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Cantebury (4/17)



カンタベリーはロンドンの東南約100kmに位置し、
英国国教会の総本山です。

また英文学史上屈指の名作
「カンタベリー物語」(チョーサー作)にも描かれ、
今の多くの人が訪れる町です。

597年、ローマ教皇グレゴリウス1世がキリスト教布教を目的として
聖アウグスティヌスをイギリスに派遣したのが始まりです。
聖アウグスティヌスは598年、カンタベリーに修道院を設立、
これがカンタベリーの聖地としての始まりでした。

この修道院はイングランドで最も古いものの一つであり、
カンタベリー大聖堂の基礎となるものでした。

Cantebury

現在は残念ながら廃墟のみが残っているだけです。

カンタベリー大聖堂は町の中心部にあり、
入場料が取られました。

チケット売り場が下にある門

Cantebury1

国際学生証のおかげで£3.50(約700円)ですみましたが、
拝観料は京都に負けず劣らずって感じですね。

そしてこれが目的のカンタベリー大聖堂です。

Cantebury2

このカンタベリー大聖堂は12世紀に
最初の大聖堂が建てられましたが、
その後2度にわたって火事で焼失、
創建時の建物は残念ながら残っていません。

ヨーク・ミンスター(大聖堂)と違い、
大聖堂の中はそれほど明るくありません。
それでもステンドグラスは美しく、
中世の作品としては保存状態も良いそうです
(byどっかの観光グループのガイドさん)

話はそれますが、英国国教会の成り立ちについて。
1509年に即位したヘンリー8世は離婚問題で
ローマ法王と対立、(離婚は基本的に不可能だった)
イングランド教会を自分の支配下においてしまいます。

一般的にはこの離婚問題だけが取り上げられますが、
実はもう1つ、修道院の莫大な財産という目的もあったのです。

時はバラ戦争(1455~1485くらい)が終わり、
貴族階級の70%が没落した直後。
王の座にあったヘンリー8世であれ、
経済力は乏しいものでした。
しかし修道院を手に入れたことで、
王は強力な資金源を確保したのでした。

中世における修道院は想像以上にすごかったのです。
当時一般民衆における識字者は皆無の状態で、
貴族と修道僧がメインでした。
また写本を担当したのも修道僧でしたし、
修道院がお酒を主に作っていた時もありました。
それゆえ、修道院はとても裕福だったのです、
宗教とお金は今も昔も切っても切れないものなんですねえ。

ちなみに多分100年前もこんな感じだったと思います。

Cantebury3

この場所では時は止まったものなんですね。


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