すい工房 -ブログー

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小説「クチナシの庭」 (3ページ目)


 競技が始まると、熱の入った声援が、あちこちで飛び交う。
 目の前を走っていく走者に、圭介と橋川の件を忘れて、私と由里子は声を張り上げた。

 毎年のことながら、全学リレーは、これまでの競技と一線を画した熱気に包まれる。
 走者の順番が進むにつれ、熱気はしだいに上昇していった。
 今年は僅差でバトンがつながれている点もあって、例年の類を見ない歓声が、そこかしこから上がっている。
 三着でバトンを受け取ったカエは、どうにか差を縮め、二着で次につないだ。

 渡した先は、注目の白、青の団長対決だ。
 白、青、それぞれの声援がひときわ高まった。
 私も由佳里も、次第に高まった周囲の熱気にうかされ、普段では考えられない大きな声を張り上げた。

 のどが痛い。
 声がひあがりそうだ。

 デットヒートは、白、青、二つの団員を白熱の渦に巻き込んだ。

 ほぼ同時にバトンは繋がれ、最後に圭介たちのいるアンカーへとたどり着く。
 アンカーは赤、黄の団長、そして圭介と橋川だ。

 手を振って声を張り上げる圭介とは正反対に、橋川は静かにたたずんでいた。
 彼に目を留めた私は、思わず息をのんでいた。
 体に篭もった熱気が、急速に冷えていく。
 ぱっと見、橋川の行為は冷めているように見えたが――そうじゃない。

 眼差しはまっすぐ前走者に向けられ、体はほど良い緊張に包まれている。
 口元は軽く引き結ばれていた。

 周囲にあてられた熱気はひいたものの、胸の奥に静かな熱が生じた。
 息を詰める興奮が、息づいていた。

 バトンは黄、青、白、赤の順でアンカーに渡った。

 選ばれた最終走者とあって、みんな足が速い。
 各団の団長は、足が速いことが第一条件となっているほどだ。
 それも、この全学リレーのためと言っていい。

 なかなか詰まらない距離、開かない差の中、橋川が徐々に間を詰めていった。
 黄色の団長が、最初を飛ばしすぎたらしく、体の動きに鈍さが見えてきた。
 それもほんのわずかなことだ。
 走者が精鋭ぞろいでなければ、先頭を保っていただろう。

 並んだ橋川に、歓声があがった。
 声を張り上げる由佳里の隣で、私はきつく拳を握りしめた。
 ドクドクと心臓が高鳴っている。
 興奮で胸が熱くなっていた。 

 先頭に並び、ついに黄の団長を抜いた橋川に、歓声と悲鳴がとどろいた。
 黄の団席からは「まだ間にあう!」の懸命な声が、青の団席からは「そのまま引き離せ!」との必死の声が、そこかしこから上がっていた。

 橋川が黄団を抜いたとき、私は思わず手で口を覆っていた。
 歓喜の叫びを上げていた。
 どくどくと高鳴る鼓動で心臓が痛い。

 ラストまであと100メートル。
 このまま橋川が先頭でゴールするものと、青団の誰もが思っていた。

「……圭君!」

 ハッとした由里子の声で私は我に返った。
 いつの間にか圭介が、橋川との間をつめていた。
 三番手で圭介がバトンを渡されたとき、橋川と十メートルは離れていた。
 それがもう、数メートルしかない。

 黄の団長と橋川の接戦に気をとられて、圭介の存在を忘れていた。

 思わぬ伏兵に、青団の声援はかりたてられるような悲鳴になっている。

 トラックが直線になると、橋川と圭介の位置が明確となった。
 歩幅数歩分、先を進んでいた橋川だったけれど、圭介は確実にその差を縮めて、並び、ゴール直前で橋川を抜いた。

 白団から歓声が上がる。
 青団は、誰もが声を失っていた。
 ほんの十数秒前まで、優勝を確信していたのだ。
 まさかの逆転劇に、落胆が色濃い。

 4着の赤団がゴールすると、競技の全てを終了するアナウンスが流れた。
 力尽き、座り込んだり、芝の上に体を横たえるリレーの選手に、どこからともなく拍手が起こった。
 結果に関係なく、彼らをたたえたものだった。

 各団ごとに整列し、閉会式がとりおこなわれた。

 優勝は白団。

 最後のリレーの点数が大きかった。
 次点が青団。赤、黄の順番だった。

 閉会式が終わると、それぞれの団席に集い、くす玉を割る。
 盛大な歓声が上がったのは白団だけで、他の団は静かな拍手が起こるだけだった。

 団席で、団長と応援リーダーの挨拶が終わると、本当の体育祭が終わり、全校生徒で後片付けとなる。
 準備のときと違い、やり遂げた達成感と、終わったのだという、わずかな寂寥(せきりょう)が胸に去来(きょらい)した。

 昼の熱気が、地上に漂っている。
 しびれるような興奮が、体の底で、わずかだけれどうずいていた。
 同じように、体育祭の熱気が抜けきっていない生徒が多いように、私には見えた。
 感情は、言葉の端々や言動に、おのずとにじみ出てくる。

 お互いに感化し、感化され、そうした熱気が、校内に静かに漂っていた。 



 片付け、掃除が終わると、教室でのホームルームとなる。それも終えると、生徒たちはそれぞれの帰路についた。

 そのまま帰宅する者、クラブ活動にいそしむ者、親しくなった同じ団員と体育祭の余韻を楽しむもの。
 2年C組の裏方まとめ役だった私は、同じく裏方のまとめ役だった先輩と一年にあいさつをし、本当の意味での体育祭を終えた。

 カエは部活に出るという。
 体育祭で疲れているだろうに、練習熱心なことだ。
 由里子と知恵(ともえ)は、先に帰った。
 二人とは帰る方向が逆だった。

 疲れをにじませた二人を待たせるのが悪い気がして、あいさつが終わるまで待つといった二人を、私が強引に先に帰した。

 私も疲労が体に染みていた。
 たいした競技にも出ていないのに。
 そう自分でもわかっているけれど、体にのしかかる重みは確かに存在する。

 私の場合、気疲れだろう。
 それと……あの全学リレーでの応援疲れ。
 静かに目を閉じると、あのときの興奮の余韻が体の奥底に残っているのがわかる。

 スポーツを観戦して、あんなに夢中になったのは初めてだ。
 あんなに……息を詰めた興奮を感じたのも。

 西に傾いた夕陽が、オレンジ色に滲んだ景色に教室を染めている。
 あいさつを終えて教室に戻ると、もう誰も残っていなかった。
 みんな疲れていたから、早々に切り上げたのだろう。

 今日は遊ぶ気力も寄り道する気力も残っていない。
 まっすぐに家に帰って、ベットに体を投げだして休息をとりたい。

 そう思いながら荷物を片付けていると、教室後方の出入り口から「リツ」と呼ぶ声がした。

「圭介」

 今日の一番の立役者が、軽い身のこなしで側に来た。
 まるで疲れを感じさせない様子に、我知らず、剣呑な眼差しを送っていた。

「……なんだよ、怖い顔して」

 そう、圭介に指摘されるまで気づかないほどに。

「別に。……疲れとかないの?」
「特には。いつもの練習量とあまり変わんないし」
「……そう」

 羨ましいというか、小憎らしいというか。
 言いながら、圭介は隣の席に座った。そして机につっぷしてだらりと体を伸ばしている。
 練習熱心な圭介が、意味もなく時間をつぶすなんて珍しい。

「部活は?」
「……まあ……ちょっとサボり……」

 私は目をまたたかせた。
 部活大好き人間な圭介から出てきた言葉とは思えない。

「なんで?」
「なんででしょうねぇ……」

 質問を質問で返すはぐらし方をして、圭介は答えを濁した。
 あまり答えたくない内容らしい。





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