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2024年10月14日
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カテゴリ: カテゴリ未分類


今日は、休み。

朝は結構爆睡してまして、
とりあえず、午前中に愛犬シャンプー。

昼前から読書し始め、
前から読んでいた梓澤要さんの「捨ててこそ 空也」を読了。

縫物始めると、読書スピードが落ちますねやはり。
今月まだ1冊も読み切ってなかった^^;

もう1冊同時並行で読んでますが、
そっちは終われなかった。

**********

空也という人物は
歴史の授業でちょっとやったかなあというくらいの認識で^^;
確か念仏を唱えれば良い的な人じゃなかったけかみたいな。

この物語では醍醐天皇の第五皇子(五宮)だが、
母の身分が低くて皇太子に選ばれなかったため、
怒り狂った母に足をつかんでぶん投げられ、
結果左手に障害を負ったという設定。

年代的には「光る君へ」の藤原道長よりも二代くらい前の話かな?
平安時代前期から中期に入るくらい。

祖父の宇多法皇(法皇を名乗った最初の人らしい)の歌会からの帰路、
鴨川河川敷に捨てられた屍体を荼毘に付している喜界坊の一団に出会い、
衝撃を受ける。
世の中は、宇多法皇と醍醐帝が流罪にした菅原道真の怨霊が
京に災いをもたらしていると言われていた。

五宮は宇多法皇の影響で阿弥陀経に興味を持つが、
「僧は天皇家と貴族に加持祈祷を行うために存在する」
ということに疑問を抱える。

五宮は16歳で母が死んだことをきっかけに出奔、
喜界坊の一団に入り、井戸掘りや土木作業などに従事するが、
遺骸を火葬する際に唱える阿弥陀念仏が
死者の魂を鎮めるための祈りであることを納得する。

また、出奔するときについてきた従者道盛から
「死者は阿弥陀仏の浄土に生まれ変わることができれば
 そこでこの世に残されたものがくるのを待っていられる」
と喜界坊から聞かされたと言われ、
そのために南無阿弥陀仏と唱えるのだと知る。

その後、病になったことで喜界坊の一団を離れ、
治癒後、「苦しむ人を救うために」仏法を学びたいと
尾張の願興寺へ赴き、出家して空也を名乗った。
仏の教えの真の目的は「空」であること。
(「大乗(仏教)の深儀は空なり」から)

その後、峰合寺に移り、さらに淡路島南方の孤島湯島にある
観音堂で過酷な修行を行い、
空也は阿弥陀如来を「見る」

それから願興寺での先輩僧悦良に再会すべく
尾張から陸奥へ旅をするが、
悦良は会津で亡くなっていた。

筑波に至って平将門とその幼馴染の僧増円と出会い、
しばらくともに生活したのち、
京へ戻るが、大地震に見舞われる。

空也は京の市の一角で「南無阿弥陀仏」を唱えるようになり、
念仏聖と呼ばれるようになる。
「心から仏の御名を呼んで願うだけで
 どんなものにでも救いの手をさしのべてくださる」

将門はその頃坂東で乱をおこし、殺されて
京で首をさらされる。
その首を弔った後、空也は市堂を建てる。

比叡山で得度受戒を勧められ、それを受けるが、
名は空也のまま通す。

大般若経全六百巻、六百万文字の書写を行う。

タイトルの「捨ててこそ」は「心を捨てること」
捨てようとか、捨てることが出いたと思うこと自体が
実は執心で、自我意識にとらわれている。
就寝を捨て去ってこそ、初めて無心になれる。

そのころ、不自由な左肘を癒してもらい、
母親に対して恨みつらみを持っていたことを知る。
「しがみついていたのは実は自分の方だった」
「人には怨憎も情愛もすべて捨て去れ、(中略)と教えながら
 私自身は自分でも気づかぬまま、母を憎悪し、
 その憎悪に固執していた」

大般若経の完成供養会が行われ、
その数年後、なむあみだぶつを唱えながら息を引き取る。

*********

読んでいて、
悟りを得たかと思えば
まだ「捨てきれていない」ことに気が付く
ということの繰り返しの人生だなあと思ったり。
そういうことなのかもしれない。

空也には「宗派」はないらしい。
踊念仏の祖でもあるらしいけど、
この作品では本人は踊らない(周囲は踊ってる感じ)

Wikipediaによると、鎌倉時代の一遍に
多大な影響を与えたんだそうです。


捨ててこそ 空也 (新潮文庫) [ 梓澤 要 ]





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最終更新日  2024年10月14日 22時53分10秒
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