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年齢を重ねると共に、職場での自分の言動の影響力が増していることを実感する。自分の言葉一つで、他人をポジティブにも、ネガティブにもできるのだ。最近、自分の意図と反してネガティブに受け取られる事例が立て続けに起こっていて反省している。自分はあまり嘘をつくのは苦手なので、つい本当のことをそのまま説明してしまう所がある。本心は時に隠すべきなのだ。良い方向へ持って行く為には。その代わり決断は、水面下で静かに行われる様になるだろう。
2024.11.22
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信頼関係を築くのは時間がかかるけれど、崩れるのは一瞬。一度壊してしまったものは修復するのは簡単な事では無い。だから壊さない様に、優しく大切にする必要がある。
2024.11.15
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子供が生まれてから 自分の為の時間は限りなく制限された自分にとって本当に必要なもの 大切なものだけを見ることにした見るもの全てが新しい君と 同じ目線に立つことで忘れかけた純粋さを 思い出す旅をしているようだ過去を振り返れば 後悔や心残りはたくさんあるけれど君の汚れなき真っ直ぐな愛情に心が洗われる これからの君の未来が 光で満たされることを願い迷いなく示される指針に従うのも 悪い気分じゃないんだよ不完全さと未来の可能性は 常に背中合わせで君の刹那に閃く才能を捕まえて 大空へ羽ばたかせたい
2024.05.30
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子供が立つ子供が歩く子供が話す小さな変化の一つ一つが宝物の様に喜びが溢れる自分の自由は失われるけれどそれ以上の余りある喜びに満たされる今だけの苦労もあれば今だけの喜びもあるのだろう悔いのない様に現在いう時間をきみと生きる
2018.09.23
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美輪明宏さんの語る「無償の愛」というモノにどこか憧れがあった。自分の命よりも大切な存在? ってどんなものだろうと。子供が生まれた時に、きっとその感覚が得られるのではないかと期待していたが、現実はそうでも無かった。母乳を欲し、排尿排便し、睡眠を取る。を繰り返すその存在は、人間というよりは動物。父親より母が第一優先であり、そんな存在を前に想像していた「無償の愛」の実感は得られず。そんな自分がどこか後ろめたい気持ちに襲われた。子供が1歳半になった。一緒にご飯を食べたり、オモチャで遊んだり、お散歩したり、時々「パパ」という言葉も言う様にもなった。仕事から早く帰って、子供がまだ起きていて、嬉しそうな笑顔を見せてくれる瞬間に至福を感じる様になった。そうした日常の積み重ね。少しずつ成長して行く過程を見て。少しずつ愛着が膨らんで行く。私には自分が幸せで充実している姿を見せる事こそ大切だと信念があって、そうした生き方を見せる事で子供にとって一番のお手本でありたい。だから、子供の為にすべてを犠牲にするという発想はあり得ないけれど、ある時ふとこの子が命の危険に晒された時に、私の命を引き換えに助かる時にどうするか?と自分の胸に問いただしてみた。今なら答えに迷うことは無い。きっとこの感覚が「無償の愛」なんじゃないか。ようやく宝箱のカギが解けたと。そんな実感を得た。
2018.02.06
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何か良いのか悪いのか分からなくても上手にできなくて誰かに見下されても僕は前進し続けて来た誰かを傷つけたり傷つけられたり色々な事があるけれども僕はとにかく前進し続けていて前よりも少し何かが上手になったり誰かの役に立ったりを繰り返している内に次第に周りの見る目も変わり始めるこのブログのタイトルであるI'm gonna keep on walkin' just like a turtle !は歌手の槇原敬之さんの歌の一節で「私は亀の様に歩き続ける」と言う意味で私には突出した才能はないかも知れませんがしいて長所をあげるとするのであれば地道に「前に歩き続けるチカラ」なのだと思う
2017.07.23
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先月、子供が無事に産まれました。里帰り出産なので、まだ毎日は会えませんが、子供はとても可愛いです♪僕が持っているモノ、知っているモノ、は全て与えたい。そして、何事も自らの頭を考え、新しい価値観やルールを創り上げて行けるような子供に、育って欲しいと思う。
2016.08.30
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もうすぐ子供が生まれる。自分の与えられるものはすべて与えて、自分の頭で考え、自ら新しいルールを作って、時代を動かして行ける様な人間に育って欲しい。
2016.06.26
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苫米地英人著「立ち読みしなさい!」の中で、『価値のある情報を発信する事で情報や人が集まって来る』という内容があるのだが、自分は自分が得た技術や情報を出し惜しみしてしまう所がある。そうした価値のある情報によって、人が集まって来てコミュニティーが生まれる。その先に、どんなものが帰って来るのだろうか。まだ自分にはそのイメージ沸かない。
2014.09.23
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しばらく指示をする立場の仕事が中心だったけれど、改めて作業者の立場になると見えて来るものがあり、勉強になったので下記に備忘録として。------------------------------------------------------------------------------------■曖昧なイメージ伝達の不安定さ曖昧な状態のイメージの伝達は、指示する者は想像よりも遥かに距離感があり、作業者の認識しているベクトルはかなり不安定な状態。着地点はまず一致していないと考える方が無難。確実に求める成果物を上げてもらうには、ワークフローを詳細まで明確にして伝える事が必要。また状況に応じて、作業者に完全に委ねてしまうという選択肢もある。■修正指示の言葉の影響力指示者の言葉の影響力を馬鹿にしてはいけない。作業者は直近に受け取った言葉によって、ベクトル軌道が大きく変化する。また、指示者は自分の頭の中に最終イメージを置いたまま発言を行うが、聞く側はイメージが無い状態で言葉を受け取る。つまり、指示者の話す言葉が、受け手に同じ意味として伝わらない可能性が高いので、相手の目線で言葉を選ぶ必要が出て来る。また作業者は、指示した人間が考えているよりも、何倍も重要な言葉として受け取ってしまいかねないので細心の注意が必要。作業途中の修正指示などを行う際は、着地点のイメージの摺り合わせを再度行うのが良いだろう。修正指示を受けた作業車の頭の中のイメージは、一度シェイクされて不安定な状態であると考える。その状況の理解と、着地点のイメージの摺り合わせるコミュニケーションを面倒だと思わずに丁寧に行う事が最終的には良い結果につながる。「たぶん」分かるだろう。「たぶん」大丈夫だろう。など「たぶん」が付く時は、まず大丈夫ではないと考えた方が良い。■イメージの共有が上手く行かない時つい作業者の責任にしてしまいそうになるが、振り返るとゴールのイメージや、作業指示が曖昧な場合に上手く行かない事が多いので、指示する者にも責任があると考える。少しでも曖昧な部分を無くし、イメージを共有する為のコミュニケーションを出来るだけ行う努力が必要。------------------------------------------------------------------------------------
2014.08.21
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絵を描いていて 気色の悪さに襲われた絵を描くという行為に対する込み上げる不快感煩悩に囚われて 純度を汚した罰なのだろう一度清めた純度の泉 間違いは体が教えてくれる
2014.07.07
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CGを使うから綺麗な絵や上手な絵が描けると勘違いをしている人がいるけど、実際はただの道具の一つであって、CGを使おうがどんな画材を使おうが、実際は頭の中に蓄積された知識や技術や経験値以上のものは描けない。水彩画しか描いたことがない人が、すぐには油絵用の道具を使いこなす事ができないように、パソコンに全く触れたことが無い人にはツールも全く使いこなせない訳で。ただ絵は見る人の先入観で価値が査定される節があり、デジタルよりもアナログの絵のほうがありがたがられる風潮があるから、日々デジタル絵画の技術を磨いている自分にはがっくりとさせられる時がある。ただ複製できない希少価値という点で、アナログの価値が上がるのは理解できるので、デジタルの絵も完成した絵をプリントアウトと同時に消去すれば対等に扱ってもらえるのだろうか。
2014.06.22
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『銀河鉄道の夜』 このアニメの静かで幻想的な世界観がとても好きです。特に音楽が良くて、サントラを見つけたのでさっそく購入。 そこで作曲者は「はっぴいえんど」の細野晴臣さんだったと初めて知った!! さずがだなぁと関心。「はっぴいえんど」の『風をあつめて』という曲を初めて聞いた時は、思わず情景や空気感が立ち上る詩や曲が良くて、たいそう感動したものだった。<オリジナル>http://www.youtube.com/watch?v=1rZNPB9IBow<カバー>http://www.youtube.com/watch?v=bpm1OTELrA8#t=163
2014.03.08
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興味を得れば とことん のめり込み。興味を得れば とことん 突き詰める。 興味が無ければ とことん 無関心で。興味が失えば とことん 遠ざかる。 僕はそんな 極端な性格だから。 貴重な出会いに ありがとう。 湧き上がる衝動に ありがとう。 枯れない情熱に ありがとう。
2014.03.05
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気配に魅せらて 糸口はそっと指に触れ 引いた途端に 胸にまで染み入る 一つの断片的な情報によって これまで理解できなかった情報が 一気に組み合わさる感覚一夜城のごとく 景色は一変するから面白い
2014.02.14
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頭の中に 思い描いた世界 、 望んだ世界 は、僕の場合は1~2年くらいかけて足元まで流れて来る感覚がある。何も思い描かなければ。 何も望まなければ。 何もここへは流れて来ない。焦らず 信じ ただ望む こと。 それだけで良い。 自ずと体は動き出す。
2014.02.07
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レオナルド・ダ・ヴィンチは人の絵を描く為に人体を解剖し、ピーターラビットの作者であるビアトリクス・ポターは兎の絵を描く為に兎を解剖した。そこから得られた「情報量」によって、絵の迫真性は大きく飛躍したと思う。哲学者のカントは「手は外部の脳である」と言ったそうだが、「絵」を描く事と「脳」=「情報量」は密接に関連していると考えられる。 圧倒的な情報量で以て作られた作品・・ 作ってみたい。 絶対に凄いものが出来るという、確信があるから目指したい。
2014.02.07
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かざせばは旗しか目もくれず角を付き立て 荒ぶる牛よ旗手の心臓 貫いたあぁ 楽しや あぁ 悲しや
2014.02.05
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子供が 親の愛情 を 試す かの様な 破壊衝動幾重もの 絶望 と 幻滅 の果てに見る 光 を求めて
2014.02.03
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他人にイメージを伝え、共有するのは難しい。仕事を通してつくづくそう思う。グラフィックの修正後のイメージは、往々にして感覚的なものでもあり、それを言葉にして伝える必要があるのだが、どれだけ言葉にしても感覚的な部分を相手が体感として理解できていないと、いくら言葉で伝えても望んでいるアウトプットはされない。ありがちなのは、指示する側は既に自分が持っている情報を前提に言葉にして伝えてしまい、受け手はその前情報を持っていない為にその言葉が全く理解できずに誤解を招く。そして、そのズレたその結果を請けて愕然としながら、自分で直すか、相手が機械のごとく1cm単位、1フレーム単位の修正まで指示をしたりして、無理やり合わせに行ったりするのである。相手は理解できない作業を言われるがままにしなければいけないので苛々しだすが、こちらも共有できない虚しさや、無力感に苛まれながら指示をしていたりするのである。言葉にする力を磨くのは大事だとして、それでもどうしても埋められない感覚の溝は確実にある。突き詰めれは、完璧ではないにしても、個人間の感覚のズレを刷り合わせに行く方法は色々とあるだろうけれど、常にタイトなスケジュールに追われる職場でそこに時間や手間を割く余裕はなく、何よりそれだけ根気のいる作業に取り組むだけの「やる気」が、誰に対してでも湧いて来る訳ではない、というのが正直な所かも知れない。
2014.02.02
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デッサンを勉強していた時に、実物のモチーフと比べて、写真をトレースした絵は、どうしても立体感や奥行き、空気感に欠けてしまうという感覚があった。人間は通常2つの眼球で物を見ていて、2つの視点を脳内で統合して物を認識している。だからデッサンは描き手の、統合された情報の投影であると言える。つまり、写真は1つの視点の情報のみしか汲み取れないのに対し、両目で見た場合は2つの視点による情報が受け取る事が出来るので、必然的により臨場感のある絵が描ける。情報という点で言えば、視点の数だけではなく、その時の「明るさ」「音」「温度」「匂い」「空気感」など、そこに存在するあらゆる微細な情報の全てが、アウトプットされる結果に反映されているのだと思う。そうした様々な情報をとことん詰め込み、リアリティを追求したモノがリアリズム絵画。平面的なキャンバスにに、臨場感と現実を超えた普遍性を宿らせる。http://www.gei-shin.co.jp/books/ISBN978-4-87586-190-4.html
2014.02.02
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Tシャツ制作を通して、他人に気を使って、中途半端な気持ちでの関わりは、とても失礼で、不快で、虚しいものだと感じる様になった。責任感や、罪悪感から来る、強制力 に縛られない事。心からやりたいと思える事にのみ、真正面から向き合う事。 行動を選ぶ権利と自由は個々人にあるのだから。
2014.01.30
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都合の良いものは、都合の良いまま、力弱り死にゆく。その程度のものだったと、諦める。額をはめれば、額面の中にしか目は行かず。土台の壁や、留め具の存在には目もくれず。サンドバッグは破れてこぼれた
2014.01.30
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インプットに対して、どんなアウトプットがあるのか。 時々、相手を試してみたくなる。自分に対しても、敢えてキッチュなインプットをしてみて、そのアウトプットでを心根を確認したりもする。ピュアなアウトプットこそ、真実であり、全ての答えはそこにあるとさえ思う。
2014.01.30
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Y字路のどちらか進めば 一つだけ 走り出したら急には止まれず
2014.01.27
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東京から北海道へ行きたいのに、東や西へ向かったらいつまでもたどり着けない。ブラジルだったら、東でも西でもどちらでも良いかもしれないけれど、北や南ではたどり着けない。目標があるのなら、どの方向へ向かうのか、という事はとても重要。
2014.01.25
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「 この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一歩が道となり その一歩が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ 」 一休宗純本当にこの道で良いのか。己に問う。その一歩の踏み込む先を。
2014.01.24
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実力 と 好感度 ・・ 水と油のごとく、評価を大きく二分するもの。好感度はマジョリティ。 実力はマイノリティな評価に偏りがちで。いつの時代も、マジョリティが圧倒的な力を持ってしまう。例えば、フェルメールの絵画で「真珠の首飾りの女」という絵が人気が高いが、絵に注がれた時間や手間を考えれば「牛乳を注ぐ女」という絵の方が圧倒的にクオリティは高い。他人の評価とは「心」が動いたかどうかで決まる。 「真珠の首飾りの女」は、その瞳で多くの人々の心を魅了し、好感度を得た。でも、絵の専門の知識のある人間が見れば、「牛乳を注ぐ女」の方にこそ圧倒的に魅了される訳である。 作り手は、自分が「何」を欲するか。 それを明確に持っていないと、この二極のエレメントにどこまでも惑わされるだろう。
2014.01.24
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僕は ゆく末 はできるだけ 遠く を見た方が良いと思っている。自分が想像しうる 可能な限り 遠く まで。そして そこから足元までの路を削り その方角 を照らす。 実現しうる目標は それ以上 先への世界を 閉ざしてしまう。閉ざしてしまえば 可能性すら見えなくなって しまうから。遥か 彼方へ 飛び立つ為の 遠心力 を。そして あらゆる 現実 は、その道すがら。
2014.01.22
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目標の羅針盤が動き始めた時は 心が落ち着かない・・どこに定まるのか、最中は様子を窺うしかならず 他人が関わるものは 思うままには行かないもので 定まる時 その時は 静かに静かに受け入れよう 根底に抱えている 目標は変わらないのだから その道しるべを見直す時 今が最も大事な時 ここで見誤るわけには 絶対に行かないのです
2014.01.22
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この貴重な灼熱の30代を 捧げる程のものはありや
2014.01.21
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脳に焼き込まれた様な、強烈な印象それに出会う瞬間はとても貴重でその刹那、時が経つのも悪くないと記憶が薄れる前に、イメージをラフスケッチ。
2014.01.18
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過去の自分が見た『未来の世界』が現在に重なった。それは思っていたよりも遠くにあったみたいだけれど。それでも、ちゃんとここまで流れ着いてくれた。そして、それもすぐに過去の思い出となり。先に目をやれば、また薄ぼんやりと。その内の一つは もうずっと昔から眺めていた世界の様にも思える。星の光のごとく遥か遠くにある眩い光なのかも知れない。目を背けないようにしていたら、またここまで来てくれるよね。
2014.01.18
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自分はどれだけ経験や技術を積んでも、高圧的で偉そうな人間には絶対にならない。そういう人間を見ると鼻っ柱を折って、叩き落としたくなる。まぁ大抵は返り討ちに合うのだが、無抵抗に従う奴隷の様な人間にだけは絶対にならない。 反面教師にして、反骨心でもって自分の成長につなげる!!
2014.01.15
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僕は他人といる時は、引っ込み思案でつい相手の様子をうかがう癖がある。だけど、思いを言葉にしない事や、遠慮をする事で、仲良くしていたいと思う人が不愉快に感じてしまうのを感じて、性格を本気で変えたいと思った。今年はできるだけ、自分の感じた事を言葉にして伝えたいと思う。
2014.01.15
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相手が言っている事が理解できない、相手が見えているものが自分には見えない、という経験は、少なからずあるだろう。僕にとっては、レイアウトに於ける「1cm」のズレは、大きい違和感に見えて、それを大した問題ではないと言われてしまうと、その時点で理解し合うのは難しい。相手はそもそもその違和感を感じられていないし、ズレが見えていないのだから、そうなると自分で直すか、「1cm」「1mm」単位の修正要望を出すしかなくなる。後者には、感覚的なものを「理屈」で考え、「言語化」し、相手に「伝える」というプロセスが必要で、それは面倒で難しい作業ではあるけれど、技術をより理解する為の勉強だと思って、意識的に取り組んで行こうと思う
2014.01.10
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そろそろ子供ができるかもしれないという状況になり、親類や友人と仲良くしたいと思うようになった。それは、今後の人生において、子供の環境を少しでも良くして置きたいと、考える様になったからだと思う。仄かに自分のやましさに呆れながらも、親の気持ちが少し理解できた。
2013.12.30
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ぼーっとTVばかり見ている年末。体は何もしていないけど、頭は描きたいものを構想し、必要な情報を選別している。だから、体は何もしていなくても頭はずっと働いている。少し前の自分であったら、何もしていない自分に焦燥感を感じ、無理矢理にでも描きたいものを選び出して、とにかく手を動かしていたように思う。今思えば、それは熟成していない果実をもぐ様な行為であった。だから、途中でモチベーションが枯れてしまったり、満足感が得られなかったりする事が多ったように思う。そうして、この何もしない時間を捉えると、あまり焦燥感は感じなくなった。実家に帰ったり、親類や友人と話している時間も、今時分はこんな事をしている場合なのかと、ジレンマを感じてしまっていた自分も、これで少し変わりそうな気がする。
2013.12.30
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批判されたと気分を損ねる人がいる 僕は別の視点の話をしただけなのです何でも二面性というものがあると思うのです扱い方やタイミング 受け取る人の価値観や性格しだいであらゆるものが 正しく とも 間違っている とも捉えられるのです
2013.10.11
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以前から好きだったものに対して 急に関心が無くなってしまう境目の時これまでの価値観の変革の確認でもあるもしくは何かの洗脳から解放された時いずれもガラリと変わってしまうからそれはもう別人と捉えて良いくらいである
2013.10.11
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小学生の頃に一度だけ感じた 最高に心地良かった思い出明確には思い出せないけれど 20年以上の時を経て 全く違う場所で感じた包み込むような暖かい陽ざしの温もり 仄かに肌寒いまろやかな強風の触感さわめく木々の 緑々とした音色が陽ざしと風と共に 交じり合う明確には思い出せないけれど 最高に心地よかった思い出に限りなく近しい 懐かしき日和
2013.10.09
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僕は『真実が知りたい』のかもしれない自分の知りたいという欲求を掻き立ててくれる人を尊敬し信じられる人に安堵するだから僕は出来るだけ長生きをしたいのだと思う
2013.09.12
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「あまちゃん」こと能年玲奈立体的に描く程に、似なくなって行くジレンマがあるので、バランスが難しい。「あまちゃん」は偶然再放送を見てはまったので、決して世間の話題性で観始めた訳ではない事に変なプライドがある(笑)
2013.07.21
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う~んもっと出来るはずなんだけど・・
2013.07.21
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作業者は自分の記憶の中で、創作に注ぎ込んだ「時間」と「労力」と「愛着」を蓄積させて行くものだから、しだいに客観的判断を失い、否定されれば感情的になる様になる。だから現場には客観的な視点での良し悪しやクオリティ、クライアントの意向を含めた総括的な方向性を判断する人間が必要で、それがアートディレクターの役割なのだと思う。自分も絵を描く時に、如何にそれらを切り離して観れるかが常に課題であるから、それが如何に難しい事かも良く理解している。
2013.07.16
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ただ描くだけではいけない。気持ちの持って行き方が要だけど、それが難しい。
2013.07.15
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人を感動させる事は、色んな縁やタイミングが合わさって実現する事。これまで培ってきた技術で、それが出来る事を証明ができた事に、教えてくれた人達に心から感謝している。そしてそれこそが自分が幸せを感じる瞬間。今はただ、その瞬間を求めて創作を続けている所はある。
2013.07.10
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誕生日プレゼントに似顔絵を描きました。とても喜んで貰えた様で、この瞬間が何より充実感。そして次に向かう。自分は性格的に量産できるタイプでは無いなと思うと同時に、絵を描く向こうに相手が在るのは大事だなと感じた。
2013.07.06
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ただ 想うままに没頭し 描く
2013.07.01
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絵の技術が馴染んで来た。5年くらい前から猛勉強して来たものが、ようやく。覚えたての頃は出来ない自分にイライラしたものだけど。膨大な情報量をコントロールできなくて翻弄されていたのだと思う。今久々に、純粋に、絵に情熱を注ぎたいと思える。この太陽の様に穏やかな自然発生的な情熱が。僕の創作に於いては、かけがえのないモノ。
2013.06.19
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