全722件 (722件中 1-50件目)
サザンの「あっという間の夢のTONIGHT」。私が高校三年の夏に発売された「人気者で行こう!」というアルバムに収録されていた曲。このころのサザンは一年ごとぐらいにアルバムを出していた。桑田さんはオールナイトニッポンのDJをやったりしていた。みんな若かったな。 この歌は非常にボップな曲で当時、海の近くに住んでいた私は、歌詞にとても共感できた。また、海の近くに住みたい。
2010年06月05日
コメント(4)
サザンの「旅姿六人衆」。数日前に1998年のサザンのライブ、「渚園」のDVDを見た。アンコールのラストはこの歌だった。この歌は、まんま「ヘイ・ジュード」だが、私はこの歌が大好きだ。しかし、私はサザンの最後のライブのDVDをなかなか二度目が見れない。悲しすぎるから。米 今、ケータイ小説サイト野いちごというサイトで、サウスというペンネームで「あの日に帰りたい」という小説を書いています。http://no-ichigo.jp/read/page/book_id/379139/page/1良かったら感想をお聞かせください。
2010年05月21日
コメント(2)
聖子の「ハートのイアリング」。先週のミュージックフェアは聖子のワンマンステージだった。聖子は新曲も歌ったが、好きな歌ということで昔の歌を少し歌った。聖子人気が爆発している頃は、新曲を頻繁に出していたので、あまりこの歌は印象が薄かったが、歌詞を良く見ていたら、いい歌で結構感動した。しかし聖子は顔面突っ張りすぎだな。個人的には、もっと自然な方が良いと思ったな。どうでもよいけど。※ 今、ケータイ小説サイト野いちごというサイトで、サウスというペンネームで「あの日に帰りたい」という小説を書いています。http://no-ichigo.jp/read/page/book_id/379139/page/1良かったら感想をお聞かせください。
2010年05月12日
コメント(6)
ツイスト(この頃は世良公則&ツイストだったか?)の「宿無し」。私はツイストの歌の中では、「燃えろいい女」と並んで好きな歌だ。懐かしい。小学六年の時は、ツイストがクラスの女子には一番人気があったな。好きだった子も世良さんのファンだったな。恋は遠い日の花火だな。
2010年05月03日
コメント(8)
田原俊彦の「哀愁でいと」。1980年代はアイドル全盛の時代だった。そのトップがたのきんトリオのとしちゃんだった。リアルタイムで彼を見ていた頃はなんとも思わなかったが、このごろ懐かしのヒット曲を特集する番組で彼のビデオを視て懐かしくなった。名曲とはいいがたいが、「心に残る歌」だった。あまり大したことではないが、二番のでだしの歌詞で♪誰かに誘われ、君が乗り込むyeiiowGT」と知った。最近はみんな字幕があるから助かるな。
2010年04月29日
コメント(6)
巨人軍のコーチ、木村拓也コーチが亡くなった原因がくも膜下出血だったので、最近、この病気の怖さがクローズアップされている。本当に怖い病気だ。手術で助かる道は無かったのか?かくいう私も二年前の2008年の3月にくも膜下出血を発症し、九時間近く手術した末に、この世に生還した。私が幸運だったのは、出血がジワッと流れ出たくらいだったからだろう。それでも、左半身に麻痺が残った。それでも生きていることに感謝している。木村拓也コーチのご冥福をお祈りいたします。
2010年04月25日
コメント(2)
皆さまご無沙汰しています。この冬は天候不順で私も体調が不良で、医者に処方してもらった薬は良く効くのですが、効きすぎて、うつっぽくなりました。そんな私が、サザンのこの歌を何度も繰り返し聞いて、立ち直ってきました。悲しい詩ですが、なぜか立ち直る気力が沸いてきました。やっぱり、歌の力は偉大ですな。
2010年04月25日
コメント(2)
私は2008年3月の闘病の末、今年車椅子生活となった。正直、かなりへこんだ。それまで健康のことなどあまり気を遣わず、自由奔放に生きてきたのでかなり精神的に堪えた。しかし落ち込んでばかりいられないので、少しずつ前を向いていこう。このブログで自分の気持ちを少しずつ吐露していこう。皆さん元気ですか?僕は元気です。
2009年12月04日
コメント(8)
南沙織の17才。森高千里がカバーしたバージョンの方が好きな人も多いだろうが、私は南沙織のファンなので、こちらのほうが数倍好きだ。しかし、何故彼女が篠山紀信と結婚したのか謎だ。
2009年11月18日
コメント(2)
アリスの「涙の誓い」この夏、またアリスが再結成した.三度目くらいの再結成だが、今年はメンバーが皆還暦を迎えたらしくマスコミに良く取り上げられていた。私はアリスの中で、この歌が一番好きだ。この歌を歌う時はJPSマークのロータスキャップを被らねば。
2009年11月04日
コメント(2)
山口百恵が歌った秋桜(コスモス)。この秋の番組改編期の特別番組は歌番組が多かった気がする。年末でもないのに私には嬉しい限りだった。この歌は前から好きだったが、今回、歌詞をじっくりと見て、とても心に沁みた。まだまだ身近な歌で、良く歌詞を吟味していない良い歌がたくさんあるな。
2009年10月14日
コメント(6)
絢香の三日月。ここ数年の間に聞いた若い人の歌の中では、一番心に沁みた歌。まだ、杖をついてでも自分で歩けた頃、夜、この歌を聴きながら夜道を帰ったものだ。もう一度、自力で歩けるようになってこの歌を聴きながら歩きたい。私はあきらめない。
2009年10月12日
コメント(4)
このビデオもう見た?誰から聞いたのか忘れたけど、何日か前からネットで面白いイベントがやってる。要はネットマーケティングの事なんだけど、何故かミッション・インポッシブルのパロディをやっていた。それをやってるのは世界でトップクラスのインターネットマーケターと言われるヤニクシルバーという人なんだけど、まあとにかく面白かった。何故かテーマソングまであって、替え歌までしてる。『収支トントンで満足か~い♪?ヤニクにまかせろ~♪』みたいな歌詞(笑)テーマソングのあるネットマーケティングは初めてだ!~~~~~~~~~~~~そして、エージェントとしてヤニクの秘密結社に乗り込むという設定だ。ちなみに僕はエージェントZ秘密結社に潜入すると、ヤニクのビデオが見れる。このビデオはいたってまじめなプレゼンだった。というのも、これはヤニクのセミナーのハイライトらしい。参加費が39万8千円もしたそうな。ちゃんと字幕までついているのでとても親切。(まあちょっと見にくいけどね)もうすぐ、次のビデオが来るらしいけど、次のビデオが来たら今のビデオは消されるらしい。まあ、面白いし、ためになるから覗いてみては?http://www.YanikSecret.com/index.php?jvcd=22532提供: ダイレクト出版http://www.d-publishing.jp/
2009年10月12日
コメント(0)
いろいろと悩む事が多かったが、いつまでも落ち込んでいたら、精神衛生上良くない。左半身が不自由なのでついついブログの更新がおろそかになりがちだったが、少しずつだが、大好きなsasの歌を口ずさみながら前を向いて行こう。
2009年10月11日
コメント(3)
9月5日に無事退院してから、少しずつリハビリを再開しているが、悩み事がある。収入が無いから、少しずつ困ってきている。これからどうしたらよいか途方にくれてしまう。まさに「そして僕は途方にくれる」だな。8年付き合った彼女とも別れてしまったし。
2009年09月23日
コメント(6)
三連休を怪我なく帰ってきたが、課題の多い三連休だった。二回目の病気入院なので、なかなか二回目に倒れる直前の状態には戻れず、それが家族の重荷になり、そのギャップが私を悩ませる。今日の天気のようにブルーな気持ちに陥ってしまう、しかし、ここでへこたれるわけにはいかない。頑張るしかない。
2009年07月21日
コメント(0)
今週末からの三連休に二度目の外泊をする。これから週末ごとの外泊を増やして退院に備えよう。これからの生活はとりあえず、なんとかなりそうなので、今はリハビリでカラダを少しでも良くすることに専念しよう。早く身も心も梅雨明けできるように
2009年07月15日
コメント(0)
退院予定が決まった。八月末の予定だ。嬉しさと不安感が交錯する。そんな時は音楽を聞くに限る。今はiPodという便利なものがあり、好きな歌を携帯できる。ありがたいことだ。いつの頃からか、金曜は必ず、BOOWYのわがままジュリエットを聞くようになった。この歌のイントロと間奏のギターにいつも感極まってしまう
2009年07月10日
コメント(5)
六月末の外泊から戻って以来、イマイチ、リハビリの調子が悪い。他人と比較するものではないが、こうも調子が悪いとへこんでしまう。早く身も心も空も梅雨空けしてほしい
2009年07月06日
コメント(2)
二泊三日の外泊は怪我もせずに何とか戻って来ることができました外に出て気付いたことは病院はやはり教習所だということ。もっと路上教習をこなさないと社会復帰は難しいということを痛切に感じました。地道に努力を続けよう
2009年06月30日
コメント(2)
明日から二泊三日で自宅に外泊で戻る。二月に倒れてから、約五ヶ月ぶりの自宅だ。ちゃんと日常生活が送れるか不安だ。子供とも久しぶりに自宅で会う。ドキドキして今夜は眠れるだろうか?
2009年06月26日
コメント(3)
昨日の件ではいろいろ教えてくれてありがとうございました知り合いの弁護士にも相談し、無視していくことにしました。お騒がせしました。さて、リハビリの方ですが、今日、後ろから支えてもらいながら、トレーニングルーム一周40mを杖なしで歩けました。嬉しかったです。少しずつ成果が現れてきました
2009年06月24日
コメント(1)
暇にあかせて携帯でネットサーフィンをしていたら、変なサイトに引っ掛かり、金を請求されて困っています。今日中に払えとメールされてきています。無視してよいものでしょうか。となたか教えてください。
2009年06月23日
コメント(3)
今日でこのリハビリ病院に転院してきて二ヶ月になる。リハビリの合間に入院仲間と話しているとあることに気づく。悲観的な話ばかりしている人は治りが遅く、前向き志向の人はリハビリの成果が出やすい。やはり病は気からなのだな。希望を捨てずに頑張ろう!
2009年06月21日
コメント(2)
結局、携帯でコメントヘの返信方法はわかりませんでしたコメントを寄せてくれた方々へはこの場でお礼申し上げます。ありがとうございました。少し日記の間隔があいてしまいました。この間、少し気分が落ち込んでいたので、立ち直りに時間が かかっていました。リハビリの調子がイマイチなこと、今後の生活のこと、の日は特に気分が落ち込みます。まあ、毎日、沈みがちではいられないので立ち直って頑張ります
2009年06月17日
コメント(3)
今日今回倒れてから初めて、リハビリの訓練の先生に後ろで支えてもらいながら少し外を杖をつきながら歩いた。歩くのって、こんなに難しかったのかと愕然とした。ところでみなさんに教えてほしいのですが、携帯でコメントに返信摺るのはどうすればよいのですか?誰か教えてください。
2009年06月09日
コメント(3)
昨年、くも膜下出血で倒れた後遺症で、今年の2月の初めに再び倒れ、現在は歩けるようになるためにリハビリ病院に4月下旬から転院してリハビリしている。必ず、復活するので、リハビリ闘病記を綴って行こうと思う。
2009年06月07日
コメント(4)
ブログを休んでいる間にサザンは活動を休止してしまった。数年前からそろそろ終わりを感じていたので、それほど衝撃を感じなかった。ただ心残りは夏の最後のライヴに行こうと、この最後のCDの初回限定版に付いていたハッピを着て、ライヴに行けなかったことだ。この歌はなんかとても哀愁漂う歌で、私はサビの歌詞を聞いていると、ジンとしてしまう。サザンは活動休止というが、惰性で復活してほしくない。さよならサザン。寂しいけど今までありがとう。俺も頑張るよ!
2008年10月18日
コメント(10)
約1年半のご無沙汰です。ここ数年の体の不調が今年の3月に噴出し、3月15日にくも膜下出血で入院し、8時間半に及ぶ手術を乗り越え、約一ヶ月入院していました。病気の後遺症で、左手と左足に麻痺が残り、現在も歩きは杖をついています。今も週二回リハビリに通っています。まあ、でも生きているだけ丸儲けです。一時は車椅子生活でしたが、少しずつ回復しています。会社もなんとか続けています。私はあきらめません。必ず、復活して見せます。話すのと頭は普通に思考できるので、まだ不幸中の幸いでした。これから、自分を奮い立たせるために、またブログを再開します。マイペースで更新していきます!
2008年10月09日
コメント(21)
佐野元春の「アンジェリーナ」。これが彼のファースト・シングル。今、NHKの水曜夜23時から「SONGS」という秀逸な音楽番組を放送している。六月初めに、この番組で佐野元春が特集された(ちなみに来週から二週続けて、矢沢と布袋のコラボが放送されるらしい。)。佐野元春も白髪が目立ち、かなり歳をとったが、相変わらずの独特な話し方をしていて、久しぶりに「SOMEDAY」を聴いた時は不覚にも目頭が熱くなってしまった。この「アンジェリーナ」は田舎暮らしの青少年に多大な影響を与えたと思う。少なくとも私はかなり感化された。この歌の歌詞の中で♪車の窓から身を乗り出し、街角の天使にgood-night kiss♪という歌詞がある。今聴くと、スカした歌詞だなと思うが、その頃はなんてお洒落な歌だと感動した。東京はこんな町ばかりだと妄想した。少なくとも、私が過ごした田舎の夜の街角には、暴走族かヤンキー兄ちゃんや姉ちゃんか、酔っ払いしかいなかったからだ。広島で育った吉川晃司も、佐野元春のコンサートを見て、水球の道をあっさりあきらめて芸能界を志したらしい。好感のもてるエピソードだ。だから私は今でも吉川晃司のファンなんだな。私も佐野元春の世界に憧れて上京した。そして、佐野元春の世界を満喫するには、とてもお金がかかることがすぐにわかった。なんて罪な男だ、佐野元春。でも憎めないぜ。
2007年06月23日
コメント(14)
皆様お久しぶりです。約三ヶ月ぶりの更新です。厄年って本当に怖いですね。今年は身体がガタガタです。三月下旬に風邪を引いている最中に、右の顎関節症を発症し、口をあけるとものすごい激痛が襲う日々が約二ヶ月続き、その間も仕事を休むわけには行かなかったので、働き続けましたが、ブログ更新をする気力が湧いてこなくて、更新が滞ってしまいまいした。申し訳ありません。5月の連休明けから、痛みが引いてきて、今は痛みは無くなりました。ようやく落ち着いて生活できるようになりました。ブログもボチボチと更新していきます。ブログ再開の一発目はSASの名盤「ステレオ太陽族」のオープニングの歌。最近、また、このアルバムを良く聴いています。イントロのギターが好きです。最近の売れ線の歌ばかりのSASの歌よりも、私はこの頃の歌が好きだな。
2007年06月19日
コメント(14)
皆様、ご無沙汰しております。銀歯を飲み込んでしまったと問題提起するだけして、音信不通となったダメな奴のその後の日記です。時間がある方は読んでください。あの夜(3月18日)、私は翌日の排泄に備えて、トイレに割り箸を用意し、銀歯捜索隊の準備を整えた。何も知らない中一の息子が、「お父さん、トイレに割り箸があるよ。何故かな?」と聞いてきた。私は「世の中には知らなくても良いことがたくさんある。早く寝なさい。」とかわした。「ふーん。なんだか良くわからないけど、まっいいかー。おやすみなさい。」なんとか上手く誤魔化したな、と私は激しく咳き込みながらつぶやいた。あまりにも激しい咳が続くことが本当に不安だった。「まあ明日確認したら、速攻で歯医者に行こう。」私は、布団の中でぼんやりとそう思いながら眠りに落ちた。深夜二時過ぎ、あまりの息苦しさと強烈な悪寒で私は布団から這い出た。「なんかおかしい。」私は体温を計った。38度9分平熱が35度後半から36度ちょうどくらいの私は、それだけで昏倒しそうになった。布団の中でガタガタ震えながら、私はあの銀歯はこの熱の予兆だったのかとつぶやいた(そんなこと、あるわきゃねえだろ。)翌朝、私は駅前の内科へ行った。医者は「インフルエンザの疑いは否定できないので検査しましょう。」と言った。そして15分後、医者が言った「インフルエンザではないようですね。」ホッとする私。「安心するのはまだ早いですよ。それだけひどい咳が出るのは、肺炎の可能性もあります、念のため、肺のレントゲン写真撮ります。」また、15分待った。そして医者に再び呼ばれた。医者は「肺も綺麗ですね。しかし、まんなかあたりが少し白くなってきてますので、注意してください。」私は朦朧とした頭をなんとか働かせて、医者に聞いた。「あのー、実は昨日、銀歯飲み込んじゃったんですけど、肺とか気管支に入ってないですよね?」予想外の私の質問に、医者はいろんな角度から写真を見て、「銀歯だったら、写りますから、ここにはありません。おそらく腸に落ちたでしょう。」と真顔で答えた。良い人だ。これで懸案事項が解消された。「じゃー、この高熱と咳は何でしょうかね?」「今のところは風邪の可能性が高いと思いますが、インフルエンザや肺炎は一日か二日遅れで陽性になる場合があるから、注意してくださいね。」「はい、わかりました。でも先生、ものすごい寒気がするんですけど大丈夫ですかね?」「それはね熱があるから、しょうがないんだよ。」不毛な会話が続きそうなので、私は退室した。それから、食欲も無く、その日は排泄できずに一日を終えた。火曜日も高熱にうなされ、その最中に念願?の排泄もしたが、もはや捜索する気力も無く、水に流した。結局、私は春分の日の夕方にようやく熱が下がったが、熱が下がると同時にひどい歯痛におそわれ、木曜から歯医者通いをしている。しかも銀歯が外れた歯ではなく、その反対側の歯が原因らしい。銀歯が取れた歯は、もう少ししか残ってないから、抜くしかないかも、と言われている。やはり、本厄だからなのか。本厄おそるべし。厄払いしたのになー(涙)
2007年03月23日
コメント(16)
間抜けなタイトルですみません(汗)朝、食事している最中に銀歯を飲み込んでしまいました。多分、明日には排泄されると思いますが、自分の間抜けぶりに呆然としています。今日はそれからしばらくしてから、咳き込みます。まさか、肺に入ってしまったのでは・・・とビビッています。おそらく花粉症のほうだと思いますが。まあ、問題ないと思いますが・・・・意外と小心者の私です。くだらないブログでした。
2007年03月18日
コメント(18)
大変長らくご無沙汰しております。すっかりズボラーなsouthです。1月下旬からものすごい勢いで懸案の仕事が動き始め、仕事に忙殺されていました。言い訳してすみません。ここ数ヶ月、私には大変不本意な日々が続いております。まあ、仕事があるだけ良いのですが、本来の私の生き方は「よく働き、よく遊ぶ」なのです。よく働いて、それなりのお金を手にして、ゴルフ行ったり、飲みに行ったりして遊び、また仕事する、この繰り返しで、社会人生活を送っていたのに・・・そんな私が、今年に入ってから、まだ一度もゴルフに行っていない。二月・三月はあまり飲みにも行っていない。なんとかスケジュールをやり繰りして、ゴルフの段取りをしたこの間の日曜日(11日)は夜半から嵐で中止。その日は午後から晴れて、この日のために購入した新しいパターを手にして涙を流しながら空を見上げました。こんな私の最近の楽しみは、3年ぶりに買い換えた携帯(P703iμというやたらと薄い携帯)が、着うたに対応しており、早速、小泉今日子の「あなたに会えてよかった。」のサビと大サビをダウンロードし、朝の目覚ましに♪さよならさえ~上手に言えなかった~♪とか♪思い出が星になる~~♪というキョンキョンの若々しい声で目覚めることです。小さな幸せでした。それではまた。次回の不定期更新でお会いしましょう。
2007年03月16日
コメント(8)
ジャーニー(JOURNEY)の「オープン・アームズ」。先週、WOWOWのある番組でジャーニーの特集をしていた。80年代の洋楽大好きな私はめざとくこの番組をチェックし、録画した。いやー、ジャーニーやっぱいいわ。ニール・ショーンのギターは最高だ。スティーヴ・ペリーのTシャツ・Gパンに燕尾服という最悪のセンスも微笑ましい。この「オープン・アームズ」はジャーニーのバラードの中でも屈指の名曲だ。スティーヴ・ペリーのハイトーン・ヴォイスもとてもこの歌にあっているように思う。80年代を代表した名曲だったな。この番組はASIAの特集もしたらしい。今週再放送するようなので録画しておこう。
2007年01月27日
コメント(10)
ボロボロになりながら木曜の夜を迎えた。20時に新宿駅の南口で旧友二人と待ち合わせた。少し早めに着いた私は、少し腹が減ったので、立ち食い蕎麦を食べ、ウコンの力を飲んだ。約束時間の5分前、文庫本を読みながら待っていた私の右手から「久しぶりっ!」と肩を掴まれた。Mだった。とても久しぶりの再会だったが、大学時代と容姿はまったく変わってなかった。「おぉ、久しぶり。Mまったく変わってないな。Uと一緒じゃねえの?」「一緒じゃないよ。あいつももうすぐ来るだろう。」「おぉ~、ご無沙汰!」Uが改札を通りながら、昔と変わらない歩き方でやってきた。少し太ったようだ。「どこに行こうか?」「最近、落ち着いた感じの居酒屋が増えたから、その辺にもたくさんそういう店があるだろう。」私達は南口の近くのそういう感じの店に入った。店の女の子が、「二時間くらいでも良いですか?」と言ってきた。「十分、十分。」私達は奥の席に通された。「とりあえず、生中3つね。」席に座る前に、Uが注文した。まったく学生時代と変わらないせっかちさだ。乾杯して、今の近況を話した。Uは新卒で就職した会社にまだ在籍していて、結構出世していた。Mは就職した会社を5年ほどで退職し、家業の呉服屋を継いだところまでは知っていたが、差し出された名刺はまったく違った会社の名刺だった。「いろいろあって、実家は継がなかったんだよ。実家を出て、すぐ東京の会社に就職したけど、そこも去年やめて、3ヶ月前に今の会社に転職したんだ。」昔から、気遣いを良くしていたMが、容姿が変わらない訳が私にはなんとなくわかった。気苦労が絶えないのだろう。Uは相変わらず学生時代に好きだった麻雀を今も時々やっているらしい。ひとしきり麻雀談義を熱く語った。Uの昔と変わらない考え方を聞いて、私はとても嬉しくなった。「俺はいつまでも青臭いヤツと言われていいよ。」Uが言った。「今更、自分を変える気もないし、若いやつに無理に迎合する気は無いよ。」Uが焼酎の水割りを空けながら言った。「いやー、昔はウィスキーダブルでロック、とか飲んでたけど、今は焼酎で十分だよ。油モノも食べれなくなったし。」お約束のようにひとしきり健康について語り合った。「そろそろお時間なので、飲み物も食べ物もラストオーダーです。」元気なバイトの子の声が飛んできた。「おっ、そうか、じゃあラストだから飲み物二杯ずつもらおう。いいよね?」Uが聞いてきた。この辺も昔とまったく変わってない。時計は23時をまわっていた。私はいつ二軒目に行こうと切り出されるか、ドキドキしていたが、二人はそのまま駅に向かって行った。この辺は昔と変わったようだ。「またゆっくり飲もうぜ。」UとMとはそう言って改札を通っていった。「またな。」私も手を挙げて応えた。終電近くの電車を乗り継いで、0時半近くに家に着いた。財布の中は、中学生の息子の小遣い程度の札しか残っていなかった(千円ちょっと。)フラフラになりながら、1時半頃、布団の中にもぐりこんだ私は、「極楽ごくらく」とつぶやきながら、墜落するように眠りに堕ちた。長い二日間だった。 終わり
2007年01月21日
コメント(10)
今週はハードな毎日が続いた。そんな忙しい中の水曜日の夜、古巣の会社の若手OB会と言う名の新年会が催された。若手OB会と呼ばれるとおり、20代や30代前半が多く、私は年長の方だった。会は盛況で50人以上集まった。その中には、昔、とても仲良く飲み歩いた後輩のYが居た。Yは二年前に財閥系の会社へ転職していた。一年前にもある集まりで会ったが、どこか近寄りがたい雰囲気で、あまり話さなかった。 この会でも話さなかったが、帰り際に「久しぶりに飲みに行くか?」と誘ったら、昔のような感じで「いいっすねー。」と応じ、私の側に居た、M先輩と三人で飲みに行った。「どこに行きますか?銀座?六本木?」Yが陽気に聞いてきた。「銀座は高いからバカらしい。六本木に行こう。」と私。「俺は久しぶりに東京で飲むから、姉ちゃんがいるところがいいな。」とM先輩。「女の子が居る店はあまり知らないけど、とにかく行きましょう!」Yがタクシーに手を上げながら叫んだ。 六本木のクラブはキャバクラ一歩手前くらいの店だった。適度に賑やかな店の中で、Yが言った。「転職したばかりの頃は、新しい職場の人たちには、誰にも負けないと力入って尖ってましたが、一年前くらいから、力が抜けました。」Yが昔と変わらない笑い顔で話した。「そうか。今の感じの方が良いよ。」と私。「ねえ、みんなで何か食べに行こうよ。」我々の席に付いていた自称21歳の女の子が提案してきた。我々は、42、40、39歳のおじさん達だったので、彼女も話が合わず苦労していたのだろう。「じゃあ、美味いデザートを食べさせる店に行こう。」とYが元気良く応えた。「あたし、今すごく人気がある○○クラブに行きたい。」「あそこはつまらねえよ。そういう店は彼氏と行きな。」Yが素っ気なく言う。 私とM先輩はまったく店がわからないので、Yの後をついて行った。二軒目の店はもう閉店するところだった。ギリギリで無理を言って席を作ってもらった。何のウィスキーの水割りかわからないが乾杯して、デザートを食べながら、「俺、明日っていうか今日、9時半から新大阪で打ち合わせなんですよ。」Yが何気なく言う。「そっか、俺も9時半に来客があるよ。」と私。「俺は9時半に銀行に行かなければならない。」とM先輩。「今、何時だ?」「1時半です。」「そっかー。ボチボチ帰るかー。」「そうですね。」そして二軒目の店を出た。 店を出た所で、「うどん食いたくないっすか?」とYが言い放った。「お前元気だな。たしかに少し腹減ったけど。」「でしょー。うどんと焼肉どちらにしますか?」「頼むからうどんにしてくれ。」 またもタクシーに乗り、うどんを食わせる店に着いた。「ここのうどんは西麻布一美味いですよー。」Yが意気揚々と店のドアを開けていった。うどんは少し辛かったが、美味しかった。そこでもうどんを食べながら飲んだ。少しうたた寝をしていたら、「帰りますよ。」とYの声が聞こえてきた。店を出て時計を見ると4時10分前。私は絶句した。遅くまでアフターに付き合ってくれた女の子に、タクシー代を渡し、M先輩とタクシーに乗り込みながらYに「また飲もうな。」と声を掛けた。Yはタクシーに乗り込んだ我々を見送る窓越しに、「近日中に、お願いします。」と応えた。タクシーに乗った我々はすぐに眠りに落ちた。「お客さん、この辺でいいですか?」タクシーの運転手さんの声で起き、先輩に車代を払い、フラフラしながらなんとか家に着き、時計を見ると5時。絶望感に襲われ、その時、マフラーと傘が無いことに気づいた。 1時間半ほど寝て気合で起き仕事に向かった。来客を迎え、打ち合わせを終え、傘とマフラーの所在を確かめるべく、店の電話番号を聞こうとYの携帯へ電話した。「いやー、もうしっかり新大阪で打ち合わせ一件済ませましたよ。」Yが元気な声で電話に出た。「お前も真面目になったな。」「当たり前じゃないですか。社会人として当然でしょう。今日は日帰りで夕方には東京に戻りますよ。」自慢げにYが言った。「お前、よく寝過ごさなかったな。」「いやー、実は俺、新大阪行く時には必ず新大阪どまりで行くんですよ。」「少しは賢くなったな。」「お蔭さんで。」 店の番号を聞いて電話を切った私は、ボーっとした頭の中で反芻した。「今夜は20時から飲みだったな。」 そう、木曜の夜は大学時代の旧友二人と約20年ぶりに飲みに行く約束をしていたのだ。 「あいつらも酒強かったな。」 今日は忘れずに「ウコンの力」を飲もうと固く心に誓った。 ~つづく~
2007年01月20日
コメント(6)
昨年の年末に発売された寺尾總の「Re-Cool Reflections」。名曲「ルビーの指環」を含んだ1980年代に最も売れたアルバム「 Reflections」をセルフカバーしたアルバム、しかし、アレンジは思いっきり変えてある。当時の録音に参加したミュージシャン達も変わりなく参加している。正月のNHKの番組「SONGS~ボクの歌はキミの歌~」という番組を昨年末に何気なく予約録画して、その番組に出ていた寺尾總を見た私は大きな衝撃を受けた。25年の歳月を経て、装いを新たにした「 Reflections」の曲も素晴らしいのだが、寺尾總がとても渋くカッコよく年を重ねているのだ。俳優としての彼の姿は「半落ち」等の映画では見ているが、ミュージシャンとしての彼を見るのは25年振りだ。このアルバムがヒットしたころの私は中学三年生くらいで、高一の時に、友人にこのアルバムを薦められて聴いた。その当時はまったく大人の世界がわからず、メロディーが良い歌が多いな、くらいの感想しか持たなかった。しかし、25年の間に私も人生経験を重ね、少しは人生の機微がわかってきた。そんな年にこの「Re-Cool Reflections」発売の知らせを聞き、テレビも見た。すぐにCDを買い、聴いた。一曲目の「「Re-Cool HABANA EXPRESS」のイントロが鳴り出した瞬間、とても心地良くなった。今もこのアルバムを聴いている。もう10回以上聴いている。今週はこのアルバム以外聞いていない。
2007年01月13日
コメント(8)
今井美樹の「PRIDE」。昨年末の紅白で初めてフルコーラス聴いた。この歌が流行っていたころは、この歌のサビばかり耳にして、一曲通してしっかり聴いたことがなかった。当時はあの布袋さんが良くこんな、優しい歌を作れたな、とビックリしたことを憶えている。紅白では、今井美樹の歌よりも、布袋さんのギターばかり注目していた。布袋さんは最近はCharともつるんでいるらしいので、容姿はCharっぽくなっていた。布袋さんも、子供ができて、優しいギターを弾くようになった。心が温かくなるギターだった。今井美樹も、ボイストレーニングをだいぶ重ねたようで、昔より上手くなったような気がする。あまり評判が良くなかった紅白だったが、この「PRIDE」と徳永英明、アンジェラ・アキはとても良かったと思う。
2007年01月07日
コメント(12)
皆様、あけましておめでとうございます。年末から、近場の温泉に出かけてて、昨夜、帰宅しました。昨年も紅白は見てしまいました。DJ OZMAは面白かったけど、全体的に低調でしたね。やっぱり、森進一には、「襟裳岬」を歌って欲しかった。トリは都はるみだろうと一人でブツブツ言ってました。明日から仕事です。今年もよろしくお願いします。
2007年01月03日
コメント(20)
SASの古い曲。「恋はお熱く」。今でも浜辺に立ったら、必ず♪ひとりで、渚に立って~、寄せる波に吐息だけ~♪と条件反射のように口ずさんでしまう。しかし、今年は浜辺に立つことはなかった。海の側で育った私にとってはとても哀しいことである。来年は、海を何度かゆっくり見に行けるように、心を広く大きく持とう。歌の話に戻るが、前から感じていたのだが、桑田さんの歌声は、初期のほうがブルージーで味わい深い声だったと思う。喫煙を礼賛するわけではないが、数年前に禁煙した後の桑田さんの声はとても綺麗な声になった。若かったから、という事もあったと思うが、私は、昔の声のほうが好きだったな。今日で年内更新は終わります。来年は、私は本厄です。大過なく過ごせるように、厄祓いに年が明けたら行って来ます。皆様、今年も一年お付き合いありがとうございました。良いお年をお迎えください。
2006年12月30日
コメント(16)
早いもので、今年もあとわずか。今日から仕事も休みだ。少し、ゆっくり時間が取れるので、先週見た映画「硫黄島からの手紙」の感想を書こうと思う。私の弟が海上自衛隊に勤めており、数年前まで、彼は年に何度か硫黄島へ行っていたので、良く弟から硫黄島の話を聞いていたので、この映画には予告編を見た時からとても興味があった。クリント・イーストウッド監督のカメラワークは上手くて、「ラスト・サムライ」の時よりも、渡辺謙の演技が輝いていたと思う。私はこの映画を見て、自分の中に、精神的な右翼性をあらためて発見した。戦争を決して賛美する訳ではないが、愛する人たちを国土を守るためには、無駄死にするとわかっていても出陣してしまうだろう。硫黄島では、数多くの人たちが自決し、この映画でもその様子が描かれている。穴蔵の中の集団狂気に支配された空気の中で、正気を保っていられれるか、自問自答すると、まったくその自信が無いし、悲しいことだが、「天皇陛下万歳!」と散っていく自分を想像してしまう。「生きて虜囚の辱めを受けず」、その精神に強く賛同してしまう自分が居る。自己陶酔の世界だが。しかし、一方では、とても「死」を怖れる自分が居る。自決などとんでもないと考える自分が居る。そんなことを考えさせられる、とても難しい映画だった。感動して泣くかと思ったが涙は流れず、複雑な感情が残った。徴兵制度が復活して、お呼びがかかったら、「お上には逆らえない。」と絶句して、応召されるだろう。願わくば、そんな難しい選択をしなければならない時代にはなって欲しくない。
2006年12月28日
コメント(12)
ワムの「ラスト・クリスマス」。クリスマスソングの定番中の定番。私が好きなクリスマスの歌と言えば、邦楽では山下達郎の「クリスマス・イブ」、洋楽ではこの「ラスト・クリスマス」・・・って、両方ともティーンエイジの時に聴いた歌だな(汗)相も変わらない懐古趣味ですみません。(汗)今日、昼間、車の中でラジオを聞いていたら、DJが「クリスマスとか大晦日、正月が近づくと浮かれ気分になる人は、子供か精神年齢が幼い人か、その季節にからんで商売をする人らしいです。」と言っていた。昨日、飲みながら、いろんな人に「クリスマスや年末が近づくと、ワクワクしねぇ?」と聞いていた私は、思わず苦笑いしてしまった。皆様、素敵なクリスマスをお過ごしください。 Happy Merry Xmas !
2006年12月24日
コメント(10)
今日の神奈川は冷たい雨が降りしきる真冬並みの寒さ。外に出るのは億劫なので、今週、録画したテレビ番組をチェックする。その中で素晴らしい番組を発見した。12月4日の夜にNHKで放映された「わが愛しのキャンディーズ」という番組だ。Gコードで予約した時から、期待していたが、期待以上の素晴らしい番組だった。NHKなのでくだらないCMが無く、歌中心で余分なインタビューも無く、ほぼ90分彼女たちの歌ばかりで、熱烈なキャンディーズ・ファンだった私にとっては感涙モノのお宝番組だった。「微笑がえし」で始まり、私の心の琴線に触れる歌ばかり続き、あの衝撃の日比谷野音での解散宣言の映像、そしてラスト30分は後楽園球場での解散コンサートのハイライトが流れる。あっぱれNHK。さすが国営放送。私はNHKの受信料を口座引き落としにしている愚か者だが、この番組を放送してくれたことで、一生受信料を払い続けることを決意したよ。受信料を接待に使おうが、着服して愛人に注ぎ込もうが、文句言わないから、これからもこういう良質な番組を作ってほしいものだ。私はすぐにこの番組をDVDに落として永久保存にした。また、来年1月4日にはBSで再放送がすぐに決まったらしい。キャンディーズの根強い人気に少し嬉しくなった。
2006年12月09日
コメント(12)
12月1日、9人の男たちが、とあるゴルフ場に集った。男たちは朝から浮かれていたが、一方で、いつ鳴り響くかわからない携帯電話に怯えていた。男たちは全員40歳以上。自営や結構な大きさの会社(東証一部上場企業の某不動産会社)の部長さんたちも数多くいた。堂々と有休を取ってくれば良いのに、普段、部下たちに厳しいことを言っている手前、なかなか休みを取ると言いだせない、姑息な男たちの集まりだ。自営の男たちも、平日ゴルフで事務所に居ませんなどとお客さんに知れたら、「結構な身分ですねー。」と嫌味を百回くらい言われるので、隠密行動をとって、気配を消していた。「平日ゴルフ」・・・なんと甘美な響きだろう。まっとうな社会人が一所懸命に働いている日中、ゴルフにいそしむ。決して犯罪を犯しているわけではないのに、たとえようのない罪悪感に襲われる。だから、平日ゴルフをともにしたものたちの間には奇妙な連帯感が生まれる。携帯が鳴ったときに、様々な姑息な嘘が飛び交う。「今、遠方に居まして今日は夜にならないと会社に戻れません。ひょっとしたら戻れないかも。」(夜は宴会だから最初から戻る気なし。)「もうすぐ電源切れそうなんで、また明日電話します。」(コンビニで電池買えよ。)朝から現場へ直行して、午後休みという最も姑息な手段を用いた方は、上司(役員)から電話が何度かかっても、戻って来いと言われるのが嫌で夜になるまで、折り返しの電話をしない方も居た。そしてゴルフを14時ころに終え、車で30分ほどの温泉宿に移動し、温泉に入る。皆、息を潜めて、17時30分の就業時間が来るのを待つ。普段は部下には定時だから仕事は終わりなどと絶対に言わないのに、こういうときは皆、自分に甘くなる。そして、定時が過ぎると、「もう拘束時間は終わった。」(朝から拘束されてないって。)「よし、飲むぞ!」(まだ18時前だよ)結局、宴は0時まで続いた。これは私の先輩たちとの忘年コンペのことである。(すべて実話。)私は当然のごとく一番下っ端のパシリである。肝心のゴルフは威嚇され続けて、またも108という屈辱的なスコアだった。来年こそはまっとうな方々と純粋にゴルフというスポーツに取り組みたい。(永遠に叶わぬ夢。)
2006年12月02日
コメント(10)
今年も「安奈」を、つい口ずさむ季節がやってきた。この歌を初めて聴いたガキンチョの頃は、歌詞はあまり気にせず(というか、あまりわからなかった(汗))、メロディーの心地良さに魅かれて、とても好きになった。18才の終わりに上京してから、この歌の歌詞の意味がなんとなくわかりはじめた。20代、30代と歳を重ねるに連れて、その時の自分の心象風景によって、この歌の解釈は変わっていった。そして、40才になった冬に口ずさむ「安奈」、今年は特に過去への「郷愁」が募る。今さら昔に戻ってもどうしようもないのにな。
2006年11月28日
コメント(10)
気高い禁欲生活に別れを告げた途端に、時を同じくして、各方面からお呼びがかかり、先週は月・水・木と午前様で、土曜日は早朝4時に起きて、7時半から御殿場方面でゴルフしてました。まさに鎖から解き放たれた獣のような動きをしております。このゴルフが最近の悩みの種なのです。最近は調子が悪く、いつも握りは負けています。マハラジャのように毎回金をばら撒いています。接待ゴルフでも、意識しなくても普通にお客さんに負けてしまう。まさに「ナチュラル接待ゴルフ」。最近は、ラウンド中に、情けなさに涙が零れ落ちそうになり、上を向いて歩きながら、人生の儚さを噛み締めています。このように、一流のゴルフ芸者の私は、転ばぬ先の杖として、皆さんからのお呼びが多く、座敷は年末までフル稼働なのです。これも売れっ子芸者の証なのでしょうか。「いつか見返してやる。」と必ず帰りの車の中で、涙を堪えながらつぶやく「south奴」でした。
2006年11月19日
コメント(10)
禁欲生活からやっと解放されて、このまま年末まで本能の趣くままに生きていこうと決心したsouthです(でも、おそらく口だけ番長になりそう(汗))。今日は朝は5時前に起きて、久しぶりのゴルフを楽しむために、いそいそと出かけていきました。千葉の木更津方面へ向かうため、ベイブリッジ、アクアラインを爆走しましたが、ものすごい強風にあおられて、何度もハンドルをとられそうになりました。「これは、木枯らし一号か」ボソッとつぶやいた私は、ほとんど条件反射で、♪出会いは風の中~♪と口ずさんでしまいました。この歌が世に出てから、もう20年以上経つのに、小泉今日子おそるべし。ちなみにスコアも木枯らしに抱かれて、翻弄されて、108と煩悩まみれのスコアでした。お後がよろしいようで。
2006年11月12日
コメント(14)
久しぶりのブログです。ご無沙汰してます。この一ヶ月半でまた、新たなことを学びました。それはストイック(禁欲)な生活がものすごい集中力を生むこと。ここしばらく、決算のバタバタを乗り切るために、酒を断ち、ゴルフを断ち、物欲を断ち、18歳未満禁止の欲(今はそうでもないな)を断ち、自分の起こした事業を完遂し銀行へ事業性の借入金を返済することにのみ集中しておりました。結果、昨日事業を完遂し、銀行との約束期日前に短期の借入金を返済して、地上に生還してまいりました。当ブログはボチボチ更新しますので、またよろしくおねがいします。さてこの「19 GROWING UP」ですが、プリンセスプリンセスのヒット曲ですね。世間はバブル時代突入で、禁欲生活とは無縁の時代の始まりでしたね。10月末くらいに期間限定で、ヤフーの動画でプリプリのライブが公開されてましたが、その時のオープニングソングでしたね。19才かー、そのころは、いろいろな欲に魅せられてギラギラしていたな。そのころに比べると、少しは忍耐力が付いたかな(笑)
2006年11月11日
コメント(14)
甲斐バンドの「嵐の季節」。今日、横浜から自宅へ車で帰るときに、ひどい渋滞に嵌ってしまい、そのあいだ、この歌を何度も聴いた。8月の終わりごろから、仕事がとても忙しくなり、今週の月曜日にとてもひどい目にあった。不動産は取引の額が大きいので、様々な人たちの欲や思いが錯綜する。20年近くこの業界に属していても、手痛い目には今もあう。しかし、不幸中の幸いで、金銭的な損害は被らなかった。精神的な痛手はかなり受けたが。だけど、落ち込んでいても、何の解決にもならないし、誰かが自分を養ってくれるわけではない。とにかく、前を向いて、1ミリずつでも前進していかなければならない。どんなにキツイ目にあっても。この「嵐の季節」は自分で乗り越えるしかない。前進あるのみ。
2006年09月16日
コメント(12)
全722件 (722件中 1-50件目)