すい工房 -ブログー

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小説「クチナシの庭」 (5ページ目)


「リツなら前からそんな噂あったし、とりあえず大会まで俺がはっきり否定しなければうやむやのまま行くかなぁ。とか考えて」
「ほか当たって」

 馬鹿らしくなって席を立つと「駄目だったからリツに言ってんだろ」と、心底困り果て、疲れた声を出した。

「陸上部の子は? 一番無難じゃない」
「『冗談じゃない』って断れるか、便乗されるか」
「……便乗?」
「この際、付き合わない? ……みたいな。気があるとか勘違いされたみたいで。その気があるなら、とっくに言ってるって」

 確かに、そう勘違いを受けてもおかしくない。
 それほど圭介が、頼もうとしていることは常識から外れているのだ。

 黙っている私を、圭介は怯んだような眼差しを向けた。

「……まさかリツもかよ」
「冗談言わないでよ。……相変わらず、変動的な人気があるんだなって、再認識してたの」
「株価みたいに言うなよ」
「似たようなものじゃない」

 とにかく、と、私はバックを肩にかけた。

「そんな話をしたかっただけなら、私帰るけど。……アンカー受けた時点で、少しはこうなるってわかってたでしょ。瀬口先輩挑発して、橋川まで巻き込んで。目立つことしたんだから、有名税払うつもりであきらめたら?」
「そんなこと言ってもなぁ……」

 途方に暮れたように、圭介は再び机に顔を伏せた。
 少しは同情するけど、それでやっかいごとに巻き込まれるのはごめんだ。
 圭介が頼む提案には、悪いけど乗る気はさらさらない。

 それでも圭介はだらだらと、なんだかんだいって誘い込もうとした。
 断り続けていると、教室後ろの扉が開く音がした。

 圭介は驚きながら体を起こし、私は何の気なしに音の方を見て――。

「なんだ、ハシか」

 圭介は橋川をそう呼ぶ。
 橋川と知って、緊張を和らげる圭介と反対に、すかさず顔を伏せた私は、体が硬くこわばった。

 どうして、まだ残っているの。

 ホームルームが終わって、だいぶ時間がたっている。
 帰ったものだとばかり、思っていたのに。

 橋川はいつもの無表情で「なんでお前がいるんだ?」と圭介に聞いていた。
 圭介は隣のクラスだから。

「サボリ」
「……ふうん……」

 苦笑いする圭介に、橋川は相槌をうつだけだった。

「帰る?」
「いや……時間つぶしてるだけ。また出ようとは思ってるけど」

 言いながら、圭介は教室の前方にかかった壁掛け時計を見た。

 なんだかんだ言いながら、圭介がこの教室に来てからすでに三十分近くたっている。

「……そろそろ行くわ」
 あきらめたようなため息を落として圭介は立ち上がると「つき合わせて悪かったな」と私に告げ、橋川に「じゃあな」と声をかけて、教室を出て行ってしまった。

 引き止める間もなかった。

 引きとめようと、口から出そうになった言葉は、喉元でつかえて声にならない。

 教室には他に人はいなく、橋川と二人きりになってしまった。

 橋川はバックに荷物を詰めて、無言で帰る準備をしている。
 私は帰るに帰れなくて、携帯をいじってメールをしているフリをした。

 先に教室を出れば、橋川に挨拶をしなければならない。
 二人きりしかいないから、何も言わずに教室をでることなんて出来ない。

 橋川が先に教室を出るよう念じながら、意味もない携帯の画面を見つめていた。
 体中に嫌な緊張が広がっている。
 興奮が息づく心地よい緊張とは正反対の、早くこの時が過ぎればいいとひたすら願う、つらい緊張だ。

 視界の隅に、橋川がバックを肩にかけたのが見えた。

 帰るのだとほんの少し緊張が解けたところへ、橋川がぽつりとつぶやいた。

「瀬口先輩は、谷川先輩と走りたがってた」

 静かな独白に、私は思わず顔を上げて、どきりとした。

 橋川が、私をまっすぐに見ている。
 心臓が一気に収縮した。
 息が詰まる。 
 体が硬く強張った。

 独り言のようなつぶやきは、私に宛てたものだった。

 他に人のいない教室の静けさが、耳に痛い。
 橋川と二人きり。
 他に逃げ場などない。

 橋川の目は、まっすぐに私をとらえている。
 橋川から目をそらせないまま、極度の緊張から、軽いめまいに襲われた。

 橋川のいう谷川先輩は、白団の団長だ。
 谷川先輩は、誰もがアンカーを務めるだろうと考えていたところを、実力を重視して、誰もが伝統と思ってはばかりなかった「団長=(イコール)アンカー」の図式に背いた。

 副団長をはじめ、多くの人が谷川先輩にアンカーになるよう説得したけれど、ガンとして首を縦に振らなかった。

 ――自分の力はわかっている。団長として、足をひっぱる真似はしたくないんだ。

 そう、頑なに言い続けて。

 タイムで走順を決めようとした谷川先輩は、アンカーを圭介にと考えていた。
 純粋に、記録から判断した結果だ。

 団長がアンカーをつとめないだけでは飽き足らず、三年を差し置いて二年に任せるとは。

 そんな嘲笑を受けるのは目に見えていたため、他の団員が「せめて三年にアンカーを」と説き伏せた。

 その経緯は圭介から聞いていた。

 谷川先輩は本気で優勝を狙っているのだと、肌で感じた圭介は、自身も感化され、彼にしては珍しく、熱心に練習にも参加していた。

 そこまでは聞いていたけど、瀬口先輩の話は聞いたことがない。

「谷川先輩がアンカーにならないのに一番反対していたのは、瀬口先輩だったよ。瀬口先輩は、谷川先輩と全学リレーのアンカーを走るために、団長になったようなものだし」

 谷川先輩と瀬口先輩は、後輩の私たちがその仲のよさを知っているほど親しい友人だった。
 谷川先輩が団長になったのを知り、瀬口先輩も団長にたった。

「体育祭の練習に参加してたヤツならみんな知ってる。瀬口先輩が何度も谷川先輩をアンカーに誘ってたから」

 瀬口先輩が、ときには挑発紛いの言葉を投げても、谷川先輩の意志にゆるぎはなかった。

 瀬口先輩も、谷川先輩と同じ組の走者になることをあきらめていたとき、白のアンカーが競技中、負傷したと知る。

 これで谷川先輩がアンカーを走る。
 誰もがそう思っていた。

 ところが、谷川先輩は圭介をアンカーに起用した。
 もちろん白の団員総出で反対したけれど、谷川先輩の信念は曲げられない。

「メンツのために、負けるかもしれない賭けをしなければならないんなら……余計なリスクを負わないとならないなら、俺は出ない。リレーから降りる」

 そこまで言われては、団員が折れるしかなかった。
 団長がアンカーを務めないばかりか、リレーにさえ出ない。
 ……などといった最低最悪の事態だけは避けたかった。

 谷川先輩は「全学リレーのアンカーが団長である必要はない」とずっと言い続けていた。
 伝統が息づき始めたころから振り返ってみても、過去いくども団長以外が全学リレーのアンカーを務めた例は多々あった。
 私たちの頃は知らないけれど、今の三年が一年のときも、二つの団が、団長以外の団員がアンカーを務めていた。

 いたたまれないのは瀬口先輩だ。
 期待は、親友の頑なな信念の前に散ったのだから。

 瀬口先輩の想いは、全学リレーに参加する生徒はみんな知っていた。
 谷川先輩も、もちろん知っていた。
 それでも、谷川先輩はアンカーになろうとはしなかった。

 そこへ圭介が、瀬口先輩に挑発紛いの言葉を投げかけたのだという。

 瀬口先輩もわかっていたのだ。
 谷川先輩と競いたいのなら、瀬口先輩が同じ土俵に上がればいいのだと。
 わかってはいたが……周囲を気遣って、踏み切れずにいた。

 圭介は瀬口先輩の背を押したのだ。

「何も知らないのに、自業自得とか……言うことじゃないだろ」

 橋川はまっすぐに……私を見ている。
 私は目をそらせなくて、その場に棒立ちとなっていた。
 橋川は……呆れというか、嫌悪というか……そんな表情をのぞかせ、わずかに眉を寄せている。

 ズキンと胸が痛い。
 この場から逃げ出したいのに、足が動かなくて、呼吸の仕方もわからなくなるほど緊張が体を包んでいる。
 陸に上がった魚のように、息が苦しい。
 口の中がからからに乾いていた。

 圭介に近しいのに、彼を理解しない私に、心底呆れているのだ。

 何もいえない私を、橋川はしばらく眺めていたけれど、反論も肯定もしない――意志を告げようとしない私に見切りをつけて、背を向けると教室から出て行った。

 橋川が教室から出て行って、足音が聞こえなくなって、それからしばらくしてから、徐々に体の緊張が緩んできた。
 重力の感覚が体に戻ってきて、重みとなって四肢に重くのしかかってくる。

 ぼんやりと、頭の中にモヤがかかっているように、にじんだ景色が視界を覆っていた。

 この時期、なぜクチナシの庭を思い出すのか、わかった。
 橋川を見て感じるめまいが、あの庭で感じたものと似ているのだ。

 狂おしいほど花の芳香に満たされていた庭。
 再びあの情景に囚われたように、私はしばらく、その場から動けなかった。





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