an up-to-date Perfect-style from マスタ~☆

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妊娠確定から前日まで・・・


娘には本来は「兄」がいます。
しかし2002年12月、在胎19週で天使になりました。
その原因が 『子宮頚管無力症』 という、
予想もしないものでした。

私たち夫婦には初めての子供で、
突然子供の命を奪われた現実に打ちのめされました。
『元気な赤ちゃんが欲しい』
その願いの中、娘は妻のお腹の中にやってきたのです。

妊娠が確信できたとき、私たちは福井県に居を構えていました。
市内でも一番支持されている病院の産婦人科で
「20週までに子宮頚管を縛れば大丈夫です」
と言われ、仕事の都合と処置後の安静も考えて
妻の実家のある埼玉県へ転居しての処置を決めました。
その時点で妊娠15週・・・。

福井県の産科医の言葉を信じ、準備を整えて埼玉での病院に相談すると、
「どうしてもっと早く処置しないのか?」
と言われて困惑・・・どうしたものかと悩みました。
担当医の話では
「前回、子宮頚管無力症が原因なら、今回も疑いがある。
処置をするなら15週までに終わらせ、安静を勧めている。
いつ発症してもおかしくないのに・・・」
との事。福井県の産科医の無責任な診断に、こちらの医師が怒る始末。
19週の時点で子宮頚管の残りしろは2.2センチ・・・。

かくして、「ウテメリン」という子宮収縮を防ぐ内服薬の処方を受け、
妻は自宅での安静生活を始めました。
週1回の通院時、子宮頚管の状態確認と陰部の消毒を実施。
残り2センチを割るようなら、リスク覚悟で子宮頚管を縛る事になりました。

胎内の娘は元気で、私の母の命日に初胎動を感じ、
その後も蹴りすぎな程にお腹で遊んでいました。

出産前日10月27日の夜、
娘はいつもより下の位置で胎動していて気にはなっていたものの、
お腹の張りや痛みはなく、いつもどおり就寝・・・。



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