています。
それはともかく、逃れの町という言葉が、聖書で使われていたのは、新たな発見でした。

過って殺人を犯した者が逃げ込めるように逃れの町を作るのは、裁判を受ける前に復讐により殺されるのを防ぐのが目的のようです。
3000年前に裁判制度や刑務所の原点があったわけで、神妙な気持ちになります。

ある牧師の説教を読んでみると、「罪人がイエス様を逃れの町として、救いを求めることの暗示ではないでしょうか。この逃れの町のことは、私たちがイエス様の十字架の贖いによって、罪の赦しを与えられることの型と見ることができます」と書かれています。
つまり、殺人を犯すことは稀にしても、無意識のうちに人の心を傷つけるなどの罪を犯していることが非常に多い。
つまり誰しもが罪人であるわけで、その罪の告白と悔い改めをして、救われようという感じだと思います。


【この本からの引用】

エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。
今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。(11章5-6節)

【上記の感想】

人間とは不満を持ちやすいものだなと思います。
私自身9月に転職したばかりなのに、採用してもらった感謝の気持ちは少なくなり、逆に不満な気持ちが募ってくるという状態です(笑)。
まあ、こういった気持ちは3000年前の人々も同様であったようで、自己嫌悪に陥る必要はないと言えそうです(苦笑)。

前の会社ではもっとのんびりできたのになあ、残業はほとんどなかったのになあ、なかなか正式な配属先が決まらないなあ、などのくだらない不満。
こんなことではいけないと思いつつも、3000年前の人々とつながる自分に安心感を抱いております。





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Last updated  2006/10/01 04:11:01 PM
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