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「たまは、白地に黄色い模様がまるで卵のようだったので 『たま』 、のりは、そこに黒をプラスした三毛猫模様だったので 『のり』 と命名した。白いごはんの上にふりかけられた 『のりたま』 のように、いつまでも仲良く離れず暮らしてほしい、という願いをこめた名前だった。もともとふりかけの『のりたま』が好きだったからのりたまという名前を付けた」ということなので、お許し願うことにする。
まったく同じことが目の前で起きた時、私はわけもなく腹を立てて相手の非を責め、彼は相手を救った。その一瞬の反応に、彼と私の人生が凝縮されていた。落ち込んだ。どうしようもなく、落ち込んだ。 最後の一文がどれほど本気なのか測りかねるところもあるが、これでこの一遍が終わるところを考えると本気だろう。ちょっと大げさに思う向きもあるやもしれないが、気持ちはわかる。
極論を言ってしまえば、情報によって憂鬱になる人間がハッピーでいたいと思うなら、旅をし続けるしかないのかもしれない。 さらに 「中央線ののろい」 。
でもそんなハッピーに、どれほどの意味があるのだろう?私は自分の場所でハッピーになりたい。どうしたらそうなれるのか、庭で日向ぼっこをしながら今日も考えている。
その瞬間、背中がすうっと寒くなった。著者はその後、自らに 「おぞましさ」 と感じる。
一人の人が命を絶ったというのに。
西武新宿行き急行列車が通りすぎ、彼岸花がまた狂ったように頭を揺らせていた。私はそこから立ち去ることができなかった。 あまりの展開にちょっと唖然とした覚えがある。
お彼岸だから?彼岸花に誘われ、長い間しまいこんでいた死者の記憶が舞い降りてきたようだった。
この風景に出会わなければ、そもそも東伏見に行ってみようなんて考えを起こさなければ、私は友人たちの死を、抽斗の奥深くにしまいこんだままにしていただろう。
風景は、時々こういういたずらをする。
すべてを忘れて、私たちは幸せに近づいたのだろうか。 他にも皮肉とユーモアの効いた 「質問の多い料理店」 や子どもの頃にはトランプより花札を先に覚えたという記憶や祖父の親戚・知人を語る 「赤おにと青おに」 、実家に預けた猫の 「のり」 の小屋で死んだ野良猫を最後に 「養子」 にする 「猫養子」 、幸せな時の花ではなく、何かを失いそうな時の、失ってしまった何かへの償いの、その不在感を埋めるための花を知ったという 「花のある生活」 等々、今回のために再読拾い読みしてみたらいくつも印象深いものが見つかった。
追記
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