雪香楼箚記

春(2)_またや見ん






                                      藤原俊成
       またや見ん交野のみ野の桜狩花の雪散る春のあけぼの










 ふたたび見ることができるだろうか、交野(かたの)の桜狩りの、花が雪のように舞い散る春のあけぼのの景色を。俊成は何度も言ったように、定家の父にして、平安朝を代表する大歌人。新古今集のひとつ前の、千載集という勅撰集を単独で編纂しました。

 交野というのは大阪の地名です。当時は、ここに皇室の遊猟地があったので、「み(御)野」と言っているのです。「み」は、立派なこと、美しいこと、そして、尊いことを示す接頭語。もちろんのこと皇室の遊猟地ですので一般の立入りは禁止です。ここでは、その交野の御野に俊成が行ったわけではなく、伊勢物語に出てくる交野の遊猟の描写をイメージしながら詠んだ歌でしょう。桜狩り、というのは、今ではふつうに桜を見ることですが、この当時は、もしかすると、桜の季節に行う鷹狩りを意味していたかもしれません。ま、それはどうでもいいことで、とにかく満開の桜を見ていると読めばいい。

 それにしても、息を飲むような美しさのなかにある歌ですね……。こんなに堂々と美しいものが、ほんとうにあっていいのでしょうかねえ。

 桜は、咲いて美しく、散って美しい、めずらしい花です。けれども、我々の意識を分析してゆくと、どうも、咲く花の美しさと、散る花の美しさは違うのではないでしょうか? 以前にも言いましたが、古典和歌の桜は、「待花」「初花」「盛花」「散花」の四つに分けられます。このうち、いちばん格が高いのは「待花」で、目の当りにできない花がいちばん美しいなどというのは、ずいぶんひねくれたものの見方ですが、この「待花」に次ぐものが「散花」なのです。盛りを終えて、といっても、ご存知のように桜は満開から散りはじめるまで間のない花ですので、ほとんど盛りの状態でひと息に散ってゆく花を、平安びとたちは、満開の花以上に美しいものだと考えていた。これは、あきらかに、満開の桜を愛でるのとは別種の美意識です。なぜなら、満開が美しいのは当然のことで、花はなんにしろ、満開というひとつの頂点を目指してのぼり、くだるものだからです。要するに「盛花」とは、完全な満ちたりた月のような美しさのことなのですが、同時に、なんの衒いもなく正面切った美しさを見せるという厚顔さ、どことなく陳腐で、臆面もなくぬけぬけとした、派手な印象を避けえないものでもある。谷崎潤一郎は、花はどの花が好きかと問われれば満開の桜、魚はと問われれば鯛、と、臆面もなく答えたそうですが(ちなみに、この問答は『細雪』のなかに、主人公、幸子の意見として書かれています)、ほとんどそれに匹敵するような、まったくなんとも、こちらが照れくさくなるような美しさなのです。「待花」や「初花」を愛でる心も、この「盛花」の心と、基本的には同質のものです。いつか完全な美しさを手にするであろうこの花は、今は咲いていない(あるいは、咲きそめたところ)だけれど、その足りない部分を想像力で豊かに埋めることで幻想の美を得ようとするのが、「待花」であり、「初花」であるのです(ちなみに、「初花」のほうが「盛花」より格が高いとされます。想像力の入りこむ余地のない美しさは、意味がない、という発想なのでしょう)。

 しかし、「散花」は、それと同じ美意識で論じるわけにはゆかない。なぜなら、これは、盛りを過ぎてゆく花を惜しむためのものではないからです。たしかに、そうした惜春、惜春の歌もないわけではないのですが、この俊成の作を見てもわかるように、多くの場合、作者は、散っている花の有様そのものを、この上もなく美しいものとして捉えているのです。そう、美しいのは、どうやら花ではなく、散るということであるらしい。なぜか?

 バタイユというフランスの思想家がいました。彼の思想を語るひとつのキー・ワードは「蕩尽」です。無意味な浪費。人間が、その意識のなかの合理性を超えて、無意味な消費、蕩尽を行うとき、我々はそこに美や、芸術や、神聖性を見出す、というのが、うんと簡単に言えば彼の思想です(晩年の三島由紀夫は、相当に自分に引きよせた解釈ではありましたが、バタイユのこうした芸術観や神聖観を重視していました)。例えば、芸術というのは、文学にしても、音楽にしても、ムダなものであるわけです。小説家やピアニストがいなくたってだれも困らないし、死なない。こういう職業にある人たちが、社会になんらかの利益をもたらすわけでもない。しかし、人々は、芸術を愛する。バタイユは、「どうしてそのようなムダなものを愛するのか?」とは考えずに、「これはムダだから愛されるのだ」と考えます。ものや、人間の労力が、ムダに浪費され、蕩尽されるということはそのまま、大きなエネルギーが、奉仕する対象を知らないまま漂い、消えてゆくことに等しい。我々は、その豪奢で、贅沢な浪費に、感動を覚えているのではないか?(したがって、彼は、人間のあらゆる行為のなかでいちばん無意味なこと、つまり、死を美しいと感じ、そして、そのもっとも無意味なことに意味をもたらそうとする戦争をはげしく憎みます。)

 散りゆく桜の花が美しいのは、このバタイユの発想に近いものがあるような気がします。これほどに美しい(満開の花が美しいという意味での「美しさ」)ものが、まったく意味もなく(すくなくとも人間にとっては)浪費されてゆく、という、自然の豪奢な蕩尽に対する、ふるえるような感動。それこそが「散花」というものの美意識なのではないでしょうか? それは、かたちが美しいということでも、雰囲気が美しいということでも、イメージが美しいということでもなくて、行為が美しい、散ることが美しい、ということにほかならないのです。

 この歌の場合は、そうした「散花」の蕩尽が、ひとつの生の蕩尽と重ねられているところが、さらなる深みを添えています。初句の「またや見ん」という表現は、とりもなおさず、人生の行く先が見えはじめてきた人間の慨嘆がこめられているといえるでしょう。花の散りゆくように、この人生もあといく年かあらんか、という思いにおそわれている。そうした二重の意味が、桜の花にひときわの陰翳を与えているわけですが、しかし、そうかといって、この歌は決して暗然とはしていない。じめついてはいない。悲しくても、暗くても、読むものに生きてゆく力を与えるだけの、陽性の美しさ、華やかさがあるのが、新古今集の、古典和歌の特長です。

「またや見ん」の「ん」(「む」)を考えてみましょう。古典の文法を思い出してください。「む」には三つの意味がありましたね。
 1.推量。~だろう、という意味。
 2.適当、勧誘。~したほうがいい、~しようよ、という意味。
 3.意志。~しよう、という意味。
 訳では「推量」を採っています。「見られるだろうか?」。

「や」という助詞は、強調、疑問、反語の意味を持っていますが、ここは「反語」の用法ですので、「見られるだろうか、いや、とうてい見られぬだろう」というふうになっています。しかし、ここは、そうだと決めつける必要はないんですね。と、いうのは、推量系の助動詞というのには、ひとつの傾向があって、主語が一人称のときは意志、二人称のときは適当、勧誘、三人称のときは推量、という用法になりやすい。例えば現代語の「しょう」なら、「ぼくが行きましょう」(意志)、「あなたが行きましょうよ」(勧誘)、「彼が行くでしょう」(推量)、となる。これから言うなら、この歌の初句は、「見ましょう」と解釈したほうがいいことになるんです。この場合は、「や」を「強調」に訳す。つまり「また(必ずや)見ましょう」。(「や」の用法が、まったく正反対のものを同居させているように感じられるでしょうが、これは、もともとは、「注目を集めるための助詞」なのです。強調はもちろんですが、疑問やそれから生じた反語は、問いかけによって読者の注目を集めるという用法。)

「もう一度、いつかかならず見ましょう」という意味を見出せば、これはずいぶん晴れやかな歌になりますよね。もちろん、解釈としてはずいぶんめちゃくちゃで、ぼくとしてもそれに賛成するつもりはないし、解説書(「日本古典文学全集」小学館刊)のように、推量とするほうが、歌の全体の意味として自然だと思います。でも、大切なのは、だからといって「意志」を切りすてることではなくて、そのように読みとれる余地もあるということ。そして、もう見られないかもしれない、という思いと、また見よう、という願いが、微妙に重なりあっている複雑な心が、人間というものである、ということ。めぐりゆく自然の前で、自らの生を思うときに、悲しさと晴れやかさを同時に感じることはあってもよいのではないでしょうか? そういうことを思わせるのも、この歌がじめついた感傷とはまったく無縁だからです。哀しくはあるけれど、作者には自分の老いを嘆いたり、恨んだりする気持はつよくない。それ以上に、目の前の美しい光景に目を奪われている。ですから、歌としても、この初句にあまりつよい意味はない。桜を描写するための、軽いご挨拶のような、あるいは豪奢な光景を際立たせるための香辛料のようなものとして扱われているのです。だからこそ余計に、歌人は、自分の感情を遠くのほうへ置いて、散りゆく花の光景を言葉で再現することに熱中している。そして、その光景に勇気づけられもしているのではないか、という想像は、充分に可能でしょう。

「花の雪」という言葉。これなどは、もう、日本語の表現としては最上級の逸品でしょう。花が雪のように降る、という表現なら、無数の日本人が思いつき、無数の用例を残してきました。それを、「花の雪」と端的に言いかえること、これは、容易であるようでいて、ほんとうの才能がなければ不可能なことです。俊成女の歌のところで縷々述べましたが、雪のように降る花、というのは直喩であり、したがって叙述です。散文的であると言ってもいいし、要するにただ正確に伝達することを目指す文章である。しかし、「花の雪」という隠喩は、ひとつのレトリックである。ここにあるのは、もはや、正確に伝達しようという意志ではなくて、「正確に、しかも印象的に」伝達しようとする意志にほかなりません。これこそ詩の言語である。だからこそ、息を飲むような美しさがある。「花の雪」という表現においては、ついに言葉の持つ美が、実際の花の美しさを凌駕してしまった観があります。

 その、「花の雪」が、「春のあけぼの」のなかへと散ってゆく。この歌も、この、下の句のくだりにかかると、ぼくのイメージのなかではひとつの映像が結ばれてゆきます。おそらく数本という単位ではなくて、見わたすかぎりの桜の梢に満開になった花が、一斉に風に散ってゆく。それは、切りとられた視界のなかをほのかな朱鷺色に染めあげようとするような意志さえ感じられるほどに、いつまでもいつまでも尽きることがない。その花の雨を見つめていると、いつのまにか逆光となったあけぼのの光のなかで、花弁の輪郭も、あるいは梢に残る花の輪郭もぼやけ、すべては朝の日ざしのなかに、ひとつとなって溶けてゆく。……いかにも美しい映像でしょうが、しかしそれは、おそらくカメラでは捉えきれないし、映画という文法のなかにも組みこみきれないものなのではないでしょうか。それはむしろ、日本画のけぶるような色づかいでしか表現できないのかもしれません。小林秀雄が絶賛した奥村土牛という日本画家の『醍醐』という作品を見る機会があったら、その画面の上方、梢にけむるようにしてまとわりついている桜の花を眺めてみてください。土牛の筆は、光と、空気と、桜をひとつのものとして、湿度まで感じさせるようなさくら色の絵の具でふわりと描ききっています。洋画が、対象を分析し、区分する文法であるならば、日本画は、対象をひとつに融合して描く文法でしょう。土牛の『醍醐』はまさしく、そういう作品です。そして、そこにあるのは、この俊成の歌の風情です。

 あけぼのの清々しさが、散りしく花の、おそらくは妖艶に過ぎる、と言ってもいいような濃厚な美を救って、均衡を生んでいるのも、まことにみごとな対比でしょう。俊成の細やかな心遣いが感じられる表現です。さらにいえば、この、あけぼのという設定は、かすかに「またや見ん」という初句の、老いはてた心情を持つ歌人とも、好対照を描いているといえるのではないでしょうか? 一日のはじまりとなるあけぼのの光を見つめている男は、もはや人生の真昼を過ぎて、今、日暮れへとさしかかろうとしている。しかし、この対比は、単なる対比ではなくて、なんとなく、明るさをただよわせているような気がします。それがただ単に、「あけぼの」という言葉の持つ魅力によるものだとしても、やはりそういう言葉を選ばざるを得なかった俊成の意識には、生への絶望などはなかったはずでしょう。言葉というのは、そういうふうにして、詩人の、あるいは人間の意識と、かかわるものです。

 この歌は、「哀艶な歌境」と解説書には記されています。この洞察はたいへんに勘所をさししめしていると思いませんか? 確かに、作者の心情は哀切である。一方で、花の風情はいかにも艶麗である。その両者が、ひとつの歌にあって、「哀艶な歌境」を作りあげている。しかし、それでは、そこから我々が感じるのは、いったいなんなのでしょう?

 それは、生への明るい意志ではないか、とぼくは思うのです。ただ、老いや有限な人生を嘆くのではなくて、それでもこんなに美しいものがある、バタイユの思想になるならば、「死のように」美しいものがある。そう思ったとき、歌人は、目の前のすべてを肯定するような気持で、この歌を詠んだのではないのでしょうか? すべては美しい、いつか迎えるべき私の死さえ美しい、と。

 こういう歌を詠んだ俊成は、いったいどういう老人だったのでしょうね。


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